韓国が民族に拘るのは、亡国の責任を一部の人たちに押し付けるためだ

今日の3回目の更新は、今日(7月6日)韓国の保守系ネットメディア「未来韓国」の載っている、「民族という偶像と大韓民国」という寄稿文を紹介します。

朴正煕記念財団のキム・ヨンサム企画室長が書いたもので、最後の部分をちょっとだけ再構成しました。

<私たちが「民族」という用語に、常に過度に反応しながら生きる理由は、1910年に日本にやられた亡国の全ての罪を乙巳五賊(※国を日本に売ったとされる5人のこと)に押し付け、他の国民は全員が免罪符を得ようとしたからだ。ウェノ(倭奴)、倭寇と言いながら見下していた日本に国を奪われ滅亡してしまった朝鮮のプライド高き両班の子孫たちは、国が滅んだ以上、血筋にまつわる「民族」という存在に執着して自分自身を慰めるしかなかったのだ。それから韓国人の感情は「日本」という存在と「民族」という用語の概念が対立と葛藤の爆発となり、深いトラウマとして残った。

 

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解放から70年になってもそのトラウマから抜け出せない大韓民国の国民たちは、「国家」という政治共同体ではなく、「韓民族」という範囲をより大切にし、国家としての理念、思想、体制を軽視するようになった。この状況に至る過程で決定的な役割をしたのは、北朝鮮、そして金日成の存在だ。

今日の南北対決の哲学の根は、「民族」という概念から派生した「抗日」である。抗日をしたか、しなかったか。抗日した勢力が作った国家は正統性と民族的権威を独り占めし、抗日しなかった方は親日、民族の反逆者たちが立てた国家という烙印と汚物をかぶることになる。抗日をしたとしても、外交的、文化的、教育的にしたのか、それとも熱く鮮明に武装闘争をしたのか。後者が絶対的な道徳的権威を勝ち取る。

今日、「抗日」という問題をめぐる理念戦争で、李承晩と朴正煕の大韓民国は、金日成の朝鮮民主主義人民共和国に完敗した。

1980年代以来、ほとんどの大韓民国の学者、知識人、ジャーナリスト、一般人たちは、金日成は抗日武装独立運動の主人公で民族の英雄であり、李承晩と朴正煕は売国奴、親日派だという偶像崇拝を作ってしまった。

北朝鮮の主体思想を受け入れ、韓国社会を親北の巣窟にした民衆運動・左翼運動勢力、左翼ジャーナリスト、そして「国史」という名で抗日武装独立運動家たちを英雄に仕立て上げた国史学者たちのせいで、その偶像崇拝は「歴史的事実」となった。

抗日武装独立運動は、誰も逆らえない聖域となった。逆らったり、その精神を毀損した者には、容赦なく「親日」の緋文字(スカーレット・レター)が刻まれる。したがって、民族というテーマも宗教の領域、神聖不可侵の領域となった。

民族を求めて国家が滅んでもいいのか。それとも、民族という仮面を脱ぎ捨て、国を生かすべきなのか。私たちは、いま選択の岐路に立っている。>

http://www.futurekorea.co.kr/news/articleView.html?idxno=108291

 

私は、この文の全ての内容に同意するわけではありません。でも、少数の「反民族行為者」を作ることにより、残りの人たち全員が善良な被害者になろうとした。その「善良なる被害者」の範囲を作るために民族という概念に拘るしかなかった、という指摘は面白いと思いました。そして、その民族へのコダワリのせいで、(抗日経歴のある)北朝鮮側に憧れてしまい、さらには国家システムよりも民族を大事にするようになった、と。

韓国の民族主義は親北思想に乗っ取られたのは、単にそれだけではありません。でも、自業自得という側面は認めます。

部分的とは言え、面白い文だと思いました。

 

 

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