他人、指摘、そして体面

あれ・・ひょっとして風邪を引いた・・?そんなはずはない・・そんなはずはないのだ・・と、土曜の更新です。

韓国の地下鉄などでよく見られるシーンです。ここでも地下鉄の中、ということにしましょう。Aという人が、何か非マナーな行動(迷惑な座り方とか、大声で電話したとか)をしたとします。

本ブログで何年も前から書いている人気フレーズですが、韓国社会には「配慮は自分で他人にやるのではなく、他人が自分にやるものだと思っている」という悪しき考え方があります。そして、社会マナーも日本のマネをして急造されたものが多く、まだ社会構成員たちの「身についている」状態ではありません。だからトラブルも日本に比べて多くなります。

 

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そこで、Bという人がAに、それはいけないと問題を指摘したとします。AもBも、学校で、テレビで、「(Aの非マナー行動は)他人を配慮しない行動だ」ということを知っています。言い換えれば、「教育」が届いています。

日本でこんなシチュエーションになった場合は、BがAにやめてくださいと言うと、Aは「あ、つい」と気づいて、すぐすみませんと謝ります。するとBも「すみません」と言います。

 

ですが、韓国の場合は(もちろんシチュエーションと言い方によりますが)、BはAを「叱る」論調で話すことが多いです。Aを悪、すなわち自分より下だと思っているからでしょうか?

すると、体面を傷つけられたAは、「それはそうだが、そんなふうにしか言えないのか」と怒ります。ほとんどの場合、AはBのナム、すなわち知らない人になります。他人に見下されたほうが、「あ、マナーを破った」という考えより優先するからです。AはBに謝れと言います。BはAに謝れと言います。そこで、喧嘩になります。AもBも、声を大きくします。

結果的に、Aがやっていたこと(座り方とか電話通話とか)よりも遥かに大きな迷惑が、その地下鉄の車両に乗っている全員に襲いかかります。

 

なんで急にこんな話をするのかというと、朝、ほぼ同じ事例を扱った記事を読んだからです。個人的にも、同じ経験があります(うるさすぎで次の駅で降りました)。

ふっと考えてみると、こういう問題も、ナムとか体面とかそんなのもありますが、「誰が悪いのかを考えすぎる」、「自分の問題を隠すために相手の謝罪を必要とする」など、本ブログで扱ってきた韓国社会の問題と繋がります。

問題が「日常」になると、それがすなわち社会問題である、といううことでしょう。

 

 

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