今回の非常戒厳から弾劾案までの流れで、「韓国の民主主義は凄い」という話が出ています。そんな見方ができる部分もあります。国民が国会まで行って兵士たちと対立する姿は、たしかに印象的でした(ちなみに、国会内でバリケードを作る人たちの映像で『国会に入って頑張っている』と褒める場合もありますが、彼らは国会議員補佐官です)。私は、『総合的に考えると、国と社会というシステムが『対立』に基づいているからこうなる』としか思えませんでしたが・・だからといって、『民主主義』という側面を褒めたい人がいるなら、それはそれでいいじゃないかな、とも思っています。どこをどう見るか、ですから。ですが、そのことで、妙な記事がありました。
「日本の人たちが韓国をうらやましいと言っている」という記事を載せました。記事は、「個人的な意見」としつつ、日本ではこのような民主主義集会は見ることができないけど、それは、原発事故に関するデモが失敗して、原発が次々と再稼働したことで、「やっても効果がない」と日本市民たちが悟ったからだ、というのです。、韓国日報です。以下、私の「個人的な」意見ですが・・まず、東日本大震災から始まった原発関連のデモが、国の民主主義を評価するほどの事案だったのか、というのが疑問です。関心が高かったのは分かるけど、「同じ意見」ばかりだったのでしょうか。原発再稼働には反対意見が多かったのも事実ですが、当時、電力関連もかなり問題になっていたので(実際、それが今の電気料金問題にも部分的に繋がっているわけですし)、2023年あたりから、調査機関にもよるものの、再稼働賛成意見が反対を上回るようになりました。
それに、あれの根本的な影響は、自然災害です。今回の件とは全然違うでしょう。個人的に、日本で『話題になりそうな映像』付きの集会、デモが少ない(ほぼ無い)のは、「そこまでする理由がないから」だと思っています。その論拠は、ついこの前の選挙です。この前の選挙で、「これはちょっと叱ってやらないと」という世論ができて、自民党の議席数は大幅に減少しました。『代わりになれる野党』という存在があったなら、いまの半分までは減ったのではないか、そんな気もします。その結果、いま多くの議論が起きて、特に103万円の壁などにおいて多くの注目が集まっています。これは、もちろん頑張ってくれている政治家たちもいますが、『選挙の結果』という国民の意志があってこそのことでしょう。
いわば、『派手なアクションシーン』はないけど、『ストーリー』としてずっと自然で完成度の高い作品になっているわけです。なぜこういう身近な事例ではなく、急に原発関連デモを持ち出したのか、それとも、そういうのを持ち出さないといけないなにかの理由でもあるのか。『いつものこと』と言ってしまえばそれだけですが。ちなみに、大統領の談話にもありましたが、韓国ではほぼ毎回、選挙の後に『選挙に問題がある』という主張が出てきます。以下、<<~>>で引用してみます。ちなみにソース記事のシリーズ、最初は結構良い記事もありましたが、いつからか完全に『典型的な韓国メディアの日本関連記事』になり、個人的にすごく残念です。
<<・・しかし当時(※朴槿恵大統領のとき)、事態に対する日本社会の反応は一言で憐憫だった。ろうそく集会の平和さと自発さを高く評価する意見もあったが、大部分は「権力がどれほど腐敗したらあんなに多くの人々が街に出るのだろうか」という反応だった。その裏面には「日本ではそれほど露骨な国政問題は起きない」という暗黙の前提があっただろう。2024年の弾劾集会を眺める日本社会の視点は、以前とは全く違う。事実上の内乱が起きたという点は日本人にとっても見慣れないと信じにくいことだが、それと同時に、韓国市民が民主主義を守るために積極的に出る姿に感心したという意見も多い・・
・・個人的にはこの時(※東日本大震災のとき)、日本で展開された反原発デモのエネルギーを高く評価する。韓国とは異なり、日本では1970年代以降デモがほぼ無かった。大規模な市民行動を組織し、実行に移すノウハウも消えてから久しい。そんな中、市民の集団行動が自生的に始まり、全国に火がついた。それほど切実な問題意識がなければ不可能なことだっただろう。問題は、彼らの自発的で力強いエネルギーが実質的には何の結実も結びつかずに溜まったままで終わったという点だ。
政治家たちは原発に反対する日本市民の声に耳を傾けなかった。原発をめぐる日本市民社会の世論が反対に集まっていないためでもある・・・・責任ある指導層なら市民の声に耳を傾け、原発中心エネルギー政策を根本的に見直すことが常識的だ。だが、日本政府は既存の立場からただ一歩も退いておらず、今年10月からは東日本大震災で影響を受けた「災害原発」を再稼動し始めた。東日本大震災と福島原発事故という大きな災害を経験し、せっかく飛び出した市民の声は、事実上却下された。自らの力で社会を変えることを希望した日本市民の試みが失敗で終わったのだ。
2024年韓国で起きる時代錯誤的事変を見ながらも、日本市民から「うらやましい」と言われる理由はそのためだろう。2011年、国家的災害を経験しながらせっかく飛び出してきた反原発デモが無為に終わり、日本の市民社会はむしろ大きな政治的トラウマを持つようになった。今、日本の市民社会に漂う冷笑と無気力さは、失敗の経験から始まったとしてもよいだろう。反面、韓国市民は民主化運動から弾劾集会に至るまで、何度も自ら社会的変化を引き出した経験を持っている。今この瞬間にも市民が集まって力を発揮する重要な文化的資産だ。もう一度の大きな変化が始まることを心から願う(韓国日報)・・>>
変化というのが共に民主党による政権交代なら、それは確かに近づいているでしょう。一部のメディアの報道によると、弾劾に必要な議員の数が満たされた(与党議員の一部が賛成している)とのことです。さて、予定通りなら、今日表決です。
ここからいつもの告知ですが、久しぶりに新刊のご紹介です。本当にありがとうございます。新刊は「自民党と韓国」という題です。岸田政権・尹政権になってから、「関係改善」という言葉がすべての議論の前提になりました。果たして、本当にそうなのでしょうか。いや、それでいいのでしょうか。じゃ、同じ路線でないのは、たとえばこれから日本政府の路線変更があった場合は、それは「改善」ではないのでしょうか。そんな疑問に対する考えを、自分なりに、自分に率直に書いてみました。リンクなどは以下のお知らせにございます。
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・皆様のおかげで、こうして拙著のご紹介ができること、本当に誇りに思います。ありがとうございます。まず、最新刊(2024年12月22日)<自民党と韓国>です。岸田政権と尹政権から、関係改善という言葉が「すべての前提」になっています。本当にそうなのか、それでいいのか。そういう考察の本です。・準新刊(2024年5月2日)は、<Z世代の闇>です。いまの韓国の20代、30代は、どのような世界観の中を生きているのか。前の世代から、なにが受け継がれたのか。そんな考察の本です。・既刊として、<韓国の絶望、日本の希望(扶桑社新書)>も発売中(2023年12月21日)です。「私たち」と「それ以外」、様々な形で出来上がった社会の壁に関する話で、特に合計出生率関連の話が多目になっています。・詳しい説明は、固定エントリーをお読みください。・本当にありがとうございます。