文忠公

昨日、安重根ドラマのことを書いてから、月間朝鮮2016年10月号に乗っている、この内容が気になりました。

<1907年、純宗が即位したとき、実権はすでに伊藤博文のものだった。安重根義士が伊藤博文を射殺したとき、純宗は側近に「伊藤公爵がいたからこそ、韓国(大韓帝国)が存続することができた。今公爵を失ったことで、国運がついに尽きてしまった」と嘆いたという>。

ソースは月間朝鮮2016年10月号

韓国側が絶対に認めない、「伊藤博文は穏健派で、彼が暗殺されたことで韓国が完全に併合される流れが加速した」という主張とも妙に一致するニュアンスとなります。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

この内容のソースを見つけようとしましたが、結局、詳しい資料は見つかりませんでした。

 

代りにと言ってはなんですが、朝鮮王朝実録・純宗実録3巻(1909年、新暦10月26日の記録)にこんなものがありましたので、紹介します。

二十六日。 皇太子親電奏曰: “伊藤太師, 今日午前九時, 到哈爾賓停車場, 被害於我國人凶手, 聞不勝警怛。 薨報今姑未頒, ‘返柩後公布’云。 自日本皇室派遣侍從武官侍醫, 故臣亦派遣金應善伏計。 自皇室親電, 慰問于日本皇室伏望。 【犯人安重根, 鎭南浦人。 後隆熙四年二月十四日於關東都督府地方法院死刑宣告, 同年三月二十六日執行。】

「伊藤太師が今日の午前9時にハルビン〔哈爾賓〕駅に到着し、我が国の人の凶悪な手によって殺害されたと聞き、驚きが尽くせません。この世を去られたことをまだ報道はしておらず、御遺体が戻ったあとに公布するといいます。日本の皇室で侍從武官と侍医を派遣するため、臣もキム・ウンソン(金應善)を派遣しようとしているところです。皇室で、日本の皇室に直接電報を送って、慰問して下さい。」【犯人安重根はジンナムポ(鎭南浦)の人である。後に隆熙4年(1910年)2月14日に関東都督府地裁で死刑を宣告し、同年3月26日に執行した。】

 

デジタル版ですが、一応ソース↑

「文忠公」は、その後に純宗が伊藤博文総督に与えた「諡」です。

 

我が国の人の凶悪な手とやらが、後に韓国で英雄になって、2019年にテレビドラマになるとは思わなかったでしょうね・・あのときの公職者さんたちも。

 

 

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