議論エントリーその3

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376 Replies to “議論エントリーその3”

  1. 遊牧文明と中華文明を比較することで、「文明とは何か」を考察しようとしているわけですが、

    「現代文明」を考察するために、
    「アメリカ合衆国」とは何ものか、は恰好のテーマだと思います。
    注射星人さん、mottonさん、cieさんのやり取りが面白いので、参加してみましょう。

    私は、アメリカの成り立ちからして「ヨーロッパ系移民が築いたアメリカ」は「土地を大切にしてはいない」と思います。
    さて「土地を大切にする」の意味が問題です。
    1「土地の生産力を維持する」=「環境を適切に改変」
    2「ある土地に愛着を持ち、離れない」=「とにかく定着」
    3「環境全体を保持する」=「環境の改変をしない」
    3は、現代のエコロジー思想ですが、元来はアメリカ先住民のような生き方がそのイメージだったでしょう。ヨーロッパ系の入植者がそれを選択しなかったのは当然です。
    で、1や2の意味ではどうか?
    多分、入植者は1と2のつもりであり、それはキリスト教の「神が約束した土地」への愛着だろうと想定できます。
    けれども、実際にしてきた事は「先住民が開いた土地の強奪」であり「環境の見境ない改変」です。
    キリスト教徒に「与えられた土地を大切に保持する」という発想があり得るのか、疑問なのです。
    「約束の地」は「乳と蜜の流れる土地」であり「自分たちが大切に保持しないと使えなくなる土地」ではないだろうと思えるのです。
    そこに「非白人」「非キリスト教徒」は野蛮人であり、彼らの土地を奪う事は「文明の光を辺境に及ぼす聖なる開拓」というエクスキューズが用意されます。
    本当に「土地を大切にする」と言えるためには、経験知の蓄積によって「その地域の環境全体の生産力」が枯渇しない農業構造が固定化しなければならない、と思います。

    ヨーロッパの農法を移入して生産高は上がりました。
    それによって住民の生活は豊かになりました。
    「開拓」としては正しい、と言えます、が。
    アメリカ大陸の恵まれた環境がその成功につながっただけの事で、実際に入植者がやったのは、
    「遊牧圏に進出した農耕民が表土を耕してしまい、砂漠化させてしまった」のと、質的には同じではないか、と。

    ソ連が中央アジアで似たようなことをやって、アラル海を殺してしまいました。
    インドが砂漠を農地に変えて、やはり環境破壊が話題になっています。

    現代に至って「環境の見境ない改変」にブレーキがかかったのは喜ばしい事です。
    そこが中華文明とヨーロッパ文明(から派生したアメリカ文明)の差でしょう。

    1. そう、その差です。
      意図的にブレーキをかける精神です。土地を含む生存環境の保全を自ら行う責任感です。

      日本の植林だって江戸時代に禿山にしかけた反省ですし、戦後の公害だって危険なところまで行っていました。

    2. 文明とは何かという単純な問いならば
      「我々はホモ・ルーデンスであり、文明とは遊びである」という解以外へ辿り着くのは困難ではないかと思われます。

      特亜のやっている遊びの方向性とアメリカのやっている遊びの方向性が真逆なので喧嘩になりかかっている状態なのであろうかと。

      特亜は単純に覇権が欲しい。
      覇権を糧にして永遠性を獲得したい。
      特亜の永遠性は万能である事では?
      アメリカは世界の尊敬を介して合意の上で約束された最後の審判を受けたい。
      天国への扉こそが永遠性であるはずだと信じたい。
      神の愛こそが永遠なるもの?

      1. 遊び(なぐさみ)とは衝動を発散させる事であると言えるでしょう。
        殺人も遊びであり戦争も遊び。
        金を稼ぐ事も、権力を握る事も、人を騙す事も遊び。
        日本人にとっての遊びとは問題全体を解決する事。収める事、状況を自己彫刻する事。
        この「自己彫刻する」という部分で欧米諸国とは一緒に未来へ進めるはず。
        特亜にとっての遊びとは自分達が頂点に立つ事で状況を収める事。それが平和なのだという欺瞞を満たす事。ナムはもれなくパージする事でしょう。
        特亜とはどんな国も一緒には未来へ進めない。

        人間社会は意識ではなく無意識によって操られているという認識が科学的なのでしょうが、それを認めたくないから、認めたら自我がゲシュタルト崩壊して人間社会は終わりなので常に新しい娯楽を求めているのでしょう。
        快楽さえ提供してくれれば非人道的だろうが、破滅しようが「何でもいいじゃんか」という状況なのではないでしょうか今の国際状況は。

        状況解決したい側と茶番劇をやりたい側が目まぐるしく入れ替わっている。
        韓国だけはブレないで何千年も茶番の側に収まっている。

    3. とろいやさん

      いつもきれいに纏めてくださるので、本当に助けになります。
      異論はありません。

      そして改めて、その差は何だ? と思います。
      一体、どこにその線があるのでしょう?
      欧米は何故ブレーキが効き、
      中華は何故ブレーキが効かないのでしょう?

      神の有無ではない。
      キリスト教はブレーキが効かない。
      だから、退場していただきたいと思っています。

      では一体どこが違う?
      欧米や日本にあって、中華に無いものとは、一体何なのでしょう?

      キリスト教に「待った」をかけられる何かを欧米は持っている。
      中華は天子に「待った」をかけられない。
      違いは何? どこにある?

      1. 中華については、天子がブレーキだということで説明が付きます。
        それが壊れたら、次の天子が出てくるまで大混乱。

        ブレーキをかけるのは子孫に対する責任なので、自分の死後に世界が存在することを肯定するための宗教は必要かもしれません。あと騙せない隠せない神の存在(日本だとお天道様)もいるかもしれません。
        直系子孫に対する本能だけでも行けるかもしれませんが、血統原理の中華を見ているとダメな気がします。

      2. こういう仮説を提示できると思います。

        欧米+日本=「権力構造の複線化」
        中華=「権力構造の一元化」

        欧米は、ギリシャ・ローマ文明が根底に有ります。共和制です。ローマは帝国と呼ばれますが、基本構造は元老院の権威が有り、共和制のままです。絶対王政の時代ですら、実質は有力貴族の連合体でした。西欧のどの国も「権力構造が一元化した時期」は比較的短いのです。
        つまり「権力構造の頂点が固定化しない」=皇帝の権威を借りる形式の独裁も成立しにくい。権力の暴走には、潜在的に「常に」ブレーキが準備されています。
        日本は、型が異なりますが、ずっと「権威」と「権力」が分離していました。しかも「権力構造」は「武家の論理」が支配します。
        武家の権力は「自分の領地を確保する目的で結成された連合体」です。なので、西欧と似た「ブレーキのかかる構造」に。

        対して中華は「権威」と「権力」が一体化する構造です。
        宗教が「権威」にならなかったせいかも知れませんね。
        頂点が「単独」なので、基本構造が常に独裁政治なのです。
        独裁者が「皇帝自身」であるか「皇帝の権威を借りた者」であるか、それだけの違いしか生まれません。独裁者の暴走にブレーキをかけるのは簡単ではないですね。
        この構造は、征服王朝が中華の論理を取り入れる事によって、固定した、と思われます。

        以上は、権力構造からみた「ブレーキがかかるかどうか」の「文明間の相違」についての仮説です。
        視点を変えれば、他にもいろいろ仮説は提示できそうですね。

        1. 以前、ヨーロッパ人というのは、キリスト教の皮を被ったローマ人だと思っている。 と書いたことがあります。

          ローマの建国神話、ロムルスとレムスの物語。
          ご存知かと思いますが一応、
          あまりいいサイトが見当たらなかったので、ウィキペディアを貼っておきます。
          ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/ロームルスとレムス

          ロムルスが線を引いた。
          レムスがそれを跳び越えた。
          ロムルスはレムスを殺した。

          これこそがローマ人の真骨頂で、今に至るまでヨーロッパ人の心髄だと思っています。

          ロムルスは分かった。
          レムスは分からなかった。
          線引きのできるロムルスが、できないレムスを殺して、ローマを建国した。

          ローマ人というのは、線引きのできる人々だったと考えています。
          線引きができるが故に、あれほどの大帝国を築けたのだと思うのです。
          そして、それこそが、ヨーロッパの本質であると思っています。
          「線引きができる」ということが。

          中華は、
          mottonさんの仰るように、「天子がブレーキ」というのは、なるほどと思うのですが、
          私が
          中華は天子に「待った」をかけられない。
          と言った時に想定していたのは、主に毛沢東なのです。
          天子と言っていいか迷うところですが。

          日本史や、ローマ史を読んでいて感じているのは、「適時に適材が適所にいる。」ということです。
          そして、「然るべき時に退場する。」
          害を為すようになる前に、歴史の舞台から、降りて行く。

          中華が違うのは、その後半部分。
          適時、適材、適所 までは同じでも、中国史の人物は、「然るべき時に退場しない。」と思うのです。
          害悪を撒き散らして、存分に毒を吐いた後に退場するように思うのです。
          ( 中国史弱いので、自信はないですが )

          毛沢東の例で言うと。
          大躍進政策の前に、退場してくれていたら、何千万もの人が餓死するなんていう事態にはならなかったでしょう。
          せめてその失敗の後、劉少奇に禅譲したなら、そのまま退場してくれていたら。
          何故、戻って来て文化大革命なんかを起こしてしまうのか?

          役割りを終えた人間が、居座り続けて害を為すのが、中国史には多いように思うのです。
          もう一度言いますが、中国史弱いので自信はないです。

          どうでしょう?
          ご一考いただけたら助かります。

          1. 前に、どこかで述べましたが、中華と西欧との「報酬」の型の違い、で説明が可能かもしれません。

            西欧では、基本的に「何か仕事して対価(給与・報酬)を得る。成果を出せば、成功報酬が加算される場合も有る。
            そうして獲得した資産は『正当なもの』として、法制度・社会的合意によって『保全』される」
            ゆえに、充分な資産を得れば、引退生活を楽しめます。

            中華では、基本的に「何か仕事をして報酬を得る」という構図が無いのです。
            資産の獲得は「地位に付随する特権」であり、その内容は「下位者が持っているモノの収奪」なのです。
            そして「特権は、その地位に有るうちは、無限に行使できる」。
            ゆえに、中華圏では「仕事のできる人になる」は目標になり得ません。「地位を得る」のが目標であって、地位を得るための手段は、何でもいいのです。
            そして「地位を失うと、それまで得たもろもろを、いつ剥奪されるか分からない」という状態になります。
            こうして「地位に執着する」のが基本構造になります。

            整理しましょう。
            西欧:労働→賃金、成果→報酬、資産→安定
            中華:地位→特権=収奪、成果→有耶無耶、資産→不安定

          2. 権威権力が地位に付随する(日本、西欧)のか、人に付随する(中華)の違いもあると思います。
            きっぱりと分けられるものではありませんが。

            前者は、権力の行使は地位が要求するものなので、結果責任(恨み)を人が負わないですみます。だから引退できます。
            後者は、権力の行使は人の意志によるものなので、結果責任を人が負うしかありません。地位は権力の行使の許可証に過ぎません。

            「法の支配」を言い換えただけでもあります。
            村人が村の掟を作るとそうなるはずで、ローマだけでなくゲルマンやケルトも同族だけからなる小集団だった時の法規範はそうでしょう。日本も(武士が再生する必要がありましたが)。
            しかし、異民族を同化せずに支配する場合には、それは無理なのかもしれません。

          3.  古代においては、権力と権威は一体だった。
             日本の場合は、鎌倉時代の武士によって、天皇から権力がもぎ取られていった。西欧の場合は、ローマ法王の権威と、国王の権力に分裂し、国王の権力は市民(ブルジョア)によってもぎ取られた。
             中国では、いまだに、権力と権威が一体なんだと思う。他の国でも、独裁国家はだいたいそうでしょう。

    4. これはまったくの間違いだね。

      遊牧民が楽しく暮らしていた豊かで平和な土地を、欧米人侵略者がやってきて強奪し、収奪して砂漠化させた!というリベラルや韓国人が持つ加害者と被害者の思想。

      もともと遊牧民の土地なんてのは、草しか生えない貧しい土地で、そこを遊牧で収奪して砂漠化させて来たのは遊牧民なんですよ。だから世界で遊牧民のいる土地だけが砂漠化するのです。

          1. 「悪口」じゃないですよ。
            「調べてからモノを言え」は、親切なアドバイスです。

            せめて入門書レベルの知識を仕入れて、きちんと整理してから、話に参加してください。

          2. ではなぜモンゴルや中東などの、遊牧が盛んな土地だけが荒廃し、砂漠化していくのに、日本やアジアのような農耕に集約された土地は豊かになって行くのでしょうね?

            もともとあなた方には、欧米文明は悪、自然と共存する遊牧民は善っていうステロタイプがあって、それに応じた結論が正しいと定まってる。韓国人のように。
            だからゲンジツガ見えないのですよね。

            実際には遊牧民ほど自然を破壊する人々はないというのに。

          3. 七誌さんへ
            基礎的な認識が間違っています。
            遊牧という生活様式について、何も知らないのが明白。
            自分で、せめてWikipediaでいいから、調べてみれば。

          4. 七誌さんは周回遅れなんですよ。
            しかし、七誌さんにはその自覚がなく前に誰もいないと錯覚しているから調べて学ぶ必要性を感じない。

            七誌さんのコメントの内容は、皆さんが既に通った道として知っている内容でしかない。
            A説に反する B説が前提にある状況で、B説に反する C説の話をしている時に、C説を理解せずに B説が正しくて A説は間違いと言っても意味が無い。(論理や集合を理解していないから、この意味も分からないのだろうが。)

            本当は、ディベート(最狭義)を理解してくれるといいのだが。

          5. (資料)
             ラス・カサス 著『インディアスの破壊についての簡潔な報告』岩波文庫、1976年
            ,

      1. これも言っておきます。
        「アメリカ」をテーマにした議論で、
        「遊牧民が暮らしていた平和な土地を、欧米人侵略者がどうのこうの…」って、
        話が混乱してますよ。
        そんな事を言うのは、あなたぐらいしかいない。

        アメリカ先住民は「遊牧民」では有りません。「農耕民」であり、「狩猟民」です。様々な民族の総称であり、略奪が主たる生業だった部族さえ有ります。

        先住民の土地に、先進地域からの移住者が入ってきて、先住民の生活構造が成り立たなくなる。
        これは世界のどこでも起きてきたことです。
        先住民の側からと、移住者の側からでは、評価が違ってくる。それが今回の大きなテーマです。
        で、それを考えるキーワードとして、
        「土地を大切にする」を据えて、話をしてるわけです。

        遊牧民の土地が砂漠化するのは、二つのパターンがあります。
        1、気候が変動して乾燥化が進む。
        2、農耕民が定住して耕作した結果、表土が流出する。
        遊牧というのは、2が起こらないように、ほどほどのところまで家畜が草を喰ったら移動するんですよ。だから、広い土地が必要。耕作が不可能な土地(それを貧しい土地と言い切ってしまうのも、愚劣ですが)で牧畜を成立させるための「高等技術」なのです。
        ここで話に参加してる人たちにとっては、当たり前の知識です。

        1. そんなに遊牧が良いなら、これからは世界中の人々が遊牧をして暮せば良いのですよねぇ。
          土地は荒廃して、自然と野生動物は全滅し、人類も滅ぶから。

          そういうことを知らない馬鹿が、自然主義者とかに啓蒙(笑)されて、欧米文化が、農耕が自然を搾取している。自然と共に生きようとか夜迷いごとを抜かし始めるって訳。

          1. とりあえず、肩でもすくめておきますか。
            他人の意見を、何も理解せず、脊椎反射で言い返してるだけなんですね。

            「遊牧」とは、乾燥(冷涼の場合も有ります)していて通常の牧畜が不可能な地域で、何とか家畜の飼養を成立させる技術。そういう環境の土地で「農耕」をしてしまうと、表土が流出して砂漠化する。

            この説明を受けて、
            「ならば、全世界が遊牧して暮らせば…」は、幼稚園児の口喧嘩レベル。
            「(そうすると)土地は荒廃し…人類も滅ぶ…」は、どこから出て来るのか不明な妄想。
            最後の三行は、いつもの「自分の脳内の案山子への攻撃」

          2. そういう話ではない、ということ。
            相手の話の要点が把握できていないので言うことも論点もズレているのです。

          3. それで、遊牧してる地域が、どんどん砂漠化して、野生動物がどんどん絶滅していくのをどう説明するのですかね。農耕が悪だって説明するわけですな。

          4. 声闘だと相手の話の要点を把握する必要がないのです。
            相手の目的だけ把握して、その目的が自分にとって否定すべきものなら相手を否定すればいいだけなので、主張の論理的整合性はどうでもいいのです。
            だから、リベラルだの自然主義者だの議論に全く無関係な人間が出てくるのです。

          5. 農耕が悪という説明?
            ズレすぎだし、どうでもいいです、そんなこと。

            何を言っていて、ここでの主旨が何か、少しいいので理解しましょう。
            何でこれほど文が読めていないのか驚きますね。単語に反応している程度ですか?

          6. 声闘だから善悪が基準なんですよね。

            ここで行っているこれまでの文明について議論する時には善悪は全く必要がありません。

            その議論を今後に活用する時には善悪が基準になるかもしれません。今後に活用するという目的=意志があって初めて善悪が出てくるので。
            しかし、自然保護に対する善悪は難しいですよ。断言するような人間は信用できないことだけは確か。

          7. 七誌さんの13:41の質問が成立するためには、
            1、遊牧圏において、砂漠化が顕著である。
            2、遊牧圏において、野生生物の絶滅が顕著である。
            この二つが「事実」として提示されなければなりません。
            しかも
            「他の地域と比較して、明らかにその地域で顕著」でなければなりません。
            そして、貴殿の説は「それは遊牧が主たる原因である」のようですから、因果関係も提示する必要が有ります。
            けれども、その提示は無いですね。
            「遊牧が行なわれている地域で砂漠化が起きているから」というのは、因果関係の説明になっていませんので、ご注意を。

            1、砂漠化は、主に無理な農耕と気候の変動によるもの。
            2、野生生物の絶滅は、遊牧圏に限った事ではない。
            既存の知識だけで「遊牧がそれらの現象の主たる原因とは特定できない」と説明できます。

            人類の短い歴史の中でさえ、砂漠は「広くなったり、狭くなったり」を繰り返しています。
            大きく見れば主たる原因は、気候の変動です。
            けれども、現在問題視されているのが「人間の営みによる砂漠の拡大」であるのは事実です。
            で、その砂漠化の主たる原因は「過剰灌漑」なのですよ。
            大規模灌漑によって、乾燥地帯が無理やり耕地にされると、やがて塩害や水資源の枯渇が起きて、耕地としては放棄されます。土壌が荒れてしまうので、以前のような遊牧も小規模灌漑農耕もできなくなって砂漠化します。

            野生生物は、人類のいろいろな活動が複合的に働いて、生存環境が変化したことによって、地球全体の規模で絶滅中です。地球全体の気候変動に対応できない種が絶滅の危機を迎えているのもあります。
            これも、遊牧が「主たる原因」ではありません。

            従って「遊牧が1、2の主たる原因であると特定できる」という仮説を、充分な根拠によって提示するのは、そちらの仕事です。
            充分な根拠、の意味が分からないだろうから、無理でしょうけどね。

          8. 何このツリー。
            機能性非識字の実例? www

            とりあえず、一例でしかないですが、注射星人さんへの答えにもなるのでは?

            日本語でもこうして、読めても理解できない人は確かにいます。

            だから、韓国に言論空間がないのは、やはりハングルの問題というより、「人」が問題なんでしょうね。
            漢字を廃止して、ハングルだけにしてしまったのは、漢字を使っていた世代の韓国人だったわけですしね。

          9. 一周しましたね(笑)

            言論空間は言葉の空間ではなく論理を組み立てる式が漢字の内部に含まれていた。それを捨てたら単なる会話になってしまう。
            会話は共感のキャッチボールであり、言論という式を持っていないと思うのです。
            言ってしまえば会話は落書きであり放尿であって、言論のようなデッサン性を持っていない。

            トピでも議論出来ましたので様々な角度からの意見が見れて満足です。

          10. 漢字に式が含まれているというよりも漢字は言葉を鮮明にして意味を明確化していたのでしょうかね。

            単に漢字を捨てた事で言葉が冗長になり、会話が複雑化して混乱して論旨の迷子になりやすくなったという事かもですね。
            ハングル以前の問題の方が遥かに大きいのかもしれない。

            韓国政府は文在寅以前からずっと政府主導で「二重基準で欺瞞的で傍観者的な立場」に韓国民単位で落とし込もうとしてましたからね。月山明博も朴槿恵も。

  2. >注射星人 さん

     どうも、私にとっては、違和感が満載なのですが、重要だと思われる次の2点を指摘しておきたいと思います。

    1 唯物史観について
     注射星人さんは、「個人は豊かさを求める以上は唯物論に陥らざるを得ない。」と書いていますが、たぶん、唯物史観を誤解しているのではないかと思います。
     マルクスは、社会を上部構造(形而上学)と下部構造(経済構造)に別けて、下部構造が上部構造を規定すると考えました。下部構造は経済構造で、原始共産主義→封建主義→帝国主義→資本主義→共産主義といったぐあいに(※ 少し私の勘違いがあるかもしれない)、進化論的に進化すると考えました。下部構造の進化は決定していて、人間の意思(上部構造)では変えられないとしました。人間の意思では変えられない、物理的に決定されている事項であるとしたから、唯物史観と呼ばれています。
     でも、共産主義の社会は訪れなかったし、その前段とされた社会主義の社会も失敗に終わった。もはや、唯物史観は、破綻した理論です。それで、一部の左翼は、「フランクフルト学派」へ移行したわけです。

    2 ディープ・ステートについて
     ディープ・ステートは政府機関とは違うので、意思決定や指揮命令系統がない。私は、ライオンズクラブとか経団連のように考えています。経団連みたいに公式名称もないし、把握しにくいですが。ディープ・ステートは、米国・英国の経団連みたいな(大金持ち達)が政府を動かすくらいに政治的に動いているという風に考えています。(※ 馬渕睦夫さんの考えとは違うかもしれませんが。)

    おまけ
     米国では、無宗教の人が増えているようです。23.1%だそうです。
    ・ttps://www.cnn.co.jp/usa/35135718.html
    『「無宗教」の米国人、カトリック教徒などと並んで最多に 米調査 』(CNN 2019.04.14)

    1. >個人は豊かさを求める以上は唯物論に陥らざるを得ない。

      そう書きましたっけ?
      「個人の社会的繋がりは唯心論によって成り立ち、社会は資本主義によって唯物論に陥る」とは思っています。
      そう、どこかに書いた覚えはあります。
      文字は意味という下部構造と音という上部構造によって成り立ってるとも書いた覚えがあります。

      唯物史観という論理が頭にあった訳ではないです。

      ディープステートの部分は
      >金を幾ら積んでも国家は買収できない。その金を発行しているのは国家なので。
      すると肥大化した子会社は責任だけ国家に取らせて裏から国家を操作する国家内国家であるディープ・ステート化するしか自己実現の道は存在しなくなる。

      この部分ですね。
      >迦具さんの引用
      >ディープ・ステートは、米国・英国の経団連みたいな(大金持ち達)が政府を動かすくらいに政治的に動いているという風に考えています。

      全くそのように認識していますし、そのように書いています。
      少し自分を大きく見せようという気持ちが働いて論理を箔付けしようという気持ちはありました。
      反省はしていませんが、不快な気持ちにさせてしまい申し訳ありません。

      1.  不快だから反論したわけではないです。
         誤解しているんじゃないかなと思ったので書きました。私の勘違いなら、よかったです。

  3. 自分は韓国が国家か、国なのかと問えば国ではないと思う。
    韓国は単なる人の集まり。群体だと思ってる。
    巨大化した財閥による人間牧場の中に住む家畜が唯物論的価値観によって「国どころか先進国」だと自己欺瞞に陥っているだけ。

    そこで仮に国家は生命体かと問えば生命体という解が成り立つと思う。更に法は生物かと問うてみると生物の要素。
    ・エネルギー代謝
    ・自己複製
    ・進化
    ・自他の境界
    ・恒常性(エントロピーを食べて状態を維持する)
    これを満たしていれば法は生命を持つ生物であると定義できるかと思うのです。
    直感的には成り立つべきだと思っているのですが、ここから複雑になって混乱しています。

    皆さんは「法は生物」として定義できると思いますか?
    日本も韓国も「法の生物としての定義」を破壊されている為に別々の問題を抱えて、それぞれそれを指摘し非難合っている状態ではないのでしょうか。

    1. 面白い論点ですね。
      私は「国家」は「ミーム的に、つまり進化するもの、という意味で」生物と言えるのではないか、と思います。

      しかし、
      韓国が国家か、と言うと、中国も含めて「近代的意味(フランス革命以降に確立した、国民国家)」においては、国家なのかどうか、疑問だと思います。
      中国は、上記の意味での「国家」ではなく「軍閥」かせいぜい「王朝」でしかありません。構造が同じなので、特亜に「国家」は無いでしょう。
      同様に、中東やアフリカには「軍閥」や「王朝」は有っても、近代的国家に進化できた国は、あまり無いと思います。
      ※近代的国家と古代的王朝支配地域と軍閥支配地域と、国力という意味でも民生の充実という意味でも、優劣は別です。

      「法」が生物と言えるのか、というと、一介の実務家としての感想ですが、生物ではないと感じますね。
      「自己複製」と「自他の境界」に該当する要素が、どうなのか。
      そこがポイントでしょう。
      生物と言うより「ウイルス」みたいなもの、ではないか、と。

      1. >同様に、中東やアフリカには「軍閥」や「王朝」は有っても、近代的国家に進化できた国は、あまり無いと思います。

        近代国家になるためには、西洋型の法治が土俗より上にならなくてはいけないというのが条件で、これをUAEやイランは満たせない。

        同様に中国も韓国もこれを満たせない。

    2. 韓国が群体だというのはあってる。

      国家は生命体だというのはあってない。

      が、日本は陛下を中心とする集団と、それが近代国家を形成しているという2重の構造を持っているので、他の国家よりややこしい。

      法は非生物。法は基本的に、多数の生存を脅かす一部を排除するルール。

      1. 七誌さん
        国家はガイヤ仮説に準じて「自己調整している恒常性を持っている」という意味で生物とは言えないでしょうか。
        人は魂の乗り物ですし、国家は人の乗る乗り物という仮説は立たないでしょうか。

        >法は非生物。法は基本的に、多数の生存を脅かす一部を排除するルール。

        七誌さんがそういう印象を持たれるのは資本主義のルールが頭に浮かぶからではないでしょうか。
        自分がこの話を振ったのは憲法の話を前提に考えてます。丁寧に説明できなくてすいません。

        もしも法が生物ではなく単なるルールであるなら人間はこれから確実にルールのエントロピーの増加に従って経済の熱死で滅びていくしかないと思うのです。
        経済が人の社会性を殺してマルクスの資本主義理論の予言通りに愛も真心も真実も歴史も商品になってショッピセンターに陳列されるディストピアになる。

        狂った感情のない嘘吐きのサイコパスだけしか生き残れない社会になると思うのです。現実にそうなり始めてますよね。

        法はルールでも憲法が生物ではないという仮説は個人的には受け入れら難いです。
        憲法に血が通っていないのは日本国憲法が人が人の為に作った憲法ではないからではないかと思うのです。欧米の猿がノミを駆除する為に作った憲法。韓国の憲法も政治活動家が作ってますよね。

        1. 例えば人間の影は生命体の条件を満たしていると言えますよね。
          人間に付随しているのですから人間の全ての条件が人間の影に当て嵌ります。或いは車も生命体の条件を満たしている。スーパーマーケットも陳列を代謝しており陳列の進化もしており生命体の条件を満たしている。恒常性もある。
          人間の生存に付随しているのですから当たり前ですよね。
          人間の生存に付随している法も憲法も当然生命体と定義できるはずですよね。

          しかし、法の代謝しているエネルギーが何なのかまず定義出来ないでいます。
          法のエネルギーとは何でしょうか。破れば罰を受けるという恐怖心でしょうか。守れば信用が保たれるという安堵感でしょうか。それとも状態を維持する事によって集団の関係が保たれるという安寧でしょうか。それとも全てが混在した背後霊を感じているような存在感でしょうか。有るだけで代え難いという意味の感覚でしょうか。人に感じられる。法が人によって観測されるということが取り敢えずエネルギー代謝をしているという事なのでしょうか。

        2. >経済が人の社会性を殺してマルクスの資本主義理論の予言通りに愛も真心も真実も歴史も商品になってショッピセンターに陳列されるディストピアになる。

          経済が実態と乖離すれば、必ず滅びるのは経済の方であって、実態のほうが滅びるなんてことはないのですよ。

          GAFAのように、もちろん虚業だけが莫大な富を独占するが、100年単位で考えれば、残るのは実業だけだ。

          同じように、法は法だけで生きれない以上、それは虚業、すなわち陰に過ぎない。物あるところに必ず陰はあるが、影は生き物とはいえないね。

    3. >>注射星人 さん

       つまらない答えで返しますが、
       「生命体」という言葉ではなくて、「有機体的」だとか、「有機体(生命体)に似ている」と言うべきだと思います。
       韓国は、もちろん国家です。私は、韓国は先進国になれなかったと、いまは思ってます。
       国家にも色々な形が存在するので、韓国よりもおかしな国は、今の世界にもたくさんあると考えます。

    4. アリやハチなどの真社会性生物では、女王(と王)以外の”個体”が自己複製機能を持ちません。”個体”の自己防衛本能も弱いです。ゆえに、群れが”生物”であると言えます。

      人間社会は、まだそこまでは行っていません。各個体は群れ(国家)から離れても生物であることができますから。
      子孫を持たぬ若者に「国のために戦って死ね」と言えた近代国民国家(特に戦時中の日本)はかなり生物に近づいたと思います。しかし、それは解体される方向に向かっています。

      憲法(明治憲法と現憲法)の問題は継受法であることでしょう。
      法源が国内の慣習である固有法であれば慣習の変化に追随して改正されます。継受法の法源は外部にあるので改正が難しいのです。
      いわば、社会と異なる遺伝子を持つウイルス。健全な社会であれば無害化できますが、時間がかかります。有用であれば、ミトコンドリアや葉緑体(ウイルスではないが細菌に由来する)のように取り込むことができれば最善でしょう。

      1. 皆さんありがとうございます。

        自分も多少調べ直してみましたが、皆さんとほぼ同じ結論です。
        民と憲法と法は三位一体の関係で初めてエネルギー代謝と恒常性と進化を獲得できるのであって、制限と利権の代謝によって生物のように有機性に機能し得るという結論です。

        ただ、やはり自分には韓国という牧場は甚だ国だとは解釈できないです。
        韓国は民と憲法と法が三位一体になれない、有機的になれなかった国家の失敗作としか見えませんわ。
        三つの影がひとつになれなかった妖怪国家ですわ。ガス国家一号ですわ。

        キルケゴールによると人は頭の中の世界と現実の世界の二つの世界を生きている。韓国は二つの世界の結合に完全に失敗したのでしょう。

        1. mottomさん
          >子孫を持たぬ若者に「国のために戦って死ね」と言えた近代国民国家(特に戦時中の日本)はかなり生物に近づいたと思います。しかし、それは解体される方向に向かっています。

          示唆に富んだ洞察ですね。
          嫌な感じはしていましたが、やはり豊かさが個人を主体的に導き国家を解体するのですね。
          七誌さんも経済が実態と乖離すれば経済の方がほろびるという論旨を説明くださりありがとうございます。
          その通りですね。

          不吉の原因を知らないで苦しむよりは知って苦しんだ方が遥かにいい。
          講釈ありがとうございました。

        2. 私も韓国は国(運命共同体たる社会)ではないと思います。運命共同体にナムは存在してはいけません。

          理由は簡単で、朝鮮が専制国家である中華帝国の一部だったからです。専制国家は支配者にとってのみ国です。支配者がいなくなれば国ではありません。
          朝鮮(韓国)には支配者であった経験がありません。被支配者の立場から支配者を羨ましく見ていただけです。支配者になれば”自由”に何でもできると思いながら。
          だから、支配者の(自分の財産である)国を運営するという責務や国に対する無限の責任を知りません。

          立法者は社会を運営するために「法」を制定し、ゆえに「法」はより良い「法」を制定させるべく立法者をも規定します。民主主義国家なら三権分立のようなシステムですが、専制国家においては名君のみが自身の内にそれを持っています。

          韓国人でも(日本社会の人間だった)朴正煕や財閥創始者は理解していたでしょうが、その世代がいなくなり、韓国がアメリカという支配者から”自由”になろうとすれば元に戻るのは必然なのでしょう。

          1. 論理的には客船でも潜水艦でもGAFAであろうが、国家になりうるはずなのに文明に横入りするには条件があったという事実は定点韓国していなければ理解できないところでした。

            その意味では韓国という人間牧場に感謝します。日本に日本人として生まれた事に感謝できます。
            歴史は本当に大切だ。

          2. 注射星人さん

            >>嫌な感じはしていましたが、やはり豊かさが個人を主体的に導き国家を解体するのですね。

            注射星人さんは、
            国家という生命体が、個人を呑み込んでしまう方がいいとお考えなのですか?

            アリやハチなどのような真社会性生物、一つのコロニーが一つの有機生命体であるかのような社会を望んでおられるのですか?

          3. cieさん
            漠然と「この状況はヤバい」という不安が内心に鎮座していたので、不安の正体を整理してみました。

            民主主義国家のシステムは足元を見る者の足元を掬う連鎖によって独裁によってしか成立し得ない社会主義よりも合理的に有機的に循環し得るシステムと言える。

            その循環する代謝エネルギーは二つあって自分の物語を獲得したい衝動と自分の永遠性を獲得したい衝動が存在するはず。

            名を永遠に残したい衝動と影響力として永遠性を獲得したい衝動は両方とも自分の本質は永遠性にあるという観念では一致する宗教観であり、どちらの道でも自己実現できるのですが、影響力と求める道はGAFAへ続き、名を求める道は世界のハリウッド化へと続いている道だと自分は感じている。

            つまり実は民主主義国家とは大企業のようなシステムであり、大企業である民主主義国家は子会社と本社のような関係によって成り立っていた。子会社は常に独立したい野心があり、一種の封建制度なのでしょう。

            不安の正体はいくら国家内で子会社が独立するだけの力を持っても国家にはなれないという現実。
            国家の中で権限が国よりも大きくなっても本社の上には立てないというジレンマが生じる。

            金を幾ら積んでも国家は買収できない。その金を発行しているのは国家なので。
            すると肥大化した子会社は責任だけ国家に取らせて裏から国家を操作する国家内国家であるディープ・ステート化するしか自己実現の道は存在しなくなる。

            ディープ・ステートは責任という概念を捨てている為、国家観がないのです。
            するとディープ・ステートの宗教観は個人の主体性は国家権限よりも上にあるというリベラリズムになり、市場全体経済主義であるグローバリズムに陥る。

            リベラリズム、グローバリズム、社会主義は唯物論なのです。
            唯物論は人の評価が値段で評価される人間の成長の可能性を否定する世界観であり、人が主ではなく必ず価格が主で思索する世界観なのですわ。
            WTOの日韓の水産業の判決にもその世界観が現れていますよね。

            人間の可能性ではなく価値の可能性だけに着目する世界。それは世界中にイギリス病が蔓延した世界。

            そんな世界がディストピアでなくて一体何がディストピアなのでしょうか。世界はそういう方向に向かっているという嫌な感じであり、それを止める方法がないのではないかという不安を感じています。

            金は信用によって成り立っており、金が信用ではないはずなのです。少なくとも人間社会は唯心論で成立している。しかし、個人は豊かさを求める以上は唯物論に陥らざるを得ない。そんな嫌な予感なのです。

          4. 「自分の永遠性」の根っこにあるのは、自分の子孫(自分のDNA)を残すという生物の本能でしょう。
            これがあるから、宗教が説く死後の世界が意味を持っていると思います。そして、個体は個体の生存に最適ではない行動を取ります(例えば、命懸けで子供を守ります。)

            民主主義国家(国民国家)においては、国家は国民の子孫になります。DNAだけではなくて名や影響を残すと言う意味で。だから「国のために戦って死ね。(それが、お前の子孫(DNAや名)を残すための最適な方法だから。)」が通用しました。これは真社会性に近いと思います。

            しかし、個人が本能や宗教的価値観から離れ、個体の生存に最適な行動を取るようになってしまうと、国家の基盤が崩れます。それは、徐々に進んでいると思います。

            移民問題の本質はここにあります。
            移民は、移民先の社会を子孫と見なしません。だから、個人ではなく移民の集団が単位になりますが、その集団だけの生存に最適な行動を取るようになることがあります。
            その時、移民先の社会が子孫に使うための資産の先食いを始めます。食い尽くせば、また移民すればいいので。

            国民国家では、個人の単位では”まだ”そうなっていません。個人の生存に国家が不可欠だと信じられているので、個体の生存に最適な行動として国家の存続に沿う行動を取ります。
            ただし、地方自治はヤバくなると思います。移民問題と同じ理由です。

          5. mottonさんの、今日の11:19のコメントに
            同感です。
            そして、2つの方向へ、論理を拡張できると思いました。
            1、個人が、個人の生存に最適な行動を取るようになると、国家の基盤が崩れる→「国家」を「共同体」に拡張できますね。そして、少子化の原因も一つはこのメカニズムだと思います。
            2、移民は移民先の資産を食い尽くせば、また移民すればいい→中華文明の本質の一部が、これではないかと気付きました。中華の農民は「それまでの土地」で食えなくなると、中華圏の中で「次の食い尽くすべき土地」を求めて「流民」となります。つまり「定住農耕民」なのに「土地を食い尽くして、次に向かう構造」を含んでいる。
            目先の利しか見ない文化バイアスは、この構造に由来しているのではないか、と。

          6. 以前、民主主義の屋台骨がグラついているのではないかと感じている、と書いたことがあります。

            歴史という物語を共有する集団が国家だとして、移民とは物語を共有しない構成員ということになるでしょうか。
            程度を超えて移民を受け入れれば、集団としての結束は失われますね。

            私は 4/12 のイギリスの EU 離脱を楽しみにしていたのですが、延期されてしまいました。
            EU というのは、とても無責任な組織であると思っています。
            無責任なくせに締め付けは厳しい。
            EU の恩恵を受けているのはグローバル企業だけで、今の欧州各国はまるで EU の植民地のようです。
            イギリスには、是非国家主権を取り戻して欲しいと思っています。

            >>移民は移民先の資産を食い尽くせば、また移民すればいい

            これは、アメリカもそうですね。
            移民である彼らは土地を大切にしなかった。
            先住民から土地を奪い、奪い、西へ西へと向かった。

            私は今の世界の在り方は基本、アメリカのそういうやり方に倣ってしまっているのだと考えています。
            それだけの力と勢いがあったのですから、仕方のないことだったと思います。

            でも抵抗は始まっているんじゃないですか?
            そのやり方では立ち行かなくなって来ているし、そう感じている人も多いでしょう。
            私は注射星人さんと違って、未来に楽観的です。
            未来はディストピアにはならない。
            ヒトは最適な未来を選べる。
            と感じています。
            根拠はないし、未来はまだ見えませんが。

          7. なぜか、ここで色々話しているうちに、楽観的になっていました。
            以前はとても不安でした。
            なぜでしょうね?
            溜まっていたもやもやがスッキリして来たのかもしれません。

          8. アメリカについてもう少し。
            彼らは、強欲な移民であった過去を、ピルグリムファーザーズの神話で糊塗しているのだと思います。
            それを剥がせたら変われるでしょうね。
            等身大の自分自身を認め、許せるか?
            はとても大きな転換点と思います。

            韓国にも程度の差こそあれ、同じことが言えると思います。

            アメリカで今、「こんまり」こと近藤麻理恵さんの片付け術が流行っているそうなのです。
            彼らもとうとう片付け始めたのか。と、なんだか感慨深いものがあります。
            既に移民ではなくなったという事でしょうね。
            有限の資源をいかに大切にできるかが、今後を決めるのかもしれません。

          9. アメリカは遠征十字軍でしょう。

            アメリカという制度が維持できているのはキリスト教が国教のように作用しているからだろうと思ってます。最後の審判の日にキリストが蘇って神の国へ行ける資格のある人間とロストする人間を選別するという約束が道徳のように作用している。
            新約聖書というイエスが聖書を基盤に説いた論語が旧約聖書に上手く社会性を与えた。

            大日本帝国が人柱となってやっと欧米の荒ぶりが制止されて静まり、現在は原水爆を監視し合う事で戦争を封印している状態。
            動きを封印されたからアメリカは気持ちを落ち着けて内観に眼を向けられるようになったのでしょう。

            一神教の国は他の神が自分に並ぶ事を許さないですよ。
            自作自演で合法的に立ち回ってずる賢く覇権を取ってきた国。

            韓国は破壊された言論空間を取り戻さなければ人間社会になれる希望はないだろうと思ってます。

            話し言葉と言論空間は別の世界だと思うのです。
            言論空間は意味を絡ませ合う世界。
            実は活字の世界がそのまま言論空間ではなかろうかと思います。

            日本語だと漢字だけが意味を持つブロックであり、平仮名片仮名は接続詞であったり装飾でしかないだろうと思う。
            ハングルは接続詞と意味の塊である漢字を音として扱っているだけ。
            言論空間が存在しないと考えられます。
            先ずはそこからでしょうね。

          10. シンシアリーさんは日本に来から韓国に向けてブログ活動を行う気満々でしたのに頓挫したのは、ハングルには言論空間が存在しないと気が付いたからではないでしょうか。

            言論空間が成立しないと機械文明の中では何も身動きが取れませんよ。
            何かを教えるという行為も言論なのですから右から左へ暗記することしか成立しない。

          11. 注射星人さん

            >>アメリカという制度が維持できているのはキリスト教が国教のように作用しているからだろうと思ってます。

            キリスト教抜きのアメリカはあり得ませんか?

            私はそろそろキリスト教の神には、退場していただきたいと思っています。
            もちろん、小さなコミュニティで細々と信仰される分には問題ありませんが、
            アメリカのような影響力の大きな国の国教であってもらっては困ります。

            ただ、キリスト教に代われる「何か」は、「まだ」無い。

            キリスト教の力が衰えたその空隙に、市場全体経済主義やら唯物論やらが入り込んでいるのではないかと考えています。
            だからキリスト教には、もう少し頑張っていてもらわなければならないと困ります。
            勝手な言い分ですが。

            私は、元信者として、キリスト教はもう限界だと感じています。
            かの神は、この先の人々の導き手にはなり得ません。
            新しい「何か」が必要です。

            しかしその新しい「何か」は、気がついてみれば当たり前の、全く新しくもなんともない「何か」なのではないでしょうか?
            まだ見えません。

          12. 注射星人さんへ
            確かに、「言論空間」は韓国では成立しそうにないですね。

            「言論空間」が成立するためには、
            1、他人が意見を述べる事を許容する。
            2、その「他人の意見の意味」を「理解する」。
            3、その意見が「自分の意見」と違う事を許容する。
            4、異なる意見の「どこが異なるか」「どこが共通するか」を理解する。
            5、4を「共有」する。
            6、意見の相違を「人格の否定」に結び付けない。
            7、1から6までを「規範・構造」として共有し、従う。

            このような要素が必要ですが、韓国にはいずれも「無さそう」です。
            日本人も「弁論」や「討論」の伝統が希薄なので、けっこう怪しいのですが。
            それ以上に「朱子学的思考法」が身に付いている特亜の人々にとっては「自分の考える正しい意見以外のものが存在する事自体」を許容するのが困難か、と。
            「自分の考える…」と言っても、たいていの場合「権威からの受け売り」ですけど。

          13. 韓国に「言論空間」があったなら、「シンシアリー」は存在しない。
            韓国に言論空間が無いから、シンシアリーという存在が生まれた。

            ウリとナムが共存できれば、言論空間が生まれるし、その時、韓国は国家になれると思います。

          14. 説明する為に整理し直したので理解が怪しいのですが
            日本語の構成は形容詞や接続詞、動詞、助動詞は平仮名。名詞は漢字で表現されますよね。

            つまりは漢字は概念や存在の意味を現した塊なんですよね。平仮名片仮名は観察者と対象の関係性を定義する補助の為の紐のようなもの。
            漢字を捨てると観察者と対象の関係性が音の印象だけになってしまう。
            すると観察者にとって対象の情報量が薄く軽くなって印象が音だけになってしまう。

            音だけの言論空間では対象の扱い方で印象が限定されてしまう。
            音は社会の上部構造であって、意味という下部構造の上に成り立つものであると解釈出来ると思うので。

            何を前に出して、何を後に出して、何を大きく扱うかの対象の扱い方で定義が決定的に印象付けられてしまう。
            それを復す為の教養なんですけど、その教養の深度をほぼ決定してしまうのが文字の存在でしょう。
            その文字から漢字を消した為にハングルでは言論空間が不成立になっていると感じるのです。
            アルファベット空間では接頭辞、接尾辞、接中辞の組み合わせで名詞が多様な変化を遂げる。しかも欧米は社会構造が宗教観と一体化している。朝鮮とは社会構造が違う。

            ハングルの言論空間では対象についての定義が思考よりも先に意味付けられてしまう。
            ハングル空間では文字は楽譜であって言葉は音なんですね。
            言葉の意味が物凄く希薄なんですよ。
            思うにプログラミング言語で言えばベーシックのようなもので平易ではあっても応用が利かない。

            言論空間がグルーミングである会話空間以前に根本的に破壊されてしまっていると思うのです。それを取り戻さないと国ではなく猿山か人間牧場のようなものでしかない。

          15. 注射星人さんの仰る
            「ハングルの言論空間」というのは、純粋に言語的な問題、書き言葉の言論空間のことなのですね。

            それだと、韓国語の読み書きができない、私は門外漢なのですが、思うところを少し。

            ハングルは単純に歴史が浅いのではないか、と思います。
            千年以上をかけて練りあげられてきた、漢字やアルファベット等の文字に比べたら、ついこの間できたと言っても過言ではない文字ですよね。
            問題は、それを世界一偉大な文字であると祭り上げてしまっている人達が「ハングル学会」として権威を持ってしまっていることです。
            偉大な文字では、不備があっても使い勝手のいいように手直ししていくことが出来ません。

            あとは、
            初めから表音記号として始まったアルファベットと、表意記号である漢字では、成り立ちが全く違うということ。
            その表意記号である漢字の音だけを残してしまって「意味」を落としてしまうのは、愚かとしか言いようのない行為だとは思います。
            漢字の音など、それこそ夫々の地方の方言だったに過ぎないのですから。

            先程「門外漢」と書きましたが、女の私は、やはり男を意味する「漢」という文字に抵抗を覚えました。
            どこで読んだか覚えがないのですが、日本人は「漢字」というものを「アイコン」として使っているそうです。
            非常口のマークや温泉マークと同じだというのです。
            なるほど、ですよね。
            漢字は、目で見た瞬間に意味を捉えてしまいます。

            そういう日本語という言語空間に暮らしている私には、ハングルの言語空間がどんな感じか、ちょっと想像がつきません。
            日系人の名前、「コレマツ」とか「ミリキタニ」とかを見た時、漢字に変換できなくてもどかしく思ったことで、こんな感じなのかな? と思ったことはあります。
            ちなみに「是松」さん「三力谷」さんでした。

          16. cieさん
            投稿時間がダブってしまいました。

            確かに外から想像することしかできませんが、いちいち「何だこれ?」という印象を与えてくるんですよ韓国は。

            残していった痕跡から韓国とは何なのかを考察する事しか出来ない。どうしてこんなに馬鹿なの?それも演技なの?狙いは思いもよらないところにあるのか?
            それを理解出来なければ韓国とは交流出来ない。
            それは歴史とユーラシア大陸という地域性と文化から考察する以外にはない。

            自分は漢字を捨てた地点にヒトならざる者へ変化した切っ掛けが隠されているに違いないと想像しています。
            韓国をどうにかする事は出来ない。
            我々が対策するしかないのですから。

            言葉はビデオゲームのスプライトやポリゴンと同じで一定レベルを越えると全体のステージが変化する特性があるのではないかと考えています。
            気温が0度を下回ると水が氷になり100度で気体になるように。

            直感的には幼児は音で話し、少年は平仮名と音を併用して話し、大人は無意識にはカナ漢字を音に出力して話していると感じています。
            朝鮮人はみな音とハングルの併用のみで話しているはず。
            するとポリゴン数やマシンスペックが少ないと影やシェーディングが作れないように見てている世界がカクカクになって単純化されているはず。

            みずきさんもそんな印象を時々ブログに綴ってますよね。

          17. そうか、言論空間へ至るだけの言語のスペックを破壊されたからグルーミングである会話空間が言論空間に成り代わりゴシップが文化の中心に腰を据えたのかもしれない。
            言葉の起源はゴシップを介在したコミニケーションだという説が根強いですからね。

          18. 言語学者のエッセイで読んだ記憶があるのですが、
            欧米の人々も「アルファベットのかたまり」を「アイコンとして」捉えるそうです。
            それは「言語表現の蓄積」によるものでしょう。
            従って「ハングルだけの表記法」がまだ「言語表現の蓄積が浅い」から、というのは、「韓国における言論空間の言語構造に由来する不成立性」についての有力な仮説になり得ると思います。

          19. cieさん
            >移民である彼らは土地を大切にしなかった。

            これは違うと思います。
            アメリカ人は正しく「開拓」しています。開拓したら、一部が未開拓の西部に向かい西海岸に辿り着いて、さらに太平洋を目指した。いわゆる「マニフェスト・デスティニー」。

            アメリカのこうした人々と日本人は上手くやっていけます。大丈夫。日本の明治の北海道開拓や朝鮮満州への進出、大東亜共栄圏と同じ感性なのです。
            強欲ではあっても寄生ではなく無責任ではない。そういう自立した人々となら共存のための落とし所が見つけられます。

          20. mottonさん

            本当にそうなのでしょうか?

            アメリカ人の綿花栽培は土地からの収奪でした。
            とても持続可能なものではありません。

            そして、
            白人達は、インディアンから土地を奪うためにバッファローを虐殺し尽くしました。
            当時、大陸横断鉄道建設中の彼らは、線路上を縦横無尽に走り回るバッファローに手を焼いていました。
            丁度、皮革の需要が伸びていたことも相まって殺しまくりました。
            バッファローと共に生きていたインディアン達は、バッファローがいなくなったことで気力をなくし、白人に屈しました。

            「父は空 母は大地
             インディアンからの手紙
             FATHER SKY, MOTHER EARTH」
            ttps://blog.goo.ne.jp/musicmemo/e/507709c9d261c8e0a4a0c53cf5368dda

            私は、アメリカに入植した白人達が、土地を大切にして来たとは、とても思えません。
            インディアンの「土地」からも、黒人奴隷という「人」からも収奪しまくったのがアメリカ人であると思っています。
            彼らは痩せた土地を、実りある農地に変える努力はしませんでした。
            そして、それをした日系移民からも土地を奪いました。
            日系移民が努力の末に豊かにした土地をです。

            今、やっと、彼らは移民ではなくなったのだと、私は見ています。
            今までの彼らは、アメリカ大陸というパワーある大地の力を傘に着た掠奪者であったように思えます。

            ようやく、彼らと共存可能になったのではないかと思えます。
            そのためにキリスト教に、退いていただきたいのです。

          21. 先住のインディアン、移民である白人、奴隷として連れて来られた黒人、アジア人やヒスパニックも含めて、痛みを伴いながら、やっとアメリカ人になってきたのではないでしょうか。
            それは、彼らが彼ら自身の歴史を紡いできたということだと思います。

          22. 米国は元々おっしゃってるようにメイフラワー号のカルヴァン主義者=自己責任の資本主義(いわゆるプロ倫の資本主義)だからmottonさんがいうように基本的には「うまく」やっていけると思いますよ
            ただ、今やその後のラテン系移民の方が多くカトリックが主流派ですし、最近のニュースだと無神論者となんらかの宗教を信じてる人の主流派とほぼ同じらしいです
            ので、今後もうまくいくかは神のみぞ知るって感じではないかと思いますが
            (見落としがあるかもしれないので、ずれてたらごめんなさい)

          23. 言論が議論ではなく声闘でしかない「言論空間」の問題は李朝からありますから、ハングルと直接は関係ないかと。

            目的の違いですかね。全体としての絶対的利益を求める議論と、他者に対する相対的利益を求める声闘。(朱子学的思考だと、宋のように皇帝が正しい独裁者として全体としての絶対的利益を求める議論をあえてさせないと、皇帝の意見との合致のみを目的とする声闘になってしまいます。)

            それとは別に、ハングルの歴史が浅いことによる問題があるのはその通りでしょう。一般市民の教養の問題もあるでしょう。

          24. EUはドイツを縛り付ける為の枷という側面があったと認識してるんですが…どうなんでしょう
            EUを揶揄して第四帝国という人もいますが、多国間企業以外には為替制度の関係でドイツが一人勝ち(に近い)状態になっています(そのドイツも多くの問題を抱えていますが:軍や移民)

            トッドがEUについて嘆いてたコラム読んだことありますが、仏は仏でユーロをドルに代わるハードカレンシーにしてあわよくばその主導権を握ろうとしてたのは他のこと(例えばフセイン)みると明らかですが

            (まぁもっと観念的なことについて話してるのであれば、この話は的外れになってしまいますが)

  4. 五段は四段より強い!
    七誌さんの一連のレスを拝見させていただくと、
    「あまりきちんとした知識を持っていない人」が、
    「何か口出しして存在感を示そうとした場合」に見られる「頓珍漢さ」が、見て取れます。
    誤断ですね。
    余談より強いはずだ。

    1、「オアシスや遊牧では、穀物の備蓄が生まれず、そこから発生する『兵士と支配者』が生まれない」
    2、「1により、オアシスや遊牧は文明になり得ない」
    3、「最初の文明は『流通業』である」
    4、「遊牧民は、文明ではあれど、近代文明にはなり得ない」
    5、「遊牧民が文明化すると、砂漠化して滅ぶ」
    6、「遊牧民を侵略しても、やせた草地が得られるだけ」
    7、「古代アジアの文明的優越は、稲作の優秀性による」
    8、「文化が普遍性を獲得して文明に昇華する、が正しい」

    こうして、抜き出してみると、
    まず、自分の意見同士の整合性が無いですね。
    あと、いろいろな定義が可能だが、という話に割り込んで「これが正しい」と言い張る。
    その割に、自分で何か用語を使う時の定義はあいまい。
    前提と結論の因果関係に飛躍が有り過ぎる。
    「正しいところ」が、部分的に混じっている。
    などなど、「誤った議論のスタイルの見本市」みたいです。

    1. 何故文明が生まれるかと言えば、それは備蓄の必要性からなんですよ。

      王がうまれるのは、穀物が備蓄できるからなのです。
      最初の集団では、全員が自分で自分の食料を調達しなければならない。これは動物もすべて一緒。

      しかし、穀物が備蓄できるようになれば、その備蓄を蓄えておく倉庫と、泥棒や略奪からそれを守る兵士、運搬を行う荷車が必要になる。これで人と動物がわかれ、文明が生まれるわけです。

      こうして柵と濠を巡らし。洪水やネズミから穀物を守る高床式の倉庫が必要となる、古代村落の誕生だね。
      こうして、働かずに食える兵士と、兵士を指揮する王という階級が生まれるわけですよ。これが国の始まり。
      人が自ら働かずに食え、働かずに食える階級が生まれることによって、芸術や学問、技術や文化が発展し、人類は進歩していくわけです。

      近代まで日本でも、石高が国の源泉であり、侍の給与は石高だったのです。

      1. 貴殿の意見の整合性の無さ、を指摘しているのであって、
        「古代文明発祥の一般的構造」の説明が間違っている、と言ってるんじゃないんです。

        まあ、それが理解できれば「七誌であること」を止めなければならないわけで、それが不可能なのは分かります。

        お大事に。

        1. ほうっ、これは驚きました。
          「猫、桜、電車」の世界かもしれません。

          トロイヤさんのコメントの最初の段落を読み理解します。そして、一時的にそれを記憶します。

          次の箇条書きを読みます。
          さきほどの記憶場所を参照して、これは七誌語録だと
          理解します。

          ところが、

          七誌さんは、最初の段落を記憶した脳の住所をを忘れて参照できません。
          次の箇条書きと最初の段落の関連性がバッサリ抜け落ちてしまいました。
          だから、箇条書きは七誌語録と理解できません。
          当然、結論の部分も理解できません。

          これは何度読み直しても同じことです。
          読解力以前の問題だと推測できます。

          ご愁傷さま。

    2. 用語の解釈が恣意的すぎるのです。

      百歩譲って…
      雑談の場において、相手への理解を示す方向で恣意的に語意を拡大するなら会話も成立するでしょうが、反論の為だけに恣意的な解釈を使うのは、ただの天邪鬼です。
      過去からのやりとりを見るに天邪鬼にも自覚があるようで、これは一つの「商法」または「詐欺」のようなものだと感じます。

      会話を追って整理ができる人なら、とろいやさんの仰ることは理解できるでしょうが、被害者になるのは会話を追って文脈を理解していない人や、単一コメントごとにしか評価をしない人は藁人形の攻撃者になってしまいがちです。

    3. 「コラージュの裏返し」ですね。

      コラージュ=「意味の無い『断片』を、たくさん集めて組み合わせ『意味の感じられる画像』にする技法」
      とすると、
      「意味のある正しい断片と、意味の無い断片と、間違っている断片を、たくさん集めて組み合わせ、意味不明にする技法」が成立しています。
      素晴らしい力技です。

      1. 丸2日ばかり見に来ない間に、色々面白い話しで賑わってますね。w

        七誌さんのご意見って、
        >>4月12日の 朝鮮日報の「臨時政府100周年」社説

        のとろいやさんのコメントの、実に始末の悪い『ウソ』そのものなんですよね。

        「部分的に正しい」とか、
        「大雑把に見ていれば、気が付かない」レベルのウソ とか、
        コメント読みながら、七誌さんのことかな? って思いました。

        つまり「韓国脳」。
        サンプルというか、参考にはなります。

    4. >>「あまりきちんとした知識を持っていない人」が、
      「何か口出しして存在感を示そうとした場合」に見られる「頓珍漢さ」が、見て取れます。
      上記だけ抜き出してみて、これが七誌さんだとすると、俺って七誌さんによく似ているなと思いました。

  5. 週末に、何冊か関連書籍を読み、自分の「素人なりの仮説」が、近似的には成り立つ、という心証を得ました。
    それから、遊牧民が「なぜ、略奪に来るのか」についても、知見を得ました。

    1、仮説「最初の農耕は、オアシスで始まった」:これは考古学的に充分な合理性を持つようです。
    2、仮説「遊牧文明」は「遊牧民」と「定着農耕民」と「交易民」のハイブリッドである:これも、遊牧帝国の構造を読解して「そうである」と納得できました。
    3、「遊牧民が、中華圏に侵入して来る理由の一つ」は「農耕奴隷」として「定住農耕民」を略取するため:これは、言われてみれば、なるほどです。農奴なのか奴隷なのかは不明。

    なぜ、この前から1「オアシス農耕」の話をしているか、というと、2が成り立つためには、遊牧民の生活とオアシス農耕民の生活が、密接に関連していなければならないからです。
    その構造が応用され、遊牧圏の中に「定着農耕」が取り入れられて始めて「遊牧民が主導権を持つ地域」に「文明=統治構造」が成立するのだろうと思ったのです。
    それが東アジアで出来たのが「匈奴」の時代、と思われます。
    そうなって始めて「農耕文明地域」と「遊牧文明地域」との「国力比較」ができるわけです。

    モンゴル高原北部の遺跡には、定住集落であり、そこで「農耕」や「工芸」などに従事する者、が居住していた跡が有る、という事です。シベリア南部の「青銅器文化」との関連は、あるのかどうか分かりませんが、有りと想定した方が。
    モンゴル高原南部のオルドス地方や河西回廊は、歴史を通じてそういう社会構造ですが、中華圏と接する地域ですから、「遊牧圏」としてそうであるのかどうか、はよく分からなかったのです。
    モンゴル高原北部なら、中華圏との関連は薄いでしょう。

    つまり「遊牧圏内部」の「遊牧に特化した地域」の周囲の「農耕適地」に、定住農耕民が住み着き(または住み着かされ)遊牧民の支配下に入っている、という構造のことです。

    余談:
    これは、発生的には逆かも知れません。
    農耕適地の半農・半牧地帯の外側の「農耕不適地」である草原に進出するために開発された技術が「遊牧」だった。学説はいろいろらしいですが、こっちの方が有りそうに感じます。

    楊先生の著書にある「遊牧民の文明」の工芸的側面、それと遊牧民の生活における酪製品以外の食料の供給について考えていて、漠然と感じていた構造に、「まあ、方向性としてはそこそこ正しい」程度ではありますが、考古学的な裏付けもあったという事で、とりあえず、素人らしく「ドヤ顔」しておきます。

    1. もともと、人間の最初は狩猟採取文化だった。これは古代氷河期の狩りの痕跡からも明らかであり、農耕から遊牧が起こったという説は、遺跡を知らない馬鹿の戯言にすぎないね。

      1. 1、「狩猟・採集」の段階から、何らかの原因で、

        2、「農耕・牧畜」が発生。
        ※環境次第で、農耕が優勢か牧畜が優勢か分かれる。半農・半牧も多かっただろう。

        さらに進んで
        3、➀大規模灌漑農耕
          ➁遊牧
        が発生した、という説の事を言ってるんです。

        農耕→遊牧なんて言ってないけど。
        牧畜→遊牧、ですよ。
        ※遊牧→牧畜、という説も有ります。

        1. 牧畜というのは、農耕と非常に相性が悪い。
          家畜はまず最初に美味しい米や麦を食害するからね。

          中華北方での農耕民と牧畜民の対立も常にそうだし、日本では近代までついに牧畜で畜産物を活用するという考えが、鶏までしかなかった。牛は労働力扱いだったからね。

          ヨーロッパでも、都市の残飯や森林をを利用した豚が中心で、家畜に麦やトウモロコシを食わせる畜産物なんてのは、近代も近代、20世紀に入ってからの話ですな。馬鹿は歴史を知らない。

          1. 脊椎反射で、変なレスを付けるのは止めてね。

            ある部族が「農耕」と「牧畜」を併用するのと、
            「牧畜民」と「農耕民」の利害が対立するのは、
            全然、別の話。

            半農・半牧というのは、ある部族(村でも可)のうち、
            「畑を耕すのが主な仕事の人」と「草むらに羊を連れて行って見張るのが仕事の人」がいる。
            という意味で、前近代でも、世界のいろいろなところで普通に行われていたことです。

            家畜が畑の麦を喰わない様に見張ることぐらいは、あなた以外の人なら、だれでも考えつきます。

          2. 余談
            私が参照して「なるほど」と思ったのは、講談社学術文庫興亡の世界史シリーズの「人類文明の黎明と暮れ方」東大名誉教授・青柳正規著、です。
            この中で、かなり詳しく、パレスチナの「ナトゥーフ遺跡」や「イェリコ」の事に触れられ、初期農業が「農耕」と「牧畜」の複合型として、その辺りで始まった、と解説されています。
            つまり、七誌さんが「馬鹿は歴史を知らない」と罵っている相手は、青柳教授ですね(笑)

          3. ナトゥーフ文化(紀元前12,500年~9,500年頃)の最末期に、原始的農耕と家畜の飼養が始まったのではないか、というのが有力説だそうです。
            ナトゥーフでは「イヌ」が最初だった、との事。
            野生のヤギやヒツジの囲い込みから、家畜化に至る過程は、その後なのか同時期なのかは、難しい問題のようです。

            イェリコ周辺は、水に恵まれていたため、その後「最初の都市」といってよいほどの規模の集落に成長した、と。

        2. 中米の文明はまた違うような気がします。
          モデルとしては、複数の文明が影響しあって複雑なユーラシアより中米の文明の方が適当かなと。

          あと、幾つか語られていないことを挙げてみます。
          1. 穀物や家畜の野性種から栽培種への品種改良
           人口増加の決定的な要素です。成功した場所が文明の発生地でしょう。縄文人は栗を管理して栽培していたっぽい。
           しかし、野性種がなければどうしようもありません。
          2. 塩
           日本だと長野あたりだけの問題ですが、大陸では産出地が限られます。塩の交易を抑えれば農民をも支配できます。元王朝は塩の専売が歳入の大半だったとか。
          3. 気候変動への耐性
           基本的に遊牧民の方が脆弱です。遊牧民族の興亡は気候変動が原因だとも言われます。
          4. 海上交易
           地中海文明など。太平洋方面でも古代の海上交易は想像以上に広範囲です。

          1. 1,3は、文明の発祥を解説する書物では、よくテーマになってますね。
            中東の「肥沃な三日月地帯」に「栽培化可能な野生種」が他の地域と比べて非常に多かった、というのは、事実のようです。ゆえに、あそこら辺から「農耕」が興った。
            3も遊牧民の移動の原因として、触れられる事が多いですね。

            2と4は、文明の発祥、というより「伝播」の要素として重要です。塩が「遊牧民の帝国の国力の源泉」という時期もあったようです。西夏なんかは、そうらしい。
            今後、話が「文明論全般」に広がっていけば、そういう話も楽しみましょう。

          2. 中米の文明は、混じりけが少ないので、文明の発祥を論じるには分かりやすいかも、です。

            南米と中米と北米は、影響し合ってたらしいです。
            まあ、ユーラシアのごった煮に比べれば、シンプルな料理ですね。

          3. 中南米はミッシングリンクが多すぎます。
            スペイン人、キリスト教徒の文化破壊が惜しまれます。

    2. 残念なお知らせ
      せっかく、自分で考えた「仮説」が「素人にしてはまあまあ」なものだったと、ホルホルしてたのに、
      ふとWikipediaを見たら、「遊牧民」の項目が有って、私が考えついたのと同じような説が、もっときちんと載ってました。

      ちぇっ、Wikipediaに負けたか。
      ちょっと、残念。

    3. >とろいや さん

       ほぼ、全般に渡って同意できます。

       議論の方向性から見て、「遊牧文明」というのを、どういう風に捉えるのかという点を、明確にしておいた方が良いと思いますよ。
       私の見方では、
      1 主に遊牧により生活している者が多い。(※ そうでないと、農耕文明になってしまう。)
      2 遊牧民が、騎馬と弓を使って、軍団を組織している。
      3 この軍団を統括する者(王・ハーンなど)がいる。

    4. とろいやさんの説を読みながら、モンゴル共和国 ( ソ連圏 ) と内モンゴル自治区 ( 中華圏 ) に分かれたのは、偶然ばかりではないのかな? って思いました。
      歴史的に接していた文化圏が、南北で異なるのでしょうね。

      私は「遊牧」は、
      半農・半牧地帯から偶発的に起こったのではないかと考えています。
      楊先生の著書に、
      朝起きたら動物たちが既に移動してしまっていた。
      という箇所がありました。
      もしかしたら、そんなことがきっかけだったのではないか、と思うのです。
      動物に合わせて人が移動したのが、「遊牧」の始まりだったのではないのかな?

  6. 「文明」の定義をめぐって、話が混乱していますので、整理しましょう。

    ここでは「遊牧民の生活システム」を「文明」とみなす、というお約束にしておかないと、議論が成立しません。
    cieさんが回答してくれたのを応用させていただいて
    「ある生活システムによって、人が生存圏を充実・拡張できるようになる場合、その生活システムを『文明』と呼ぶ」ことにしましょう。
    ただし、そのままだと「火の使用」も「文明」なので、どこかで区切りをつける必要があります。
    例えば「狩猟・採集のみ」にとどまる場合、またそれ以前は、「文明」とは言いにくいですね。
    従って「牧畜・農耕以後」としましょう。
    もちろん「近代文明」や「高度の文明」に限定されません。

    あと、それが「多くの人に受容されることが可能」という司馬先生の定義を加味したいと思います。
    で、司馬先生の定義によれば「文化」とは「スタイル、つまり好みの傾向」であり、「文明」とは「システム、つまり『どうやるのか』を理解すれば、誰でも利用できるもの」です。
    突き詰めると曖昧な所は残るのですが…。
    「家畜を飼う」は「文明」であり、「その家畜をどのように食うのを好むか(肉か乳か)」が「文化」である、というと説明になってるでしょうか。

    「文化」が「普遍性」を獲得して「文明」に「昇華」する、というのが迦具さんの用法だと思います、そちらの方が語句の用法として一般的かとも思いますが、私が振ったテーマなので、ここでは上記のようなことでお願いします。

      1. ハキリアリ文明に敬意を表することにやぶさかでは有りませんが、
        「人が」て、言うとりますがな。

        は!
        とすると「人でなし」は、文明を持てないことに…それはまあ、それでいいか。

      2. ハキリアリの農園運営システムを、例えばアルゼンチンアリ等別のアリが、採用できるなら文明と言えるかもしれません。
        他の新参の集団が、
        その社会システムに参入できるかどうかも、ポイントだと思います。

        1. 「ニホンハタラキアリ」の文明を「シンシアリ」が、採用したわけですね。
          「チョウセンタカリアリ」の突然変異種です。

        2. ヒト科であるゴリラが採用できないものは、文明ではないということですね。
          ハキリアリは32種もいるそうです。人間の文明はホモサピエンス1種だけです。(しかも文明を採用できない野蛮人が隣にいます。)

          ちなみに、「科」などの分類レベルは人為的なものなので、哺乳類と昆虫類とでは直接比較できませんから、上記はナンセンスです。すみません。

          文明とは何でしょうね。社会とはと言ってもいいかもしれません。ハチ、アリ、シロアリなどに見られる「真社会性」は人間の社会とは似て非なるものですが、日本社会には真社会性が見える時があります(特に戦時中)。

          1. 霊長類の返しは来るかな? と予想はしていました。σ(^_^;)

            ホント、文明って何なんでしょうね。
            でも、
            ここを突き詰めようとしてしまうと、話しが進まないので、今はとろいやさんの定義に従いましょう。

      3.  ハキリアリの行動がDNAによるものなら、文明とは呼べません。
         もし仮にハキリアリが生後に教えられて行動しているなら、文化であり文明です。
         たぶん前者でしょう。

    1.  文明の定義は、ざっくり言うと、“高度に組織化された社会” だと思います。どこからが文明か、というのは微妙な問題ですが。“高度に組織化” される前は、文化ですよ。

      1. あ、分かりました。
        それでしたら、こういうのはどうでしょう?

        ここで、とろいやさんが比較してくださっているのは、
        「漢」と「匈奴」
        「宋」と「遼・金・西夏・モンゴル」
        です。

        「漢」「宋」は言わずもがなですが、「匈奴」「遼・金・モンゴル」は遊牧を基本としながらも、他のオアシス都市等を征服、統治しています。
        重商主義の政策を取って、広く交易を行なっていました。
        税も取っています。
        遊牧生活を超えて国となっているわけですから「高度に組織化されている。」と言ってよいのではないでしょうか?

        農耕から起こった文明と、遊牧から起こった文明の「から起こった」を省略して
        「農耕文明」「遊牧文明」
        ということでどうでしょう?

        1. >>オアシス都市等を征服、統治

           その場合に、その文明は、オアシス都市のシステムを特色とする文明なのか、遊牧民の文化を特色とする文明なのか、という問題になります。
           支那大陸を支配した元朝は、支那文明の上に乗っかったように、私には見えます。なので、私の中では、元朝は支那文明に入ります。

    2. とろいやさんの言ってることがそもそも正しくなくて、「文化」が「普遍性」を獲得して「文明」に「昇華」するが文明の定義として正しいわけですよ。

      どの民族にも、民族独自の文化は常にできる。

      一方で、それが文明へと昇華するためには、生産物、つまり穀物の蓄積が必要なわけです。日本でも近代以前まで、石高が国力の基準でした。

      穀物が備蓄できることによって、それを泥棒や侵略者から守る兵士が必要となり、専業の兵士と、そして支配者が生まれる。

      オアシスや遊牧では、これらが生まれないのですよね。だから文明の祖とはなりえないんです。

    3. 「文明とは何だろうか」は余談だったのですが、みなさん、食いつきがいいですね(笑)

      みなさんのご意見を見て気づきましたが、
      「文明」と「文化」を分けるものは「支配構造の成立」という事でよろしいか、と。

      ※いくつかの論点について
      私が余談として述べたのは「文明の淵源」または「文明の始原的形態」であって、「どのような成り立ちの文明が、高度に発展するのか」については、触れていません。
      その話題は、「文明が高度に進歩する」とは、どういう事か、それを充分に語り合ってからの事になります。

      楊海英さんの本の読後感を元ネタにしているので「遊牧は高度の文明を生み出せない」と言い切ってしまうと、話が終わってしまうのです。

      私は「遊牧圏が高度の文明を生み出した」という事については肯定的です、というか、そうであるという前提に立っています。
      ただし、あくまでも「遊牧圏」であって、その文明は「遊牧民」と「農耕民」と「交易民」の文化のハイブリッドによって成立したものではないか、と考えています。

      「オアシス農耕」を過少評価してはいけません。
      例えば、ダマスカスやサマルカンドは古代から大都市ですが、あれは「巨大なオアシス」なのです。
      余談、旧サマルカンドをモンゴル人が破壊してしまったのは、もったいなかったですね。

      1. 余談のそのまた余談
        今「気候文明史」(田家康著・日経ビジネス人文庫)という本を買い込んできて読んでるんですが、その内容を追いながら「文明の起源」を考えているのです。
        これは、文明の端緒としての文化の発生や進展、文明への進化、文明の動向などを考察するうえで、重要な論点を多々含んでいて、良い本ですね。

      2.  私の理解では、
         遊牧生活というスタイルは、文化です。
         遊牧民たちが軍団を組織したり王(ハーン)を戴いたりしたら文明です。そこには、ある種の分業がある。一般庶民と違う生活をしている役職者がいる。
         したがって、農耕生活というスタイル自体は文化です。灌漑・治水などの作業のために、分業化が起こったと考えてます。そこからが文明だと考えます。

        1. 「支配構造の成立」を「文化」と「文明」を分ける基準とする、という事で、意見が一致すると思います。

    4. 後ろで書き込んでますが、
      「支配構造の成立」を、文化と文明を分ける基準、に追加します。
      ただし、楊先生の著書の用法と異なる場合には、楊先生の用法が優先します。楊先生の本から話題のポイントが外れるまでは。

        1. はい、了解です。
          言葉の定義のすり合わせは、ちゃんとしておかないと話しが噛み合わなくなりますものね。

          「気候文明史」。
          あ、これすごく読みたい。
          文明の成り立ちに、「気候」って絶対大事ですよね。
          田舎者なので、またアマゾンさんにお世話になるか。

  7. 遊牧文明と中華文明の話の続きです。

    軍事力を比較すると、たいていの場合、遊牧圏の方が優勢です。これは議論の余地が有りません。
    ところが、その「軍事的優越」の中身を考察すれば、
    それは「戦略目的」の違いが大きいことが、容易に推測されます。
    遊牧民は「略奪する必要が生じたら、またはしたくなったら」中華圏に侵入して、防御の手薄い村落や小都市を襲います。
    中華民は、それを「防御」するだけであって、逆襲はほぼしません。
    軍事力の核心的要因「大軍の編成」「軍の練度」「補給態勢」いずれも、中華圏側に、大きな負担があるからです。

    これも、講談社学術文庫「秦漢帝国」の記事からですが、漢と匈奴の最盛期に「50万の大軍」のにらみ合い、という記録があるそうです。
    この、どちらも50万として、それぞれがどのぐらいの人口から「50万の兵士」を出せるか、試算してみましょう。
    匈奴は、200万の人口で充分足ります。
    成年男子は、全員が「練度の高い騎兵」だからです。
    女・子ども・年寄りだけでは「羊の世話」と「拠点の守備」が足りないとしても、遊牧民全体が団結していれば、留守番の兵士は少数で済むでしょう。なにしろ「中華民が遊牧圏に攻めて来ること」は想定しなくて済むのです。
    従って、だいたい、70万の成年男子がいれば、50万の大軍を出せるわけです。すると、総人口200万で足ります。
    「遊牧圏1」と「遊牧圏2」が統合されて、帝国が成立すれば、可能な数字でしょう。

    一方、中華圏が50万の大軍を編成するには、少なく見積もって、ざっと500万の成年男子が必要です。
    漢の徴兵制は、「兵役期間2年」が基本です。ですから18才から50才までの成年男子の内、20分の1から10分の1ぐらいが「兵役適齢期」にあるわけです。
    臨時徴兵があったとしても、あまり兵隊にとると、農村が疲弊してしまいますから、そこを無視して強行はできない。
    しかも「地方軍」もあります。
    中華圏は、中央政府だけではなく、常に地方政府も軍を保持していて、中央軍と地方軍がもろとも「国軍」として全員で遠征するわけではありません。
    ですから、50万の「国軍」がオルドス方面まで遠征するには、中華圏全体の兵数は、少なくともその数倍必要です。
    漢帝国全盛期の人口は、4,000万という説もあります。
    先に私が試算した「1300万」が、「全人口」ではなく「徴兵適齢者の人口」であれば、この構造と整合性がつきます。
    おまけに、この「中華圏の50万」は練度が落ちるのです。

    さらに「大軍の派遣」には付き物の「兵站」という大問題。
    これは、次回に。

    1. 以下、余談ながら
      中華文明の淵源が「黄河文明」であるのは疑いようのない事実ですが、では「黄河文明」とは、何だろうか、と考え始めると、きりが有りません。

      思いついた仮説の一つ
      「黄河文明は、オアシス農耕の拡張バージョンである」
      古代において(今もですが)の「農耕適地」は「オアシス」です。
      「黄河を治水する」のが「黄河文明の始原的形態」ではないのではないか、と気付きました。
      山西・河北・山東・河南・陝西では、黄河に流入する中小の支流添いに、古代からの都市が位置しています。そこは、乾燥地帯で水が湧いてるところという意味で「オアシスの一種」と言えます。
      ここで「最初の中華文明」が発生した。
      気候が変化して、また人口が増えて「黄河の氾濫原」を何とか利用しなければならなくなって、元々の「黄河界隈の諸文明」が「黄河文明」に変化したのではないか、と。

      とすると、オアシス農耕を背景にしている、という意味で「遊牧文明」と「中華文明」は、同心円上にあります。

      1. 堯瞬禹の禅譲が治水に関しての事柄に触れてるからそうだと思いますよ(尤も、宮城谷先生の受け売りになりますが

      2.  文明の初期段階は、灌漑農業だったと思っています。自然状態
        での農業が出来ないような厳しい条件の土地で、灌漑をすることによって農作物を作れるようにした。そのためには、川の水を管理し、灌漑により農地を作り出していく必要がある。人々の労力を結集し、成果の出る形へ方向付をしていく。人々に指示を出していく役職が必要になる。そうやって文明が生まれたと思っています。
         なので、オアシス地帯での農耕までは良いとして、遊牧民の文明が同心円上にあるというのには、同意しかねます。「遊牧民の文明」と呼んで良いのかどうかにも、疑念があります。遊牧民の文化というなら、何の問題もありませんが。

        1. 遊牧は、
          動物を家畜化して、その乳、肉、骨、毛、皮などを人の生活に役立てます。
          アニマルパワーを利用することによって成り立つ「社会システム」ですから、文明と言っていいと思います。

          農耕が植物を育てて、人の暮らしに役立てることによって成り立つ「社会システム」であるのと一緒です。

          1. 遊牧民というのは、文明ではあれど近代文明にはなりえないんですよ。

            遊牧民というのは、基本土地からの収奪でなりたっている。だからそのシステムは、土地が生やせる牧草の量までに限定されるし、それを超えると砂漠化して共倒れになる。
            遊牧民が文明化すると、砂漠化して滅ぶのです。
            いまのモンゴルを見てもそうでしょう。

            古代アジアの文明的優越は、稲作の優秀さによるのです。
            小麦は実はものすごく生産性の悪い植物で、日本の種により改良されるまでは、米の3分の1程度の生産性で、しかも土地がやせる上に冷害病害にも弱く、ヨーロッパではたびたび飢饉が起こりました。

          2. 今は近代文明の話しはしていませんが、一点ツッコミを入れておきます。

            >>遊牧民が文明化すると、砂漠化して滅ぶのです。

            これは、遊牧に適した土地で、農耕をしようとしたことによっての砂漠化です。
            文明化ではなく、農耕化しようとして失敗です。

            ついでに言うと、それをやったのは中国共産党です。
            モンゴル人ではありません。

          3.  最近、縄文文明と言い出してる人がいますね。(田中英道氏)
             私はどうも納得できない。縄文土器の製作や集落など、高度な文化になっていたかもしれませんが、文明ではなく文化じゃないかと思うんです。
             文明と呼ぶのは、古墳時代からじゃないかと思います。

        2. 「遊牧民の文明」も「農耕民の文明」も、淵源は「オアシス」に有るのではないだろうか、という仮説です。

          「オアシス」で「文明の始原的形態(農耕と牧畜)」が生まれて、環境の変化に対応するために、
          より乾燥した地域へ向かったものは「遊牧」へ。
          氾濫原の開墾に向かったものは「灌漑農耕」へ。

          前者は、生活必需品を求めるために「オアシス地帯」と密接な繋がりを維持し続けました。
          後者は、生産力が上がると、生活必需品を自給できるようになり、余剰まで生み出せるために、オアシス地帯との縁は、相対的に遠くなったと考えられます。

          また「もともと湿潤な地域での文明の発祥」は、また別のメカニズムによるのかどうか。
          東洋では、長江文明が、
          西洋では、ケルト文明が、
          果たして「乾燥地帯に成立した文明圏からの移住者」が開いたのか、独自に開花したのか、面白いテーマだと思います。

          インド文明は、「乾燥地帯で成立した文明からの移住者」が開いたものの可能性が高そうです。
          ガンジス文明(と普通は言わないけど)=アーリア系の移住
          これは確か。
          インダス文明→ドラビダ系の南遷→南インド文明の成立
          これがどうか。

          1. オアシスでは文明はできても、近代文明とはなり得ない。
            最初の文明は流通業です。

            大河の辺りの過剰な生産力が、穀類の蓄積と輸送の必要性をもたらした。これが倉庫と車両、そして貨幣の必要性を生んで、4大文明を生み出したのですよ。

            オアシスでは、自給自足までの生産力しか産まない為に、それ以上の文明の発展は無いのです。

          2.  私が昔に勉強した知識によると、(中尾佐助氏の説)

            ○メソポタミア「地中海農耕文化」
             大麦、エンドウ、ビート、小麦。ヤギ、ヒツジ、ウシが飼われていた。
             最も古いのはパレスチナ地方のイエリコ遺跡で、ここからメソポタミアへ伝わり、メソポタミアから世界に広がった。
            → エーゲ海地方、北アフリカ、イタリア、西ヨーロッパ
            → ユーラシア大陸のステップ地帯
            → チベット・ルートとシベリア・ルートにより中国へ
            → イラン高原を経てインドに

            ○東南アジア「根栽農耕文化」
             サトウキビ、タロイモ、ヤムイモ、バナナ

            ○メソアメリカ「新大陸農耕文化」
             ジャガイモ、菜豆、カボチャ、トウモロコシ

            ○西アフリカ「サバンナ農耕文化」
             ササゲ、シコクビエ、ヒョウタン、ゴマ
             西アフリカから、東アフリカ、インド、中国、日本、東南アジアに伝わり、独自に発展するとともに、相互に影響しあった。
             稲作はこちらの系統らしい。イネを含む雑穀に、豆類もある。いずれも夏作物という点が共通している。

        3. 追伸
          「黄河の治水」に先立って、
          「黄河の支流である、またはその近辺の小河川の治水」が確立して「華北文明の始原的形態」を形成したのではないか、ということです。
          つまり「黄河文明」ではなく「黄河周辺文明」です。
          (もしかしたら「遼河文明」と縁戚関係にあるかも、というのは飛躍し過ぎですかね)

          仮説1、
          先史時代の温暖期に「狩猟・採集」で充分に食えていた、この地域の人々が、原始的農耕+牧畜を開始し、それが気候の寒冷化に伴って、狩猟・採集の条件が悪くなり、農耕拡大を図って適地を求めた結果、オアシスに近い条件である「小河川のほとり」で「ごく小規模な灌漑農耕」を始めた。
          つまり、中東の三日月地帯と同様のことが、華北で起きた。

          仮説2、「河西回廊」などを通って、陝西・山西あたりにたどり着いた中央アジアの「オアシス民」(気候の変化によって、オアシスが涸れて、新しいオアシスを求めて移住した)が、オアシス農耕の技術を応用した。

          1. 大河が定期的に氾濫することで土壌が更新され連作障害や塩害も抑制されます。これが、大河の側で文明が発達した大きな要因ではないかと思います。
            (水田はそれを人工的に計画して行っているので非常に生産性が高い。)

            あと、現在まで残っている遺跡は洪水で流されないような場所にあるから残っている可能性があって、古代の人間の分布と(発見されている)遺跡の分布は違っているかもしれないと思っています。

    2. もう一つ余談
      「どれだけの人口が、どれだけの兵を出せるか」を考えていると、
      「三国時代の人口500万人説」は「兵役適齢期の成年男子の数」ではなかったのかな、と。
      そうじゃないと「赤壁」とか「官渡」とか、10万人(100万とか言ってるけど話を膨らませてるだろうから、10分の1で)を超える大軍による「大会戦」が何度も起こったのを、説明できません。
      魏の総人口が、300万だとすれば、兵役適齢者は多くても100万。
      そこから「農村が破綻しない程度に」徴兵して、さらに辺境の防備にも主要都市の防備にも必要ですから、徴兵した者を全部前線には送れない。とすると、10万の大軍を赤壁に送るには、100万の兵役適齢者では足りないと思います。
      人口100万の呉が、魏の大軍を迎え撃つために、5万人の軍を編成するのは、さらに無理そう。

      1. 中国の史書では当たり前のように、数を膨らませてるだろう、と思う訳ですが、積み上げた数字じゃないからなんですよね。

        一人で指揮できるのは頑張っても100人程度(ローマの百人隊、現在の中隊)なので、10万の軍なら 1000人の指揮官(とピラミッド型のに編制の応じた数百の上級指揮官)が必要です。兵の数は有事に増やせますが、指揮官は増やせません。指揮官の数と軍の編制から積み上げれば(最大)兵力は決まってくるのですが。

        まあ、中国史の負け戦での軍の崩壊っぷりを見るに、上級指揮官だけなのかもしれませんが。

      2. >>「三国時代の人口500万人説」は「兵役適齢期の成年男子の数」ではなかったのかな、と。

        なるほど、そうですね。
        そういえば、聖書の記述では「男が五千人だった」とかってよく書いてあるのですが、当時のユダヤでは、人口といえば成人男性の数だったのだそうです。
        女子供は数ではなかった。

        ローマもそうじゃなかったかな?
        ローマ人って女の子に名前さえつけてないし。( ユリウス家に生まれたらユリア、クラウディウス家ならクラウディア。)

        1. 思いつき、
          「名前(パーソナルネーム)の起源」は「集団戦闘の統制上の必要性から」なのかも。

          だから「部隊に参加しない女子」には、パーソナルネームが要らなかった。

          有りそう。

          1. ありそう。

            余談ですが、
            塩野七生「ローマ人の物語」によると、ローマ軍の戦闘による死者数は一桁まで記録があるそうです。( 脱走兵がいない頃の話し。)
            個人名がなければ、一桁までの数字は出てきませんよね。

            軍事に対する考え方、数字というものの捉え方が、中華とは明らかに違いますね。

          2. 無いでしょ。
            神話に出てくる女神や女性に名前がありますから。

            女性の名前が無い(ように見える)ようになったのは、後世の諱(真の名)を隠す文化からではないかと思います。古代エジプトやケルトにもあったようです。

          3. ムーミンのノンノンw

            近年、「あれは日本で付けた名前で、原作ではスノーク(家)のお嬢さん」だったそうでw

            で、
            トーベ・ヤンソンはノンノンという名が不満で、フローレンと改名したとかなんとか。

            マッパで、アンクレットフェチには堪らんwです>ノンノン(の世代w)。
            (オカーチャンは裸エプロンじゃんか!ってのはナシで)

            劇場版で、マイクロビキニのフローレンw
            (普段は真っ裸なのに!)
            あれはいかんでしょwって某所で話題になった。

            おっと、余計な話で、横からでした。
            スルーしてください。

          4. ムーミン。

            主人公の名前。
            日本人は不思議に思う。

            【仮説】
            ・ムーミン家では代々、男子は「ムーミン」の名を継ぐ。
            ・女子には名前がなく、「〜家のお嬢さん」で通し、婚姻すると「〜ママ」になる。・・・例「ムーミンママ」、「スノークのお嬢さん」

            フィンランドでもそうだった?(わけもなく)、そういう文化はあったかもしれない(知らんけど)。

          5. 昭和のムーミンはシュールいいやね。
            岸田今日子ですものね。ww

          6. バカボン家では、長男が代々「バカボン」を名乗り、
            当主は「バカボンのパパ」を名乗るのだ。
            これでいいのだ!

    3. 中華がオルドスに侵攻なんて非現実的なんですよ。

      豊かなのは中華の方であって、遊牧民を侵略してもやせた農耕に適さない草地が得られるだけ。
      これは兵数や練度の問題ではないんですね。

      1. 遊牧民が侵攻して来れないよう叩き潰しておくために、中華は遊牧民の地に何度も侵攻した。(できなかったり、返り討ちに合ったことも多いが。)支配したかったためではない。いわゆる「予防戦争」だったから。

        こんなの、ここでの話の暗黙の前提なんだ。近代日本が貧しい朝鮮に進出した理由と基本的に同じなわけ。

        ホント、韓国人と同じなのな。自分の頭で考えないから、サヨクに教えられたまんまで情報が結びついていないんだよ。

      2. 七誌さんへ
        それは「非現実的」ではありません。
        mottonさんが回答してくれてますが、付け加えましょう。
        1、中華圏の農民は、長城の外へも入植していく。オルドスには農耕適地も有りますから。中華帝国は、その保護を必要とする場合がある。
        2、河西回廊の支配権が重要。中華帝国にとっても遊牧帝国にとっても、西方との文物の交易ルートを確保するのは大きな利益。
        3、オルドス以北への侵攻は、中国史上何度も起こっています。
        非現実的というのなら、武帝にでも言ってください。
        4、補給の問題を考えれば、実は「とても大変」なのは事実です。
        5、兵数や練度は、中華圏と遊牧圏の軍事力を比較する指標です。それぞれの「戦略目的」が違う、というのは、すでに触れました。

        1. 追伸
          武帝に向かって「匈奴討伐など、非現実的です」と建言すると、司馬遷みたいに「宮刑」にされるかもね。
          まあ、司馬遷の宮刑の理由は「政策提言」じゃないけどね。

          1、中華帝国がまとまる→遊牧民分裂状態→長城の外へ拡張
          2、中華帝国がまとまる→遊牧帝国も強い→長城の内外で会戦
          3、中華帝国がまとまる→遊牧帝国の方が強い→分裂工作
          いずれも、よくある事例です。3が多い。
          中華がまとまらない時は、遊牧民が「ヒャッハー!!」状態になります。
          そして、やがて「中華化」した「元遊牧民」が、新しいタイプの「中華帝国」を。
          これが、中国史の基本構図。
          理解してちょうだい

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