議論エントリーその4

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150 Replies to “議論エントリーその4”

  1. こんにちは、はじめまして

    疑問を率直に伺いたいのですが、

    「韓国人の中で日本と戦争をした結果、韓国は独立を果たしたと考えてる韓国人はどのくらいいるのでしょうか?」

    日本人や世界史を学んだ外国人からしたら韓国の歴史はトンデモ論で溢れていると思いますが政治状況によって歴史修正が頻繁に行われる国ですから率直に現在の韓国の認識はどうなのかと疑問に思いました。さすがにネタであると信じたいのですが。
    1919年の韓国の独立派(上海臨時政府樹立)が日本を打ち倒したことになっているのでしょうか?

    1. 世の中に正しいは複数ある。
      「日本と戦争をした結果、韓国は独立を果たした」これは韓国人にとって理念上は正しいのです。
      「韓国の独立派(上海臨時政府樹立)が日本を打ち倒した」とテストで書かなきゃ負けなのですよ。

    2. 日本の国会でも、かつて野党の議員が安倍総理に「韓国は植民地だったのか?」と質問した事がありました。

      当時はその質問自体よりも、質問の意図がどこにあったのかが問題だと思いましたが、安倍総理の回答は確か正確な文言は記憶してませんが
      「歴史認識の解釈はその国が決める事」だというような事を仰いました。

      韓国がそう思うならそうなのでしょう。但し韓国の中では。

    3.  韓国の教科書には、大韓民国臨時政府と韓国光復軍のことばっかり書いてあり、しかも、あたかも日本と戦っていた風に書いてある。

       韓国の子供たちは、こっちが主流だったと、勘違いするだろうね。
       朝鮮半島では、日本軍への志願者が殺到していたのに、韓国の教科書には書いてないからね。

      1. 皆さんありがとうございました。
        やはり教科書に曖昧なことが書かれてるから一定層(それ以上?)は日本と戦争したと考えてるようですね。

        日本人の中でもみのもんたという老害が真顔で言うくらいだから当たり前の話かもしれませんね。

  2. 皆さん、ありがとうございます。

    お陰様で「正しさ」の感覚的確信がどこから来ているのか。
    何が根拠なのか確信が持てました。

    右翼が正しい。左翼が正しい。中道こそが正しい。勝手に楽しむのが正しい。
    リベラルが正しい。グローバリズムが正しい。LGBTが正しい。LGBTQこそが真実。

    そうじゃない。
    我々が正しさを感じる根拠は
    「自分の味方になってくれる」ものを正しいと感じている。
    「自分を追認してくれる事態」を「正しい」と感じている。
    「信じてくれるからこちらも心を開いて信用する」

    幼少期には自分だけが正しさと感じている。万能感がある。自分だけは死なないと感じている。
    親は身を呈して子供の命を守る。衣食住を提供する。
    子供は家族も自分の一部だと感じる感覚が拡大していく。

    家族をコミニティーだと感じる範囲は経験と共に拡大して、国家にまで繋がっていく。
    悔しい事に現在の日本はそうなっていない。
    だからこの自分の確信が揺らいでいた。日本国家が自分に嘘を付いているから。そのように感覚的確信を得るように情報が操作されているから。
    情報が操作される事によって弁証法に齟齬が生じて確信も操作されてきた。
    だから「陰謀論なんてくだらない」と感覚的確信が操作されていた。

    そう確信しました。しかし、この意識の位置をキープし続けられるかと言えば、難しいと感じています。
    衣食住を操作する勢力はルサンチマンをも操るので。
    その勢力とはマネーの流れをコントロールするものであろうと感じます。
    即ち正しさの感覚的確信の起点はスイスのBIS(国際決算銀行)を本部として発信されている?
    だからハリネズミと化して永世中立なのか?
    だからG7からもG20からも除外されているのか?意識から消す為に。
    Wikipediaでスイス連邦政府大統領のウエリ・マウラー氏を確認しても不明瞭な点があまりに多過ぎる。
    もしかしてスイスは陰謀の総軸なのでしょうか。
    スイスの存在も知識もは全くの意識外でした。

    改めて少し皆さんの意見を幅広く聞かせて下さいまし。
    自分への悪口でも罵倒でも構いません。
    皆さん愛してる♡

    1. >悔しい事に現在の日本はそうなっていない。

      この文以降の思考は止めた方がいいと思いますよ。

      陰謀論がくだらない(と考えた方が良い)のは、そこで思考停止して安住してしまうから。陰謀論を受け入れてしまうのは未来に対して不安だから。例え陰謀であっても誰かが未来を決めてくれている方が安心だから。これは朝鮮が陥ったものと同じですよ。

      陰謀論の最大の問題は、それが「陰」の謀だからです。
      真に世界を支配する力があれば、表で正攻法でやればいいのです。
      できないから陰謀を企む。陰謀は基本的に挑戦者のものなのです。
      また、表に出せない以上、多くの金・人・物を使えません。足がつくから。巨大な陰謀はほぼ不可能です。(唯一の例外ともいえるのが共産圏のもので、彼らは挑戦者でありながら思想統制により多くの金・人を裏で使うことが可能だった。)
      不明なことは、とりあえず「オッカムの剃刀」で処理しておけばよいのです。(世界を支配する力があるのに「あえて」陰謀を企む理由を考えるより、世界を支配する力がないので「仕方なく」陰謀を企むと解釈した方が合理的でしょ。

      いろんな勢力がいろんな思惑で動いています。自分達のために。自分達の正しさのために。その正しさが表でも裏でも衝突した結果で生まれたバランスで今が決まっているだけで、特定の誰かの正しさが未来を決めているわけではありません。
      他国と同様にスイスも裏でいろいろやっているでしょう。しかし、自らの正しさのために行動する中堅の一勢力にすぎません。

      私が歴史や外交軍事に興味をもっているのは、それを改めて確信するためです。

      1. motionさん
        >陰謀論を受け入れてしまうのは未来に対して不安だから。例え陰謀であっても誰かが未来を決めてくれている方が安心だから。これは朝鮮が陥ったものと同じですよ。

        その通りですし、不安というか自分がルサンチマンに捕らわれているのも間違いはありません。
        しかし御忠告を受け入れる事は不可能です。
        なぜなら世界が自分の思い通りにならない身勝手な正義に対する義憤こそが人間の進むべき道を照らす「正しさ」の正体だからです。

        「正しさ」は衣類のようなもので、経験と知識と共にどんどん着膨れしていく。ある時点で自分がいつか死ぬという事を明らかに見て、自分の人生の歩みを神の目で客観視できるようになると「正しさ」を限りある自分の存在出来る時間に有効に使うための為の道具として使うようになる。死=無だと信じられている世界に生きていると必ずそうなる。

        自分は無に向かって川を下っていく落ち葉なのだと気付いてしまう。

        この思考の枠組みには逆らえませんので自分のルサンチマンには反逆できません。自分で自分が残念ですが、川を登っていく時間はもう残されていませんので。

        ここまでインテリジェンスに諭していただいた体験は自分の人生にはリアルでもバーチャルでもありません。ありがとうございます。

        自分は「死=無」であるとは全く信じていませんが「自分の世界」が死という制限によってリセットされることは疑いようもないと考えています。自分の感じている自分は記憶も感覚も合わせた自分が纏っている殻ですので。

        1. せっかくの議論ルームでのやりとりなので、忌憚のない意見を述べます。

          >世界が自分の思い通りにならない身勝手な正義に対する義憤
          これが、誤りだと、私は思います。

          1「世界が自分の思い通りにならない」
          2「自分の思い通りにならない身勝手な正義(が、世界を支配している)」
          3「(そういう構造に)義憤を抱いている」
          この3つのテーゼの複合したもの、と解した上で述べます。

          まず、世界が思い通りにならない、のは当然のことであって、それに怒るのは筋違いだと思います。
          そこに怒ってるのかどうか、ここまでのご意見では、よく分かりませんが。

          その「世界が思い通りに行かない理由」を「(自分が関われない)身勝手な正義(が世界を支配している事)」と断定するのは、mottonさんの言うように「陰謀論」でしかありません。

          そして「世界が思う通りにならない原因」である「身勝手な正義」に対して抱く怒りの感情を「義憤」とするのは、二重の論理の欺瞞に基づく「根拠のない思い込みの正当化」です。

          「自分の思い通りにならない世界」に怒りを感じるのは、まあしょうがない、としても、その「思い通りにならない原因」を「誰かの陰謀」と断定するのは、その「陰謀が世界を支配している事」が証明されないと、論理が成立しません。

          例えば、スイスの金融構造が「世界を支配している」と主張して、それに異を唱え、その「異論」の基となった感情を「義憤」とするためには、その支配構造が明らかにされなければ、意見として無意味です。
          怒りは空回りしているだけなのです。

          世界の構造を冷徹に観照して「世界が思い通りにならないのは、世界が複雑すぎて、過酷すぎて、人間の存在そのものが曖昧すぎて、人間の欲望が適正に処理しきれなくて、人間の能力が小さすぎて、誰にも収拾がつかなくなっているからだ」と私は思っていますが、いかがでしょうか?

          「分かりやすい『どこかの誰かのせい』」ではないと思います。世界は「とても訳の分からないモノ」です。

        2. 以前、「日々是チナヲチ。」ttps://blog.goo.ne.jp/gokenin168 というブログを読んでいました。
          管理人さんは、中共に義憤を持っておられた方で(”チナ”で分かりますよね)、経験や知見に基づいて中共について有意義な記事を書かれていました。

          管理人さんには持病があり8年前に亡くなられたのですが、死期を覚られてからも焦るような感じではなく、(自分の一部であるブログを含めて)自分のために時間を使われていました。
          おそらく周囲の人々(ひいては日本やこの世界)に信頼があって安心されていたのでしょう。
          私はそういう管理人さんのスタンスを好ましく思い読んでいました。

    2. >我々が正しさを感じる根拠は
      「自分の味方になってくれる」ものを正しいと感じている。
      「自分を追認してくれる事態」を「正しい」と感じている。
      「信じてくれるからこちらも心を開いて信用する」

      これは本当に間違いだと思うよ。
      人が正しさを判断する根拠というのは、「知識」であり「常識」なのです。

      1. みんな全然違う。違います!

        人間は子宮から独立して生まれた時には無力であって、一人なんですよ。
        その感覚の中に突然母親という名の母乳が現れるんです。そして授乳という生存権を与えてくれるんです。
        すると赤子にとっては母親だけが正義になるんです。そこから自己を中心に世界観が拡大していくんですよ。

        ですから自分の思い通りになる事は正義であって、思い通りにならない事は悪なんです。そういう正義とか悪とかいう言葉を知らなくても感覚でそう感じているんです。

        幼児の頃に喧嘩になると仲間に「お前はどっちの味方?」と突き付けていたでしょう。数が多い方が強いから正義=正解になるんですよ。理屈ではなく感覚で理解していたんです。

        哺乳類であるネズミは髭の当たる範囲で世界を認識していてすぐに餌にありつけないと僅か数時間しか生きられない。
        鼠の食料倉庫(巣)の中で産まれ、光のない真っ暗闇の中でも髭の当たる範囲にそって躊躇なく走り回る。
        そして仲間の尿を標識にして食物を貯める倉庫を作るんです。
        鼠には乾いた同族の尿が光の印のように見えているんです。その尿がアリの蟻酸のように意味を持っている。
        DNAが生き方を命じているんです。
        どんな生物でも死なない事が生きる事なんですよ。

        人間も同じ哺乳類であって、脳の構造は違っても住んでいる世界は同じ食物連鎖の中であって同じ地球なんです。
        髭の当たる範囲で世界を認識しているか、頭の中で記号化して認識しているかの違いであって、やっている事は全く同じ。
        走り回ってぶつかる前に五感で回避して種が死なない道を探り出す。人間も基本は地球を食べて噴尿と授精液を出すだけの動物ですから。

  3. 【追認】という行為がありますよね。

    追認権とは自己決定を受け入れる権利。
    酒、タバコ、ポルノ、カードによる売買。これらは追認権によって社会的に認証される権利。
    未成年には追認権が存在しない。
    しかし、自己決定権はある。
    これは社会的に矛盾していると思う。

    この追認という概念が社会的権利とは何か、社会的権限とは何か、社会的義務とは何か、政治的正しさと科学的正しさを曖昧にしている気がしてなりません。
    大人になるという事を肉体的成長の結果なのか、精神的成長の結果なのか、時間的制約の期限なのかを曖昧にしている。

    成長のどの時点で権限が発生するのか、権限なのか義務なのかをあやふやにしている。
    社会とは全て「そういう事にする」「枠の中に収める」事の総体なのでしょうか?それとも違うのでしょうか?
    ならば「正しい」という感覚は何から発生するのでしょうか?何処から生まれるのでしょうか?我々は何にもって追認し、追認されているのでしょう。

    この議題で少しご意見お聞かせください。

    1. >追認権とは自己決定を受け入れる権利。
      酒、タバコ、ポルノ、カードによる売買。これらは追認権によって社会的に認証される権利。

      そもそも論題が間違いで、これらは追認権でない。
      未成年者を健康被害、性の搾取、高利の借金から保護するための法。

      だからどこから追認権が発生するとか関係ない。
      大人はだれも保護してくれないって話だけ。

      1. 追認権でしょ。
        子供が親の所有物として権利を搾取されるのが追認権でしょ。
        それなのに自主権は保証される?
        女性は16歳で結婚出来るのに法律上は未成年で少年法の保護対象。
        やっと去年から変わったけど最初から矛盾してるでしょ。

        そもそも我々は何を持って「正しい」と感じているのでしょうか。
        何が正しくて何が間違っていると感じて仕分けているのでしょうか?

        遵法精神を持つ事が正しいなら、法律が貴族の権利を認めれば貴族社会が正しいと感じてしまうのでしょうか。

        仮説ですが「正しさ」はルサンチマンから来ているのではないでしょうか。
        階級に対する恨み。貴族社会に対する不満。キリスト教は明らかに貴族社会に対するルサンチマンですよね。弱さを正義だと断じる義憤ですよね。

        大和魂はルサンチマンに対するルサンチマンであり、更にそのルサンチマンに対するルサンチマンが和の精神へと帰結しているのではないでしょうか。
        朝鮮文化はルサンチマンの入り子構想である日本文化に対するルサンチマンであり、敵の敵は味方で共産圏側になっている。そもそも李承晩の嘘を取り消せない為に。

        しかし「本当か?」という疑念もあり自信が持てない。
        それで意見を見てみたいのです。
        これは本当、この情報は真実という確信を持つ気持ちははどこから来るのか。

        1. 「正しさ」というのはそもそもいろんな意味を内包する。
          英語でいう、JUSTICE,RIGHT,FAIRだね。

          一方で、韓国人の言う正しさは、ルサンチマンから来ている。とわたしは考えるけど。

          自分が絶対に差別されない社会、つまるところ自分がすべてにおいて優遇される社会=日本人が奴隷、韓国人が貴族の社会が、在日の求めるヘイトのない日本社会なのですね。

          一方で、日本人は自分だけが優遇されることを良しとしない。
          日本人が上、韓国人が下の社会を、好ましくは感じないんですよ。
          つまるところ、日本人が求めるのは他人が下にならない関係=対等の関係なんですね。

          これは格差をなくせって話じゃない、貧富の差、年齢の差、性別の差、健康不健康、外見の差、力の強弱、世の中にはあらゆる格差があるが、その格差を違いを受け入れたうえでの、人と人とが対等の関係、これが日本人の求めるものだ。

          一方で彼らジェンダーとか朝鮮人が求めるものは、性別の差をなくせ、外見の差を無くせ、貧富の差、力の強弱の差を無くせ。かれらの求めるのは、持つものから奪い、持たざる者に与えること、特に持つものから奪うことなんですよ。

          1. >一方で、韓国人の言う正しさは、ルサンチマンから来ている。とわたしは考えるけど。

            一方で、七誌さんの言う正しさは、ルサンチマンから来ている。とわたしは考えるけど。

          2. 七誌さん
            >「正しさ」というのはそもそもいろんな意味を内包する。
            英語でいう、JUSTICE,RIGHT,FAIRだね。

            いやいやいや
            「正しさは何なのか」という話ではなく「我々は何を根拠として正しさを感じているのか」という意見を聞きたいんです。

            人類普遍の道徳なんてものはないという事は理解出来ています。人の立場の数だけ道徳は存在する。

            昔、ある人が自分に「やるべき時にやるべき事をやれ」と言ってくれました。
            しかし「やるべき時」「やるべき事」
            どちらも根拠は自分にとってでしかないですよね。
            それは「自己中になれ」と同義だと思うのです。人は究極的には自己中である事は正しいかもしれない。しかし、それを許せない自分もいる。
            自分は生きているのではなく生かされていると感じている。
            その根拠がどこから来るのか確信出来ない。リアルではもうそういう話を出来る仲間はいない。ですから別の角度からの意見を聞いてみたいんです。

          3. >>「我々は何を根拠として正しさを感じているのか」
            難しいですね。

            とりあえず、
            「やるべき時」と「やるべき事」は「自己中になれ」と同義ではないと思います。
            「やるべき時」は「自ずから( おのずから )成る時」で、
            「やるべき事」は「自ら( みずから )為す事」と考えます。
            その両方がうまく交わったところに成就があると思っています。
            「人事を尽くして天命を待つ」ですね。

            分かりやすい例えで言うと、
            5月の初め頃( やるべき時 )、田植え( やるべき事 ) をして、9月の終わり〜10月の初め頃( やるべき時 )、稲刈り( やるべき事 ) をします。
            それが、稲の生育に最も適しているからです。( 日本では )
            真冬や真夏に植えても稲はうまく育ちません。
            野生動物も繁殖の「時」は決まっていますね。
            人間はその「時」から外れてしまっているように見えますが、実はそうでもないと思います。

            何事にも時があり
            天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 (コヘレトの言葉 3章 1節 )
            「時」が来ていない事は決して成らないのです。

            子供というのは、未だ成らない期間だと考えます。
            現に脳は20歳頃まで成長を続けます。
            特に二次性徴の時期には、身体の成長を促すために大量の性ホルモンが分泌されます。
            それが未成熟な脳に刺激を与えて、攻撃的になったり、不安定になったりします。
            思春期ですね。
            未成年に自己決定権があっても、追認権が存在しないのは、たとえ身体が立派になっても、脳が未成熟だからでしょう。
            これは、脳科学が発展して分かった事なので、後付けの理由ではありますが、実際に法を定めた大人たちの目に、そう見えていたという事なのではないでしょうか。

            その後も「時」を待ちながら、自己に成る事を為す。
            のだと思います。

            「何を根拠として正しさを感じているのか」ですが、何でしょうね?
            正しさには地域差もありますが、世代間ギャップも大きいですよね。
            正しさの基準が「時」を重ねて変わって来たのは、近代からこっちは西洋との出会いがやはり大きいですよね。
            それでも変わらないものがある。

            う〜ん。
            難しいなぁ。
            もうちょっと考えます。

          4. >持つものから奪い、持たざる者に与えること、特に持つものから奪うことなんですよ。

            私の子供の頃、彼は家に遊びに来て私の一番大事にしている玩具を隠れて壊して帰るのが常だった。
            彼には人から喜びを奪い、絶望を味あわせたいと言う本能が在ったようだ。

          5. もちろん、正しさの評価基準も自分だ。ただし、自分が正しいと思うことと、周囲が正しいと思うことは違う。
            自分が正しいと思うことによって、周囲に迷惑を撒き散らせば排斥されるだろうし、ルールを守らなければ周囲に混乱をもたらすだろう。
            もちろんそれが必要とされることもあるが。

            自分の正しさと他人の正しさがぶつかることによって、そこに妥協案が生まれる。これが一般的な正しさになる訳ですよ。
            従って、一般的な正しさというものは存在する。

          6. >自分が正しいと思うことによって、周囲に迷惑を撒き散らせば排斥されるだろうし、ルールを守らなければ周囲に混乱をもたらすだろう。
            もちろんそれが必要とされることもあるが。

            自分のことを言ってるのか?
            そして
            「ありゃ、自分のことだ」
            ってなって最後の一文を付け加えたw
            違うかな?
            違うかw自覚がないもんなw

          7. >自分の正しさと他人の正しさがぶつかることによって、
            >そこに妥協案が生まれる。これが一般的な正しさになる訳ですよ。

            それは、justiceの公正さの正義でなく、rightやrightnessの善なる正義でもなく、fairの公平さの正義にあたりそうですね。
            ただし、より正確に言うならば「自分」と「他の人々」としないと、極めて狭い2人の間のみの「正しい」と思われるものにしかすぎなくなる場合もあります。
            2人の間のfairは多数の公平・公正さではないことも多々あるということです。そしてそれはどの「正しさ」にもあたらなかったりします。(2人の思う「正しい」と満足できる別の概念だったりもします。大家「家賃、給与の半分よこせ。それ正しいこと」住人A「うん、正しいね」これは2人の間の「正しさ」にしか過ぎないのです。他には共有できない正しさなのです)

            まあこれはどうでもいい話であり、「正しさは何なのか」が主題ではないのです。
            「我々は何を根拠として正しさを感じているのか」の問いでは、七誌さんは自分の他人のすり合わせ、妥協が「正しさ」になり、私はそうは思わないということです。
            複数の人間に共有されるfairは、justiceではないのです。
            justiceの社会的正義、それに個人のfairの正義がかみ合っていない場合の葛藤のように感じるわけで、個人と公(おおやけ)、どちらを基準とするか。基準が社会階級か民族か、その正しさは「正」となるのか、といったところでの葛藤ではないかと感じたのです。

            というわけで自己内で解決、消化していく内容と思われるのです。

            (`д´)オイ!結論がそれか!
            イヤ、「この感じ方は正しいか?本当か?」という問いは自己で解決するものだし(´、`)チョイムリ

        2. 社会的な「正しさ」=「(将来の)可能性を増やすこと」とすると、かなり説明可能かと思っています。

          子供の「将来の可能性を確保する」ために親が「保護」してくれることは、子供にとって「正しい」。
          社会の将来を担う子供を保護することは、社会や親にとって「正しい」。

          他人の金を奪うことは奪う方にとっては「正しい」。
          奪われた方にとってはもちろん「正しくない」。
          ただし、双方が社会に属している場合、奪い合いは社会にとっては秩序が混乱して「正しくない」から法(や倫理)で制限する。

          生物というものは、究極的には自己中。そうでない種や集団は滅び去っている。これを大前提として受け入れるべき。
          人は、自分の「可能性を増やすこと」=私利私欲のために行動して構わない。ただし、他人の可能性を奪えば報復で自分の可能性も閉ざされる。
          他人の可能性を増やせば自分の可能性も増える。(それは世界で最も閉じた社会であった日本の歴史が証明している。)
          それらを理解して行動すればよい。

          1. 個ではなく公の正しさですね。
            「人にしてほしいことをしなさい」的な西洋では神と人との契約、宗教が担ってきたもので、日本では道徳として神は不在だったりもしますね。
            「お天道様がみている」的な八百万の神はいるかもしれませんが、根底にいるのが唯一絶対の神か個人の良心かで話は大きく異なってきます。
            なので正直あんまし英語を使うべきところでないようにも思えました。(日本人の正義の共通項には絶対神がいないから)

            個と公の正義の追求は、利己主義的社会と利他的社会へと繋がるのかな?
            (中国・韓国的な国と日本・・・うーん、そこまで日本は利他的な社会とは言えないか)
            利己主義的社会が嫌になり、国外に飛び出てみれば、利他的な(やや利己抑えめの)社会では利己主義無双ができ、幸せを味わう中韓国の人もいるわけで、もうなにがなにやらー)
            (´д`)とりとめのない思考をグダグダとー

            ヽ(*ФωФ) ノ にゃーにゅーにょー
            (゜_゜`)あれ、何か猫が鳴いてる?
            という程度の考えかも。グダグダ、ケンチャナヨ。

    2. まず、追認権から話が始まってるので「法的正しさとは何か」から。
      「法的正しさ」とは、「そういう事にする」がその本質です。

      「政治的正しさ」とは「それぞれの利益の調整」です。
      「科学的正しさ」とは「仮説の適用範囲の認定」です。
      どちらも「曖昧性」を内蔵しており「絶対的正義」は、成立しません。人間の営為そのものが曖昧性を排除できない以上、この構造は変えようが有りません。

      「法」は「正しさと正しさの争い」を防止し、
      「ほどほど正しさの連合体」を実現するための
      「ある『これが正しい事にしておこうという、とりあえずの結論」の、
      「押し付け方の適正性・公平性」と「押し付ける結論の客観的妥当性」を担保するために、
      「あらかじめ共通了解としておく約束事」です。
      なるべく多数の人が、「そういうやり方でならば、そういう理屈で導き出された妥協点ならば、とりあえずその結論を受容しよう、と納得し・合意する」こと、
      そして「その合意事項に強制性を付与する事」
      を、目的としています。

      「法的な意味」では「許容範囲の枠に収まる」が、「正しいという感覚」の内容です。
      つまり、利益を主張する集団または個人にとって、何が許容範囲なのかが、それが「正義か不義か」の分岐点となるわけです。
      その分岐点がどのあたりに有るかは「慣習」「文化バイアス」「生存環境」などによって、決定されます。
      それらの分岐点を「『人類全体の生存』と『各集団・個人の生存』の両立」あたりにおけば、だいたい国際標準になると思います。

      追認権も「A:未成年の客観的利益の保護」と「B:未成年の自己決定権の尊重」の両立に、その「是非の分岐点」が有ります。
      AとBは、小さく見れば対立概念ですが、どちらも「未成年の法益の保護」が目的ですから、アウフヘーベンして制度化できるのです。

      親権者が未成年を管理下に置き搾取する、という構造は、制度の悪用であって、その本質ではありません。
      悪用の余地が有るのは、制度自体に欠陥が有る、という事ではありますが、制度の本来の意義がその欠点によって否定されるべきものではない、と考えます。
      修正を要する、または補完的制度を要する、という事です。

  4. リスクと利子の話をしたのは、以下のような話をしたかったからでもあります。(単純化してますので、書いてない要素は全部無いことにしてください。)

    100万円を先行投資したら、50%の確率で成功して300万円になる(残りの50%は失敗して0になる)事業があるとします。期待値は150万円(利益の期待値は50万円)なので非常に美味しい事業です。同じ事業をしたい人が複数いるとします。
    しかし、誰も手元に金がありません。金融業者に借りたいのですが、利子はどの程度になるでしょうか。

    金融業者から見れば、同じ事業をする2人 A, B に100万円ずつ貸した時、失敗した A からは何も返ってこないが、成功した B からは返ってくることになります。この時、元本に対する返済時の利息は以下の100~200万円の間になります。

    利息100万円: Aからは0、Bから200万円返ってきて金融業者の儲けは0。Aは破産。Bは100万円の儲け。
    利息200万円: Aからは0。Bから300万円返ってきて金融業者の儲けは100万円。Aは破産。Bは儲け無し。

    利息250万円: Aからは0。Bから250万円返ってきて金融業者の儲けは50万円。Aは破産。Bは50万円の儲け。
    あたりがいい感じでしょうか。(貸す相手が多ければ多いほどリスクが分散されるので金融業者は薄利でもよいはず。)

    ここから少し現実の話。
    今の日本では、こんな利息では貸せません。非常に美味しい案件なのにも関わらずです。現実的には、種々の方法で市場から調達するのでしょうが、銀行が貸してもいいんですよ。リスク計算さえできれば。担保無しでも構わない。
    もう一つ重要なことは、失敗した A は(信用は低下するでしょうが)自腹は切っていないので損はしていない、誰にも損をさせていないので負い目を感じる必要もないということです。

    なんてことを、20年ほど前に当時武富士に勤めていた知人から聞きました。いわゆる異業種勉強会でのプレゼンで、高利貸しの問題や日本の起業の問題を考える材料として聞いたのですが、素朴なイメージと違っていたので良く覚えています。

    1. えと、先日書いた「5月中に片付ける案件」であまりお付き合いできませんw

      結論から言うと、私が支店長ならどちらにも融資しませんw
      ①保全がない融資はしない
      ②甲事業(とします)は博打であって事業ではない
      から。
      これはギャンブラーとパトロンの話であって、「銀行の融資案件ではない」と考えます。

      また、「甲事業は、二分の一で成功する」
      ので、
      ⑴AもBも成功する確率 1/4
      ⑵AもBも失敗する確率 1/4
      ⑶AまたはBどちらかが成功(失敗)する確率 1/2

      で分けて考える必要があると思います。

      また「失敗したA」は、パトロン(銀行?)に損をさせてます。
      ギャンブルなら当然負けもありうるのでやむなしですが、貸金業(銀行は特に)リスクを最小化します(博打の要素が皆無とは言えないが、銀行が損を被るリスクを、甲事業のような博打では取りません、、と思います)。
      銀行の場合、原資は集めた預金ですから。

      ⑵の確率1/4も普通に起きうる事象ですから。

      1. これが「AからZまでの26社(者、またはそれ以上)」なら、確率がより収束するでしょうが、
        やっぱり「受験生支店長」は見送りますw

      2. >⑵の確率1/4も普通に起きうる事象ですから。

        確率論の話

        ⑴+⑵=1/2と、⑶の1/2
        の振り分けは、どちらも1/2ですから、「どっちもあり得る」わけですw
        確率50%。

        で、
        前者が選択され、⑴または⑵になる確率も50%。
        「1/4、25%はそうそう引かないだろう」
        とは言えますが、
        「(以上のように考えると)1/4で当たる死刑になるクジ」
        は、怖くて引けない、となりますw
        1/4で当たるギャンブルなら、嬉々とひけるかもわかりませんがw

        そのリスクを敢えてとる理由が、銀行としてはないですw

        仮に、甲事業への融資に、保証協会なりが保証する(保証機関の保証付き融資。代位弁済率が75%〜100%とか)なら、
        銀行として「保全が確保された、、(代位弁済率によるリスク計算)」と言えるので、代位弁済率によっては銀行が融資する可能性は出てきます。
        一般に(経験上)、保証機関付融資は、支店長の専決権が行使できます。

        要は「リスクの分散」です。
        銀行は、融資による利息(と、保証協会による保証=保全)を得、保証協会は保証料を得、顧客AまたはBは融資、期限の利益を得ることが可能になります。

        1. (今はまた違うかもわかりませんが)

          昔、BIS規制というのが注目されました。
          (このモデルの話から逸れますw)

          国際銀行では自己資本比率が8%、国内銀行は4%以上、と規定されてます(されてました)。

          分母が「融資量」、分子が「資本金」です(のはずです)。
          これをクリアするために、
          ❶融資量を減らす(貸し剝がし)=分母を減らす
          ❷増資(分子を増やす)
          が考えられます。
          ただし、「保証機関付融資は分母から除外できる(保全が確保されているから)」ので、
          一時期(今も?)、保証協会付融資を推進しました。
          (だから、専決権融資、と理解しています)

          上記の甲事業は、⑴〜⑶それぞれで、計算上リスク管理が可能でしょう。
          原資が預金でない街金などは、その判断によって融資が実行されるかもしれませんが、銀行はこういう博打はしないと思います。
          銀行が甲事業に融資するには、今書いたような「保全」が確保できるならあり得ます(もちろん、不動産担保でもありえます)。

          国金(国民金融公庫)さんなら、設立目的がまた違うでしょうから、その趣旨によって融資実行はあるかもわかりませんw

          金融の在り方(しくみ)を考えるには、楽しいモデルかもしれませんw

      3. >また「失敗したA」は、パトロン(銀行?)に損をさせてます。

        これは間違いというか、この感性が起業や研究や開発を萎縮させているのだと思います。
        パトロンは A が失敗することを前提にリスク計算をして儲けを出すようにしているはずなのです。(損をした場合は、自身のリスク計算を反省するべき。)パトロンは損をしていないのだから、A が損をさせたというのはナンセンスです。

        基本的に、起業や研究や開発ってギャンブルです。絶対に成功すると判明した時点では(他人が既にやっていて)もう遅い。分からない時に賭けてこそ大成功が得られます。
        成長するには、トータルでプラスになるようにそういうギャンブルを數撃たないといけません。例え不況でも撃つのを止めたらジリ貧です。
        (実際には、起業や研究や開発のリスク計算なんかできませんw 成功した人の秘話とか読んでもラッキーの連続ですもの。だから、きっと、えいや!って直感で金を出す人が必要なんです。)

        1. 企業側の、ギャンブル性を否定するものではありません。
          あくまで「銀行側がギャンブルはしない(できない)」という点と、
          「返済されないかも」というリスクに、保全を求める、という主張です。

          銀行だって、これまでに不良債権を抱えているし、破綻企業もありました。
          「リスクはとらない」
          とは、「甲事業」においてであって、
          実務においては、
          「支店長が、相手の社長の熱意や展望、技術力に惚れて、なんとかしてあげた」
          なんて案件こそが、『銀行員冥利に尽きる」楽しさであって、うまくいけば最高に嬉しいものです。

          だからと言って、保全なしの融資(=ギャンブル)は基本ありません。

    2. 銀行がギャンブルに投資しない仕組みになっているのは嘘が入り込む隙があるからではないでしょうか。
      銀行自体が詐欺に騙される可能性が高い。
      だから誰でも融資を受けられる訳ではない仕組みに守られているのではないでしょうか。
      紙幣そのものも信用証書だし、社会は信用で回っている。

      ギャンブルは自己への慰みであって投資には値しない。
      受験も就職も買い物も外出することすら全てがギャンブルなのは事実ではあるが、それは自己から自己への投資であって第三者が介在するベきではない。
      それは村上ファンドのような看板を出せない裏組織が手を出す事。

      mottonさんの議論をしたかったのはなぜ日本の企業も銀行も自己から自己への投資をしようとしないのかという事ではないでしょうか。

      日本は出世することによって得られる利益が大き過ぎるではないかと思います。
      人は金が入ると心が変わるものなので。
      心は義憤が核になっていると思います。
      貧しいからこそ人に優しくなれる。
      優しさは弱さと同じだと言うことも出来るが、強さとは自分を律する事。
      何に対して律するのかと言えば美意識に対して律しているのだと思う。

      だからダメな上司を優秀な部下が支える構造になっていると思う。
      戦前からずっとそうですよね。

      そしてダメな上司は収入が困窮してくると部下に投資しなくなる。
      このパワーバランスが日本がデフレから脱出出来ないひとつの原因だと思う。
      ソニーの技術者が準正電界という最新の技術を取り入れたアイデアを出して試作品を作っても「売れた」という結果がなければ全く取り合ってももらえないように。

    3. >金融業者から見れば、同じ事業をする2人 A, B に100万円ずつ貸した時、失敗した A からは何も返ってこないが、成功した B からは返ってくることになります。

      そもそもそうならない。
      成功する確率が50%ならば。
      両方成功する可能性が25%あり、両方失敗する可能性も25%ある。
      貸す側から見れば、これは利息100%では難しい案件ですな。

      1. まだ疑念はありますが、自分なりに少し見えてきました。
        話に付いていけないので経済と銀行の役割について調べていました。
        疑念をサーフィンして突き詰めていくとリチャード・ヴェルナーのヴェルナー理論に行き当たりました。それでも疑念が湧いて調べて考えてしているうちにヴェルナー理論が実はやはり正しいのではないかと感じました。

        なぜ銀行は実態経済へ投資しないのか。
        なぜアベノミスクの第2、第3の矢は放たれないのか。
        なぜ財務省は消費増税したがるのか。
        なぜ憲法改正出来ないのか。

        申し訳ない。かなりの長文です。

        民社主義経済そのものが机上の仮説であって、実態経済は実はある特定の組織の策謀によって、行動範囲に外圧と策謀で釘を打ち付けられるようにして動かされているのではないでしょうか。

        「美人コンテストのジレンマ」というのがありますよね。
        普通の美人コンテストでは審査員の思う美人が優勝する。白人が審査員の国であれば白人が優勝する。黒人が審査員の国であれば黒人が優勝する。
        ところが、このコンテストで優勝した人に投票した人には賞金が出るシステムにすると、審査員は優勝しそうな人を想像して投票するようになる。審査が賞金によって偏って歪んでしまう。
        つまり美人コンテストが商品本位制から金本位制になってしまう。
        これが美人コンテストのジレンマ。

        これは株式による実態経済の仕組みそのものではないでしょうか。

        銀行の投資とは実は投票システムなのではないでしょうか。
        世間が投票しそうな対象に投資する。
        だから先に「人気の実態」がなければ投資が動かない。
        では投票の実態を作るのは何か。
        紙幣投票の実態とは経済コンテスト。
        経済コンテストの本質は価値観の発明コンテスト。
        価値観を並べてどの価値観が好ましいか紙幣で投票する。
        投票を左右するのは特にTVメディアが占有しているCM効果。
        CM効果というのはネラビニアンの法則によると洗脳そのもの。

        そうすると、価値観は好ましさに牽引されるので、メディア支配に陥る。
        人間は実は裸だが、生地を纏う事でこれまたネラビニアンの法則によって目を引く生地の方が実態のように感じてしまう。そうすると雌を獲得する為に纏っている好ましいものを増やしていく事になる。それが人間を食物連鎖と動物社会から独立させたのでは?

        話を戻すとアールヌーボー、アール・デコ。
        どちらの美術傾向も好ましさに牽引されて決定され、特定の時代の文化を席巻してきた。
        すると民主主義の根幹である民が主であることそのものが疑わしくなる。
        近代では民が主となるシステムではなく実態は価値観をCM効果で操作される事によって動かされているのではないか?
        産業革命以降の経済はセイの法則が働かず、産業革命の齎した結果に人の方が管理されてきたのではないかと。
        ですから第一次世界大戦を管理出来なくなって長い期間やめられなくなったのでは?

        話を戻して近代の価値観の中枢に位置するものは何か?
        この価値観の実態をグラフに表すと権威の横軸と権力の縦軸に分ける事が出来るはず。
        しかし、権力と権威が戦えば必ず権力が勝つ。権威の継続性と実態は権力に支持されているので。

        すると、資本主義社会における権力と権威とは実態としての紙幣を支配する「金融資本」と選挙システムの結果としての特権に支えられた「政府」とに分けられる。

        しかし、実利を把握している日銀の株式の半分以上は政府が所有しているはず。
        しかし、所有物ではない。
        日銀は1968年だったと思うが、日本政府から政府の趣向する選挙結果傾向と日銀の趣向する物価安定傾向が相反するという理由で独立を認められている。
        そもそも日銀は物価安定を趣向しているのかは極めて疑問ではある。

        しかし、株主ではある政府は日銀の政策そのものには基本的に口を挟めない。日銀が自主的に政府に協力するだけ。
        そして世界の資本に影響力を持つ人物が集まるビンダーバーク会議という協議会が実在している。
        この議会に日本人が呼ばれる事はない。呼ばれても日本人ではなく米国人として参加するのである。
        そうする事の意味が分からない。
        その内容は極秘で公開されていない。

        民間の活動であり、政府は関与する事が出来ない。マスメディアも拒絶されており世間からブラックボックスになっている。

        これは世界の実情は民主主義ではなく常に金融資本の策謀によって動かされているということではなかろうか。そして世界に日本という国は実は存在していないということではないでしょうか。

  5. 続いて

    >もう一つはリスクに関係する要素。即日返ってくる場合でも、11人に1人が返せないと想定される案件なら利子は10%以上になります。

    と、当初言っていた。
    「何に対する利率が10%なのかが不明」
    と考え(読み換える癖がある)る訳ですw
    結局、正しい意味で「利子」を使っているのですが(先ほどの書き込みで判明)、
    書いたように「利子10%」という表記が、私(元プロw)には逆に紛らわしいw

    一体全体、何に対して「利率10%」なのか見えないのですw

    「利子10%」と「利率10%」の違い、読み替えの癖で混乱したわけですw

    前段のインフレ率の10%に引きずられたってのもあるとおもいますがw

  6. >1つは時間に関係する要素。1年後に確実に返ってくる場合でも、インフレ率が10%なら利子は年10%以上になりますよね。

    「年10%以上」
    と言っていたわけです。

    で、
    >インフレ率10%/年で、1年後に元本を含めて返済される場合。
    100を貸したら、1年後に110返してもらえば、貸し手は儲けも損もない。名目金利は年利10%で実質金利0%。

    で、
    「実質金利0%」
    とおっしゃる。
    何が「10%以上になる」とおっしゃったのかが不明。

    後段はその通り。

    これが分からないわけです。
    まずこれ。

    1. ああ、今わかったw

      これも「読み替えの癖」で混乱したんだw

      やっぱり、
      「利子10%」を昔の癖で「利率10%」に読み替えて理解しようとしてたんですわw

      相手(mottonさん)の、金融に関する力量が、私には不明なわけで、
      「金融素人」
      のイメージで読み替えていたわけです。

      ああ、納得w

      1. 「利子1割」でも混乱するかw
        表記としては「利子10%」って書きますわねw

        一方、私は既述のように、
        (相手は素人なんだから「利率10%」のことだよな)、、、というアタマがあるわけですw

        そーすっと、全然意味がわからないのですw

        1. 例えば、銀行の窓口で面と向かえば
          「わかってる人だなw」
          とかって、わかるんですよw
          経歴とか年恰好とか勤務先とかで。

          ここで文章のみだと、
          「素人さん前提」
          になるし、昔の癖もあるし、「経済はよくわからない、、5分10分で説明を」
          なんていう前振りもあって、
          「何かのプロではあろうけど、金融は素人」モードに入るわけですよw

          で、「利子10%」を「利率10%」に読み替えちゃいます、mottonさんは正しく書いてるのにw

          すると、
          「何言ってんだ?この人(でも素人だしなぁ)」
          になって、
          こんなことを聞きたいのかな?
          って先回りした結果が最初の方の書き込み(「噛み合わない」以前)。

          で、もしや、で尋ねたのが
          「利子」と「利率」の話になるわけですw

          疲れた(考え過ぎた)んで、仕切り直しはまたの機会にw

          1.  mottonさんは、かなり経済に明るいと思いますよ。
             受験生さんは、法律系が強いのかなと思っていたのですが、金融系も詳しいんですね。
             横から、蛇足でした。

  7. >例えば、金利(利子)ですが、素人から見て2つの要素があります。
    1つは時間に関係する要素。1年後に確実に返ってくる場合でも、インフレ率が10%なら利子は年10%以上になりますよね。
    もう一つはリスクに関係する要素。即日返ってくる場合でも、11人に1人が返せないと想定される案件なら利子は10%以上になります。
    似て非なるものですよね。そして、後者は経済政策を語る時は無視して構わないのではないでしょうか。その場合、後者で差別化している金融機関は単純化して考えられるのではと思うわけです。(それが正しいどうかは分かりません。)

    まとめます。
    「前者」
    ①インフレ率が10%なら利子は10%以上になる(1年後)

    まず、これがわからない。
    実質金利なら書いた通りで、「減りこそするが、増えることはない」です。
    さっきの例。
    ・年利1%の名目金利(の場合)
    ・インフレ率10%
    ・実質金利=1-10=ー9%

    ②もう一つはリスクに関する要素。(略)11人に1人が返せないと(略)利子は10%以上になる

    これもわからないw
    利子??
    不良債権の件数÷総件数 (%) って話?
    不良債権率(件数)であって、利子は関係ないですから。

    1. 「利子が10%」

      「利率が10%」
      は違いますよねw

      私が混同してるのか、mottonさんが混同してるのかw

      「利子が10%」
      100受取利息があったところ、1割(10%)の10になった、、という事を言ってるのか、

      「利率10%」
      すなわち、100の融資で、利率は10%(年利)ですよ、という事を言ってるのか

      で意味が全然違いますw

      1. 私は「利子が10%」という表現を、
        「利率が10%と言ってるんだな」
        と思ってますが、違います??

        1. 素人さんが(経験上)よく言うのですw

          「このオートローンの利子(正確には貸出利率)は10%なんですね?」

          預金金利にしても
          「この定期預金は、利子(正しくは預金金利)は10%なんですね?」
          ってw。
          だから読み換えるんですけど、、まずはそこから、、なのか??

          >りし
          【利子】
          貸した金銭に対する報酬として貸主が借主から一定の割合で定期的に受け取る金銭。利息。

        2. インフレ率10%/年で、1年後に元本を含めて返済される場合。
          100を貸したら、1年後に110返してもらえば、貸し手は儲けも損もない。名目金利は年利10%で実質金利0%。

          リスクの方。
          同一(にみえる)案件の11件に10ずつ貸す。1件からは何も返ってこなかったとしても残り10件から11ずつ返ってくれば、貸し手は儲けも損もない。(単純化のため返済額が0か利子を含めて全額かの2種類に限定。)
          だから、リスク(1/11からは返ってこない)に応じた利子10%(時間は関係ないので利率ではない)で貸す。

          何かおかしいかな?
          元々インフレ率とかの話だったので、リスクの方は無関係だと言いたかっただけなんですが。

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