全斗煥氏、像になる

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全斗煥氏が、像になりました。縄に手首と首を縛られ、跪いている、韓国の典型的な「罪人」の姿です。市民団体が作ったものだそうです。慰安婦像のように「各地に作る」とも。

↓「このやろう」と叫びながら頭にペチペチ攻撃

引用及び画像キャプチャー:JTBC

https://news.v.daum.net/v/20191212203616994

 

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<・・軍服を着たままひざまずきました。両手首と首は縄で縛られました。そして、監獄に閉じ込められた、全斗煥氏を形象化した像です。

市民たちが自発的にお金を出しました。

チョン・ハンボン、像製作者:「生きている間に膺懲(※韓国では『罪人を戒めて、自分の罪を分かるとうにする』という意味になります)して、生きている間にこれをは必ず全斗煥にも聞こえるようにして、首都ソウルの真ん中に、多くの人々が怒りの心を表出することができる」・・

・・5.18市民団体は像を光化門広場に維持し、少女像のように全国各地に設置する計画だと明らかにしました。>

 

明らかに「人」そのものの人格を破壊するような行為であるし、広場にこのままにすることは法律的に大丈夫なのでしょうか。そんな問題点を指摘する内容は、なぜ無いのでしょうか。

「市民たちが自発的にお金を出しました」。これが「だから、いい」の十分な理由だからです。

韓国社会において、「自発的」という言葉は、責任回避のために使われます。市民が自発的にやった、だから誰の責任でもない、というのです。その市民たちをコントロールする団体があったとしても、「知らない。自発的なことだった。うちの責任じゃない」と逃げます。

これもまた、韓国社会に根強く残っている「民は常に正しい、官は常に間違っている」という考えの現れであります。もはや裏に市民団体あってこその、権力維持の手段でしかありませんが。

ある意味、韓国政府が「民間がやったことだから知らない」としてきた慰安婦像や、韓国の某国会議長が『自発的な出捐金』を強調しているのを、似たような流れです。「市民の自発的~」という言葉は、法律より上位の概念。それが韓国です。いつものこと、「常に見苦しい」という結果にしかなりません。

 

 

 

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