韓国の子供の日は5月1日だった?

韓国でもあまり知られていないことですが、韓国の子供の日は、もともと5月1日でした。方定煥 (パン・ジョンファン)という人が中心になって、1922年に制定した、となっています。もちろん、民間でのことでした。

それから1946年に、5月5日(1946年には5月5日が日曜日だったという単純な理由だと言われています)が子供の日になりました。

さて、韓国では、1922年~1945年まで、日帝が子供の日イベントなど、いわゆる「少年運動」の類を弾圧した!ということになっています。

 

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「少年運動」は、広く支持を集め、関連組織が増えました。

例えば、チョンドという地域の資料によると、1924~26年にチョンド地域にも少年運動の影響で「チョンド少年会」というものがあったけど、チョンド普通学校の「モリ」校長が「その会に入ってはならない」と公文を発送したり、警察が少年会を解散させたりしたとのことです。

http://cheongdo.grandculture.net/Contents?local=cheongdo&dataType=01&contents_id=GC05500481

 

おや?なんで日帝は少年運動を解散させたのでしょうか?理由は簡単で、当時の朝鮮半島の少年運動(子供の日もその一環です)は、「少年たちを使った独立運動」だったからです。

まず、パン・ジョンファンという人は、キリスト教とともに31運動の中心勢力だった「天道教」という宗教の人でした。彼が作った最初の少年運動組織も、「天道教少年会」というものです。

その影響で次々と少年運動関連組織が作られましたが、その名前が「朝鮮少年軍(中央高等普通学校の教師が設立)」、「朝鮮少年斥侯隊(中央基督教青年会で設立)」など、「いかにも」な組織です。名称からしてすでにあれっぽいですが、どちらも「少年たちに民族意識を高揚させた~」などとなっており、基本的には当時の朝鮮独立運動を支えていた自民族優越主義を教育していた組織です。

先のチョンドのモリ校長の公文を見ても、「少年解放運動など、親に対する反対、衝突の原因になる。脱退すべきだ」となっています。

それでも当時の少年運動関連者たちは、「子供の権利を守るためだ」という目標を掲げていた、とのことでして。

 

見方がクモリすぎているのかもしれません。でも、人権がどうとかと叫びながら、デモで子どもたちを「使う」人たちがいるじゃないですか。どうしても、それと同じに見えてしまいます。

しかし、韓国は併合時代を「史上最悪の植民地支配」と主張しながらも、ずいぶんといろんな活動ができたものですねw

 

 

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