「日本人は、人が見てないところで誠意を尽くす。だから路地に美学がある」

韓国で10月に発売された「集中と霊魂」という本の内容をちょこっと紹介します。

大学教授とはいえ、哲学者が書いた本であるため、「そういえばそうかもしれないしそうじゃない気もする」内容が多いため、本の全般的な内容に関しては賛も否もしません。ただ、その中に日本に関する内容があり、部分的に共感を示すことができたので、その部分だけ再構成してみます。

 

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・現代社会にはいろんなことに熱中(※熱心にやる、熱を出すという意味)しすぎる人は多いが、ちゃんと集中できている人はそう多くない。だから何もかも疲れるだけだ

・「集中」は、存在論的な謙虚である。人が見てないところで落ち着いて誠をつくすことこそが、真の集中だけが成せるものである。出世や私欲のためにジタバタする「いろんなことに熱を出す」社会人のそれとは違う

・日本人は、集中がうまい。清潔で素朴ながらも美学のある日本の路地は、彼らの責任と労働で作られたものである。純度の高い集中が、味わい深く、居心地の良い空間を完成させたのだ。日本人が掃除好きなのも根本は同じであろう。だからこそ、日本では神々が人間の町のいたるところに降りてきている

・これに対し、韓国人は集中できないから周りに気を配ることが出来ない。だから韓国の街は、日本と比べて汚れている

 

反日っぽい話も無くはないですが、必要な部分だけ再構成してみると、こんなところです。

作者がなぜ「集中」という言葉を使ったのかについて、ちょっと考えてみました。現代社会の様々な「熱中」と対をなす言葉で「集中」が登場するのをみると、ひょっとするとここでいう集中は、「私欲のためにいやいややるのではなく、生活の中で自然と身に付いている何かが周辺に配慮する形で現れているもの」という解釈もできなくはない気がします。私が「何故日本のご飯は美味しいのか」に書いた、「身に付いている」という表現と似ているのかもしれません。「人が見てないところで」ちゃんとするかどうかで違いが顕になるという内容も、そのためではないでしょうか。形だけ備えようとしたものは、周りに気を使うほどの余裕まで手に入れることは難しい。自然と身についた生き方こそがモノを言う・・・と。哲学者さんが書いた本に正解を求めるつもりはありませんが、私はそんなふうに思いました。

とにかく、曇った話が相次いだこともあるし、読んでよかったです。でも、韓国から本を買うのはこれで最後かもしれません。手続き面倒だし、日本で買った本もずいぶん積んでありますので・・・

 

 

 

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