「日本博物館のハングル表記は、文化の上流だった国の人たちのための礼儀」

とにかく何が何でも「日本は下」にしないと気がすまない。それが韓国の反日思想の基本であり、幼稚園児から大学教授まで韓国人の基準で「なにより正しい行為」でもあります。それがそのまま「愛国」ですから。

今日は、ある詩人が、上野に行って博物館を見て、その感想を「アジア経済」に寄稿した文を紹介します。

 

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作品を見ながら「天才の作品」としたり、「ここまでうまい見せ方ができる末裔たちのセンスも凄い」としたり、

童子像を見ながら「ドッジ弾平」の話をしたりします。「赤く燃え上がる髪の毛が、熱情と闘志に燃え上がる少年の姿に見えました」、と。ドッジ弾平は韓国でも「避球王トンキ」というタイトルで地上波放送され、大人気でした。

ここまでならよかったかもしれませんが、明らかに寄稿文に不必要なものが目につきました。

「ハングル訳(説明などに)をしておいたのはとてもいいことです。日本文化芸術の上流だった国の人たちのための礼儀や配慮だと思うと、鼓舞されることです」。

http://v.media.daum.net/v/20171013090813051

 

随分前から、本ブログでは同じ趣旨を書きました。

韓国人は日本に旅行に来ても、笑顔がありません。韓国に帰ってからも、日本は大したことないとブツブツと文句を言います。でも、何故でしょう。翌年にはまた日本に行きます。

寄稿文を書いた人は、その訳が(多分、ハングルだけでもないでしょうし)そんな意図で書いてあるものではないと、分かっているはずです。でも、そう考えないといけなかったのかもしれません。

それが、韓国人の「愛国」ですから。

 

 

 

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