スピンオフ

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とりあえず何でも「31運動100周年だから!」とすれば何とかなる韓国ですが・・今日は、水原(スウォン)という地域の博物館側が、「キーセンたちの31運動は日帝植民地統治への抵抗であり、自分のアイデンティティーを見つけるための積極的なものだった」という主張をしました。

その主張の中にいろいろツッコミどころがあったので、紹介します。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

まず、記事から引用しますと、こうなります。

(各所からキーセンたちが31運動に同調してマンセーを叫んだとする内容のあとに)<・・日帝によって毀損された華城行宮で屈辱的な健康診断を受けなければならな状況の抵抗だったという解釈を出した。

当時日本は朝鮮の王を象徴する華城行宮を意図的に崩して、植民地行政機関や病院を建てた。1910年正祖大王の祠堂であったファリョンジョン(華寧殿)に慈恵医院を作り、した後、しばらくして華城行宮の正宮である奉壽堂に移した。

水原キーセンたちは慈恵医院で健康診断を受ける屈辱的な日、慈恵医院の前でキム・ヒャンファを筆頭に万歳を叫んだ。博物館側は「水原キーセンにとって故郷の家のような存在だった華城行宮を崩して作られた病院で性病検査を受けなければならいことに、キーセンたちは非常に大きな恥を感じていたのだろう」と述べた・・>

https://news.v.daum.net/v/20190227131508186

 

このあと、記事は「それは、キーセンたちが自分のアイデンティティーと、生存権のために行った主体的な戦いだった」としています。

生存権、ですか・・・

以下の点、シンシアリー的に指摘したいと思います。

・華城行宮は王(正祖)が臨時に居処として使っていたもので、王を象徴するものではない。また、記事は宮も祠堂も併合時代に壊されたようなニュアンスで書いているが、それはミスリード。どちらもまだ残っている。保存状態はあまりよくないと聞く

・当時「性病検査」というのが存在したことを高く評価すべき。また、「慈恵医院」は併合時代に各地に作られた医療施設で、性病検査だけをやっていたわけでもない

・マンセーを叫んだキーセンたちがなにかの処罰をされたという話はまったく無い

いつだったか、韓国の某寺が「日本軍が使用していたコンドーム」を「慰安婦が存在した証拠」として展示したことがあります。

また、慰安婦(うろ覚えですが、慰安婦かその関係者)が「日本軍はコンドームを洗って再使用した」という話を「どうだ、ひどいだろう」なニュアンスで話したりしました。

今回もそのシリーズとみていいじゃないでしょうか。慰安婦じゃないからスピンオフかな。

 

 

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