疲れる社会

2月に予定されている本に、日本は「人を楽にしてくれる国」という内容があります。労働やビジネスの類が楽だという意味ではありません。

レジにちゃんと並ばず、店側も客が並ぶことを前提にしていない、そんな店に入ると、あなたはどんな感情を抱くのでしょうか。怒る、困る・・いろいろあるでしょうけど、私は「疲れる」と思います。そして、それが店の責任だろうと客の責任だろうと、その店には余程のことが無いと行かないでしょう。

「日本は人を楽にしてくれる」の「楽」の意味は、先の喩えの「疲れる」の反対概念です。

 

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ちょうど、そんなニュースが話題になっています。

「タメ口で注文する客にはタメ口で答えます。飲み物も半分だけにします」という注意事項を書いたある店が、ネットで大きな話題を集めています。「いいことだ」という意見が多いみたいです。

ちなみに韓国語ではタメ口のことを「バンマル」と言いますが、「半」もバンと読むので、飲み物も半分だそうです。

http://v.media.daum.net/v/20180128110814238?d=y

 

中央日報に載るぐらいだから、結構話題になっているのでしょう。それもそのはず、こういうのがすでに韓国では「社会一般」の問題になってしまった・・そんな気がします。

タメ口で注文すると、この店は本当にタメ口で返すのでしょうか。喧嘩上等の態度を取るのでしょうか。

店の責任か、それとも客の責任か?それは意見が分かれるところですが、私はこう思いました。

「いいか・悪いかで考える問題で・す・ら・ない。ただ、見ていて疲れる」。

店でも客でもなく、社会そのものが、疲れるだけになってきたような、そんな気がします。

 

あと、本エントリーとは無関係ですが(部分的には関係あるかな?)、一時、私は韓国の若い世代を「確かに、経済面では被害者ではないのか」と思った時期があります。今でもそう思う側面はありますが、同情はしていません。なぜなら、考え方がどうも霊悪(ヨンアク:ずる賢い)だからです。

前に仮想通貨関連エントリーで、コメント欄に「韓国の青年たちは公平な分配を望んでいるだけではないか」という意見がありました。

それは、表面的には合ってますが、ちょっと違います。彼らは口では「公平」を言いますが、それは「勝者は不公平だ」と言いたいだけのこと。実は、「結果的に他人より自分が多くを取る」ことを望んでいます。

いつだったか、配慮という言葉にも同じ解釈をしたことがありますが・・韓国社会では、「公正」や「公平」という言葉も、他人が守るべきものであり、自分が守るべきものだとは誰も認識していません。

本当に全員がまったく同じ分を取る社会なら、彼らは満足するかもしれませんね。でも、共産主義でも実際にそう分配するのは難しいじゃないでしょうか。

だから、今日のような記事を読んでも、「ふーん」としか思えなくなりました。

 

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