「誇らしい迷惑遺伝子」と言われても・・

韓国の某大学で運営する動物病院長が、「韓国人は犬のような民族、日本人は猫のような民族」という長い寄稿文を書き、ニュース1という韓国のニュース通信社がそれを載せました。

<・・犬は集団主義的社会性と群集性が強い。集まるが好きで序列を重視している。家庭でも同じだ。しかし、人には無条件で忠誠する。だから韓国人は犬を好む。情が多いからだ。だから、韓国人は情が多い(情に厚い)。あまりにも多い。犬ほど人間に優しい動物はない。ありがたいことだ。

韓国人は他人のことによく干渉する。関心が多いからだ。その干渉を関心の表現だとで信じる。それチョンとも考えている。ので、非常に積極的で社交的である。韓国人は外国に行っても、簡単に友達を作る。今のようにグローバルな社会では、多くの点で有利な遺伝子を持っている。しかし、現代社会では、お互いに被害を与えることが多い。それでも似たもの同士集まらなければ難しい。これを私は “韓国人の血には誇らしい迷惑遺伝子がある」と表現することもある・・・>

<・・・猫は徹底的に個人主義者である。群れを嫌っている。完全独立である。いつも偉そうにするので、猫を育てる人のほうが執事だともいう。(そんな相手と仲良くなるには)あふれる情をすぐに表現してはならない。一緒に偉そうにしなければならない。そうしながら押し引きができなければ仲良く離れない。猫は社会性より領域性が強く、自分だけの領域に固執する。自分の家で十分なである・・・>

http://v.media.daum.net/v/20170926094321571

昔、某アニメで主人公の女の子が驚いた時に「ほえ」と叫んでいたのを思い出しました。「吠え」な話ですね。

犬が好きな人は犬が好きでいいし、猫が好きな人は猫が好きでいいだけですし、犬も猫も関係なく、大事にすれば「情」も増すものでしょう。それだけの話ではありますが、せっかくだからもう少し書きますと・・

韓国人が言う「情(ジョン)」は、韓国人が自分の仲間、「ウリ」と思っている人たちの間で作用します。社会全体の規則より、自分たちだけの規則が優先すべきだと信じています。

もう一つの民族情緒(と呼ばれる)恨(ハン)は、ウリでないものすなわち「ナム」に作用します。社会の規則を破ってでも、その相手を破壊すべきだと信じています。

関心を持って接するのは社会生活で必要だと思いますが、韓国人の「干渉」は、殆どの場合において「命令」にすぎません。相手が自分の言うとおりにしないと、怒ります。

実際、寄稿文にはさっそく矛盾する内容があります。「外国でもすぐ友達ができる」といいつつ、「情は似た者同士でないと難しい」としています。韓国人は外国でも自分たちのコミュニティーだけを重視します。「ここは〇国だ」より「私は韓国人だ」を優先するため、所属意識などは強くありません。「私が◯国のウリになるには私が◯国に合わせないといけない」ではなく、「◯国が私のウリになるには◯国が私に合わせないといけない」と思っているからです。

情と恨は、同じ根源を持つ感情にすぎません。それを「誇らしい迷惑遺伝子」と言われても、お断りです。

余談ですが、私がいま住んでいるところ(物件)を含めていくつか日本の家をしらべていた頃、「韓国人が多い街」は出来る限り避けたつもりです。私は、日本に来たわけですから。

つか、この寄稿文で何よりおかしいのは、自分で「誇らしい迷惑」と言いだすところですね。

 

 

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64 Replies to “「誇らしい迷惑遺伝子」と言われても・・”

  1. 率直に言って、嘘ついて日本を貶める活動をしてきたのにこんな時だけ北朝鮮や総連だけが悪者みたいに糾弾集会やらかしてる一部の在日さんや日本人たちのことは残念に思ってます。
    ほんとに日本のためを思うなら吐きまくった嘘を訂正して謝罪して欲しい。
    それをやらないなら北朝鮮を裁く資格はないです。
    犬は嘘をつかない。人のせいにしない。裏切らない。

    1. 大体あの人たちは犬を美味しそうに食べてる
      じゃないですか!何が友だちだよ。
      しっかりご馳走じゃん。

  2. 中国は多民族からなり、複数の国が接していて、異文化が混在しなければならない国家、実は人種のるつぼと呼ばれるアメリカに近いものがある。日本は海に囲まれ、異民族との接触は自然に防げたので一時期を除けば基本的に暮らしは穏やか。朝鮮半島は常に攻められる地理的条件で、民族が入れ替わって出来上がったところ、あまり人を信用できないから、都会でも日本の田舎のごとく、知っている人だけ、家族だけを大切にし、他は利用する存在となるのです

  3. >いつも偉そうにするので、猫を育てる人のほうが執事だともいう。

    よく猫飼いの人が「飼い主は猫の奴隷」なんて自虐ジョークを言ったりしますけど。
    それは本気で飼い猫を主だと思ってるのでも、こんなに尽くしてるのに薄情だと嘆いているわけでもなくて
    「オーナーなのに見返りを求めず世話をしてお金を注いでしまうほどの抗いがたい愛らしさを持っている、うちのこ最高かわいい」というノロケや親バカみたいなもんですよねえ。

    シンシアリーさんも、別にレナさんが「いつも偉そうにしてるから仕方なく」綺麗なお洋服を着せてあげてるわけではないでしょうしw

  4. 無条件で忠誠&喰える

    科学者:地球上で最も危険な動物を特定
    4位:犬年間3.5万人死亡

  5. 大韓民国人と違うモノというだけで嬉しく思います( ´,_ゝ`)

  6. <場違い>の関係1

    「どうして国境が存在するのか、こいつらはまるでわかっていない」
    どこかのまとめサイトで見たのですが、無制限に移民・難民を受け入れようとするEUにへの批判コメントです。
    国境を人間の可能性を阻む障害と見ることもできるのでしょうが、しかし一方、国境とは文化の違いを明確化する『場』の論理の最たるものでもあります。

    <場違い>という言葉は、シンシアリーさんがご自身が韓国内で生きることの心境を表す為に良く使っていた言葉です。
    ヨーロッパへ押し寄せる移民・難民も、祖国で生きることに彼らなりの<場違い>感を覚えたからこそ、祖国を後にした筈です。
    <場違い>感ということでは、あなたも彼らも変わらない。

    ↑と聞いたなら、シンシアリーさんはこのように答えるでしょう。

    「雑記ニダ(・ω・)」

    >少なくとも私という個人が日本という社会に迷惑をかけない関係は絶対に必要だと思います。

    http://ameblo.jp/sincerelee/entry-12071368552.html

    実は、古田博司氏によると、関係と迷惑は同じようなものであります。
    「悲しみに笑う韓国人 ちくま文庫」より引用します。

    「淋しさの意味がいつも彼をとりまいて、彼と彼の知り合いを、まったく知らない人々が隔てている。知らない人々に対する韓国人のあの一種独特の冷淡さ、知り合いに対するあの濃厚な思いやり、中国ではこの知人紐帯を「関係(guanxi)」というそうな。韓国では우리(ウリ)という。」p207

    「とにかく相手の迷惑を受け入れるということが知り合いになるための条件になっている。」p209

    さらに「関係」と「ウリ」のよく似た部分を示します。

    《だれもがみんな友人ではないのだ。とするとその概念が、どんなに恐ろしいことであるか測りしれない。バスの中で、百貨店で、また街であう無数の人達を、『友人』ではないと考えることは、つまり社会と個人が断絶していることを意味する。》P198
    ※上記同書、ただしこの部分は「韓国人の心 李御寧 著」からの引用

    以下続く

    1. <場違い>の関係2

      「中国語で「関係がない」ことを「没関係」という。中国人にとって「没関係」な世界は、冷たくて恐く、魑魅魍魎の暗躍する世界である。人々はお互いに信頼できず、息を抜くことのできない世界だあるといってもよい」
      『中国人の心理と行動 園田茂人著 日本放送出版協会』p116

      『中国人の心理と行動』の中では、日本にある『場』の論理が中国にはないことの指摘が、複数の研究で例示されており、園田氏もまた日本の『場』の論理からも見解を述べております。
      ですので、韓国から

      >領域性が強く、自分だけの領域に固執する

      という、日本の『場』の論理に近似する言及が出てきたのには驚きました。

      『場』の論理ですが、これは中根千枝氏の研究によるものであります。

      「タテ社会の力学 中根千枝 著 講談社」より引用しますが、『場』とは中根氏によると「小集団」のことであり、日本社会を「儀礼的タテ社会で数珠繋ぎになった小集団」と表現しています。
      「そこで個人の勝手な行動が規制させると同時に、ブラストレーションの解消の機会を持ちうる」同書p153

      また、関係には日本の『場』の論理を崩す危険があります。
      「筆者がタテの関係という用語において意味する一つの重要な人間関係は、下位の者が上位に従属することではなく、うまく組み合うことである。そして、ソトに対しては上下の礼節を忘れないことである。」

      「この組み合わせというか、人と人のなじみ合いがうまくいかないと、集団の内部が陰湿になったり、ヒビ割れができやすい」

      「これは日本的集団にとって致命的な弱点となる。こうした人と人の組み合わせ如何が、他の社会における集団の場合より大きく左右するということに、日本の組織の長所・短所があるのである。」
      同書P85~86

      『場』の論理も、畢竟は関係であります。

      迷惑をかかされたり恥をかかされたりするような関係性の中で、<場違い>感に苦しめられると思います。
      人間というのは、おのおのそれぞれの<場違い>感に耐えながら生きていくものであり、そのことは国境線のどちら側であれ変わらないのではないでしょうか。

      1. 私は20年近く中国という国に係わり、ビジネスをしてきました。

        まず、「没関係」という言葉の意味ですが、「関係が無い」とう意味で使われることは、ほとんどありません。
        むしろ、「差し障りない」とか「大丈夫ですよ」とか「かまわないですよ」とう意味で使われます。したがって、
        >中国人にとって「没関係」な世界は、冷たくて恐く、魑魅魍魎の暗躍する世界である
        という解釈に違和感を感じました。

        中国には、「場」の概念が無いとの引用ですが、中国は13億人が暮らす多文化社会です。
        一律にそのように決めつけるのはどうかと思いますし、中国にある「帮」という概念が、ここで言う日本の「場」に近いのではないでしょうか?

        1. >日本の未来は。。。さん
          2017年9月27日 12:37

          『中国人の心理と行動』で園田茂人氏は、「場の共有」の有無をキーワードとして述べています。
          日本でいうなら、農村の入会地に代表されるような
          「誰でも使ってよいといっても、みんなのものなのだから勝手に使ってはいけない」
          という感覚が日本の"オオヤケ"だとのこと。
          中国には入会地のようなものがないそうです。

          同書では日本と中国の違いを説明するために以下の引用をしています。

          中国人の関係は個人を中心的に拡っており(金耀基氏)伸縮自在であるがどんな関係なのか外部からわかりにくいが、日本人の関係は場を中心に拡っており、その存在は特定しやすく中国のそれに比べて永続しやすい(ルシアン・W・パイ氏)

          溝口雄三氏の論として
          ・日本は「領域の公」、ワタクシの領域はとは区別されており、ワタクシは公に基本的には関与できない
          ・中国は「つながりの公」、ワタクシ同士を繋げる形で存在するので、公の中に自分のワタクシを主張できるが、他人のワタクシから離れられず、自分単体の領域を持てない

          また、日本の戦前の研究でも、中国社会の血縁主義が強く地縁結合が相対的に弱い傾向が確認できるそうです。
          そういった傾向を、横山廣子氏は「中国社会の類の原理」「日本社会の場の原理」として対比しているそうです。

          ※上記の本とは別に、ネットで見つけた論文ですがこれにも日本の場の原理と中国の類の原理が述べられています。
          「公Gong」の社会的構造についての基礎的考察(1) -中国社会への一視角一
          李明伍 著
          http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/19/li1995.pdf

          人間は社会的生物であります。
          韓国ならば「迷惑遺伝子」とやらでウリ関係を作らせ、
          中国ならば「関係(guanxi)」を拡げさせ、
          日本ならば「場」に過剰適応させ、
          そうやって孤立から身を守ろうとしているのかもしれません。
          孤立することの恐怖は遺伝子レベルで刻みつけられているはずでしょうから。

          シンシアリーさんが「日本に同化」とか言い出したのも、孤立への恐怖も一部は有るような気がします。

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