ゼギしろ

本ブログで扱うネタではないかな・・と思ってスルーしていましたが、最近、韓国某所での「女性による」デモが繰り返されています。

ヌードモデルを盗撮した事件の犯人への処罰が軽すぎるということで始まったデモですが、どうやら「女性は被害者だ」という認識を刺激したらしく、ついに数万人規模のデモになったとか。

韓国で女性たちがいろいろ苦しい立場にあるのは事実ですし、デモの趣旨に関しても本ブログで扱うほどのものではないと思いますが・・そのデモの中で、「文在寅、ゼギして」というスローガンが「嫌悪表現」として問題になっている、とのことでして。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

同じ発音の言葉が多いとされる韓国語ですが、普通に使う分だと、ゼギは「再起」だけです、ゼギした、ゼギに成功した、そんなところです。文在寅ゼギしてってなんのことでしょう。文章として成り立ってない気がします。

ちょっとだけ調べてみたら、ゼギって、女性団体と犬猿の仲だった男性連帯の代表、ソン・ゼギ氏の名前です。ソン・ゼギ氏は「男性が差別されている」としながら「男性運動」を展開した人です。団体の資金難などで、2013年、漢江で自殺しました。最後まで「女性家族部」の支援だけは断った、と言われています。

ソン氏の団体も性別に関する団体だからか、市民団体活動への支援などが女性家族部担当になっていた、とか。※WIKIPEDIAソースです

ソンゼギ氏の団体を目の敵にしていた女性団体の中には、氏の死を自分たちの実績のように思っているところがあり、そこで「ゼギしろ」が「自殺しろ」と同じ意味で使われている、とのことです。

http://v.media.daum.net/v/20180709101704160?rcmd=rn

 

どちらのデモや団体にも、さほど興味はありません。

でも、「相手側の不幸」をここまで持ち出すことがあるのでしょうか。

「人を楽にしてくれる国・日本」に書いたことですが・・喧嘩になっても、日本人は超えてはならない線を守り、韓国人は「あえて線を超える」ことに意味を見出します。相手が「それだけはやめて」と思っていることをあえて行うことで、勝利できると思っています。

その現れの一つではないでしょうか。ゼギしろ、という言葉は。

 

 

 

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“ゼギしろ” への50件の返信

  1. 凶悪犯罪者でも無ければ死者に鞭を打つのを躊躇するのが日本人だが、
    韓国人はそうで無いなからなー
    盧武鉉の扱いを見ると。 

  2. >相手が「それだけはやめて」と思っていることをあえて行うことで、
    >勝利できると思っています。

    これは、ある意味「正しい」ような気がしますね。韓国人的に。(笑)
    「勝つか負けるか」をやるために、あえて一線を越えるというのは
    むしろ必然なのではないのかなと思うわけです。

    日本人の場合は、できる限り敵を作りたくないわけです。
    わざわざ敵を作って戦うということに意味を感じない。
    勝っても一時的な勝利感でしか無く、相手の恨みを買うリスクもあるわけで。
    あえてリスクを背負って「勝つか負けるか」で決着を付けるより、
    相手との妥協点を探り、お互いが引くべくは引いて得たいものを得て、
    「平和的に自分の要求が通る」ならそれでいい。

    韓国人の場合、さすがに「勝て」と教育されているだけあってか、
    自ら敵を作って「勝つか負けるか」をやりたいという
    強い欲求があるように見えます。
    つまり、勝って「全部欲しい」わけです。自分の利益の最大化のために。
    もちろん、それは彼らなりに「勝てる相手」「勝てる状況」を
    見極めた上で、ということですが。(笑)
    つまり、「勝てる」算段のある時だけ、彼らは一線を越えて火病を起こし、
    「勝つか負けるか」を始めるのだと。そう、これぞ、ザ・韓国人w

    1. >日本人の場合は、できる限り敵を作りたくないわけです。
      >わざわざ敵を作って戦うということに意味を感じない。
      >勝っても一時的な勝利感でしか無く、相手の恨みを買うリスクもあるわけで。

      相手の恨みだけでなく(世間様)を敵に回したくないのです。
      無関係な周囲の人がどう思うか?

      共感してくれるか?軽蔑されるか?
      人として越えてはならない一線を越えたとき、
      世間は、周囲の人間は全て敵に回って
      だれも味方してくれなくなります。

      あくまでも善良なる一般市民として
      (公序良俗)に反する行為や、失礼すぎる、下品すぎる
      態度をとった場合、敵に勝ったとしても、
      その後、人として大切なものを失って、
      社会から、人間失格の烙印をおされてしまうわけですよ。

      1. レスありがとうございます。(礼)

        >相手の恨みだけでなく(世間様)を敵に回したくないのです。

        同意です。確かにそうですね。
        日本社会において、この記事にある女性団体のような
        スローガンを掲げたら、(世間様)によって総スカンを食らい、
        いずれひっそりと消え去っていくのでしょう。

        そう考えると、韓国社会の(世間様)は、
        日本とは質が違うと考えられるようです。
        おそらく、こういう市民団体を「ウリ」側として認識していて、
        「ウリだから」という理由で許容されてしまうと考えられます。

        もう一つ考えられる理由としては、
        「敗者となった自分自身」への慈悲、ではないかなと。
        毎日のように「勝つか負けるか」を繰り返している韓国人達。
        自分自身もまた敗者として、その恨めしい勝者に対して
        「恨」を叫んだ経験が、この許容を生んでいるのかもしれません。
        自分自身も日々、勝者を恨み、口汚く罵っているから。
        つまりは、それが「韓国人としての日常」だから。(笑)

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