韓国人が、自分と社会を一体化する時

「人を楽にしてくれる国・日本」にて、「個人の問題なのか、社会の問題なのか」と書いたことがあります。

韓国人は、基本的に、個人(自分)が社会の一部だという考え方ができません。

「配慮は自分が他人にやるものではなく、他人が自分にやるべきだ」と考えているのも、そのためです。自分だけが特別だからです。

社会問題が発生しても、韓国人(個人)はよくある「世の中が悪い」を貫きます。自分のせいだとは言いません。だから自分が問題解決のために何かをやるべきだとも思いません。

ただ、そうやって「悪い世の中」から他国に移住しても、差別がどうとかとブツブツ言いながら韓国に帰ったりします

 

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韓国社会でなにか問題が起きれば、韓国人は「公憤」しながらその問題の犯人を叩きます。犯人が「上」にいた人でも、一気に下に落とされます。そして、大衆はその人を徹底的に叩き潰し、「これで問題は解決された」と信じて疑いません。

この現象を、「韓国人って愛国心が強いな」「韓国人は正義感が強い」と美化する人もいるみたいですが、実は、「魔女」一人を徹底的に叩くことで「私のせいじゃない(≒全てが叩かれているその人のせいだ)」「悪を叩いたから私は善人」とする、自分をその問題から隔離するため(自分をその問題とは関係ない存在にするため)の自己防御にすぎません。

 

いわば、韓国人は社会と自分を別々だと思っています。万が一でも自分が社会の一部であってはなりません。いざという時に責任を取るはめになるからです。

 

 

ただ、そんな韓国人が、社会と自分(または自分の『ウリ』など)を必要以上に一体化させる時があります。

一体化することでただで自分の価値が上がりそうな時、急に「大韓民国マンセー」になります。スポーツ試合などでよくあります。この場合は、「一緒に喜ばないと自分の価値が下がりそうだ」と書いたほうがいいかもしれません。

そして、全てに行き詰まったときもまた、自分と社会を完璧に一体化させます。嘘エントリーで、韓国人は嘘がバレると「全てがそうだろう?(다 그런 거지)」と言う、と書いたことがあります。それと同じです。

世の中が全てそうだ。私だけが悪いわけではない!

 

今日、李明博氏が育った町(その町では、李明博氏は英雄になっています)のおばあさんが、記者にこんなことを話しました。

「それぐらいの金を裏で受け取ってない大統領っていないでしょうに。朴槿恵大統領の弾劾でもう十分でしょう」

http://v.media.daum.net/v/20180314133852187

 

これもまた、大統領という限られた範囲ではあるもの、「誰もがそうだ」と考える一例でありましょう。

 

朴「おばあさん、私は関係なくないですか?」

おばあさん「あんたはウリの町とは関係ない」

 

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