今日は、ちょっとマイナーですが、韓国の諺を一つ紹介しましょう。
「ソウルに行ったことある人と行ったことない人が喧嘩をすると、行ったことない人が勝つ」です。
ソウルというのは後で改変されたもので、もともとは「南大門行ったことある人と~」だったそうです。多分、ソウルという言葉が出来る前からあった表現なのでしょう。
まだソウルだの南大門だのというのが「死ぬ前に一度みてみたい」憧れの的だった頃、ある田舎の人Aが、思い切ってソウルに行ってきました。
ソウルって凄いな。あ、あれが南大門か。Aはとても満足しました。ここでいう南大門というのは、建造物そのものより、繁華街(市場などが集まった、当時ソウルの代表的な繁華街)という意味にもなります。
村に帰ったAは、人たちにソウルのことを話しました。ソウルに行くとこんなものがあって、あんなものがあって、南大門にも行ってみた。凄かった、と。
でも、ソウルにも南大門にも行ったことない村人Bが、「それは違う。デタラメだ。南大門は別のところにある」と反論しました。
Aは「えっ、何を言う。僕が見てきたんだぞ?」と言いましたが、無駄でした。Bは「嘘だ。間違いない。僕が知っているのと全然違う。Aは嘘をついている」と必死に反論し、喧嘩になりました。
そういう場合、なぜかBが勝つ、という意味の諺です。
いつだったか、韓国人は「知り合いの教授から聞いた話しだが」「有名な論文から読んだ」「~から聞いたから間違いない」などという話法をよく使うと書いたことがありますが、それも同じ類の「勝因」です。
韓国人は、そんな話をすぐ信じてしまいます。「自分で見た」より、そんな類の話のほうが、認められやすいです。
幼かった頃から上下を比べる社会になれているせいか、どうしても「上か、下か」で物事を考えているため、誰かと比べて、自分のほうが上でないと、自分自身に「自信」という言葉を適用することすらできなくなっています。
だから、韓国人が自分に自信を持つためにもっとも手軽な手段は、誰かを罵って、見下して、誰か別の人の格を下げることです。そうすれば、自分の格が上がると信じ込んでいます。同時に、相手の格が上がると、自分の格が下がると信じ込んでいます。
そう考えると、韓国で力を発揮する「格上」は、虛張聲勢(空威張り)、または自画自賛、または嘘とともに存在できるのかもしれません。
実際の力を身につけるより、そのほうが「勝つ」から、格も上がるわけです。
でも、不思議ですよね。なぜそんな喧嘩でBの勝ちになるのでしょうか?
理由はいろいろあるでしょう。単にB(行ってない人)が必死になってジタバタするから勝ちになったかもしれません。単に周辺の人たちが、Bのような話法に騙されやすいだけかもしれません。
ただ、本ブログなりにその理由を、あくまで「一つの見方」として書いてみますと・・・・
まずはここで「勝ち」ってなんなの?と考えて見る必要があります。
それは、「Bの意見が、周りに認められた」としていいでしょう。
すなわち、村人たちの、少なくともその場に集まっていた人たちの間で、ある種の総意が出来上がったわけです。Bが本当を言っている。A(行ってきた人)は違う、と。もちろん、その中でソウルに行ってきた人はAだけです。
じゃ、なんでそんなものが総意になれるのか?それは、ソウルに行ってきたAが、他の人たちから「妬まれたから」です。
「韓国人による末韓論」にも書きましたが、反共と反日はどちらも韓国の国是ですが、反共は右派と左派で意見が分かれているものの、反日は文句なしに国民の総意でできています。
反日には、日本への妬みと恐れが大いに作用しています。それと同じ心理であるわけです。
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