「光復節」の裏の意味

3年か4年前に旧ブログにも同じ趣旨を書いたことがありますが・・8月15日を韓国で「光復節」と呼びます。主権、民族自主、自由などの意味(記事や論文によって「主権」以外は一致しません)で「光」を取り戻せた、という意味です。

ただ、これが公式用語になったのは、1994年からです。

光復、光復節という言葉は前からありましたけど、どちらかというと「解放」が圧倒的に主流でした。政府も「815解放」という言葉を普通に使っていましたし、今でも韓国の記事では「解放」という言葉を使うこともあります。

じゃ、どうして急に「光復節」が公式になったのでしょうか。「解放」は「された」または「してもらった」もので、「光復」は「した」「自分でやった」ものだから、「解放」ではなく「光復」が正しい、という理屈です。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

2008年の韓国経済新聞のコラム、「光復と解放」には、こうなっています。

<・・「8月15日は、韓国が日帝から解放された日である」と「8月15日は、韓国が日本から光復した日である」。二つの文章は同じ意味ではあるが、「解放」には「される」という受動的表現が、「光復」には「する」という能動的表現が使われている・・

・・「光復」自体が奪われた主権を「買い戻す」ものであり、その使い方は「光復する」のであって「光復される」という表現は適切ではない・・

・・「光復」は「我が国が光を取り戻したこと」という意味であり、したがって、「私」を主体にして使うことができるのだ。「8月15日、我が国は光復した」と書くのが正しい・・>

http://sgsg.hankyung.com/apps.frm/news.view?nkey=5400&c1=99&c2=15

 

普通なら、こういう問題に「光復!主権!ヒャッハー」とするはずのハンギョレ新聞すらも、当時(1995年2月9日)には「光復」という言葉に疑問を提起しています。

ハンギョレ新聞「1995年は光復50週年か、解放50周年か」

・94年3月の大統領令14185号で1995年を「光復50週年」とした。政府や傘下団体の公式イベントにも光復が公式用語となった

・歴史学界の見方は違う。ほとんどの韓国史に関した著作では「815解放」となっている。815光復という言葉は見つからない

・歴史学者たちは「解放」が正しいと認識しており、その主張の中には、どうしても光復を使いたいなら48年から数えるべきではないのかという意見もある

・70年代から「解放」は左翼がよく使う言葉だという理由で光復という言葉が増えたが、公式用語ではなかった

・政府は光復を公式用語にしながら、学界に諮問を求めていない

 

じゃ、なんで急に「解放」を「光復」に、受動を能動に変えたのでしょうか?

理由が簡単です。自力でなにもできなかったからです。

1987年、憲法前文に「臨時政府の法統を継承する」という言葉が復活しました。朴正煕氏によって憲法前文から削除されましたが、やっと復活したわけです(この時点ですでに韓国は教育界を完全に左派に握られていました。これについては「朝鮮半島統一後に日本に起こること」でも論じています)。

その臨時政府史観とも無関係ではないでしょう。臨時政府は「戦って勝利を勝ち取った」ということになっていますから。

 

 

 

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