『1970年代』に作られた日帝残滓(?)、撤去される

ブログ表示に何か不具合があった場合、リロード、またはここをクリックしてください

 

韓国で「日帝残滓」を撤去する騒ぎが起こるのは、珍しいことではありません。信仰に関するもの、文化に関するもの、資料としての価値があるもの、生きているもの(木など)、関係なく撤去されます。一部、博物館などで保管されるものもありますが、基本的には嫌悪の対象としての保存(日本がこんな悪いことをしたと子どもたちに教育するための保存、韓国で言う『教育目的での保存』)となります。

忠清北道でまた、「天地神壇」と呼ばれるものが撤去されました。ただ、これは1970年代(推定1975年頃)に作られたものです。なんで1970年代に作られたものが「日帝残滓」として撤去されたのでしょうか。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

韓国の忠北大学校というところには、天地神壇碑というものがあります。1930年代、併合時代に作られたものだ(朝鮮総督府が指針を下した)と言われています。日本のネットで「天地神壇」を検索してみると、当時祭祀を捧げる姿などがヒットします。この碑は別の町にあったものですが、1970年代、忠北大学校の野外博物館に移されました。

すると、その町の人たちは、同じものをまた作りました。それが、今問題になっている1970年代の天地神壇です。それが約45年経った今、「日帝残滓だ」とされ、撤去されたのです。

 

記事は、「伝統信仰のものだと勘違いしていた」「作っておいて45年間放置した」としていますが・・世代が完全に入れ替わった(100年ぐらい経った)なら分かるけど、1970年代、1975年だとすると、45年前に「どういう経緯で作られたのか」を町の大人たちが知らなかったはずはありません。

忠清北道は、日帝残滓の「殲滅」に特に力を入れています。偉人扱いしていた人たちを、急に「親日派」と言い出し、碑石を倒し、「断罪文」を刻んだりしています。その流れとして、1970年代に町の人たちが自発的に作ったものすら、日帝残滓として撤去されてしまったのではないか・・・ひょっとして、何かの「ノルマ」を達成するために無差別に数を増やしているのではないか。どうしてもそういう邪推に傾くのは、私の心が曇っているからでしょう。

ソース記事URL(本文の引用はしていません):https://news.v.daum.net/v/20191102050106764

 

 

 

※「今、韓国で起こっていること 「反日批判」の裏側に迫る」が発売中です!発売後すぐに重版が続き、情報ライブミヤネ屋でも紹介されるなど、おかげさまで話題になっています。本当にありがとうございます※

 著書関連のお知らせ ♨

本ブログの拙書のリンク(基本アマゾンリンクになります)は、アフィではありません。目次など紹介のつもりで載せていますので、よかったらお読みください。

新刊「今、韓国で起こっていること 「反日批判」の裏側に迫る」が発売中(8月2日発売)です!

最近、韓国側から「反日」を批判する声が上がってきます。それは、反日を批判しているから「親日」なのか?それとも反日の一部にすぎないのか?なんでこのタイミングで反日批判が増えたのか。それはただ「用日」として切り捨てればそれでいいのか。もう少し裏側に迫ってみます。

・「なぜ韓国人は借りたお金を返さないのか~韓国人による日韓比較論~」が発売中です。日本人とお金の間の共存関係に妙な品位を作り出していること。そこには、韓国には無い、平等という価値観がありました。

・「人を楽にしてくれる国・日本~韓国人による日韓比較論~ (扶桑社新書) 」が発売中です。私が書きたかった「楽」という言葉の真の意味などを考察し、大幅な追記を加えました。他の本に比べて、神様関連の話が多くなっています。

・他にも韓国の反日思想に対する考察をまとめたシリーズがございます。それぞれ、重点を置いた部分が違います。今までのシンシアリーの拙著については、書籍紹介ページをご覧ください。

・シンシアリーはツイッターをやっています。他のSNSはいまのところやっていません。ほとんどが更新報告ですが、たまに旅行先の写真をツイートする時もあります。よかったらチェックしてみてください。https://twitter.com/sincereleeblog