議論エントリーその3

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151 Replies to “議論エントリーその3”

  1. >スーパーのWegmans (1, +1) とPublix (6, +2) はなんでこんなに高いのん?うちの近くにもほしいわ。

    これ、評価方法が「たくさんのブランド・企業名を列挙した中から、最高と最低の2つを選択する」という方法だからですね…。最高でも最低でもないブランドは上がってこない。

    ある程度広範囲で絶対的な評価を受けているブランド が上位に来る仕組みになっていると考えます。

    なので、日本で同じ仕組みで調査するとたぶん北海道のセイコーマートが上位にあがってくるでしょうね。

    1. あ、これは
      ぴ さんの 2019年3月9日 23:39 におけるコメントへの返信です。
      なぜか独立して投稿されたwww

  2. 道徳的懲罰神が先か大規模集団が先かで面白い記事が出ていました。
    ttps://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20190324-00119426/

    道徳的懲罰神(MHG、YHWH みたい奴)の存在が大規模集団を形成させたというのが定説だったらしいのですが、それと反対で集団が100万人を超えると MHG が出現するいう研究らしい。

    いや、MHG なんかいらないから。日本にはいないし、中華圏にもいない。(仏教(閻魔様?)や儒教も MHG らしいが、YHWH と一緒にするのは無茶だろう。)

    1.  「人類社会がより複雑になったのが先」に、1票。

       集団の道徳律は、古代の「タブー」から始まったと考えています。
       そこから、支那では儒教、インドでは仏教、に高度化したと思う。ユダヤ教での「モーゼの十戒」で神が道徳律を与え「道徳的懲罰神」になったと思う。同じ一神教でも、ゾロアスター教では、人間が自ら考え選択することになってる。

    2. 私も、新説に共感します。

      いくつかの人類の集団が大規模化した。

      統制のテクニックとして、懲罰神というアイディアが発生。

      うまい具合に行き、集団がさらに大規模化。

      他のいくつかの集団も、懲罰神のアイディアを導入する。

      「神」の概念が並列的に進化。

      こんな流れが、想定できますね。

      1. >うまい具合に行き、集団がさらに大規模化。

        元論文にはあたっていませんが、記事では上記も以下のように否定していますね。

        >道徳的懲罰神の出現は社会が複雑化する速度に大きな影響を与えない

        1. >道徳的懲罰神の出現は社会が複雑化する速度に大きな影響を与えない
          なるほど、道徳の基礎に「神」を据えれば、社会はより大きく(伴って、より複雑に)なる、と思いましたが、違う分析なんですね。

          元の論文が単行本になったら、見ておきたいです。

    3. >>(仏教(閻魔様?)や儒教も MHG らしいが、YHWH と一緒にするのは無茶だろう。)

      本当に。これは無茶でしょう。
      YHWH の一神教は他とは違うという意識「個」の芽生えが必要なので、日本なら明治以降の天皇制ナショナリズムがそれに近いでしょうけど。

      日本で懲罰は、菅原道真に代表される怨霊が担ってたから、神といえば神だけど、創造主という超越者が与える罰とは、掛け離れてますよね。

      その辺りには、賛成できないとしても、神より集団化の方が先には賛成です。

      1. >日本なら明治以降の天皇制ナショナリズム

        近代化には YHWH が必要という仮説に基づいて意図的に創り出されたシステムだと思っています。神の下の平等=「天皇の赤子」です。(先人が既に指摘していることですが。)

        >菅原道真
        ゼウスみたいものですからね。

  3. ツリーが長くなったので、別にします。
    人口の話。
    講談社学術文庫「秦漢帝国」から拾いましたが、
    武帝の少しあと、元帝の時代に、「関中の人口、260万人」という記録があります。
    その時代は前漢の安定期で、人口調査も信頼性が(少し)あります。
    先に述べたように、中華圏での人口調査は「過小申告」はあっても「過大申告」はないと考えてよいところです。
    なので、この数字は「その地域の人口(王朝が把握していた人民の数)の下限」と捉えます。
    で、当時の「関中」は、漢王朝の「貴族は都に住め政策」によって、各地の旧王侯が集住させられたところなのです。ゆえに、全国の人口がその10倍ということはなかろう、と。
    そこで、関中の数字から「漢王朝全土」の人口を推測するために、5倍と仮定します。
    「関中」「河北」「河南」「山東・淮北」「淮南その他」が同じぐらいだろうと。乱暴なくくりですが、雑談なのでご容赦を。
    すると、1,300万人ほど、という数字が出ます。

    これで、比較すべき数字が出ました。
    中華圏(前漢)1,300万人。
    遊牧圏(匈奴)800万人。
    ともに全盛期またはそれに近い時代。
    中華圏は「下限」しかも当時の記録からの推測。
    遊牧圏は「上限」しかも現代の人口からの推測。
    ゆえに、国力の指標を「人口」とした場合、前漢と匈奴が争っていた時代、遊牧圏は中華圏のせいぜい半分ほどの「力」、と推測できます。

    1. で、次は「軍事力」の比較なのですが、ここでも、また問題が。
      「軍事」の意味が、中華圏と遊牧圏では、違うのです。
      mottonさんが仰るとおり、遊牧民は、異民族に対しては「防衛」は、不要なのです。
      そもそも「闘争」が必要になるのは、
      同系の遊牧民の「別のグループ」と、「遊牧適地の優先権」を争うとき、「オアシス定着民を、どちらが支配するか」争うとき。
      しかも、敗れた方が「相手の優先権を認める」だけ、でたいてい終わります。

      異民族つまり「定着農耕民」を相手に戦うのは「略奪」であって「戦争」ではありません。
      中華圏からすれば、大いに迷惑ですが、そういうものなのです。
      「遊牧民にとっては略奪・通常業務」「中華民にとっては防衛戦争・非常事態」
      そう捉えないと、中華圏と遊牧圏の争いの歴史は、理解のしようがないのです。
      そして、中華の側は「自分たちの戦争の論理」で、記録を残します。そこも考慮に入れてみたい、と思います。

      1. お身体は、もう大丈夫なのですか?
        無理はしないでくださいね。

        「軍事」の意味が双方でズレる。
        オスマン帝国とヨーロッパもそうでしたね。
        防衛側では必死の大戦争でも、侵略側ではちょっとした戦闘、というのはよくありますね。( 日露戦争もそうかな。)

        中国人が草原に入り込んで荒らしてしまうなんて、モンゴルにとって近代になっての初めての経験なのでしょうね。

    2. 上述のように、難しいことがいろいろ有りますし、雑談としてそういうところにも触れていきますが、
      比較を容易にするため、ここでは、
      「大軍を編成できる」
      「大軍が遠征できる」
      「戦術」
      などを、ポイントにします。

      で、比較しやすいところから「戦術」です。
      これは、圧倒的に「遊牧民の勝ち」だったのですが、時代を追うごとに、中華圏が遊牧民の戦術を取り入れ、さらに「大規模攻城戦」において様々な戦術を開発することによって、だいたい「いい勝負」になりました。
      遊牧民が中華に帝国を築くと、その「中華式戦術」も取り入れるようになります。

      古代において「遊牧民の圧勝」だったのは「機動力」が優れていたからです。
      長衣を着て、矛・槍と弓矢を持ち、三人一組で戦車に乗る。これが中華圏の古代の戦闘スタイルです。戦車に歩兵がついて行きます。ズボンをはいて馬に乗り、弓矢で戦う騎兵集団、が遊牧圏の兵。
      機動力がけた違いなので、中華の兵は矢を浴びせられるだけで、反撃のしようが無い。
      この戦闘スタイルの優劣は、戦略目的の達成の可否で明らかです。

      遊牧民の遠征の目的は集落や小都市を襲い、略奪すること。
      中華の側は、それから一般住民を守ること。
      つまり「戦略目的」が違うのです。
      遊牧民は「戦略に合致する戦術」を採る。
      中華兵は「戦略目的を達成する戦術」を採れない。

      ですから「軍事力の差」ではなく、「戦略目的」の違いです。
      なのですが、中華圏内での戦闘でも、遊牧民の戦術の優秀さが活きるのが理解され、中華の各国は、そのスタイル「胡服騎射」を取り入れ、騎兵の強さが軍全体の強さに決定的に影響するに至りました。

      で、文明の比較としては、
      「戦術」は遊牧民の方が優れている。
      と言っていいと思います。

      1. 上の書き込みをしながら、ふと感じた事。
        正月に塩野先生の「ローマ亡き後の地中海世界」で読んだ、サラセンの海賊とイタリアの農民の関係が、
        遊牧民の襲来とそれに略奪される中華農民、という構図に、よく似ているなあ、と。
        違うのは、キリスト教側からも「十字軍」という「略奪返し」が可能だったけど、中華と北方遊牧圏の関係は、そういう点では「相互的なもの」ではなかった。

        また、その後、ノルマン人による征服がヨーロッパ一帯で起こりますが、それは遊牧民が中原に入って軍閥を形成したことと共通点があります。
        少数の武装集団が、征服者になる、という点で。

        西方と東方の違いは「地中海の有無」ですね。
        もし「大陸から日本列島に向かって、もっと大きな島が連続していて、東シナ海が地中海になっていたら」歴史はずいぶん違っていたでしょう。

  4. 「逆転の大中国史」の論述への違和感を題材として
    まず、あらかじめお断りしますが、同書が「面白い」「ためになる」本である、ということを前提として述べております。
    モンゴル人である著者のスタンスと、日本人である一読者のスタンスの違いを考えてみる、というぐらいのことであって、同書の否定ではありません。

    同書は「中国共産党政権のプロパガンダである史観」の批判なので、それが拡張して「中華文明に対して、当たりがきつくなる現象」を生じさせている、と感じました。
    本当は「プロパガンダによる中華文明のイメージ」と「本来の中華文明の在り方」とは、違うものですが、前者を否定する舌鋒の鋭さが、後者の過小評価につながるところがあります。

    特に「国力」の比較で、それが顕著であると感じました。
    「文明」の要素の内、「ある文明に属する勢力が国家を形成した場合に、どれぐらいの国力を保持できるか」を、分析してみましょう。
    「国力」の要素は、
    1、人口→生産力・生活の安定度
    2、軍事力→版図の維持・拡張
    3、統治→行政・司法
    4、文化水準→文物・技術
    とあげてみます。

    次回から、細かく検討しましょう。
    他の要素にお気づきの方、ご指摘いただけると幸いです。

    1. その著書(著者)は全然知らなかったんで、「参加」はできませんが(井沢さんのハナシ?って思ったくらいw)

      センセ、「外交」は、「行政」に入るんでしょうか?「軍事(の前段階)」に入るんでしょうか?

      「ま、どっちでもいいかw」
      って思っちゃったけど。

    2. 2に入るのかな。地勢(地政)もお願いします。
      島国(日米英など)が陸軍を国境に張り付けなくいいことは「国力」への寄与がデカいわけで。
      遊牧民は防衛という概念すらおそらく無いし。(不利なら馬で逃げればいい。)
      あと、「銃・鉄・病原菌」で言及されたように、国土が南北に長いから東西に長いかも決定的かと。

      1. 「逆転の大中国史」
        mottonさんも読まれたのですね。
        梅棹先生と楊氏の齟齬に「なるほど」と膝を打ちました。

        私も、今読み返しているところですが、お相撲( 大阪場所 ) をガッツリ見てるので、なかなか進みません。ww
        実は、
        モンゴル人力士さんたちが好きで、色々ネットで調べてて、楊海英氏に行き着いたという経緯があります。(^_^;)

        お相撲さんを見てて気がついたのですが、モンゴル人は顔は日本人と変わらないけど、さすがは肉食 騎馬民族、脚が長いです。
        長いだけじゃなく、バネも柔軟性もありますね。( そうじゃない人もいる。)

        また脱線しました。
        確かに、楊氏は中共との距離がうまく取れていないように思います。
        改めて読みながら、その辺りはとても主観的だと感じています。

        とろいやさんの分析が楽しみです。

    3. 出張帰りで、疲れてるので、少しだけ。
      「地勢(地形・気候・位置)」は、「国力」の要素、というよりも、国力の諸要素(元素に例えて)を決定する「素粒子」みたいなものかな、と思います。

      国力の諸要素を決定する「素粒子」は、
      1、「地形(位置・大きさを含む)」
      2、「気候」
      3、「1・2の人為的変更」
      4、「通常の人間の営為」

      「中華圏」の場合、
      地形と気候によって、地域を2つに区分できます。
      そこに、人為的変更として「長城」と「大運河」
      つまり「灌漑」が農耕の基本で「遊牧地域」と接する「淮北」と、「排水」が農耕の基本で「海洋」と接する「淮南」が、人為的に合体しています。

      「遊牧圏」の場合、
      その圏域の巨大さによって、圏内地域を区分するのが難しい。
      ですが、便宜的に、3つに分けます。
      1、マンチュリアからモンゴル高原まで、
      2、アルタイ山脈からアラル海まで、
      3、そこからずっと西、黒海の北まで、
      広すぎるので3つに分けましたが、内容には共通点があります。
      1、遊牧に適した地域である。
      2、農耕適地があり穀物生産の基礎となっている。
      3、交易ルートが通っている。
      4、灌漑(カレーズ)と遊牧という技術そのものが、人為的変更と言える。

      楊先生の論述は、中華が2つの文化圏の合体であることを、過小評価しているのではないか、と感じました。
      また、広すぎてなかなか合体しきれないのが「遊牧圏」の基本であることも、逆の意味で過小評価しているようにも見受けられます。

      続きは、また。

      1. おつかれさまです。
        ゆっくりなさってください。
        と言いながら質問というか、確認です。

        中華が2つの文化圏の合体であるということなのですが、中原だけの話しですよね。
        江南はまた別、ということでいいですか?

        遊牧圏の3つの区分は、だいたいモンゴル帝国の分裂の範囲に重なりますね。
        ステップ全体に共通性は持ちながら、
        文化的同質性の届く範囲がだいたいこのぐらい、という理解で合ってますか?

        とはいえ、
        本当にお疲れの出ませんように。
        ヽ(´ー`)

        1. 迦具さんへのお答えも含めて
          楊先生の著書「逆転の大中国史」を題材にして、「文明」の意味を考察しようとしているのですが、同書での「遊牧文明」と「中華文明」の比較に、少し違和感がありました。

          なので「文明を比較する作業の一部」として「国力を比べる場合」の「比べ方」を、まず考えてみます。

          比較するには「比較する対象の明確化」が必要なので、まずは「中華文明」と「遊牧文明」の「地域」をある程度明確にする作業にとりかかっているのです。

          この「地域」は、地理的なものだけでなく、時代的なものでもあるので、明確化はけっこう大変。
          初期中華文明圏は「中原」つまり「淮北」ですが、「中原」という概念は「周代」以降に広域化していくので、どの時代を題材にするかによって、違ってきます。
          「漢」と「匈奴」
          「宋」と「遼・金・西夏・モンゴル」
          という比較をまず念頭にいれてみます。

          1. 補足
            文明全体の構造を論じ、他の文明との優劣を比較するためには、それぞれの文明の「担い手」が、どのような集団であるのか、も重要なポイントなのですが、これは「民族」という概念を基にしたのでは、きちんとした定義をする事自体が、少なくとも素人には不可能だろうと思います。

            で、前述の「王朝群」の国力を、とりあえず比較するときの「できるだけ公平な方法」を検討し、素人にできる範囲で「比較作業」をやってみようかな、と。

            ※三国時代から隋による再統一までの時代は、とても面白いのですが、「遊牧圏」と「中華圏」が入り乱れて再構成される期間なので、文明の比較には適さないと思います。

            ※この「遊牧圏」と「中華圏」が入り乱れて再構成される、というのは「中国史」の基本構造です。ですから、本来は「遊牧圏」と「中華圏」は、対立的でありながら「完全に対立的」ではありません。
            今の中共政権のプロパガンダが「すべては『偉大な中華圏に属する』という方向に向かっているのは明らかで、それが「大間違い」であるのは、七誌さんに言ってもらうまでもありません。
            楊先生の論述も、それがメインテーマなので、基本的には首肯できるし論旨の多くに納得もできるのです。
            でも、重箱の隅をつついてみるのは、面白い。

            さて、その「それぞれの文明圏が建てた典型的王朝群の、国力比較」の過程の中から、文明全体を考察するための材料が、いろいろ出てきます。
            出張中、ひまな時間(いてもいなくてもいいのだけど、とりあえずそこにいなければならない会議は、たいていの時間帯が、ひま、ですね)にあれこれと考えてみる作業は、楽しいものでした。

          2. 基本的には、遊牧民は帝国を作る必要はありません。農耕文明は防衛するために帝国が必要です。
            だから、遊牧民が帝国を作る動機(略奪した後、統治する動機)はなんだろうと。
            都市と流通を抑えることによる通商の独占じゃないかと思っているんですよ。売上の頭ハネ(税)と塩などの必需品の専売で稼ぐ。銭が必要になった農民は間接支配できます。

            明は比較的重農主義ですが、唐や宋を含めて(中共も含めて)中華もそれに近いんじゃないかと。

          3. なんか遊牧民の統治って、
            「征服した都市の民を遊牧する」ということなのかな?って思いました。
            だからある程度自由にさせる?

          4. >民を遊牧

            “放牧”が正確と思いますが、素晴らしいセンスですね。中華の民は家畜ですからね。

        2. 補足
          中華圏は「漢」の時代は、長城から長江流域まで。
          「宋」の時代は、長城から華南まで、です。
          基本的に、河西回廊は含みません。そこは本来遊牧圏で、中華の出店というか橋頭保みたいなものだから。

          遊牧圏の区切りについて、
          遊牧圏2だけ、オアシス都市群が発達していて、つまり水に恵まれています。
          それと、天山山脈中の大盆地などに、かなり広い「牧畜が楽な地域」があります。
          なので、圏1‣圏3に比べると、交易も牧畜生産も盛んです。
          ゆえに、完全に同質ではないので、区分する意味があります。
          ついでに言うと、圏2はインドとペルシャに、圏3はヨーロッパとコーカサス山脈以南に接しているわけで、それらの地域との相互影響があります。

          まあ、基本が「遊牧という生活スタイルを受容した集団が権力構造の頂点に立つ地域」というわけですが、「文化的同質性が届く範囲」と捉えても、合ってます。

          1. 天山山脈からパミール高原は、とても美しいですよね。
            行ったことはないですが。

            時代区分もはっきりしたので、頭の中の地図を整理しておきます。

          2. 補足2
            遊牧圏2は、東西に区分できます。
            現代で言う「東トルキスタン」と「西トルキスタン」です。
            この区分も、けっこう重要です。
            遊牧圏全体を、天山山脈を境に2つに区切ってもいいくらい。
            しかし、「圏域力」と「国力」を話題にしているので、産業構造の同質性に着目して、天山山脈の周辺を「遊牧圏2」ということにまとめました。

      2. >とろいや さん

         何を検討しようとしているのか、趣旨をつかみかねているのですが、遊牧民の国家と農耕民の国家(支那)の国力を比較しようとしているんですか?
        (※ ちなみに、私は「逆転の大中国史」を読んでいません。)

        1. すみません、迦具さん。
          これ私のリクエストなんです。
          この本を読んで薄く腑に落ちないけれど、どこがどう納得いかないのか分からない。
          そこでとろいやさんに分析していただき理解しようという目論見です。

          でも、
          ステップに広がる遊牧文明と、中華世界の農耕文明の対比になると思いますので、本を読んでいなくても面白い筈です。
          ちなみに「逆転の大中国史」はおススメです。
          モンゴル人の著書の視点は、目からウロコで本当に面白いです。

        2. >とろいや さん

           中共が言う「すべては『偉大な中華圏に属する』」は間違いだし、「逆転の大中国史」は遊牧民の文明を持ち上げすぎている、ということでしょうか。そういう風に理解しました。
           これは正しいと思います。

           で、文明の比較なんですが、これにはいろんな側面があるので、国力を比較してどちらが強いと言うようなものじゃないと思うんです。まあ、国力の比較なら、基本は農耕文明の方が国力は有るんでしょうし。そして、両者はいつもガチで正面衝突するわけでもありませんから。遊牧文明は農耕文明を撃破できたら侵略していくし、敗けたらどっかに逃げて行くんでしょう。
           文明のスタイルの違いを比較することがより重要だと思うんです。そして、違うスタイルの両文明が接触した時に、歴史上で何が起こったか、それと同じことが将来また起こるのか。どういう場合には遊牧民族が勝って、どういう場合には農耕文明が強いのか。そういうのが文明の比較なんじゃないでしょうか。まあ、トインビーの受け売りですけど。

          1. ご意見のとおりです。
            文明を比較するためには「優劣」ではなくて、その「スタイル、つまり構造そのもの」を比較する方が重要です。まったく同感です。

            ここでは、楊先生が、中共のプロパガンダへの批判を強調するあまり、
            「国力の比較」をしてしまっているので(それをする事自体もですが)その比較の仕方がどうなのかなあ、ということを、ネタにしようというわけです。
            で、まずは「国力とは何か?」から。

            長い話になりそうなので「議論部屋」に来ましたが、本質的には「雑談」です。

          2. >とろいや さん

             なるほど。やっと、何をしようとしているのかが理解できました。

    4. 上記諸要素を細かく見てみましょう。

      まず、人口です。
      「遊牧圏」で養える人口は、少ない。これは明白な事実です。
      モンゴル人民共和国の現在の人口は、300万人ほどです。
      内モンゴル自治区の人口は、2,600万人ですが、漢人が約8割なので、「遊牧民」は500万人ほど、と推定できます。
      ウイグル自治区は、2,500万人で、漢人率4割。なので「遊牧民(オアシス民含む)」は、1,500万人。
      寧夏回族自治区は、600万人で、漢人率8割。よって「遊牧民」は120万人。
      内モンゴルに含まれる地域以外のマンチュリアは、漢人率がほぼ9割5分以上なので、除外します。ちなみに黒竜江省のモンゴル系住民は、約20万人です。
      どの地域も、現代の産業構造による人口増加は顕著です。
      従って、「遊牧圏1」の最盛期の人口が、これ以上、という事は、想定できません。
      1960年には、モンゴル人民共和国の人口は、約100万人でした。
      そこで、前近代のこの地域の人口を、現在の30%と仮定します。
      (それでも、大盤振る舞いですが)。
      800万人が最大値と、大雑把な推計値が出ました。

      1. 上記推定値に補正を加える必要が、本当は有るのですが、
        1、「漢人でオアシスに定着した住民も、遊牧民の支配下に入る」
        という事実と、
        2、「現在の30%という、大甘な推定率」+「ウイグル自治区と内モンゴル自治区で増加した人口のほとんどが、開墾による定着農耕民と現代産業の労働者である漢人」
        という事実は、
        相殺できるか、と。

        なので、この数字で行きます。

      2. さて、難問が…
        楊先生の本では「三国時代」の「中華の人口500万人割っちまったぜ説」を採用して、「中華圏は、言うほど国力が無い」の根拠の一つにしています。
        しかし、これはかなり問題です。
        三国時代は、政権が庶民の動向を把握するのが、非常に困難になった時代なのです。

        少ない人口を多く見せかけるのは、あまり意味がないし、困難でもあります。
        しかし「多い人口」が「集計してみると意外に少ない」という現象は、可能、というより「中華圏」では常態なのです。
        徴兵されないために、税額を逃れるために、中華圏の庶民は、一戸当たりの人数の申告を、常にごまかします。
        しかも「災害が起きるたびに」村ごと移住します。
        ゆえに、現在でさえ「中華の人口」は、統計に出て来るより、かなり多いと推定されるのです。

        従って、中国史において「人口」を指標とするためには、
        災害と戦災による人口減だけではなく「逃散」の多発によって、政権によって把握される人口が減少した効果を、考慮するべきです。

        それに「中華がもっとも疲弊していた状況」をもって「言うほどの国力ではない」と主張するのは、どうでしょう。
        災害と戦災が多年にわたって続いた時代を「その地域の国力推定の基準」にするのは、公平を欠くと思います。

        おまけに「漢人以外で、中華王朝の版図内に居住している集団を、どう数えるか」という問題もあります。

        要するに「中華圏での正確な人口調査は、とても難しい」

        なので、漢と匈奴が争闘していた時代と、宋が北方諸国の圧力に苦しんでいた時代の人口について、信頼できそうな資料を探してみましょう。

        1. 現代でも「黒孩子」など闇の人口問題がありますからね。

          でも、
          この500万人というのは、「漢人」とはどういう人たちか?
          というところで出てきた数字なので、人口が減少したことよりも、混血化が進んだことを説明しているのだと思います。

          漢人が「漢民族」という人種的集団ではなく、「漢字を使う人々」という多様な人種の集りであるという原型が、黄巾の乱から三国時代に形成されていった。
          というのが楊先生の見方だと私は読んだのですが。

          とはいえ、
          それをもって中共の言う「偉大な漢民族」を否定する根拠に使っているとは思いましたが。

          1. 「逆転の大中国史」
            読み直したのですが、私、酷いです。
            あると思ってた話しがなかったり、頭の中で話しが変わっちゃってたり、めちゃくちゃでした。(´Д` )
            こりゃダメだ。
            ホントにちゃんと整理整頓しないと。
            って改めて思いました。

        2. 私が述べた事は
          三国時代の「人口500万人説」を、「魏呉蜀」という「漢」から分かれた「漢人王朝」の把握していた人口、と見るべきではないか、ということです。
          つまり「諸王朝が把握していなかった漢人が、相当数いただろう」と。
          しかも「漢人王朝に服属しない元遊牧民等」が、当時の中華圏には、相当数居住していました。
          従って、その頃の「中華圏」が養っていた人口は「500万人」を相当に超えていただろう、という推測が成り立つ、ということです。

          今の中国の人口は14億人弱とされています。
          インドは13億人強とされています。
          しかし、この統計をそのまま信用することはできません。
          それと同じような事です。

          また、例えば「中華圏」と「インド圏」を論ずるならば、この2ケ国の数字を補正するだけでなく、「中華圏」には、台湾を足し、ウイグル自治区や内モンゴル自治区やチベットを引き、「インド圏」には、パキスタン・バングラデシュ・ネパール・スリランカを足さなければなりません。
          つまり「人口」をもって「ある地域の『国力』を論ずる」には、様々な補正作業が必要で、「歴史上のある地域」だと、さらにその作業が重要でしかも難度が高い、ということです。

          「三国時代の人口500万人」という数字が残っているのは「戦乱と災害の連続」によって「民の疲弊」が頂点に達した、という事実の記述の一部です。
          そして「中国人の言う数字を鵜呑みにしてはいけない」
          中華圏では「疲弊した民」の一部は「死に絶える」のではなく「王朝のもとに有る事」を拒否し、逃げて隠れる、のです。
          漢人が逃げたところには、しばらくすると、異民族が入ってきます。そして「政治環境と自然環境」によって「漢化」します。

          これだけ「漢人」が疲弊して「遊牧民他」が入ってくれば、社会構造が変化するのは当然で、そこは仰るとおりです。
          それに伴い「中原の言語状況(書き言葉だけの言語である漢文を、どう用いるか)」も変化します。
          これは中国史上、何度も起きていて、三国時代以降の300年ほどは、3回目ぐらいでしょう。
          「漢文を使用する人々」の内容が、この時代に変わった、というのが楊先生の言わんとするところなのは、首肯できます。

          ※「周王朝の成立からの数百年」が1回目「漢文の成立」、「戦国時代末期から漢王朝時代前半の250年ぐらい」が2回目「漢文の波及」、というのが私の理解ですが、別の数え方も有るでしょう。

          1. あ、分かりました。
            納得です。
            詳しくありがとうございました。

        3. さてと、もう一つ、課題があるんですね。
          ここまで大雑把に「国力」と呼んできましたが、はたして「国力」をどう定義すべきか。
          1、「ある文明圏が保有し得る『圏域』の力」
          2、「ある文明圏の統治原理によって成立する『権力構造=政権』が保有し得る『国家』の力」
          ここまでは、1と2をきちんと区別せずに話を進めてきました。
          今後、話をすすめる場合、どちらの意味で「国力」を使用しているのか、少しでも明確にするため、
          1を「圏域力」、2を「国力」と表現することにします。

          三国時代の「500万人」は、中華圏の国家が保有する「国力」のうち、「人口」が、3国足してもその程度だった、そこまで低減していた、という事例ですね。
          漢の時代の最小値、と捉えてよい、と思います。

          「圏域力」と「国力」の差が、「その文明圏の『統治原理・構造』の優秀性」を表す指標になるのではないか、と思います。

        4. 風邪をひいたらしく、鼻水とくしゃみと喉の痛みで、頭がぼうっとして、考察がすすみませんでした。
          漫才の台本なら書けるんだけど(笑)
          今日も、午後から出張なので、難しい話はここまで。

          1. 余談
            この一連の「中華文明とは」という考察を続ける中で、確信できたことが一つあります。
            「朝鮮文化は、中華文明のカリカチュアである」ということ。

          2. あらら。
            お大事になさって下さい。

            とろいやさんのお話しは、凄ーく面白いので、早く続きが聞きたいと思っちゃいますが、身体が一番です。
            無理はなさらず、ゆっくりなさって下さい。( でも出張…。)

            >>「朝鮮文化は、中華文明のカリカチュアである」
            との確信は私も持ちたいです。

            今までのお話しで、日本人として自由であるためには、やはり中華文明の理解が必要なんだと感じています。
            中華世界の考察は日本人にとっての
            “artes liberales“ ですね。

          3. >朝鮮文化は、中華文明のカリカチュアである

            はい。
            これが朝鮮の悲劇なのです。

            中華文明には実績があります。何度崩壊しても再び豊かな大帝国を築けるくらいに。だから、モデルにしてしまうのは当然です。(日本もそうでした。)

            しかし、中華の豊かさは黄河と長江(特に江南の米作)に支えられたものです。それを持たない朝鮮が真似ると上手くいくわけがないのです。(現在は、南は日本を真似ているので解決。北は継続中。)

            また、中華の中央集権制は広い国土や多くの民族を治めるためのものです(遊牧民への対抗という面もありますし、遊牧民の異民族支配体制でもあるのですが)。
            逆に言うと、中華では広い国土や多くの民族という”自由”があるから過度の中央専制にならないのです。しかし、それらがない朝鮮でやると中央集権制の弊害が目立つだけになります。(現在でも南北でこの問題は継続中。)

            さらに、もし中華経済圏と一体になると単に吸収されてしまいます。だから、経済面では意図的に中華と距離を取っています。そのため、中華の豊かさを支えるもう一つの要素である通商が発達しませんでした。
            (現在でも、北が意図的にやっています。南にも反日反米の一要素としてあります。)

            これらは、日本が地勢的にどれほど恵まれていたかということでもあります。(遊牧民の脅威という大きな要素を除いてさえ、これほど違うのです。)

            そして、中華を真似ても上手くいかなくなった時、日本では武士たちが日本のやり方で勝手にやることにしたのですが、朝鮮は政治的に近すぎました。
            だから「上手くいかないのは、中華に成りきれていないからだ。もっと中華に成るべきだ。」と原理主義的になっていったのが悲劇です。(現代のイスラム教も似た感じです。過去の実績があるからたちが悪い。)
            そうして、価値観を中華に依存して行った結果、中華に統治の責任を丸投げすることになって行きました。(現在でも、南北で継続中。)

            朝鮮は中華のカリカチュアであり中華の一部だけれども、(それゆえに)中華とは違うのです。

            # 朝鮮情勢のブログで中華をネタに雑談することを許してもらうために書いてみました。

          4. mottonさん

            >>しかし、中華の豊かさは黄河と長江(特に江南の米作)に支えられたものです。それを持たない朝鮮が真似ると上手くいくわけがないのです。(現在は、南は日本を真似ているので解決。北は継続中。)

            これ、
            南が日本を真似られたのは、日本が南に甘かったからですよね。
            併合時代に日本のやり方を学んで、戦後
            も日本の様々な支援を受けてきたから可能だった「真似」ですよね。
            今後、日本が韓国との交流を極力減らしていったら、韓国は日本のカリカチュアになるのでしょうか?

            日本の豊かさを支える資源は「日本人」です。
            朝鮮が、黄河と長江に支えられた中華の豊かさを真似られないように、韓国人は日本人を決して真似ることはできない。

            2019年3月4日の
            与党議員「グーグルコリアは韓国の歴史を尊重する義務がある」
            のコメントでmottonさんは、
            韓国人は「日本人になろうとしたこと」に恐怖した。
            と仰ってます。( 貼り付けたいけど技術がない。(T-T))

            日本人になる訳にはいかない人々が、日本のやり方だけを真似しても、それこそ滑稽な戯画になるだけでしょう。(もうなってる?)

            李朝は「中華原理主義」で北がそれを継続中だというのは確かにと思うのですが、そうすると南はどうなるのでしょう?
            ロウソク革命() の頃から、先祖返りと言われてきましたが、日本のシステムを中華原理主義で運営なんて無理ですよね。
            それに、
            日本は資本を引き上げて、今後、技術の提供も行わないでしょう。
            反日の韓国人には、システムの運営が既に怪しくなっているようですし。

            結局、北と同じようになるのかな?

          5. 意外に思われるかもしれませんが、私は韓国を非常に評価しています。
            台湾の方が少し上ですが、欧米の植民地とは比べ物にならないくらい韓国は発展しています。都市国家ならともかく数千万人の人口を擁する国家を発展させるのは簡単ではありません。技術を教えたり支援して発展するのなら、東欧や南欧、南米は簡単に先進国になっているはずです。

            「人」が重要なことやその作り方は日本が教えたのかもしれませんが、真似できたのは韓国の「人」の力です。(台湾もですが、日本の先人がきちんと統治していた証拠でもあります。)
            中華と違って吸収される恐れの無いアメリカの通商圏に入ったことも入ったことも大きいのでしょう。

            >韓国人は「日本人になろうとしたこと」に恐怖した。
            これは別の話で、カルトに完全に帰依する寸前に正気に戻されたのと似たものと思ってください。(あっち側から見ての話)

          6. >>意外に思われるかもしれませんが、私は韓国を非常に評価しています。

            これは意外ではありません。
            mottonさんがきちんと韓国を評価されていると感じるからこそ、ご意見を求めています。

            私も韓国人は馬鹿ではないと思っています。
            ある部分では、日本人よりずっと賢いと思います。

            でも、
            ロウソク革命()あたりから怪しかったけれど、徴用工()裁判からこっちあまりにも酷いですよね。
            この崩れ方にどうも納得がいかないのです。

            「中華のカリカチュア」
            というのがはっきり分かれば、もっと見えてくるのでしょうか?

  5. >七誌
    2019年3月13日 03:11
    「七誌はなぜ悪いのか、七誌は何が悪いのか、理解させ、何としても謝罪させてやる!!七誌を下にしてやる!」

    いつもの、自分の非を認めない、根拠のない自己正当化だなw

    以前、
    「『貴職』という語句は使わない」
    という七誌さんの主張に、
    受「使うわw」
    と事例やコピペ、実際に使ってる人のコメント、アンケートを示しても事実を認めず、私の主張に罵詈雑言w

    当然謝罪を求めるところでしょう。

    それに対して
    「何としても謝罪させてやる!!七誌を下にしてやる!」
    という態度が人として間違いなのだ。

    こんな奴だから、私は、徹底的に非難し、バカにしてる。
    複数の方も賛同頂いているところだ。

    1. ちょうど良いから、このスレッドに便乗します。

      と「『韓国』や『韓国人』という『概念』や『集合体』を、憎むことは論理的に成り立たず、常に憎むべきは『具体的に憎まれるべき行為をなした主体』である」
       「9999人の韓国人が『犯罪者』であっても、1万人目の韓国人を『犯罪者』と決めつける根拠にならない」
      七「良い韓国人もいるから、韓国人を憎むな、というのは聞き飽きた」

      テーマも論理も、かみ合わない。
      私が言ってるのは、七誌氏の言う意味ではないのですが、必ず、こういうふうに、論点がずれるのです。
      念のために言っておくと、
      私が言ってるのは、
      「韓国人を憎む」というのが、論理的に誤りである事、です。
      「〇〇人全体を××する」という行為が、多くの場合、実は不成立である、という事。

      ある〇〇人に酷い目にあわされたから、〇〇人全部が嫌いになる、というのは、感情としては成立します。
      しかし、ある○○人が酷い事をしたのは「個別的事情」であって、○○人全体の属性を決定するものではなく、○○人全体に対する「負の行為」を正当化する根拠にはならない。
      この論理を、七誌氏が理解する事はないのでしょう。

      つまり、七誌氏が相手では「議論にならない」という事です。
      本当に「韓国人の典型」みたいですね。
      「韓国人の傾向」を多量に人工知能に組み入れて形成した「仮想人格」なのかも。

      1. 私が述べようとした、第四の問題は「このように、論点がかみあわない事」
        第五の問題は、議論の焦点が絞られてくると「逃げる」事。

      2. 七「我は神、ゴッド、アッラーである!
        私の発言、コメントに、一片の誤り、間違い、事実誤認、論点のすり替えはないのである!
        そして私の『忠告』であるところの、バカ、マヌケ、愚か、理解しる、理解すべき、全くの間違い、などは全て正しい指摘であり、
        『釣り』は当初から予定されていて、
        下々の者が使う語句の意味や定義は、往々にして我とは違う。

        皆の者、良く聞くがいい!
        我こそが唯一の存在である『髪』である!
        『抜け始めてわかる、長〜い友である』」

        1. 今日もどうしてかなーおかしいなあーと延々と言いに来る。うんざり。 より:

          不毛な議論にしかならない予感

        2. 七誌さんの困ったところは、
          受験生さんがよく仰っているように、全部が嘘じゃないことですね。
          本当半分、嘘半分を思い込みでコーティングってところでしょうか。

          今回のことは私もほとほと呆れました。
          「憎め」と教育する。
          それは「釣り」って。

          今までは、ちょっと面白いと思っていたけど、これならアク禁でも仕方ないかなぁって思っちゃいました。

      3. とろいやさん

        集合論、論理の裏や逆を理解しないのでそうなるのです。
        以前、誰かに指摘された時にスルー。私が何度か持ち出してもスルー。言い訳もしない。重要だと思っていないのです。

        これは発見でした。
        韓国は政府レベルでも集合論や論理を理解していないんじゃ?と考えるようになりましたから。

        1. 「人工知能 七誌」には、論理回路が搭載されていないのかも知れません。

          敵対する組織の科学者「motton博士」に「論理回路」を組み込まれた「人工知能 七誌」は、矛盾と言う概念を理解しそうになり、アイデンティティー崩壊の危機に陥った。
          その時、こうなる事を予想していた「七誌教授」によって用心深く組み込まれていた「火病回路」が緊急発動し、論理回路を焼き尽くす。
          誇らしげに高笑いする「人工知能 七誌」
          「ウエー、ハッハッハッハ、こうなる事を、私は予想していました!!バカなネトウヨは全部間違いを理解するべき!!」
          今日も「人工知能 七誌」は、元気よく「妄想の中のネトウヨ」に戦いを挑んでいる。 

          なお、この物語は、実在のハンドルネームとは、全然関係有りません。

    2. >受験生さん
      実は昨晩、そこ、少しクスッときたところでした。

      1回目 
      >「七誌は悪!」「七誌の態度は悪!」「七誌のやり方は悪!」
      >「七誌の説論は悪!」「七誌は他人にマウンティングを狙ってて悪!!」

      2回目
      >「七誌はなぜ悪いのか、七誌は何が悪いのか、理解させ、
      >何としても謝罪させてやる!!七誌を下にしてやる!」

      1回目は悪という状態を表すだけでしたが、
      2回目では理由を求めはじめ、悪のみかげさんの意志がより強く感じられます。
      国語の問題で「①と②、どちらがより作者の思いを表しているでしょうか?」とでたら、②ではないでしょうか。
      脳内で変化が起こっているのでしょう。脳内の事実関係もかな。

      でも愛がないので七誌さんの中はどうでもよかったりします。

      【引用部分は敬称なし】

  6. アメリカで100ブランドをランク付けしたのが発表されてたんですけど、サムスン7位、LG15位ですよ!
    https://www.axios.com/axios-harris-poll-corporate-reputations-bcc0c03d-0bb5-4eb1-b591-4622bb4b01ed.html

    7 Samsung (+28)
    15 LG (+10)
    61 Hyundai (-5)
    去年はLG>Samsungだった模様。日本勢はソニーはなんでこんなに高いのん?韓国と同じ理由?
    10 Sony (+21)
    30 Nintendo (0)
    36 Honda (-17)
    37 Toyota (+5)

    Tesla (42, -39) が派手に落っこちてるのはいいとして、スーパーのWegmans (1, +1) とPublix (6, +2) はなんでこんなに高いのん?うちの近くにもほしいわ。

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