頭の中の日本

ご存知、韓国は日本を評するにおいて、いつも上から目線です。

それは、「見下す」よりは「見下さないといけない」というもので、日本はいつでもどこでも韓国より劣等な存在でなければなりません。それが「正しい」ことだと韓国では認識されています。

この考えは昔も変わりませんでした。しかし、極めて一部、韓国人の頭の中の日本と現実の日本の差を警告する人たちはいます。

1475年、王に「日本と喧嘩してはいけません」と遺言を残した人がいます。今日は彼の遺言を紹介しましょう。

 

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この記事は2012年4月、東北大震災の1年1ヶ月後の朝鮮日報の「一事一言」というコーナーに載っているものです。

<・・(東北大震災のことで)韓国人たちはひそひそ話に盛り上がる。もう日本は終わった、日本を学ぶ必要などない、と。振り返ってみると、3・11以前にも韓国人は日本に対して同じことを述べていた。いまは米国と中国の世紀だから、日本を学ぶ必要はない。政治・経済的に没落して放射能まで汚染された日本を何しに研究するのかと、真顔で聞く人が少なくない。

私は(記者は)このように答える。そのような話は、日本の将来に関する韓国人の希望を反映したもので、現実とは乖離があると。たとえ日本が極東の小国に転落しても、私たちが生きている間、日本が東アジアで完全に存在感を喪失することは起こらないだろうと。国力の大小にかかわらず、日本は中国とともに韓半島の歴史に影響を与える「常數(常に考慮すべき要因)」であることに変わりはない。

「懲毖録」の最初の部分は、申叔舟(シン・シュクジュ)が成宗(当時の朝鮮王)に「日本との和親を失ってはなりません」と遺言を残す逸話が載っている。当時、日本の国力は中国と比較にならないほど弱く、朝鮮との関係は比較的安定であった。しかし、安心せず、常に日本を観察し、平和を維持しなければならないというのが申叔舟が伝えたかったことであろう・・>

http://v.media.daum.net/v/20120427032907101

 

私が知っていることに間違いが無ければ、ですが・・この遺言、詳しくは「日本と失和してはなりません」です。王が「何か残したいことがあるのか」と聞くと、申さんが「日本と失和してはなりません」と答えました。すなわち「日本と喧嘩してはなりませんぞ」、と。

申叔舟は1475年に他界したとなっていますから、この遺言を残したのも1475年だとすると・・すでに日本の国力は朝鮮よりずっと強くなっていました。しかし、朝鮮は実際の国力の差を認識せず、日本を見下していました。そのことで、申叔舟は「日本と喧嘩するなよどうなってもしらないぞ」と言いたかったのでしょう。つか、名のある文官としての人生を送った彼が、わざわざ遺言でこんなことを言ったとは。いったい朝鮮の日本観ってどういうものだったのでしょうか。

申叔舟が死んでから約540年が過ぎた今でも、世界で日本を見下すのは韓国人だけだと言われています。韓国人の頭の中では、そうでなければならないからです。

 

 

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