ヒョモ(嫌悪)

今日もヒョモ(hyeom-o、嫌悪)関連の記事が目につきました。

本ブログでも何度か取り上げたことがありますが、韓国ではこのヒョモが大きな社会問題となっています。今日の記事というのはニューシースのものですが、大学教授の言葉として嫌悪をこう説明しています。

「嫌悪は、弱者や少数者を苦しめても、彼らは私に対抗することができないという確信があるとき、可能である」、「結局、嫌悪は、この社会の細かい位階の序列(ヒエラルキー)から始まる」

https://news.v.daum.net/v/20180908095005405

どうでしょう。確かにそういう側面もあります。でも、それだけでは韓国の嫌悪は説明できません。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

その教授の見方は、簡単に言うと、上が下にやるのが嫌悪だとしています。どうでしょう。いくつかの極端な「甲乙問題」ならそれで説明できるかもしれませんが、でも、違います。韓国では、下も上を嫌悪します。乙も甲を嫌悪します。

青年が高齢者を嫌悪し、高齢者が青年を嫌悪します。男性が女性を嫌悪し、女性が男性を嫌悪します。右が左を、左が右を嫌悪します。そして、誰もがこう口を揃えます。「あいつが私にしているのは嫌悪だ。でも私があいつにしているのは嫌悪ではない」。

 

なぜこうなるのでしょうか?これを「上下、位階秩序の問題」だけで説明できるのでしょうか。韓国のマスコミが韓国社会の嫌悪を分析するときに起こす致命的なミスが、これです。

韓国社会の嫌悪は、異常なまでに双方向性です。加害者と被害者を分けるのが不可能なほど嫌悪が双方向性であることです。なのに、これを認めず「強い存在が弱い存在を嫌悪する」と分析する人が多すぎます。

 

いままで本ブログで書いた内容の中から、2つを組み合わせてみるといいかもしれません。

一つは、3月に紹介しましたが、ミートゥー運動で追い出された某教授の言い残したセリフにこういうものがあります。「ひょっとして、あなたたちは自分自身の恥ずかしいことを隠すために私の謝罪を必要としていませんか?」。

もう一つは、ついこの前に書いた、アリス・ウィートン氏の洞窟の話です。自分が嫌悪されないために、誰かを嫌悪するしかないのです。

こんな韓国社会のヒョモを、「甲から乙へ」なものと分析したところで、何の解決にもならないでしょう。甲へ向かう乙の嫌悪に、免罪符を与えてしまう恐れすら、あると言えます。

 

 

 

 

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