THEっ記(雑記)2018年12月15日

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皆さんは、お金が幸せのために必要だと思われますか。それは、無いよりあったほうがいいに決まっていますけど、即場で「はい、そうです」と答えるには、多少の抵抗感があるのも事実です。それは、「幸せ」という単語が、資本主義社会を生きている私たちの疲れを癒してくれるイメージを持っているからではないでしょうか。お金は重要なものではあるけど、それを幸せとつなげるのは、どことなく「『幸せ』に対して失礼なこと」のような気もします。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

極めて個人的な意見ですが、私は、大勢の人たちが「悩み」と「不幸」を勘違いしていると思っています。確かに悩みすぎるのも不幸ではありますが、幸福の幸というのは「運がいい」という意味を持っており、幸福や不幸は、人為的にはどうにもならないというイメージがあります。でも、悩み事は、人為的にある程度は変えられるものですから、まったく同じだとは言えません。この時間この場所で生きていることで「不幸だ」と言う人と、この時間この場所で生きていることで「様々な悩み事を抱いている」と言う人がいるとしたら、どうでしょう。私は、前者の人にはちょっと関わりたくない気がしますが、後者の人には頑張れと言いたくなります。

 

該当国家の幸せを否定するつもりもないし、該当国家の方々に失礼ですから国名も挙げませんが(そもそも、そこまで具体的に書いた文章でもありません)、よくテレビ番組などで「貧しい国のほうが幸福度が高い」という話を聞きます。

でも、それは単に社会が単調で、その中で生きていくパターンも、幸せを見つけるパターンもまた単調で、もっと発達した社会で生きる複雑な悩みを、まだ認識していないからではないでしょうか。また、ハイリスク・ハイリターンを体験している発展途上の国に比べ、先進国の人たちは収穫逓減の法則(law of diminishing returns、ある要素を増加させることで生産量を増やしても、その増加分は次第に小さくなる)を体験しているため、達成感を得るまで時間がかかる点も、考えるべきでありましょう。

 

私は、「悩みが無い世界」は望んでいません。悩みがあっても複雑でも、全体のバランスを崩さない範囲内で色んなものが存在する、そんな世界が好きです。とはいえ、そんな世界では「ちょっとだけの間、悩みを忘れていられる何か」が必要です。いつも持ち歩く家族写真から、国家政策で論じられているストレス対策まで、様々な「何か」があります。人為的にどうにもならない不幸ならともかく、相手が「悩み」なら、ちょっとだけ忘れて癒しを得ることで、さらに良い結果を求めて悩みに立ち向かう力を得ることもできるでしょう。

 

日本で言うNHKのような放送局となる韓国の「KBS」が作ったドキュメンタリーを書籍化した、『幸せになる方法・慢性不幸症候群の韓国人のための幸福取材報告書』という本があります。どことなく、韓国人に喧嘩売っているようなタイトルですが、中身はなかなかのもので、番組(書籍)は結論としてこうアドバイスしています。「人生を豊かにしてくれるのは、幸福感ではありません。何かに深くハマる、没入感です。没入できる何かがあるということは、自分でその『何か』の意味を見つけたからです。どのような形であれ、何かの意味を見つけようとする人のほうが、そうでない人より幸せなのです」。

 

お金は幸せに必要なのでしょうか。私は、「お金が幸せに必要なのではなく、消費が幸せに必要だ」と考えています。ここで言う『消費』とは、必要ないもの、意味もないものをいっぱい買うことではありません。ある意味を見つけるために使うお金のことです。

日本のオタク文化などもそうですが、日本は、韓国に比べて「意味を見出しての消費」がかなり進んでいるように見えます。

そう思う、2018年12月15日の雑記でした。

 

 

 

 

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90 Replies to “THEっ記(雑記)2018年12月15日”

  1. > 「人生を豊かにしてくれるのは、幸福感ではありません。何かに深くハマる、没入感です。没入できる何かがあるということは、自分でその『何か』の意味を見つけたからです。どのような形であれ、何かの意味を見つけようとする人のほうが、そうでない人より幸せなのです」

    こういうのを日本語で「生きがい」と言います。

  2. お金があって幸せ、無くても幸せ、幸福ってそんなもんじゃいかと思ったりします。

  3. 例えば、親が年老いて介護が必要になった場合、お金持ちならばそれなりの施設に入れることも介護人を雇うことも出来ます。これは、介護を他の人の労力や時間で対応できてしまうということです。しかも、そこに「市場」が介在しているため、兄弟親戚や知人に頼んだりする際に生じるような人間関係の煩わしさもない。対価としてのお金を払うだけです。

    お金で手に入れられる物やサービスは、多くの人の労力や時間、知恵やアイデアで成り立っています。が、市場を通せば、そうした提供側の人々とはお金のやり取り以外の何の関係も生じません。お金さえ払えば、後腐れなく、好きなだけ他人を、さらには他人を介した食料や資源も利用できるわけです。

    個人的な人間関係をすべてスポイルしても、お金さえあればなんとか生きてゆける。「満足感」や「幸福感」だって脳のホルモンの状態でしかありません。これもコントロール可能になってきています。法律上の問題がなく(いや、法をかいくぐってでも…)「、需要があれば、「ゆりかごから墓場まで…」どんなサービスも市場は提供してゆくでしょう。
    「必要な物やサービスをいくらでも購入できる」、そんなお金持ち状態になったと仮定して、そこで改めて「幸せって何?」と問うてみると面白いかも知れません。

    ところで、ある映画監督が「幸せってさ、3分しか続かないんだよね」と言って、それを「フラグメント・オブ・ハピネス」と呼んでいました。私はこの捉え方が好きです。時折「キラッ!」と光る「幸せの断片」が散りばめられた人生って良いんじゃないかなぁ〜、って。
    「じゃ、なかったら、やってられるか!」でもあります。

  4. すでに色々な方の色々な幸福論が出ていて、
    私なりの幸福論を書くのが、少々ためらわれてしまいますが、、、
    私が考える「幸福」とは、「心が満ち足りている瞬間」ですね。

    私は「寝る」ことが好きなので、休日の前の晩に
    美味しいものを食べて、好きなアニメや漫画を見て、
    風呂に浸かって布団に入り、
    明日の朝は自分の好きなだけ眠っていいんだ、
    という瞬間の解放感。
    これが私の最も「心が満ち足りている瞬間」です。(笑)

    私が考える「幸福」とは、こんなもので良い。
    誰かと比較する必要も無いし、誰かの評価を受ける必要も無い。

    そして、韓国人が「慢性不幸症候群」に陥る理由は、
    これとは逆に「物理的・物質的な条件を満たすこと」が
    「幸福」だと考えているからだと思います。
    物理的・物質的な条件を満たすためには、
    どうしても多くのお金が必要になってくるわけです。

    分かりやすいのは、韓国においての「偽ブランド品」の
    扱われ方でしょう。彼らは「偽物」で良いわけです。
    「本物」で無くて良い。

    それは、「本物」を買うだけの金銭的余裕の無い人間が、
    せめて表面的にだけでも「物理的・物質的な条件を満たす」
    ために出来る唯一の手段として。

    それは、「ブランド品を持っている幸福な自分」を
    演出するための空虚な見栄として。

    でも、いくら空虚な見栄を張ってみても、
    結局、彼らは「本当の幸福」には行き着けないでしょう。
    なぜなら、他人はそれで騙せたとしても、
    自分はそれが「偽物」だとはっきりと知っているのだから。

  5. 自分は神道系カルトにちょっとだけいた黒歴史もちです。

    >何かに深くハマる、没入感です。没入できる何かがあるということは、自分でその『何か』の意味を見つけたからです。

    ええ、そりゃもう没入していましたよ〜短い間でしたけど。
    やめた原因は複数ありますが、一つは貯金がもたなかった。

    だから上記の文をシンシアリーさんが、なんの疑いをもっていない様子に些かの不安を覚えます。

    「痛声祈祷(痛声の祈り)」
    (2018年11月10日 人への接し方、神への接し方より)
    も『扇の舞』も没入です。
    その最中ではさぞや脳内物質が放出されまくっていたでしょう。

    >私は、「お金が幸せに必要なのではなく、消費が幸せに必要だ」と考えています。ここで言う『消費』とは、必要ないもの、意味もないものをいっぱい買うことではありません。ある意味を見つけるために使うお金のことです。

    ↑の部分は昔いたカルトを思い出します。

    消費者が買い支えないと現場が維持できないのは祭祀の現場でも同様でして、なので信者はお土産やグッズを買うことを推奨されてました。

    教祖が笑いながら言っていたのが
    「やめた人に会って話を聞いたら、貯金が貯まったって言ったんだ。
    そう、ウチをやめると貯金がたまるよ〜」

    ええわかっています、金を回さないと何事もできないことは。

    パン猿で栗本慎一郎が「支払いもお祓いも同じ」って書いているのを読んだのはやめた後でした。
    今思えば、富の総量一定の法則みたいな意味での、「平均への回帰」とか「限定された富のイメージ」とか考えちゃいます。

    いわゆる賢者タイムというやつですか?違うかな。
    とにかく、素に戻ったとき「見つけた意味」はどうなるのでしょう。
    没入はこわいですよ。現実逃避ができるから。

    現実逃避してりゃ幸福だし悩みも無い。
    ウィキペディアにこれがありましたので、とりあえず。

    「魔境」
    ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/魔境

  6. >みさん
    「オズの魔法使」
    主人公であるドロシーの心の旅の物語
    カンザスの田舎暮らしは退屈で、辺りの人たちといえば何かが欠けている人ばかり、
    そこでドロシーはもっといいところ、虹の彼方にある自身が理想とする場所を夢見ていた。
    途中でなにかが欠けている仲間達に出会い、自分たちに欠けているものを探し、それを得てドロシーの心「オズ」の旅は終わり、カンザスに戻ってくる。が、ドロシーの認知は変わっていた。
    よく見れば周りの人たちも優しくて良い人たち、いじわるそうな人もそれほどじゃない。こんなカンザスの田舎町だっておとぎの国とは言えないものの結構楽しいところ、それに優しい人たちと暮らす私の故郷だからと。虹の彼方にある虹の橋が終わるところはこの場所にあったという物語。

    人の成長とは自分自身と周囲を正しく認識する能力を身につけることだという教訓の児童訓話ですね。

    虹の彼方に は、歌詞、曲ともに美しいですね。

    幸せってのは、結局、個人の認知の、脳内の産物なんだよね。

  7. シンシアリーさんの文や境遇を見ると魯迅に似ていると感じる。
    また、恵まれた裕福な人から見た意見に感じることが多い。
    私が付き合う韓国からの出稼ぎの人や在日の人と微妙に感覚がズレていると感じる事がある。

  8. 「自分は幸せだ」「自分はそこそこ幸せだ」と思える人が幸せなんだと思う。
    お金は生活していくのに必要なものであって、幸、不幸の物差しにはならない。
    たとえ満足いく仕事を持っていなくても、没頭できる趣味を持っていなくても、現状を受け入れて対応していけたら、自分の人生うまくやっていけてるほうだって思えたら幸せ。
    病気をして周りから可哀想だ、不幸だともし思われたとしても、本人が病気を受け入れて、サポートしてくれる周囲の人たちに感謝している人は、自分はそれでも幸せにやっていけてると思う人は幸せ。
    自分が幸か不幸かの尺度は自分への肯定の度合いじゃないかな。
    お金はあればあるほど自分への肯定度が高くなってうぬぼれや傲慢になることもあるかもしれないし、
    逆にお金があまりにも無いと卑屈になったり、自分への肯定度が低くなり自分は不幸だと感じる。

  9. 反日思考、反権力デモ、労使闘争、etc…
    十分に没入できてるように見えます。

  10. >人生を豊かにしてくれるのは、幸福感ではありません。
    >何かに深くハマる、没入感です。
    韓国人の大多数が「反日・侮日」に没入していますが、
    人生は豊かになっているのでしょうか?

    >没入できる何かがあるということは、
    >自分でその『何か』の意味を見つけたからです。
    日本を忌み嫌い、歴史の捏造を重ねてまで侮日に精を出すのは、
    「優越感や嗜虐感を味わえる」という意味を見つけたからですね。

    >どのような形であれ、
    >何かの意味を見つけようとする人のほうが、
    >そうでない人より幸せなのです。
    ほんの一瞬の「自己満足」を得る為だけに、
    日本に対して数々の冤罪をでっち上げた結果、
    因果応報を地で行く韓国の現実を見続けるよりは、
    世界各地で日本を貶めて楽しむ方が幸せなんでしょうね。
    その白昼夢を心ゆくまで満喫している間に、
    現実は彼等の理想を無視して、より苛酷になる訳ですが。

    ・・・どんなに良い事を言っていても、
    韓国マスゴミの発言というだけで穿った見方しか出来ない自分は、
    間違い無く韓国面に堕ちている・・・。

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