教えてやる

映画を映画として楽しむなら、イ・スンシンが12隻で200隻に勝っても問題ありません。イ・スンシンがかわいい女の子に転生して、豊臣秀吉の末裔とラブコメディーを繰り広げても何の問題はありません。

問題は、韓国人がこれらの内容を「隠された真実」として信じてしまうことです。

2016年制に作された「鬼郷」という映画があります。10代の朝鮮の少女たちが日本軍慰安婦に連れて行かれ、性奴隷として無残な死に方をするという内容です。同年4月2日に行われた試写会で、チョ・チョンレ監督がこのように話しました。

「慰安婦の(強制連行の)証拠がないという日本の主張に腹が立つ。ここに証拠がある。この映画こそが文化的証拠だ」。

 

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2015年8月25日スポーツ朝鮮とのインタビューで、鳴梁(イ・スンシン無双の映画)のキム・ハンミン監督は映画の日本での上映を進めているとしながら、こう話しました。「日本人たちは過去をしらない。過去を知らないから反省の必要性も感じないでいるのだ。だからこういう歴史(映画)を教えてやる必要がある」。彼らにとって、この映画は歴史であり、証拠であります。この意見に反論する韓国人は、いません。いるにはいるけど、いないと書いても問題ないほど少ないのが実情です。

 

何かに似ていると思いませんか?韓民族は日本民族より偉大だ。根拠は無いけと信じる。韓国人ならこうあるべき。「韓国人ならこの映画を見ないといけない」や「この映画に文句を言うやつは韓国人ではない」など、社会的に広がる同調圧力。その時代の波及力の強い媒体(本、ネット、映画など)を通じて無差別に広がる検証されていない、しかし逆らえない、逆らいたくない偉大なる民族の姿。

私は、こう思っています。これらの作品は、韓国人にとって「もう一つの上古史(韓民族は偉大だとするトンデモ歴史観のこと)」ではないだろうか、と。すなわち、これらは、韓国の民族主義が人を所有するための道具でもあるのです。これに反論するのは、すなわち反民族行為なのです。

 

韓国が日本に対して「なぜ日本には嫌韓本が多いのか」と抗議するのも、同じ脈略です。私は、日本で「いわゆる」嫌韓本と呼ばれているものは、さすがに全てを読んでみたわけではありませんが、相応の資料を根拠にしたものであり、出版の自由のもと、読み手が判断すればいいだけのことだと思っています。しかし韓国では、「日本の嫌韓本は一方的な捏造だ」としています。「映画を証拠だと言い張る人たちにだけは言われたくない」なところですが、これは、「上古史」と「植民史観」の関係に似ています。韓国の映画は隠された真実で、日本の根拠は日本が韓国を見下すための捏造で、ただのヘイトだというのです。

特に「おしえてやる」というところが、某実験の人たちと似ている気もして・・ふっと書いてみました。

少し曇ってきた、7月の正午です。

 

 

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