議論エントリーその6

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220 Replies to “議論エントリーその6”

  1. そろそろ、事実だからと言ってあげつらうのもどうかな、という気がしてくるのですが。

    馬鹿(含む思い込み)に馬鹿と言うだけでは馬鹿は何時まで経っても馬鹿のままですし、馬鹿にも分かるようにしてやれないのは己が能力の限界や不十分を甘んじて受け入れ諦めるに等しく、それをそのまま自分では無理だと放置するのならば兎も角、殊更に気質や器質に問題があるとしてしまうところで終わっちゃうのはどうなんでしょうね。

    「みんな間違ってる」の「みんな」の部分を個人に入れ替えただけでやってることに変わりが無くなってきてやしませんかね。

    やられたからやり返す、というのなら過剰にならないように留意するべきですし、相手に理解できるように話すことが出来ずに間違ってるとしか言わないのなら、文字通りに馬鹿って言う方が馬鹿なんだの実践で、何ら建設的な結果をもたらさない言動でしかありません。理解を得るための試行錯誤というのなら、理解したくなる気も萎えるような物言いは控える方が望ましいのではなかろうか。

    もちろん、そんなこたどうでも良くて罵倒合戦を楽しみたいというのなら全く持って差し出口でしかありませんが、そもそもその罵倒も批難対象だったはずなのではとの疑問が浮かびます。

    まあその。
    引っ張り上げたい釣りあげたい、自分の認識の確認がしたいといった気持ちや嗜虐心をくすぐられたりするのも分からないではありませんし、理解するべく考えたいというのもありましょうが、つられて過剰な振る舞いが見られるようになる前に程々のところで留めるというか表現に配慮が欲しい気がします。近頃はマシですし。また暴れたらその時はその時で。

    ほんと彼は人気者ですね。

    1. こうして勝手に、にゃなさんのコメントを書き換えてみて思うのは、このブログがそういう雛形で成り立っているなあ、と思います。

      ※書き換えた箇所はカギカッコ部分です。

      対象が韓国なのか個人なのか違うだけですね。
      ここで毒を吐いて暴れまわる人と、日本に毒を吐いている韓国がオーバラップしてみえます。

      この雛形を否定すると、このブログ事態が成り立たないのではないかと思います。
      で、それが良いのか悪いのかという是非についての判断は、私は保留します。

      繰り返しますが、この雛形が正しいとか間違っているとかは一言も言っていません。

      *****

      そろそろ、事実だからと言ってあげつらうのもどうかな、という気がしてくるのですが。

      「韓国」(含む思い込み)に馬鹿と言うだけでは「韓国」は何時まで経っても馬鹿のままですし、「韓国」にも分かるようにしてやれないのは「日本」が能力の限界や不十分を甘んじて受け入れ諦めるに等しく、それをそのまま「日本」では無理だと放置するのならば兎も角、殊更に気質や器質に問題があるとしてしまうところで終わっちゃうのはどうなんでしょうね。

      「みんな間違ってる」の「みんな」の部分を個人に入れ替えただけでやってることに変わりが無くなってきてやしませんかね。

      やられたからやり返す、というのなら過剰にならないように留意するべきですし、「韓国」に理解できるように話すことが出来ずに間違ってるとしか言わないのなら、文字通りに馬鹿って言う方が馬鹿なんだの実践で、何ら建設的な結果をもたらさない言動でしかありません。理解を得るための試行錯誤というのなら、理解したくなる気も萎えるような物言いは控える方が望ましいのではなかろうか。

      もちろん、そんなこたどうでも良くて罵倒合戦を楽しみたいというのなら全く持って差し出口でしかありませんが、そもそもその罵倒も批難対象だったはずなのではとの疑問が浮かびます。

      まあその。
      引っ張り上げたい釣りあげたい、「日本」の認識の確認がしたいといった気持ちや嗜虐心をくすぐられたりするのも分からないではありませんし、理解するべく考えたいというのもありましょうが、つられて過剰な振る舞いが見られるようになる前に程々のところで留めるというか表現に配慮が欲しい気がします。近頃はマシですし。「韓国」がまた暴れたらその時はその時で。

      ほんと「韓国」は人気者ですね。

      ***

      1. 私はここは、にゃなさんに与します。
        味方になるというのではなく、感覚が近いという意味で。

        「笑い」は怖いんです。
        2003年、ルワンダで起きたジェノサイドの話しをします。
        最初は「笑い」から始まっています。
        ラジオ番組の人気 D J が、ツチ族の特徴をデフォルメした笑いを連日流していたそうです。
        それが次第、次第に本物の揶揄へと、剥き出しの敵意へとエスカレートして、遂には大虐殺に行き着いてしまった。
        大衆は流される。
        でも、一度その流れができてしまったら、止める事は出来ません。仕掛け人にもです。

        そのままでは口に出来ないような悪口でも、笑いに転化することで楽しいものになる。
        私は子供の頃から、吉本新喜劇が大好きでよく見るんですが、面白いんですよね、人の特徴を揶揄する笑いって。
        「誰がハゲやねん!」ってやつです。www

        笑いは、悪口のハードルを下げる。
        そこまではいいんです。
        しょうもない事に腹を立てるより、笑い飛ばしてしまう方が断然いい。
        でも、そこを超えてしまうことがある。
        先に笑いによって、ハードルが下がっていると、エスカレートして行ってしまっている事に気付けない。
        一線は、超えてしまった事に気付いた時には遅いのです。

        いじめの構造ですね。
        徐々に下げられたハードルを、面白いように飛べるなら、再び上げることは難しいのです。
        だって人を笑うのは面白いから。
        人間はゲスなんです。

        だから、線引が必要なのです。
        ここのコメント欄からジェノサイドはあり得ないけれど、荒れることは充分あり得る。
        にゃなさんの問いかけは、気付かない線を超えてはいませんか? というものでしょう。
        貴重です。

        あと私は、日本人の優秀さなんて、更々信じていません。
        良いところも、あかんところもある普通の集団だと思っています。
        日本人と韓国人にも、そんなに差があるとは思えない。でも違う。
        何故だろう?
        どこに違いは生まれるんだろう?
        私にとって、このブログはそういうものです。( 何故、トキはトキに、アミバはアミバになるんだろう? みたいな。www )

        韓国を笑って (嗤って ) いいよ、というものではないですよね。
        韓国人が当たり前の事として日本人の悪口を言っても、日本人にはそうなって欲しくない。
        嗤う人は絶対いるけど、当たり前にはしたくないです。

        でも嗤う人の方が、まだ健全かも。
        私は、七誌さんをサンプルとか、検体とかって見てるもの。

      2. >最近の韓国は頭痛の種さん
        はい、「」部分はもとのまま入れ替えても、批難や罵倒、侮辱の応酬をしている二者を取り上げれば、何を入れても成り立つかと思います。一応そのつもりです。個別の事象にあたる部分は引っこ抜くか改変の余地がありますが。

        教徒と異教徒、保守と進歩、ファンとアンチ、きのこたけのこでもなんでも。なので、ここに限らず汎用性があると……いいなと思っていますがどうだろう。

        種さんが連想する「毒を吐く姿」には無責任や考え無しに加えて悪意もふくまれていましょうか。そういった行いの正誤や良し悪しは時と場合で変わりますから一概に断じることが出来ません。なので良し悪しではなく雛形と捉えて頂いて安堵してます。

        個別の事象を引っこ抜いて出来るだけ端的にしますと、あげつらい批難し侮辱するだけといった行為から得られるものは碌にありません。それを踏まえて自分の意思で行為に及ぶのなら、問題はあるけれど構いません。そうしたい時もあるでしょう、反撃されればいいです。

        けれど、これを当然の行いと見做してしまうと、何の呵責もなく行い、過剰であること、相手がある、人であることを、己のダブスタも不問にしてしまいかねません。韓国ちゃんではわろたふとしてよく見られる、あれが常態化しかねません。

        じゃどうするか。節度を保ちましょうというお話です。
        程々に留める、節度を保つことが出来なければ、不毛な諍いが継続されるだけになりはしないかと考えた次第です。ぜんぜん端的じゃねぇや。

        という訳であげつらうことが気軽になり過ぎてはいないか、なにか侮辱する権利を得た気になってはいないか、いつか批難した行為を自ら為していないか、考えて頂けたらと思います。

      3. cieさん

        cieさんの「笑、嗤」にたいして私は「怒」です。
        韓国を通して日本の姿をみています。

        韓国に興味はありません。韓国が馬鹿しようが自滅しようが勝手にしてくれが基本姿勢です。
        韓国が日本にタカリ、日本の評判を貶める行為に対し「怒」っています。

        日本が韓国にどういう姿勢でいるのか、どう対決するか注目しています。だから「笑」という余裕はありません。「笑、嗤」は相手より自分が優位な立場、安全な立場にいるから笑えると思います。

        どういうことかと言えば、コンビニ強盗が店主の反撃で警察に捕まる映像は、安全が保証されているから笑えるんです。現場に居たらとても笑う余裕などありません。
        私は日韓を頻繁にコンビニ強盗にあう店主、そういう目で見ています。強盗がどういう経緯で強盗を働くようになったかなんて興味ありません。

        七誌さんが、他人のコメントを誤読し他人を罵倒する行為は迷惑で不愉快です。その行為に対し「怒」を持っています。

        韓国に対する「怒」の感情と七誌さんの行動に対する「怒」の感情の発散の仕方に類似点があると思います。にゃんさんのコメントを読んでそう思いました。

        1. 最近の韓国は頭痛の種さん

          私の「笑い・嗤い」のコメントは、はっきり言ってしまえば、とろいやさんに当てたものです。
          師匠、最近ちょっと度が過ぎやしませんか?って。
          とろいや劇場って、「あかんけど、面白い」というものですよね。
          その「あかんけど」の部分が抜け落ちると怖いですよと言いたいわけです。

          歯に絹を着せずに言います。
          七誌さんの事を、私は面白いサンプルと見ています。
          とろいやさんに至っては、完全におもちゃです。( と見えます。)
          種さんの仰る通り、私( たち ) は彼を脅威と見做していません。驚異ではありますが。
          韓国に対しても同じです。
          中国共産党がいきなり倒れる事は怖い。
          でも韓国は、うざったいけど脅威になり得るようなものではないと。
          「長い目で見て」です。

          話しを戻しますが、種さんは「怒」を持って彼 ( 七誌 及び 韓国 ) を見ていて、笑う余裕などないと仰る。
          だから怖いと言ってるのです。

          とろいやさんは、デフォルメし「笑い」に変えることで、彼が本当は脅威ではないと伝えようとしているのに、「怒」っている種さんには、そんな譬え話は意味を為さない。
          ここの↓下にある、お二人の会話は噛み合ってないのに、噛み合っているように見えてしまう。
          意図とは逆に、「怒り」を吐き出すきっかけになってしまう。

          そうやって「笑い」を使って、意図的に大衆の「怒り」を煽ったのがルワンダのジェノサイドですが、韓国の反日も構造は同じです。
          大衆の抱えている不満に、息抜きを提供する。
          でも、それは徐々にエスカレートして息抜きとは言えないものに成長してしまう。
          韓国はもう引き返せません。
          今の日本は、それを見ているだけでいいのです。

          「怒り」を抱えている人に対して、「笑い」は通じない。
          だから真面目に言います。
          言えることは一つだけです。

          「それでも、彼のようにはなるな。」

          こちらが節度を保たなければならない理由は、彼と同じ土俵に乗らないためです。
          ミイラ取りがミイラになってはいけないからです。
          それでも相手を人間と見る、人間としての誇りを保ってください。

          1. 名宛人になってるので、返信を。
            自戒すべき、と分かってはいるのですが、
            私は、元々「何かを面白がる」ということについては、「面白ければ、何でも有り」という思想に親和性が強いので、思いつくと、何でもネタに、どんなネタでも…苦笑。

            他人を嗤っていると、いつの間にか「嗤っている自分の方が、嗤われているヤツより上」という意識が芽生えてしまうのですね。

            そうならないように、注意点を、自戒のために、挙げておきたいと思います。
            1ー①「あくまでも『嗤われている者』も『嗤っている者』も『等しくバカである』という事を、忘れない」
            1ー②「自分の中に、常に『ツッコミの声:「あんたも似たようなモンやがな」とか「目くそ鼻くそ、ちゃうんかい」と客観的につついてくれる何か』を持つ」
            2ー①「他人の不幸は、なるべくネタにしない:自業自得の場合は基準を少し緩めて良い、けど、『少しだけ』ね」
            2-②「汚い言葉で他人を蔑むスタイルは、採らない」
            2-③「自分ではどうしようもない事、を自覚して苦しんでいる人の姿は、揶揄しない」

            1は基本、2は「たいていの場合、そういうネタは『笑えない』から」でもあります。

          2. cieさん

            cieさんの返信、私のコメントにぶら下がっていますが….。

            さて、韓国を怒ることと韓国の行為を怒ることはニュアンスが違います。
            あんなおバカ韓国に何の怒りも感じません。
            韓国が日本にしている「行為に怒り」を感じます。
            韓国のしている行為は日本の名誉と国益を毀損しています。

            これを笑いにすると、おバカな韓国に手玉に取られて黙って笑っているお人好しの日本。
            韓国の国富のほとんどが無防備な日本から窃盗したものだった、になります。笑えますか?。

            先に、韓国が日本の評判を貶める行為に対し怒っていると述べ、日本がその韓国にどう対応するか注視していると述べましたが、
            日本の対応の甘さに対しても「怒」を感じている、も追加します。

      4. にゃなさん

        韓国、七誌さんに共通する「毒を吐く」は、
        エチケットを守らない
        相手を尊重しない
        事実を捻じ曲げて解釈する
        自分が相手より優越していると勘違いしている
        謝罪を負けだと思っている
        反省しない
        自分と異なる意見は受け入れない

        *世間一般の常識が彼らには通用しないんですね。

        大雑把に言うと、ここで七誌さんに手を焼いていることと、
        日本が韓国に手を焼いているのは同じ根っこがあると思います。

        節度を保つべきは韓国と七誌さんです。そうでないから困っています。毒を吐かれた被害者に節度を保とうよと言うのは違うと思います。

        被害者が節度を保てば問題は解決するか?
        しません。

        解決策は何?
        以前、揉めた時シンシアリーさんに提案したことがあります。
        予めルールを作り、このブログのアンケート機能を使って、ここで迷惑行為を繰り返す人の賛否を問う。条件を満たせばルールに従い退場させる。

        シンシアリーさんの答えは、個人のブログなので民主はいらないと思う。

        でした。

        ここのブログは無法地帯です。したがって個人の節度が求められます。それができない人が居るので、時々争いが起きます。

        私個人の考えは、規則を作り、違反しない限り自由は保証するが、規則に違反すると自由を束縛する。
        単純明快です。

        シンシアリーさんは個人のブログに民主はいらない考えですが、違反者を退場させる権利はブログ主の特権です。読者は民意を投票で表明するにとどまります。

        1. ちょっと待って種さん。

          もしクラスに問題児がいて、みんなで決めたので、退学にして下さいって言って、先生がそれに応じると思いますか?

          はっきり言うけど、それって「ロウソクデモ」ですよ。
          民主主義じゃなく衆愚政治です。

          そんな事になるなら、私は自分の自由のために、七誌さんを守って戦います。
          私だって、相当の嫌われ者でしょうから、次は我が身だもの。

          もし、シンシアリーさんがそれを受け入れるような人なら、この「場」の魅力は全くなくなるし、そんな人に日本に帰化して欲しくないって思うよ。

          私は、黙って好きにやらせてくれるシンシアリーさんは、本当に凄いと思っています。( 口出したくなるじゃん。)
          でも、議論すると考えが深まるので、たまには参加するといいとは思ってますけどね。
          やっぱり難しいかな。

          1. 七誌さんを守って戦うって、むっちゃ腹立つわぁ。って後から思いました。(笑)
            想像したら可笑しくて。ムリだな。ww

            でも、ホントこんな所で、規則とかやめましょうよ。

          2. 問題児の件

            全てはルール次第です。
            ルールに従って退場させると書いています。
            ルールに、問題児は皆で吊し上げて退学させることができる、があれば可能です。

          3. 「cie弁護人、最終弁論を…」
            「被告人の無罪を、もう一度主張いたします。言論の自由が無制限に認められるべきではない、との通説・判例の立場は適切な人権の解釈であると存じますが、被告人の行為は、社会からの疎外という懲罰を加えられるべき程度に公共の福祉に反している、とまでは言えず、社会通念に照らして、許容される範囲内である、と考えます」
            「七誌被告人、言いたいことは有りますか?」
            「弁護人の言う事は、全部間違い!」

          4. >もしクラスに問題児がいて、みんなで決めたので、退学にして下さいって言って、先生がそれに応じると思いますか?

            そもそも
            「ココはクラスではない」。

            学校のクラスに問題児がいたら、先生は指導、教育します。
            本当に精神疾患だったりすれば特殊学級(学校)に編入するでしょう。
            「排除の理論」はソコにもあります。
            お互いにとって不幸になるからです。

          5. 私なら、
            「国選弁護人ならお断り(安い、メリットがない、無罪を勝ち取れない)」

            「私選弁護人でガッポリ報酬を貰えるなら、やらんでもない」

            ですなぁw

            「心神喪失で責任能力がない」
            での一点突破w

          6. ごめんなさい。もう、そこは取り消して!
            無理だわ。ムリムリ。

            でもね、私、七誌さん嫌いじゃないんよ。
            大した実害もないしね。
            韓国のことはね、日本が手玉に取られているとは、私の目には映ってないってこと。

            それぞれの見てる世界の違いですね。

          7. 七誌くんに擁護的、、否、
            「七誌くんを批判、攻撃する私(受験生)に批判的だった」種さんが、チョット意外w

            「貴職」の件、今もザックリ覚えていますw(根に持つつもりはないけれど)

        2. 喧嘩をしている現場をみて、「暴力はやめろ」と止めに入ったはいいが、
          喧嘩を制止する手段として相手を殴ってしまった。
          暴力を止めに入ったやつが暴力を振るう矛盾。

          自制しろ、節度を持つべきだ。
          皆、それができれば警察はいらない。
          残念ながら、ここには法律はない。
          やはり、無法地帯では自警団で己を守るしか他に手がない。

          こん棒や拳銃で己を守る。殺人は正当化されるのか?。
          いや、あれは正当防衛だ。
          と殴り合いの喧嘩が始まる。
          これでは強いものが勝つ弱肉強食の世界だ。
          醜い争いはやめよう。
          だが、誰が争いを解決する?神か。
          やはりここは法律を作り解決すべきだ。

          1. ここには法律もないし、警察もいないけど、棍棒も拳銃もないよ。

          2. ここには、拳銃も棍棒もないけど、
            拳銃以上の多銃連発人格攻撃、棍棒は打撲骨折程度で回復可能だけど、人の心をずたずたに引き裂く誹謗中傷があるよ。

            体に弾の穴は空かないし、血も出ないけど、自然治癒しない心に傷が残るよ。笑いはストレスを解消するけど、相手を笑い飛ばすことができない心に秘める弱い人も居るよ。

            その人たちは泣き寝入りか?。誰がこの犠牲者をまもるのだろか。

        3. >最近の韓国は頭痛の種さん
          >同じ根っこがある

          御尤もです。強制権が介入してくれれば一番手っ取り早くて楽ですが、現状は見込めないので、触れずにそっとしておきたいと思います。勘弁してくださいね。

          あとよくある被害を受けても黙ってろと言うお話ではありませんと明言いたします。また被害者側にだけ求めるものではありません。加害側にも求めたいです。ですから、最初のコメントは対象をどのように入れ替えても成り立つと……うまくいかなかったかもですが成り立ちます。

          その上で白黒はっきりついてスッキリ解決を目指すお話ではありませんが、やっぱり節度は必要だと主張するものです。

          節度と言っても程度があります。その辺に齟齬があるかもしれません。侮辱されたらし返すのは有りです。注意や指摘ならむしろ必要と思います。でも、いつまでもし返し続けることを当然と見て侮辱だけの仕返しをするのは無しです。

          というくらいの線引きなんですけれど如何でしょう。

          こんな感じの線引きを踏まえて仕返しだからというのを理由に、その他どんな理由を持ち出しても侮辱の恒常化というのは望ましくないと考えるのです。

          別の話。
          御高説を垂れながら人を人とも思わない言動をして疑問を抱くことさえないのは、やっぱりちょっとどうかと思うのです。
          ギリギリの線を攻めすぎると、これくらいならいいんだとさくっと線を越えても気付かなくなるというか。その傾向が見えてませんかね。

  2. 最近、ちくま新書で刊行が始まった「世界哲学史」を読み始めました。
    最初の方は「哲学の原初的形態」のところで、どの文明でも「天地創造」が語られているところです。
    で、夢想にふけって「天地創造の物語」を、雑談ルームにwww

    で、「神様が、納豆とキムチを創ったところ」で、気づいたのですが、七誌さんの思考は「キムチとビビンバ的」ですね。
    論点をなんでも「ごちゃごちゃと」混ぜてしまいます。
    元の「キーワード」に関する理解が変なのに加えて、論点をまぜこぜにするので、ああいう「物言い」になるのでしょう。
    これも「朝鮮論法」の実演なのでしょうか。

    たとえば、すぐ下のコメントを見てみましょう。
    「馬鹿はグローバル化を否定するけどさ、日本が鎖国してたら、今頃特亜の植民地だね」
    すごい「マジェマジェ」です。

    「グローバル化の否定」=「鎖国」という決めつけが、酷い。
    そして「鎖国」=「特亜の植民地」というのは、どこをどうマジェマジェすると出て来るのでしょう。
    脳科学者でも、解明できないでしょうね。
    脳の中で時空がよじれている、としか思えない。

    誰にも出来ない発想は貴重です。
    七誌さんは、そのまま「七誌さん」でいてください。

    1. この「世界哲学史」全8巻の予定だそうです。
      「入門書の簡略版」みたいな感じ。
      1冊900円程度だから、全部そろえても7,000円ぐらい…一回呑みに行くぐらいですね。本棚の飾りとしてお勧めです。

      興味を持って自分なりにいろいろ読み込んでいた分野については物足りないですが、「その分野の専門家が、全体像をどうまとめるか」はためになります。「素人だから、調べないで通り過ぎてしまっていた部分」も発見できますし。
      自分があまり興味を持てないでいた分野も、これで概観できますから、これから「読むべき本」を調べるのに役に立ちそうです。

      「否定のための否定」に時間をつぶすより、こういうのを読んで、知識を整理すればいいのにね。

      1. 無理無理

        彼は本を読んでも、部分的な記憶をつなぎ合わせて独自の解釈をするから、どんな本を読んでも七誌色になりまーーす。

        **************

        **人口減少について***

        名有名無さん
        2020年2月21日 03:40
        日本にふさわしい体制は、鎖国に近いものです。もちろん今の時代、完全な鎖国はできません。

        ***グローバリズムについて***

        名有名無さん
        2020年2月21日 03:49

        今のような、行き過ぎたグローバル化の是正が必要です。

        ***************

        これを、

        人口減少+グローバリズムして、なおかつ、
        鎖国に近いものが、鎖国に
        グローバル化の是正が、グローバル化の否定に化け

        馬鹿はグローバル化を否定するけどさ、日本が鎖国してたら、今頃特アの植民地だね。

        と、彼は切り貼り超意訳解釈をするのです。

        1. 「ウェ~~ハッハッハッハッハ!ウリは七誌色仮面ニダあぁぁぁ~~~~!おまえは間違い!!おまえもおまえも間違い!!」

          「おかあさ~~ん、また変なおじさんが喚いてるぅ~~」
          「しっ!目を合わせるんじゃありません!」

      2. とろいやさん、
        「史上最強の哲学入門」ってご存知ですか?

        今までの哲学入門書に足りなかったものは、「バキ」分だった。
        史上最強の真理を巡って闘う、哲学者たちの熱きバトル!!!
        という最強の哲学入門書です。

        西洋哲学は「地下闘技場編」、そして東洋哲学は「最凶死刑囚編」とのリンクで繰り広げられる熱い男達の闘いです。

        さらに表紙は、板垣恵介先生の手による、ソクラテスと孔子 ( たぶん ) 。
        2冊並べると、東西の知の巨人が向かい合って静かな火花を散らす豪華さ。
        赤と青のエクスタシィが味わえます。www

        いや、でも冗談ではなく、かなり面白いんですよこの本。
        とろいやさんの、いい感じにバカなハートをくすぐりそう。♡

        飲茶 / 著
        史上最強の哲学入門

        ちょっとおすすめです。www

        1. それは、読んでます。
          飲茶さんの本は、面白いですね。
          その続編(なのかな)「東洋の哲人たち」や「哲学的な何かあと…とか」シリーズも。

    2. 七誌さんの脳内の「世界地図」を想像してみました。
      世界は「大海」と「東西の二つの大陸」で出来ています。
      西の大陸を「韓国」と呼び、
      東の大陸を「日本」と呼びます。

      西大陸の北方辺境に「きたちょうせん」が有り、さらにその先に「しな」と「ろしあ」が、おぼろに霞んでいます。
      東大陸の南方辺境に「おきなわ」と「たいわん」が有り、さらに向こうの大海を隔てたどこかに「あめりか」と言われる「謎の国」が有ります。
      「あめりか」のどこかに「よおろっぱ」と呼ばれる地域が有るらしい。

      「いんど」や「あふりか」や「とうなんあじあ」は、名前だけが伝わっています。「あらびあ」や「ぶらじる」なども含めて、それらは、異次元にあるのかも知れません。
      人間に認識可能な世界は、そこまでが限界で、大海の果ては、海の水が滝になって流れ落ちています。

      東大陸には「にんげん」が住んでおり、
      西大陸には「ゴブリン」が棲んでいるのです。

      こんな感じかなあ…すてきな世界ですね。

    3. さて、前置きのような雑談のような導入部の次は、いよいよ「本論」です。
      実は「七誌さんの論理」を導入部にしたのは、知的営みにおいて、特亜が「バカの再生産」になってしまった事を、考察してみるためでした。
      七誌さんの物言いの特徴は「形式論理」が分からない事、だというのは、すでに何人もが指摘しているところです。
      では「形式論理」が分からない、とは、どういう事態か。

      人は「思考する」ために「言語能力」を駆使します。
      その「言語」の機能のうち、もっとも重要なのが「論理形式」を表現する部分です。
      日本語で言うと「助詞・接続詞」の働きが、その枢要な部分です。
      これを他の言語では、別の方法で表すわけですが。

      以下、暴論。
      言語学に関する膨大な知識に基づいて言っているのでは有りませんので、あらかじめ「素人の暴論」だと言っておきます。

      思うに「漢文」には「論理形式を表現する部分」が無い、とまでは言わないまでも、非常に貧弱又は難解だと思います。

      これは「漢文」が、表意文字である「漢字」を連ねる、という手法だから、だと思われます。
      表意文字とは詰まるところ「絵」に過ぎません。
      原初的な「論理形式」を示すための重要な働きをする部分は「音」で表されていないと「分かりにくい」のではないか、と思うのですが、漢文にはその機能が無い。
      と言うのはさすがに暴論過ぎるのですが、絵の連なりから「論理」を読み取れ、と言われれば、それは「どの字がどのような論理形式を示しているか」を「知って」いなければなりません。

      漢字は「アイコン」に進化を遂げていて「字」は「音素」を示さない。「字」に「読み方」が有る、というのは「音素表記」という意味にはなっておらず、「そういう風にその字を読む慣習」に過ぎません。
      ですから、漢文は「一文字ごとに『絵解き』しないと『文意』が読み取れない」のです。

      言い換えれば、
      漢文によって思考するためには、論理形式を示す字が「論理形式の何を示しているか」を知っていないと、文を操作できません。
      ゆえに、漢文で思考するためには「膨大な知識」が必要です。

      表音文字で成り立っている言語では、原初的な音素が、そのまま「論理形式を示す部分」を形成する例が多いので、難しい単語を知らなくても「日常生活レベルの知識」で足りるわけです。
      日本語の「助詞・接続詞」や英語の「Be動詞・接続詞」などを想定すると、分かると思います。
      言語にそういう機能が充実していると「日常感覚に即して」抽象的思考ができる、というか、し易いです。

      ところが、漢文は「中国人の元々の日常生活レベルの言語」ではありません。殷の言語を周以降の文明が「表意の部分」だけを受継したもの、つまり「異文明の言語による祭祀用の文語」です。

      「自分に理解できるように思考する」には「口語に置き換える」作業を脳内でしなければなりません。
      それが「中国語」では、非常に難しいのです。
      ゆえに中国では「思考そのもの」が「限られた天才」にしかできないもの、になったのだろう、と。
      そして「思考そのもの」が「現実的日常感覚」と乖離して行きました。
      「現実に立脚しない」と「論理」が分からなくなりがちです。人間の論理は「日常感覚の延長上」に有るからです。

      さて、この難儀な構造をそのまま受継したのが「朝鮮文化」です。
      「似たような言語の文語」を「苦労して口語に脳内変換する」のも大変なのに、朝鮮の知識人は「まったくの外国語の文語である漢文を、そのまま使う」ようになりました。
      「表意文字列で出来ている文章を読み解く膨大な知的労力」
      「文語で思考する、または文語を口語に脳内変換する事による、日常感覚の喪失」
      +「外国語を自分の言語に変換する事による、日常感覚の喪失2」
      「現実と密着して思考する事を阻む障壁」が、もう一つ増えたわけです。
      ふだん「朝鮮語の各地域の方言」で話して「ものを考えている」人が、「抽象的思考」をしようとすると、上記の3つのカベを越えなければならない訳です。

      漢文文明圏の悪弊として「抽象的思考」が「現実に立脚」せず「空虚な知識の捏ね回し」になり易いのは、このような「言語環境の構造」が、原因の「大きな一部」ではないか、と。
      その傾向が、朝鮮文化でエスカレートしたのも、上記の通り、と推測できます。

      で、「屁理屈の捏ね回しが達者である事」と「カタログ的知識の量の大きさ」が、中華圏では「知的エリートの要件」だと思われ、「論理の整合性」や「事実認定」は軽んじられて現在に至る。
      これを「バカの再生産」と名付けてみたのです。

      1. 以前、YouTube でたまたま見たのですが。
        中国語で up されたエヴァンゲリオンの動画で、本来カタカナ表記のキャラの名前に漢字が当てられてて、「やめてくれ、意味が乗ったらイメージが変わっちゃう。」「ああそうか漢字しかないのか。」って思いました。

        漢字は大事だけど、漢字しか無いのは、それはそれでキツいなぁ、意味を落とす事ができないんだなぁと。
        意味が邪魔することありますものね。

      2. 例として「般若心経」の冒頭を。

        観自在菩薩行深般若波羅蜜多時
        照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子
        色不異空空不異色色即是空空即是色
        受想行識亦復如是

        これを理解するためには、日本人なら、いったん「日本語」に読み直さなければなりません。
        漢文を理解するために、日本人は「日本語に翻訳しながら読む」技法として「読み下し法」を発達させました。
        そうじゃないと「日常感覚に即して文意を『身体感覚的』に『分かる』という事が困難」だから、です。

        これを「白文」のまま理解しろ、と言われても、普通の秀才レベルでは無理。
        中国人は「サンスクリット原典」を「自分たちの言語で理解する」ために、このように訳す方法を採るしかなかったわけです。
        しかも「自分たちの祖先が残した古典」についても、同じ。

        論点を「理解」して「把握」するために「母語=日常語」で考えるのがいかに重要か、ということを分かりやすくするために、こういう例を挙げてみました。
        「論点の理解」が無ければ「抽象的思考」は、とても難しいでしょう。

  3. 馬鹿はグローバル化を否定するけどさ、日本が鎖国してたら、今頃特アの植民地だね。

    そんな馬鹿が、決まって特アと断交は不可能だって言うんだ。馬鹿なので。

    1. 失礼を承知で言うけど…。

      私ね、七誌さんの思考がどうなっているのか、一度、脳科学者に分析してもらいたいと、割と本気で思ってます。

      視線を追う装置をつけて、ここのコメント欄を読んでもらい、文字の追い方を見ながら、MRIで脳のどの部位が反応するかを分析、書き込みも同じように分析すると、彼の謎思考が読み解けるのかな?

      そんなに頭悪くないと思うのに、なんでこんなにバカなんだろう?
      って韓国人についてもよく思うので。

      1. 全然失礼じゃないと思いますが。
        お釈迦様は、2500年前に「七誌さんのために」教えを残してくれたのですよ。

        曰く「我執」が「本質」を見えなくさせるのである。
        曰く「我執」が「論理」を通らなくさせるのである。
        曰く「我執」が「正道」を行えなくさせるのである。

        思うに「口喧嘩の勝ち負け」に異常に拘っていますね。
        この「我執」の強さが、本来の知的能力をねじ曲げているのでしょう。悪霊に憑りつかれているのかも知れません。

    2. 七誌さんは、日韓断交って言うけど、その考えの根本は鎖国とおなじでしょ。
      *気に食わない相手とは付き合わない。

      グローバル化と国交断絶は真反対の考えです。
      七誌:グローバル化は賛成だが、日韓断交だあ!

      ここで七誌さんの発言が正しいとすれば、日韓断交論は日本の中国の植民地化論ですね。

  4. あ、面白い。
    色々な意見が出てますね。

    それぞれが、自らの経験に基づいた智恵を出し合って、様々な視点から一つの問題に取り組むのは、「天岩戸」の神話を思い起こさせますね。
    私たち ( 日本人 ) って、大昔からずっとこんなだったんでしょうね。
    なんか嬉しくなってしまった。愛おしい。(笑)

    経済は不得手なのですが。
    E U が正にグローバル企業 vs 国民国家の構造になっています。
    E U でうまい汁を吸えたのは、結局グローバル企業家だけだったのではないかと思うのです。
    欧州各国での、極右政党の台頭もその顕われでしょうし、ブレグジットを巡る駆引きもそんな感じでした。

    主に名有名無さんが説明してくれていますが、集団には其々に適正な規模があると思います。
    前時代までは、大きく大きくなろうとして来たけれど、今後は適正化を図る方向に、舵を切る必要がありますね。

    人間も、ちょっと前までは、「国や人種が違ってもみんな同じ、分かり合えるよ。」みたいな感じだったと思うのです。( We are the world の頃。)
    アメリカ人なんて、特にノーテンキにそんな感じだったと思うのですが、そうはならなかった。
    逆に言ったら、これでやっと、適正化の方向に持って行ける準備が整ったのではないでしょうか。

    あと、種さんとタカさん ( お二人とも略してすみません。) のされていた「性差」の話しが面白かったのですが、個人差はあっても性差はやはり確実にありますよね。

    多くは男性よりも、女性の方が家事は得意です。
    女性の不満は、家事を「する」ことではなく、家族がそれを当たり前だと思う事にあるのだと思います。
    「ありがとう」の一言が欲しいだけ。そういう女性はたくさんいるはずです。
    当たり前ですが、個人差はあります。
    社会人としてバリバリ仕事をこなすのが、適正な女性もいます。

    私、ここまでこの話しを重ねて来て、男性の男性性、女性の女性性も、もう一度見直される時にあるのかなと感じました。
    「男らしくしなさい。」とか「女のくせに。」ではない、適正な男性性と女性性は、男性も女性もやはり求めているのではないでしょうか。

    お気付きですよね。
    「適正化」が今後のキーワードかと。w

    大切なのは、他者は自己ではないと気づくことでしょう。
    他者には他者の価値観 ( 合理性 ) があり、それは自己の価値観 ( 倫理 ) で裁くものではないという事ですね。
    個人でも、集団でも。

    詳しくは、ずっと↓になりますが、2/13のとろいやさんとmottonさんの対話を。

    これが多くの人の「当たり前 ( common sense) 」になって欲しいと思っています。
    なかなか難しいと思うので、ますは「バカの自覚」から始めますか。(笑)

    1. >「国や人種が違ってもみんな同じ、分かり合えるよ。」

      私が考える日本人の思想(行動原理)はちょっと違っていて、「国や人種が違ってもみんな同じ、儲け合えるよ。」です。「儲かりまっか」「(おかげさんで)ぼちぼちでんな」は世界中で可能です。長い目で見れば喧嘩するより協力した方がお得ということ。

      心から「分かり合う」必要はありません。互いの儲けの基準(行動基準)を互いに理解するだけで構いません。
      心から「分かり合おう」とすると、私的な心の自由に干渉してしまいます。例えば、宗教の戒律によって。例えば、思想統制によって。

      1. あはは。
        ホントに。それぐらいの合理性まで持っていけたらいいですね。

        一個書き忘れたので。
        女性がパートナーの男性に言いたい事。
        男性側がこれをちゃんと分かれば、かなりの問題が解決するはず。

        「私は、あなたの、お母さんじゃない。」

        男性諸氏、分かって頂けますか?
        「家政婦じゃない。」ではないんです。
        女性は自分の「子供の母」にはなるけど、「夫の母」にはなりたくないんです。

  5. ちょっと改行。

    >とろいやさん
    団塊の世代が去れば、と言ったのは、「短期的な世代間の傾向の差」だけじゃなくて、あの世代の数の多さそのものがイレギュラーだと思うからです。
    皆さんが書かれているように、日本列島が養えるキャパシティの問題もあると思いますが。
    そしてcieさんの「死なないから、生まないのかも」の一理あると思った理由も、子どもは少なくなったけど、日本列島にはまだまだ人が多すぎる、というようなことですね。
    だから、ゴソッと団塊の世代が去ったらやっと「ちょっと増やさないとヤバいかも?」と感じるようになるかもしれない、というような意味ですが。ここらへんもcieさんと近いかな?と。

    1. よく伸びているようなので、ちょっと混ぜっ返してみようと思います。

      なんでか。
      夜が明るくなってムフフ以外の活動が容易になったのもあるのでは。
      どこだかの停電でそこだけ出生数が突出したことがありませんでしたか。

    2. そういう意味であれば、首肯できます。
      でも「ちょっと増やす方法」を巡って議論してる間に「増やしようが無くなる」かも。

      本当は、日本の伝統に戻るのが良いのですけど、
      「大家族で、誰もが育児に関わる」
      「大家族の誰かが外で稼ぎ、誰かが家事を担い、誰かが表向きの仕事をして、誰かが裏の仕事をする」
      「男の仕事も女の仕事も分け隔てなく『仕事は尊い』という意識で満たされている」
      「何よりもまず『子供のため』を優先するけど、子供を甘やかさず、厳しくしつける」

      けれども、そういう「大家族での暮らし」は、「一人で気ままな暮らしを覚えた現代人」には「窮屈で息苦しい」です。
      ある意味では「楽」なんですけどね。
      「らく」という意味でも「たのしい」という意味でも。

      そういう生活スタイルを選択する人が増えれば、事態は好転するかもしれません…人口減少に歯止めがかかって、日本人が「日本で」少数派にならずに済む、という意味で。

      また「日本の伝統」を理解して「その他の文化ごと丸々」日本式を受容して継承してくれるなら、べつに「純粋の在日日系日本人」でなくてもいい、と思います。

      ♪流れる血潮にしょうゆが沁みりゃ♪
      ♪こころはいつも日本人♪
      ♪何が無くても米の飯♪
      ♪味噌汁つけばご機嫌さ♪
      ♪空気を読んで遠慮して♪
      ♪清潔好きで働き者で♪
      ♪困った人には優しくて♪
      ♪いつもにこにこ日本人♪

      おもわず、歌ってしまいましたが…
      ここに「これまでの日本文化に足りないモノ」が加わると理想的です。
      本当は、今の日本人が自省して意識改革すべきですが、外からの影響によって「これまでの良さを壊さずに、足りないモノを採り入れること」が出来るなら、それもいいだろう、と。

      1. >とろいやさん
        大家族や家父長制の「善意」は、そうですが、もうそれは幻想に過ぎないでしょう?
        その「善意」を支えてきたのは女たちですが、そんな女たちはもういませんよね。

      2. ちかのさんへ
        「家父長制」に基づいた「大家族制」は、明治以降に完成したものであって、それ以前はもっと素朴で緩やかなものです。
        明治以降の「社会の儒教化」が、日本を息苦しくした、と思います。儒教論理は、皮肉なことに、「大日本帝国の家族制度」の基礎になったのです。

        ですから、明治以前の「素朴な大家族制」を「リコンストラクティオン」して、新しい「大家族の生活様式」を模索するのがいいのでは、という意味です。

        まず「男が表、女が裏」≒「女が家事労働に耐えて家族を支える」という考え方・仕組みを改めたいですね。とりあえず「男も炊事・洗濯・掃除をやること」からでしょうか。
        「善意」というなら「全員が自主的にサービスし合う」のを、そう言うべきです。
        「そういう習わしなのだ」と「提供」を強要されるのが「善意」であっていいはずはありません。

        もっとも必要なのは「大人数での暮らし」に慣れる事でしょう。
        「合宿みたいな暮らし方」なんか、どうですか。

        軽く言ってしまいましたが「数百年かけて完成した家族意識の基礎」を改めるのは難しいだろう、という事をふまえての「改革の方向」の提案です。

        大事な事なので繰り返します「難しい」と思います。

        1. >とろいやさん
          そうですね、難しいけどSF的な近未来的大家族生活ならば可能かもしれませんね。
          何というか、もはや血縁によらぬ大家族的共同体生活?

          >最近の韓国は頭痛の種さん
          とろいやさんへの返答と同じく、性差の無い社会というのも、もうSF的近未来生活ですね。

      3. 少子化、子育ての裏に一本貫く背骨があって、それは性による差別です。家族構成は関係ありません。

        >まず「男が表、女が裏」≒「女が家事労働に耐えて家族を支える」という考え方・仕組みを改めたいですね。とりあえず「男も炊事・洗濯・掃除をやること」からでしょうか。

        これは性による仕事の役割を考え直そうということじゃありませんか?。

        男女平等という意識がウーマンリブで、性の違いが仕事を分けるという伝統的な考えが、ウーマンリブで消えました。
        性による差別をやめろ。
        肌の色で差別はやめろ。
        そういう流れが昔ありました。

        男の仕事女の仕事という考え方は性別による差別です。
        現在、公共交通機関の運転手に性別はありません。
        バスの運転手は男の仕事だ、というかつての考えは幻想です。
        これを裏付けるのが、男女雇用機会均等法じゃありません?。

        大家族であっても、子育ては女の仕事だと思っていれば、育児の役割分担は解決しません。
        つまり育児は家族構成とは関係なく、性による仕事の分担は差別であり、男女は平等であるべきだという意識から育児を考えるべきだと思います。

        男女平等だけでは女性に不利になるので、公平さも必要です。それらが少子化の解決につながるとおもいます。

        1. >最近の韓国は頭痛の種さん
          追記。
          とろいやさんへの返答にもなるかもしれませんが、家族が血縁者で構成される団体というのも、もう前提にならないかも?
          性差が無く、血縁の有無も無い、生活するための共同体集団。うーん、やっぱりSFですね…。

          1. 性差はあります。

            北野武さんが子供の頃、大人になったら何になりたい?と先生に尋ねられて、可愛い花嫁さんになりたいと言って、先生に叱られたそうです。

            今の時代、条件次第では男でも花嫁さんになれるそうですね。
            でも、北野くんは妊夫にはなれません。
            子供は産めないのです。
            男女の骨格も全く違うし、性差はあります。

            でも、性別による職業差別はありません。
            男女とも看護師になれます。
            だから、看護婦から看護師に呼び方が変わりました。

        2. >男の仕事女の仕事という考え方は性別による差別です。

          そうでしょうか?
          理系、特に工学部には圧倒的に女性が少ないです。
          化学系、特に薬学系は女性が多いです。
          結果として設計は女性の少ない職場になってしまいます。
          薬局は女性が多い職場になります。

          これは女性の多くが「モノを図面で表す。図面からモノを作り出す」ということを不得意にしている事だと思います。
          更に、薬のような「化学式」の組み合わせは女性の得意な分野だと思います。

          例外は多くあると思いますが、私は性差で得意不得意分野はあると思っています。

          個人的には明治以後の家長制度と、西欧至上主義が日本を誤った方向に進めたと思っています。

          それは別として、そんな難しい話ではなく、「どれだけ子育てをしやすい環境を作るか」だと思います。
          韓国の事情はよく分りませんが、現在の安倍政権の「家族主義」が続く限り少子化は止まらないでしょう。
          一億全員働け、と、だけど介護は家族がしろ、では子供を作る気はしないでしょう。

          1. 文系理系という考え方は日本が貧しかった時代の名残で、理系は教育費が文系よりかかるので分けたと聞いています。

            女性は結婚を子供の頃から考えていて、職場に男性が少ないところは敬遠する傾向にあるそうです。でも女性だから職業につけないことはありません。研究職だって、スタップ細胞はありまーす、と割烹着着ながら研究していた女性も居ました。

            仕事は女性だから男性だからという問題じゃないんです。女だから好きな仕事だけど諦めるなんてことは今の時代あってはならないのです。

            性差による得手不得手に違いがあることと、性による職業の決めつけは同じではありません。
            女は建築士の受験資格はないというのなら性による差別ですし、薬剤師は女性に向く仕事だから男性の受験資格はないというなら性による差別になります。

            女性の建築士も男性の建築士も居るし、男女とも看護師になれます。そこには男だから女だからという差別はありません。建築士は男の仕事だとか看護師は女の仕事だとか決めつけはありません。

            コックさんに女性が少ないのは、重い調理器具を扱うのに体格が男性より不利だからだそうです。
            でも本人に能力と熱意があれば女性もコックになります。

          2. 少子化で思い出しました。

            ワニのペニスが小さくなったのがわかったと。
            環境ホルモンが影響しているそうです。
            人間も環境ホルモンの影響があり、精子数が以前より減少して生殖能力が低下してそうです。

            地球環境からも少子化問題を考えなければならないようです。
            2100年?だったか、高温のせいで、赤道下には人類は住めなくなると聞いたことがあります。
            少子化問題以外にも人類存続という深刻な問題も考える必要があるようです。

          3. もうレスがつけられないので、しょうがなくここへ。

            >文系理系という考え方は日本が貧しかった時代の名残で、理系は教育費が文系よりかかるので分けたと聞いています。

            初めて聞きました。お金だけで分けたんですか?
            それはあり得なさそう。確かに理系の学校はお金が掛かります。設備が必要だし、実験、実習が多いですから。
            受験に必要な科目が異なるので分けたはずです。

            建築は比較的女性が多い科ですね。
            私の学生時代は、工学部で女性の多い科は
            建築、科学、電機、電子、土木、機械でした。
            少なくとも機械工学科にはゼロでした。

            そのためか、就職しても機械設計にいる女性は非常に少なかったです。

            性による職業差別をする気はありませんが、困ったことに性により得手不得手があります。(例外はもちろんあります)

            全ての職業が、男女平等にする必要はない。雇う側が性を理由に差別してはならないと思います。
            但し、女性が向いている職業、男性が向いている職業はあると思います。
            一般論ですが、会社員として働いてみて、女性の方が緻密で、男性の方が大雑把、というきがしています。
            資料の揃え方一つでも違いがあります。
            しかし、「男女平等!」と考えている人達の中には女性の良いところを潰して男性化している女性が見受けられるように思えています。

            筋力の差があるので、というコックさんの話はなるほどと思いました。体力差、体格差があるから、スポーツは男女平等ではありませんね。記録が違います。
            でも、女性の何パーセントかは男性の平均を上回る筋力を持っています。
            とはいえ、長距離走は男性より女性のほうが向いているそうで、将来は記録が男女が逆転するかも知れません。

            ただ、好きな仕事と向いていない仕事があります。好きな仕事でも、向いていない仕事に就くのはお薦めできません。ただ、この見極めが難しいんですよね。自分自身ある程度好きな仕事が出来ましたが、向いていたのかと言われると、他の人に迷惑かけたかなー、という気もします。

          4. ホルモンで思い出しました。
            アメリカでは牛を早く育てるために、女性ホルモンを入れた飼料を与えているみたい。と。
            その為、牛肉から女性ホルモンを摂取して、同性愛者が増えている。と言う珍説を、、ホンマかいな

          5. もう一つ。
            これは性差とか、向いている向いていない、の話ではないですが、人間の特性として。
            プロモーター、コントローラー、アナライザー、サポーターに分ける、という研修に参加したことがあります。
            部下を指導するにあたり、特性を見極めて指導をしなさい、と。
            仕事を依頼するにあたって、どういうやり方て依頼するのが、最もスムーズかを学びました。
            とはいえ、自分がどのタイプかは研修で解りましたが、自分の周りの人がどのタイプかはわからないのですが。
            ただ、こいつはどのタイプだな。というのは何となくわかるようにはなりました。
            これ、結構面白い研修でした。
            面白いのは同じタイプを揃えてしまうと、まったく仕事か進まなくなるそうです。
            違うかもしれませんが男性ばかりとか、女性ばかりの職場より、男女がいる職場のほうが仕事が進み易い気がします。

        3. 全く逆。
          女性は差別されている、子供を生むのは女性に不利、男性も子育てしろ!

          こういった女性が、子供を生むのを拒否して、少子化を招いて、それをマスゴミが後押し。
          そして空いた人口を特アが侵略。

          それを指摘する男性は、差別主義者とレッテルを貼られる。かくして日本は滅ぶ訳ですよ。

    3. ごそっと団塊が減って、日本の人口が7千万になったら、その減った4000万を埋めるのは中国人と韓国人ですよ。

      とろいやみたいに、日本という思想を継いでくれるなら血は構わないとするニホンジンガ多いので、日本は特アの植民地になるのです。

      ここには1億2千万に耐えるリソースがあって、日本人は女性が馬鹿だから減るので。

      1. 埋める必要あるの?
        必ずしもそうとは限らないのです。

        人口が一度減れば、限りなく減少して、やがては滅びるかというとそうではないのです。どこかで増えていく可能性もまたあるのです。(それが生き物だと思うのです。円の循環のサイクルの中で人は生きているのであり、企業や国は右肩上がりの線を追求しているのです。ならば新しいモデルケースを作るとしたらその枠組みは一度外して考えることも必要かと。)

        移民で減りゆく人口を穴埋めするのでなく、減れば減っただけ、その分機械化などの自動化で労働の生産性を上げていくしかないのです。
        そうした移民に頼らないモデルケースが作れる国があるとしたら日本ではないかと思うのです。
        まだ先進国の病を克服した国はありませんが、経済成長のみに目を向けて移民を取り込んでも、社会不安や治安維持のコストの増大など負の側面が多いのです。
        ならばどうするか、ということで、減少分を積極的に受け入れるのではなく、今の消極的な受け入れ姿勢のまま、国の土台と構成員を変質させることなく、常に人不足に喘ぎつつ、創意工夫をしていくしかないと思うのです。
        人口減ったっていいじゃないか、人間だもの、の心構えでいいのではないかと思うのです。
        それに人口が減った=国の成長が止まる、とは限らず成長率を保てたり増やしたりもできているのです。最適と思える解を求め、試行錯誤していくしかないのです。
        そして日本が求めている解は、安易な「移民で人口の穴埋めをする」ではないのです。

        少し脱線しすぎました。m(__)m スイマセン

      2. 人口が減ったら、なぜ埋めなければならないのか、埋める必要はありません。
        日本にふさわしい体制は、鎖国に近いものです。もちろん今の時代、完全な鎖国はできません。

        しかし日本人がこの国をまわしていくのであって、外国からの移民ではありません。
        外国からの移民を多く受け入れる必要はありません。

        その理想とするモデルは、日本でなら作れはずです。
        ここからは、どこにもまねをするべき手本はありません。アメリカも、ヨーロッパも、すでに手本ではないので、独自の道を切り開くしかありません。

        またグローバル化は、うまくいきません。
        グローバル化とは、企業経営者や資本家だけが、利益を得られるような世界です。
        一般の労働者にとって、益はありません。

        かつてのアメリカでは、アンドリュー・カーネギーのような人物がいました。
        鋼鉄王と呼ばれたアメリカの実業家で、鉄鋼業を起こし、多くの人に雇用を確保しました。
        図書館などを全国に建て、人々に勉強の機会を与えました。

        今のアメリカの金持ちは、金融などの資本で金もうけをしようとし、雇用の創出などで地域社会に何ら貢献していません。

        これに反対し、アメリカの国内に雇用を確保しようとしているのが、トランプ大統領です。
        ですから一般の労働者の支持が大きいのです。

        1. 今のような、行き過ぎたグローバル化の是正が必要です。
          グローバル化すると、国内の企業経営者や資本家は、安い労働力が得られる国に工場や生産拠点を移転します。
          すると国内の雇用環境は悪くなり、工場の社員は失業します。
          しかし企業経営者や資本家は、利益を上げることができます。

          つまり経営者や資本家の利益と、国内の雇用者の利害が一致しなくなってくるのです。
          グローバリズムは、国内の製造業の衰退を招き、雇用者を減らしてしまうことになります。

          グローバリズムの前は、企業も経営者も、雇用環境や労働力の再生産に、一定程度の責任を負っていました。
          グローバル化されると、国内の労働者を使い捨てにしても良くなります。
          企業は、そもそも移民や雇用というものに責任を負わなくなっています。

          企業活動の継続に、国内の労働力の再生産を考えなくても困らなくなります。

          労働力の再生産とは、労働者に休養と取らせ、家庭を持たせ、子供を育て、次の世代の労働者を確保することです。

          グローバル化された現代では、企業の社会への責任が、工場の海外への移転、移民労働者の雇用などによって、大きく減衰させられてしまっています。

          いくら資本家や経営者が儲かっても、これを是正しなければ、国内の製造業の復権はありえません。

          また海外での安い労働量により、生産された製品の貿易による企業の利益では、日本国の国力の増大は望めません。

          そのため行き過ぎたグローバル化を是正し、生産拠点を国内に戻し、雇用と製造を戻すことが大事になります。
          資本家や経営者の利益が優先ではなく、雇用を確保し、国力を増大させようということです。

          1. 今はまた、徐々に部品業界は日本生産に戻ってきているところもあります。
            日本製の方がコストが安いものがあります。
            原因は円安も大きいのですが、日本国内の工場の合理化で生産コストが下がってきているからです。
            労働力の減少に伴い、省人化したラインをひいてるのです。
            また海外生産するにしても、生産に必要な設備は日本製です。
            まず、日本の工場で作ってみて、海外に移管します。ハブ工場としての機能は失っていません。
            開発、管理は日本で行っています。
            キーは日本にあります。人口が減っても回していけるシステムを日本の会社は構築していってます。
            減る予定の人口を全て補完する必要はありません。
            日本は苦境を工夫で乗り越えてきました、今後も期待出来ます。
            額に汗するのを厭わない民族ですね。他人の技術を盗もうとする民族には、自ら新しい技術を生み出すことは出来ませんが、日本には出来ます。
            グローバル化はもはや止めることは出来ません。その中で少しでも日本を豊かにするためには、なにが出来るかを考えて行動することです。それは、この掲示板で、すぐにダレカを馬鹿呼ばわりすることではないでしょう。
            何度か書きましたが、わたしはなるべく日本に税金を納めている会社の製品を買います。
            反論はあるでしょうが、なるべくアマゾンは利用しない。(アマゾンにしか無いものはしょうがありませんが)
            アップル製品も買いません。日本メーカー、若しくは日本生産のモノを選ぶようにこころがています。全てのものは無理ですが、

          2. 日本は、貿易収支は赤字で所得収支の黒字で経常収支が黒字になっています。国家として、労働者ではなく資本家になっています。

            その是非に議論はありますが、基本的に、人権や環境にコストを払わず自国内での独占を許された独裁国家の企業(ほぼ国営企業)に正攻法で競争して勝つのは難しいのです。
            グローバル化の最大の問題は、同じ法制度での公平な自由競争が望めないことです。
            そうした不利な状況を頑張って工夫で解決する。日本人ならできる。そういう日本人優越論は止めましょう。(不利な状況による問題を日本人ダメダメ論で語るのも不毛ですが。)

            欧米は分かっていて、人権や環境で縛りにいっています。
            ただ、一部の企業は抜け駆けするんですよね。児童労働させていることを知っていて海外の企業から買ったり。(安く仕入れた方が儲けられますからね。)

            本当は、先進国で組んで、先進国企業と同等に人権や環境にコストを払っている企業からのみ輸入を許せばいいのです。でも、やっぱり一部の国が抜け駆けするんですよ。

          3. 私が言いたいのは日本人優越論ではなくて、やらなくてはいけない、ということです。
            グローバル化は避けられない。横には中国という大きな将来の、最大の敵がいる。これを保護か貿易なしに乗り切らなければならない。
            本来なら自国内で力をつけてグローバルに打って出るべきですが、人口減少でそれも難しくなっている。
            そのときこそ知恵を使わなくてはいけないんです。その知恵を日本人は持っているはずです。

            確かに13億の消費をバックにした中国は怖い。市場としての要求値の低い中国国内で力をつけて、世界に打って出ることが出来ます。
            また、共産党にはいっていなければ政治的に大成出来ないので、非共産党員の頭のいい人は商売に行がちです。元々は商人の国ですから。

            巨大消費地であり、巨大生産地である中国を無視してビジネスはできません。
            欧米に先進国とだけ手を結ぶことは既に難しくなっています。

          4. 紫電改のタカさん

            >>確かに13億の消費をバックにした中国は怖い。

            この認識は不味いです。
            中国に13億の消費はありません。彼らは共産党幹部に搾取されるだけの存在です。
            共産党は中国国内の内需拡大など、全く考えて来ませんでした。
            かの国で商売するには、共産党幹部の誰かと連む必要があるそうです。
            その誰かと連んだ政商が利権を貪り尽くす。
            あの国の商売人は、政商しかないと思ってください。
            そうでなければ潰されるだけだからです。
            そして、一蓮托生の共産党幹部が権力闘争に敗れれば、会社もアウトです。
            大会社の社長が、いきなり逮捕されるそうです。

            更に恐ろしいのは、13億から搾取した富を、腐敗し切った個人が使い放題できるという事です。
            腐った国です。

            彼らがもし、13億の内需を拡大するように動いていたなら、ずっと公正な取引ができる国に成長していたはずで、それは日本や欧米にとっても悪くない事だったはずです。
            だから、資金や技術を提供して来た。
            でもそうならなかった。
            ドロドロに腐っただけです。

            韓国ウォッチャーは、中国の見方が甘い人が多いです。
            でも、中国のエグさは韓国の比じゃないです。韓国のバカさは中国の比じゃないケド。

            タカさん、もしよろしければ、YouTube で妙佛 ( みゃおほう ) さんという方の、中国情報の動画をご覧になってみてください。
            私は中国情報は、この方のものをかなりアテにしています。
            眉に唾して見ても、参考になると思います。
            妙佛 DEEP MAX というチャンネルです。
            リンクは貼りません。
            動画の数が多いので、とりあえず二つ三つ見ていただきたいです。

            ただ、中国ウォッチャーは、韓国には甘いです。(笑)

            間違った認識では、戦い方間違えます。
            是非正しい情報を。

          5. 追記でもう少し。

            本当なら、とっくに弾けている筈の不動産バブル。
            倒産しているのに、公的資金の注入で死なないゾンビ企業。
            そういったものが中国の本当の怖さです。
            三峡ダムもヤバいです。

            共産党が倒れたら、そういう押さえ込んでいる問題が、一気に吹き出します。

            なんとか上手く10ぐらいの国に分裂してくれるのが、一番いいんだけどなぁ。

          6. わたしが反グローバルが問答無用で悪だと主張しているのは、ローカル経済ではグローバルには勝てないということ。

            少なくとも囲い込みのできない日本ではね。アメリカはそうではないが。
            それで明治維新には価値、ABCD包囲網には完敗した。

            反グローバルを掲げて、有利な点はもちろんある、が、小国日本にとって不利な点は致命的であり、それを考慮しないのは愚かすぎる。

          7. 七誌さんの断交論自体も反グローバルなものでしょうに。
            グローバル化は移民もまた促進させるもので、中韓の人もまた日本に来るわけで、グローバル化をしつつそれを防ぎたいというのならブロック化するしかないのでは?

            日本のグローバリストによる中韓の断交政策って面白いですね。

          8. ところで七誌さんの頭の中では今は植民地時代や戦時中ですか?日本は韓国に植民地化されちゃいますか?

            少子化で人口の少なくなった国が取るべき処方箋は何かが話題であり、グローバル経済の否定や肯定を誰もしてなどいないのです。解決手段として有効か否かです。

            暑い夏にコートを着るべきかどうかで、コートを否定し、冬でも裸で過ごすべきと言っているわけでないのです。

          9. >頭の中では今は植民地時代や戦時中ですか?日本は韓国に植民地化されちゃいますか?

            軍拡まっしぐらで、チベットウイグル香港マカオで遅れてきた植民地主義やってる某国が隣にあるのを、馬鹿は理解してないのです。

            日本の不幸は、中国韓国なのですよね。

          10. だから中国を主眼にして、今後の日本の外交や在り方を考えたほうがいいのでは、と言っても「まずは韓国からです」でしょ。

            >軍拡まっしぐらで、チベットウイグル香港マカオで遅れてきた植民地主義やってる某国が隣にあるのを、馬鹿は理解してないのです。

            それが中国なわけで、でも七誌さんはまずは韓国からで中国はその後ですよね。いつになるのやら。
            以前、日本のダイヤモンド構想について話した時も理解できていなかったし、「それは覇道だ」とかも言っていたし、あまり理解してないか、考えが及んでないでしょ。

            >日本の不幸は中国、韓国

            ならば、どうするのですか?
            もう何度も聞いていますが、七誌さんの答えは韓国との断交。そこまでですね。
            少子化対策にグローバル化がいいというならそれでいいでしょう。
            きちっとどうしたいのか考え、まとめてみてください。

          11. 私は、グローバル化がうまくいくとは思っていません。
            世界みんなが兄弟、お同じくらいの国民性になるということはあり得ないでしょう。

            たとえば、トヨタがアメリカに工場を作って、アメリカ人に車を売るのはよいのです。
            スズキがインドに工場を作って、インド人に車を売る、これもよいのです。

            中国の場合は、中国人に売るために中国に工場を作る、まではよいのです。
            (中国は共産党の独裁政権のもとにあり、資本も中国企業が半分持っています。この国には危険があり、それを常に意識していないといけません。)

            こういう例は、悪しきグローバル化ではありません。むしろ地産地消に近く、現地生産は推奨されても良いものです。

            悪しきグローバル化とは、賃金の安いところで製品を作らせて別の国で売る、というグローバル化です。
            これは資本家の利益にしかなりません。

            日本は貿易立国ではなく、地産地消のような鎖国的な国が本来の日本として望まれています(もちろん完全な鎖国ができないことは当然です)。

          12. 子供の数が少ないから、将来、人口が少なくなると言っても、急に1億2千万人が、1千万人にまで減るようなことはないでしょう。

            いずれかの時点で、どこかに均衡状態が訪れます。
            継続的な国家体制とは、無限に人口が増えて行くことではありません。人口が無限に増えて行くことは、不可能です。

            世界的にみると、人口爆発てきなことが続いています。
            このまま人口が増えつづければ、アフリカなどで飢餓状態が頻発する社会となります。
            これは持続可能な社会ではありません。このまま世界人口が増え続ければ、いずれ食糧生産でおおきな問題が出てきます。

            環境の維持、食糧の確保が無理なくできるような均衡状態の人口はどれほどなのか、それを維持するにはどうすべきかを考えるべきなのです。

            自分たちの住んでいる環境を破壊することなく、食糧を生産できるような、将来にわたって持続可能な社会ということになります。

          13. 持続可能な社会とは、永続的に無理なく維持できる社会ということです。
            食料と水がなければ、人間は生きていくことができません。第一に確保しなければいけないのは、水と食料生産です。

            中国では、短期的な利益のために環境破壊が続いています。
            水不足の問題も生じています。北京の近郊まで、砂漠化が迫ってきています。

            北京は乾燥地帯に近く、大人口を養っていくには、地理的に無理のある立地なのです。
            少し北に行けば、ステップ気候のモンゴルです。西は砂漠地帯です。

            地球環境ということを考えれば、いずれ持続可能な社会に移行していくしかないのです。
            今の人類の生き方は、地球からいろいろなものを収奪している社会です。長期に渡っては、永続していくことは無理になるでしょう。

      3. 元々、日本人は「東アジアの諸民族のハイブリッド」なのですから、血統にさらに「違う血筋」が混じっても、どうってことはないのです。サラブレッドじゃあるまいし。

        「日本的価値観・思想をきちんと理解して身につける」のが大切。
        そして「日本的価値観」は「特亜的価値観」を受け入れません。
        よって「日本的思想の継承者」は「日本が特亜の植民地になる事」を拒否します。それが「正しく継承される」という事です。
        温和と寛容と清潔と正直と勤勉と敬虔と親切と聡明と旺盛な知的好奇心などなど、「そのような『在り方』が美点である事」が理解され、継承されるのが重要なのです。
        日本人だから、そういう事を理解している、と思ったら大間違い。
        日本人自身が、自覚的に探究しなくてはならない、と思います。

        「日本的価値観・思想・文化」とは何か、という事を、異文化の人たちにも理解できるように「テクスト化」しておくべきなのです。
        ※それを私はライフワークにしようと思っているのですが。ここへの書き込みは、その試行でもあります。

        ここで他人の意見に対して「否定のための否定」ばかりしているのは、まさに「日本的思想」に反しています。それは「朝鮮的思想」に基づく行動だからです。

        1. とろいやさんは同志ですね。

          しかし、異文化の人たちにも理解できるようにするには、「テクスト化」のための共通言語が必要なのですが、これが難しいのです。
          例えば、支配者と被支配者の世界しか知らない人たちは、天皇は支配者ではないと言っても理解できませんから。法は皆で決めたルールだと言っても理解できませんから。

          欧米は、本来持っていた価値観がキリスト教でコーティングされています。それを剥ぐと日本と根は同じ価値観=共通言語が出てきます。でも、欧米人自身ではなかなか剥げません。
          一方、東アジアは(日本を含めて)儒教でコーティングされています。だから、表向き似ていますが共通言語にはなりません。それを剥いで本当の共通言語を探さないといけません。

          もう一つのアプローチとして、太古の獣の群れの世界から書き起こす方法があります。そこに確実にある最小限の共通言語から演繹していくのです。私が合理性に拘るのは、それが生物としての基本的な共通言語だと考えるからです。
          日本は、太古の獣の群れの性格を最も残した社会(内的な合理性で最もよく説明できる社会)でしょうから、比較的容易に書き下せると思っています。

          1. このように、とろいやとmottonは日本がなくなってもいいという人なのです。

            わたしは欧米人は日本人になれると判断して、その移住には歓迎です。

            一方で、中国韓国人は、日本人にはなれないのです。
            中国韓国人が多い地域を見てみれば、必ず汚れます、穢れます。それは絶対の真理なのですよ。

            しかしそれを指摘すると、こちらが差別主義だヘイトだと仲間外れにされる。そして日本は負けるのです。

          2. >そして日本は負けるのです。

            だんだん、宗教家な物言いになってきたなw

            「断交です、断交あるのみなのです、、。唱えましょう。でないと日本は負けるのです、負けるのです、負けるのです」

            弾圧に抗う異教徒感があるぞw
            弾圧される側にはそれなりの理由があるんだがなw

          3. とろいやさんも、mottonさんも、日本がなくなってもいいとは言っていないでしょう。

            モデルとなるような社会はまだ存在しないので、日本が率先して、そういう社会を目指すべきであろうと思います。
            日本がモデルとなれるような社会は作れると思います。

            天皇は大君(おおきみ)と呼ばれていましたが、国民は大御宝(おおみたから)でした。
            天皇だけが権力を持つのではなく、日本国民はすべて同じ一族であり、国民全体が一番の宝だということなのです。

            天皇のおこころが「おおみこころ」ということになり、「おおみこころ」を体現するのが、国民である「おおみたから」なのです。
            ここには支配する者と支配される者(支配と被支配)という関係はありません。

            日本国に生きる民も国土も、誰かの所有物ではなく、神(公)のものであるという思想が、日本にはありました。
            国民一人一人が神に繋がり、神に属する民ということです。

            そいういう思想を持つ日本は、どこにもない新しい社会のモデルを作ることができるだろうと考えています。
            また、理想社会のモデルを作らなければいけない、とも考えています。

          4. 七誌さんへ
            「ゴブリン論理学」によれば、そういう事になるのかも知れないけど、とりあえず「人類の論理」で語り合いましょう。

            「血統」で「是非」を分けるなら「欧米人」も「アフリカ人」も「インド人」も「東南アジア人」も「アラビア人」も「ユダヤ人」も「中央アジア系」も、「日本人じゃないから」全部「お断り」でしょ?
            しかし、あなたは「中韓」はダメ、「欧米」は可、と言ってます。基準をどこに置くの?
            で、欧米と中韓以外の外国人をどう扱うわけですか?

            「日本的価値観」と適合性が有るかどうかは「血統」じゃなくて「個々人の、確立された文化的背景+日本文化に順応する思考の柔軟性」に有ります。
            私は、たとえ「血統が純粋に日系」であっても、異文化で育ち日本的価値観とは相容れぬ価値観で凝り固まっている人の「帰化」は「お断り」したいです。
            血統が全然違ってても「日本を理解し、適合し、愛して」くれれば「帰化」を「受容」します。
            元の国籍がどこだろうと構わないのです。

            以上は「少数の帰化希望者をどう処遇するか」というテーマです。
            移民問題は、また別。
            ごっちゃにしてはダメです。

    4.  マクロ経済的な視点で考えると、その社会における人口の調整は、こういう手順になるのではないかと思うのです。

       人口が増えすぎると、収入の得られない貧しい人が増える。貧しい人は、結婚が難しくなり子供を作れなくなる。作れたとしても、近代化された社会では、高等教育を施さないと、その子も貧しくなってしまう。
       人口が減りすぎると、労働力が不足傾向になり、労働賃金が上昇する。豊かな人が増えて、結婚して子供を作る人が増える。

       鎖国しているような閉じた社会状態だと、これで良いんですが、いまは国境の障壁が低くなっている。日本の賃金が上がると、日本の企業が外国に工場を作ってしまう。発展途上国がある程度の近代化された水準に上がってくるまで、いまのような状態(雇用を海外に奪われる傾向)が続くのではなかろうか。

      1. >迦具さん

        というわけで、グローバル化ではなく、ブロック化というか、島国化というか、そんなものに答えがあるような気もします。

        どう調整していくか、とか一朝一夕に答えも手法も出てこないのですが、グローバル化とは企業にとり、労働力などの賃金の「高低差」を利用した動きであり、やがては均一化(太平の世の中が続けば)に向かうものと思うのです。
        世界の一極化ではなく、多極化が望ましいので、ある程度はブロックくらいで別れ、人も拡散していくのでなくまとまったほうが問題解決にはよいのでは、と思うのです。
        まあ国の垣根がなくなってしまうような、そんな遠い、あるかないかわからない未来を考えてもしかたないか。

        とりあえず、「人口が減りすぎると、労働力が不足傾向になり、労働賃金が上昇する。豊かな人が増えて、結婚して子供を作る人が増える。」を国内でうまくできるようになればいいのですが。

        1. あ、望もうが望むまいが、人口の減り方と今の日本政府の受け入れのスタンスでは、それ(国内の循環)がうまく機能する可能性もあるのですね。

          いや、少し無理か。企業が逃げて、豊かさが国民でなく企業に吸われて、裕福になれないか。
          バランスって難しいですね。
          トランプ方式(企業に逃げるな、国内で工場建てろと命令)に正解があるのかなー

        2.  原則として関税障壁は低い方が、全体としての経済活動は活発になると思います。すでに、織田信長が証明しています。
           しかし、現在の世界は、まだまだ、国家間に経済的格差があるし、文化的な違いも大きい。それぞれの地域社会が崩壊しないように、ある適度の障壁は必要だと考えます。これまでのグローバリズムによって、国家の障壁を下げすぎてしまったように思います。

  6. さて朝銀破綻について熟考してきて36回目の投稿になります。

    日窒コンツェルンについて考察しているのですが、だんだん確信に迫ってきている実感がします。

    鴨緑江(おうりょくこう)という川がある。
    中国と北朝鮮の国境に流れる大河だ。
    全長790キロ、信濃川が千曲川と合わせて367キロだから、相当な規模だとわかる。

    この白頭山(2,744m)に源を発し黄海に注ぐ大河ですが
    支流に長津江(ちょうしんこう)、虚川江(きょせんこう)というのがあります。
    これが各々、全長250キロ、200キロというから、支流とはいえかなりの大河です。

    さて、更にその長津江の支流に、赴戦江(ふせんこう)というのもあるのですが、これがまた全長100キロもある川なのですが、これがまず、日窒コンツェルンの最初のダムとなります。

    北朝鮮の東側に蓋馬(かいま)高原という高原地帯があるのですが、標高1000m~2000m級の、広さが4万キロ平米もある九州並みの広さの高原です。

    そこを流れる赴戦江にダムを作り電気事業を起こそうと日窒コンツェルン総帥野口遵は考えました。

    そこに陸軍の大物、後の朝鮮総督となる宇垣一成がいました。
    野口遵は宇垣一成を口説き落とし、野口は朝鮮銀行から4000万円の融資を引き出すことに成功する。

    宇垣一成、彼は軍人でありながら、政治家でもあり、宇垣と野口の関係はどのようなものだったのか、ちょっと興味はありますが、取りあえずそこは置いといて、このとき日窒コンツェルンの財布は朝鮮銀行となりました。

    当時、朝鮮銀行の総貸出額は1億2000万円だったのに、この朝鮮窒素のダム計画に自己融資の実に三分の一をつぎ込ませた。

    宇垣一成、野口遵ラインの関係は尋常でなかったわけです。

    この赴戦江ダム、周囲17里半に及ぶ大ダムであり、30キロの大水送トンネルを通し日本海側に逆流落下させ、発電させようというモノでした。

    1925年夏から調査を開始し、1926年1月27日、日窒コンツェルンの全額出資で朝鮮水電株式会社が設立され、赴戦江ダムと赴戦江発電所の建設が始まります。

    赴戦湖(標高1200m)の湖水は27.5kmのトンネルを通じて咸鏡山脈南麓の城川江に落とされ、20万KWの発電所が完成しました。電力は朝鮮窒素肥料株式会社・興南工場で使用され
    ました。
    この成功に気をよくした日窒コンツェルンは、続々とダムと水力発電所を完成させ、1934年に長津江ダム(33万kw)、虚川江ダム(34万kw)1941年、そして水豊ダム(60万kw)1944年と続くわけです。

    当時世界最大のドニエプル水力発電所が55万キロ平米であったわけですから、この日窒コンツェルンの鴨緑江(おうりょくこう)ダム事業がいかに巨大だったかわかります。

    さて、宇垣一成ですが、ざっと経歴を書いておきます。

    1923~1924陸軍次官
    1924~1927第17代陸軍大臣
    1927朝鮮総督臨時代理
    1929~1931第19代陸軍大臣
    1931~1936第6代朝鮮総督
    1938外務大臣

    もう、朝鮮どっぷりの政治家です。
    宇垣一成と野口遵・・・この二人は朝鮮のキーマンです。
    満州における、岸信介、鮎川儀助、松岡洋右、石原莞爾、甘粕・・・ほどの知名度はありませんが、今日の日朝関係を推理するには、ちまたで騒がれていないぶん、何かえたいの知れない不気味さがあります。

    何だか、何やらまだまだ出てきそうです(笑)

    もしかしたら金王朝まで、続いているのかもしれません。

    何だか、カニ太郎には、そんな気がしてならない(笑)

    さて、まだまだ日窒コンツェルンの話は続きます(笑)

    それではまた。

  7. タイムリーな記事です。
    『出生率「0.98」 韓国の女性に広がる新たな価値観』
    ttps://news.yahoo.co.jp/feature/1570

    この件では、韓国は反面教師ではなくて先行者です。
    韓国は、伝統的な共同体の脆さのために先行しているだけですから。

    1. 似て非なるものです。
      ロウソクデモと、香港デモぐらい違うと見ています。
      超展開なのでイヤだったのですが、こうなったら、出し惜しみなく全力で反論します。

      少子化についての議論の最初に、「男性が腕力で築いて来た歴史」という事を言いました。
      それが女性にとって、居心地のいいものではないという方向から、論じて来ましたが、本当はそんな事ではないと考えています。

      かつて列強と呼ばれ、今先進国と呼ばれている各国は、二度の大戦を経験して、これ以上「腕力では歴史を築けない」と分かったのだと思います。
      つまり、男性ホモソーシャルのシステムが頭打ちだから、女性の社会化が必要なのです。

      でも、女性の社会化って、一体どういう事でどうすればいいのでしょう?
      女性が男性化して社会に出たって、何も変わらない。
      女性が女性として、社会化しなければ意味がない。
      それって一体どんな社会なんだろう???
      そういう迷いの中、女性の社会化、つまり社会の変容の過程で起こっているのが、少子化をはじめとする諸問題で、根は一つだと見ています。
      伝統の社会をただ壊したいだけじゃない。
      集団の生きる道としての、必要な変容です。

      それは、かつて列強と呼ばれ、今先進国と呼ばれている各国に与えられた命題です。
      民主主義も理解できない韓国の事例は、似て非なるものなので、どれだけ先行していても、参考になり得ません。

      そんなことはお構いなしに、まだまだ腕力先行のアメリカには、火星移住計画というフロンティアに賭ける方々もおられますし、不死を目指すのも、一つの選択でしょう。
      私が論じた女性の社会化では、不死は前提にありません。
      子供を産み育て、後世に継ないで行くのが目的です。

      今はこんな感じで、それぞれが別々に未来を目指している段階だと思います。
      この「ゆらぎ」の中から、やがて一定の方向が決まって行くはずです。

      因みに、私は不死は無理だと見ています。
      少なくとも、近い将来には。
      2001年宇宙の旅や、2003年のアトムの誕生が現実にならなかったように、未来はそんなに未来にならない。( ある意味考えていたよりも未来だけど。)
      人間は人間に似たものまでしか産み出せないのではないでしょうか。
      人間より優秀なロボットは作れると思う。
      でも、クオリアまでは再現できても、閃きは再現できないだろうと閃きました。w

      そこは人智を超えた領域だろうと。

      # 「富」の話しに、7300年前のカルデラ噴火のレスをつけよう! と思ってお家に帰って来たら、「バカの法則」なんて面白い展開になってるし、mottonさんは少子化の話しを引っ張ってるし。( 確かにタイムリーな記事だけど。)
      ホント、話しが進まないですよね。www

      (=´∀`)人(´∀`=) しゃーない、しゃーない。

      1. ちょっと補足。

        今表面化している問題を、「集合無意識」の「ゆらぎ」の反映だと捉えています。

        集団には、集団の性格があります。
        ( それについて、とろいや先生の分析を軸に、あーだこーだ言ってるのが本編ですが、)
        その性格の土台に「恥」を置いている時点で、私たちの属する集団は、既に、動物とは一線を画す存在なのかもしれません。
        「罪」とか「業」も同じです。

        でも「損」だと動物っぽい。

      2. 「男性が腕力で築いて来た歴史」なるものは、先進国も韓国も同じです。
        おっしゃるように、先進国は「合理的に」女性の力の必要性を認め、そのために価値観の転換を行ってきました。韓国は、その価値観を受け入れただけです。(香港デモとロウソクデモの違いと類似は正しいと思います。)
        しかし、それでも同じ価値観の転換による変化の結果なので、先行者なのです。もし、我々が「合理性」にまで立ち返って転換された価値観の修正を行わない限り。

        しかし、その「合理性」は「社会」が要請したものです。社会ありきのもの。でも、転換された価値観においては社会の地位は低いので個人の「合理性」が勝ります。社会の「合理性」にまで立ち返ることは極めて難しいのです。
        (cie さんは、ここで「社会」の問題を論じているでしょ。「伝統的に」社会は重要だと無意識に考えるから。それが無くなっていくのです。)

        (特に女性にとって)その背景には「男性が腕力で築いて来た歴史」という認識があります。だから、築かれてきた「社会」は「個人(女性)」の敵であり否定されるべきだと無意識に考えてしまいます。
        引用した記事の最後もそういう感じです。儒教の影響がある「社会」が悪い。その影響が薄れれば良くなると無意識に考えています。(反対だと思うのですが。儒教の影響で辛うじて繋ぎ止めていたものが崩壊している過程だと思います。)

        1. >>「男性が腕力で築いて来た歴史」

           ちょっと割り込みさせてください。

           私は常々、「機械化される前の社会」と、「機械化された後の社会(すなわち近代化された社会)」とを、分けて考える必要があると思っています。
           「男性が腕力で築いて来た歴史」というのは、前者の「機械化される前の社会」での話だと思うわけです。機械がないので、基本は人力です。そういう社会では、なにかにつけて男の腕力がものをいう。男が外で田畑を耕し、女が家事を担当し家の中を整えるという形になっていく。また、男は略奪者に対抗しなければならないし、戦争に駆り出されたりもする。
           「機械化された後の社会(すなわち近代化された社会)」では、機械を使うという仕事が多くなる。腕力だけがものをいう社会ではなくなった。女性が社会進出できる。

           したがって、「機械化される前の社会」では、女性の立場が相対的に弱かったのは、そういう腕力がものをいう社会であったからだと考えます。
           そして今、女性やLGBTや異様に脚光を浴びているのは、共産主義の“抑圧されている労働者”という思想から、“抑圧されている女性”、“抑圧されているLGBT”という形に変質してきているものと捉えています。

           最後に、少子化の最大の原因は、労働者層への所得分配率が低下していることにあると思う。大企業が内部保留を積み上げているが、研究開発する分野が無くなってきた。余った金を、金融投資に回している。日本からも、米国ファンドへの投資が多いらしい。
           よって、少子化問題の解決策は、労働者層への所得分配を引き上げていくことだと思う。派遣労働者やアルバイトの正規雇用化と、賃上げ等。

      3. 例えば男性社会のイスラム国家では、少子化は起こり得ない。cieさんの言う、女性の社会化を成功舌国こそが、みんな滅びるわけですよ。日本が滅びる道を正しいとするべきか、善とするべきか。

        少なくとも特アは狂喜するだろうねw

        1. >例えば男性社会のイスラム国家では、少子化は起こり得ない。

          ううん、起こり得る。統計が未来を予測するわけでないけど、
          傾向が示されるのなら、そうなる。
          近代化と少子化が結びついているように考えます。

          >女性の社会化を成功事例国

          韓国は日本以上に少子化、高齢化へと進むわけですが、女性の社会化(?)の成功事例の国でしょうか?
          七誌さんの取り上げる「正しい、善」など大概個人の観点からなので、わりとどうでもよいものが多いのです。
          0と1の思想からで、ここでも女性の社会進出を善とするか滅びるかの2択になっているのです。

          その考えにあわせると、少子化と女性の社会進出により韓国は滅びるか?
          →滅ばない。
          ならば日本もまた滅ばないのです。

          移民を受け入れずに済むシステムの構築、近代化病の治癒、もしくはその先のモデル構築ができるのはどこになるでしょうね。

          1. あるいは常に成長し続けなければならないというのも近代化の病の根源かもしれませんね。

        2. イスラム圏の先進地域であるイランもトルコも少子高齢化に向かっているんだけどなあ。

          社会の発展(豊かになること)と女性の社会化には、直接的には正の相関があるわけ。だから、女性の社会化を(男性社会も)促した。社会の発展が発展することで、女性の自立も可能になった。(どちかが原因という単純な因果関係ではない。)
          これは普遍的なもの。

          しかし、社会の継続的発展(大きくなること)には副次的に負の相関があった。これに気づいた時には遅かった。むしろ、社会の発展による人口爆発を問題だと思って、中国の一人子政策などが取られていたくらいなんだから。本能や宗教の「産めよ、殖やせよ」が当たり前だと思い込んだんだな。

          バランスの問題でどちらが正しいかという問題ではない。
          (cieさんは前者の視点から、私は後者の視点から語っているが、どちらが正しいかという問題ではないことは、二人とも理解しているんだ。だから議論が成り立つ。七誌が理解できていないのはそれ。前に言ったろ。議論の意味を理解しろと。)

          1. 大怪獣バトル「韓国vs七誌」
            「賠償汁!」
            「賠償舌!」
            「断交汁!」
            「断交舌!」
            「ウリが正しいニダ!」
            「全部まちがい!」
            「ウリが勝つニダ!」
            「ネトウヨが負けるのです!」
            「意見が合ったニダ(≧▽≦)」
            「同意見だと理解するべき(≧▽≦)」
            「ウェーハッハッハッハ!」
            「ウェーハッハッハッハ!」

        3. 七誌さんの意見は軽く無視するとして。
          「成功舌」ってのが、ちょっと面白いけど。w

          >> 儒教の影響がある「社会」が悪い。その影響が薄れれば良くなると無意識に考えています。

          そこなのです。
          こういう展開だからこそ、似て非なるものだと感じたのです。
          私は、日本で起こっていることは、伝統の社会 ( 男性ホモソーシャル ) の「否定」というのとは、ちょっと違うと感じています。

          「腕力の歴史」というのは、人類の成長という視点から、必然だったと考えています。
          それ以前の揺籃期には、地母神を中心とする時代が長く続いていました。
          そこから腕力の時代に転換する。
          これは、人類に共通して起こった事ではないですか?

          女性というのは、産み、育てるという、大きな力を既に持っている存在です。
          もちろん男性がなければ、叶わないことなのですが、揺籃期の人類には、大いなる力と映った筈です。

          そこから抜けて、男性の力の成長が始まって、それが頭打ちになったのが今だと見ています。地球の全容が分かったからです。
          まだ、フロンティアはありますよ。
          海底とか、地殻とか。成長が止まったとは見ていません。
          ただ、世界の大きさや、他民族については一通り分かった。だから頭打ちです。

          この段になって、初めて「他者」としての女性が登場するわけです。
          母ではなく、パートナーとして。

          私は、人間の集団が成長する過程を、人間が成長する過程と見做して考えています。
          ヘーゲルの弁証法です。
          つまり今は、「即自 ( an sich )」 であった男性が、「対自 ( fur sich ) 」である女性に出会い、「即自かつ対自 ( an und fur sich ) 」へと止揚 ( aufheben ) する過程にあると。

          自分自身だと思っていたものの中に、自分とは違うものを見つけた。
          男性社会の一部を為していた女性が、実は男性とは異なる視点を持っていた。
          ということに気付いただけです。

          でも、「女性」とはどういう存在か? 
          という問いに当の女性が答えられません。
          「母」でしかなかったからです。

          個人的にも、子を生さなかった女性として言います。
          日本で起こっていることは、「個人 ( 女性 )」による「伝統社会 ( 男性 )」否定とは別のものです。
          影響が薄れれば良くなる、などという単純なものではないと、日本の女性の無意識は知っていると思います。

          男女の対立なんかより、母娘の葛藤の方がずっと根深い。
          それが、伝統との対立とも見えるので、分かり難いかもしれないけれど、少子化は女性の自己の葛藤です。
          ここがクリア出来なければ、女性の社会化も、再び「母」を引き受けることもありません。
          逆にここをクリアできれば、女性は再び「母」になると思っています。

          これは、ただ私が感じ、考えているだけの数ある「ゆらぎ」の中の一つに過ぎないものです。

          あと、私が社会が重要だと考えるのは、人間が群れでしか生きられない生き物だからです。
          私個人が「我が後に洪水来れ。」と言えないというだけのことですね。
          そう言える人の一群も「ゆらぎ」の中のファクトです。

          mottonさんは、合理性の観点から、そういう一群の方が優位と見ていますよね。
          私は集団無意識が、社会を食い潰す一群をやがて淘汰すると見ています。
          群れで生きようとする力の方が強く働くだろうと。
          やっぱりちょっと電波かなぁ?

          1. あれ?
            途中で用事が入って、他ごとやりながらダラダラ書いてたら、いっぱいレスがある!
            みんな書くの早いなぁ。(笑)

          2. 「成功舌」は、「彼ら葉一体」で学んだから理解できたw

            すごい変換の仕方してるよなw
            ありえんだろw

            「せいこう」→「成功」
            「した」→「舌」

            になる理由が理解不能w
            どういう入力の仕方してるんだろw
            効率悪いっちゅーか、アホっちゅーかw

          3. 「彼ら葉一体」面白かったですね。

            ああ、なるほど、pommeさん凄〜いって思いましたよね。(笑)

          4. 男性を含んで、生物の生きるためのリソースのほとんど全ては、実は子孫を再生産するために使用される。これは人間だけでなく、稲や植物ですらそうなのです。

            ところがここに、子孫を生産するなんて損だ、わたしは自由に生きたいって女子(笑)が現れる。

            それで少子化になる訳ですよ。

          5. >人間が群れでしか生きられない生き物だからです。

            性差があって、長い妊娠期間と授乳期間(自身と子供の生存に極めて不利な期間)がある女性の方がよりそうなのです。
            男性は一匹狼で放浪できます。それでも、子孫を遺すことができます。(群れに加わって、妻子を守った方が効率的ですが。)

            太古(類人猿の祖先の時代)から、女性は自身と子孫の生存のために男性の腕力と群れを必要としました。男性と群れは、子孫を得るためにそれに応えました。共存関係が上手く行って群れは発展しました。女性や子供が安全に守られるようになりました。

            そして、発展した群れが(法や科学技術によって)女性を守ることができるようになった時、男性の価値が相対的に低下したのです。女性が男性を必ずしも必要としなくなりました。男性と群れは、子孫を得ることができなくなってきました。

            あれ?

            確かに「現代」の女性も自身のために群れを必要とします。しかし、必要なのは「現代」のそれであって、将来のそれではありません。将来の群れのために子孫を提供する動機が弱いのです。(提供したら群れを守る動機が強くなるという矛盾。まあ、だからこそ伝統的価値観で何も考えさせずに子供を産ませてたと言えなくもないのだが。)

          6. あれ?
            だったら、もっとずっと短期的な理由で、増加に転じませんか?

            人員が減ると、その群れは、相対的に弱体化しますね。
            群れが弱体化すれば、個人の快適さも減るわけです。

            意外とめちゃくちゃ単純なことかも。
            ちかのさんが仰ったように、団塊の世代がごっそり抜ける頃になってはじめて、危機意識が芽生えるのかも。
            だって今はまだ快適だから。
            群れがヤバくなったら産むよ。ってことかも。

            もしかしたら、日本列島が養える限度が1億人程度なのかもしれない。(笑)

          7. 食糧の自給を考えるなら、日本の人口は7千万人くらいが適切ではないでしょうか。今は食糧を大量に輸入しています。

            第二次世界大戦のころは、日本の人口は7千万人くらいでした。
            江戸時代の人口は、3千万人くらいで推移しています。

            イギリス、フランス、イタリアあたりも、人口は、5千万人から6千万人くらいです。ドイツは少し多くて、8千万人くらい。
            ヨーロッパの先進国でも、5千万人の人口がいれば、多い方です。

            中国とインドが人口が多すぎて、環境破壊と食料の問題をかかえています。
            第二次世界大戦のころは、中国も5億人くらいなので、このくらいが、無理のない中国の適切な人口でしょう。

            人口が多ければよい、というものではありません。
            国土が狭いのに、人口が多すぎると社会的に、いろいろな問題が生じてきます。

            人口がいつまでも増え続けなければならないというのは、土地、食糧、インフラ等で、無理があります。
            持続可能な、適切な人口規模を目指すべきでしょう。

          8. >人員が減ると、その群れは、相対的に弱体化しますね。
            >群れが弱体化すれば、個人の快適さも減るわけです。

            その通りです。
            しかし、それを感じた時はもう遅いのです。その時代の人が産んでも、その時代の人は快適にはなりません。というか、産み育てる労力でさらに快適さが減ります。
            その時代の次の(さらに次の)世代のために犠牲にならないといけません。

            人権無視で強制しないかぎり、自発的には無理でしょう。
            現在の快適な時代ですら、次の世代のための犠牲に拒否感が出ているのだから。(現代は、歴史上最高レベルに快適な環境なのです。)

            これまでの人間の群れは、群れの次の世代として「自分の子孫」がいて、そのために犠牲になることを前提にしていました。(自分の子孫への贈与だから犠牲とは捉えなかった。)
            この前提が崩れたら、群れが不可逆的に変質してしまいます。だから全く楽観的になれません。

          9. カロリーという意味では、日本列島はもっと養えるでしょう。しかし、現在の快適な食生活を維持するなら輸入するしかありません。だから、人口問題で食糧の自給を考えてもあまり意味がありません。

            人口がある数値均衡する(合計特殊出生率が 2+αになる)のであれば問題の深刻度はかなり緩和されます。
            一時的な高齢化を乗り切る必要がありますし、文化的な質や量が落ちたり、軍事面や経済面で国力が落ちることのデメリットなどがありますが、社会は維持できます。

            問題は減り続けることです。
            あれ?ってなもんで想定外なのです。
            いや、自然の摂理に従って滅ぶだけなんですけどね。個人は先に死ぬから困らないし。(子孫は困るけれど、その子孫がいないわけで。)

          10. >名有名無 さん

             そういったマクロな視点が必要だと、私も思います。
             でも、いまの日本経済で、どれくらいの人口が適切なのか、私には分からない。
             食料だけに着目するとそういった推定が出来るんでしょうが、実態はもっと複雑になってます。輸出している工業製品とか、蓄積している金融資産とか、知的財産権とか。推定するのが非常に難しい。

      4. 女性は家に居なくて、外で伸び伸びと自分の才能を活かしたい、子育てなんて嫌、家事なんて嫌、そんなのは男性も半分すること。国のために働くのなんて嫌、嫌。

        早婚なんてまっぴら。家に入って家族の世話なんて嫌、わたしは家政婦ジャナイ。

        女性がそう主張して、マスゴミがそれを支援、そりゃあ日本は壊れるよねぇ。

        1. >七誌さん
          うむ、では励むのです!
          国のために!

          子供が子供の世話などできるわけがないので、それはそれで不幸の始まりにならずに良いと思います。多様化した価値観と個々人の幸福にどう折り合いをつけていくかですね。人も社会も。

        2. 七誌さんへ

          もうちょっと↓に行って、「バカの法則」を読んで来るといいと思うよ。
          ( ´ ▽ ` )ノ” いってらっしゃ〜い。

        3. それで壊れてるのは「日本」じゃないですよ。
          大正デモクラシー頃に成立した「日本の都会の家庭生活のモデルケース」が壊れてるだけです。

          日本社会は「男も女も働く」のが基本。
          女にしかできないのは「出産」だけ。
          元来の大家族生活においては、育児やましてや家事なんかは、「誰でも出来なければならない」のであって「その時、手の空いている者」がやればよかったのです。

          核家族化が、そういう日本の伝統的生活スタイルを変えただけなのですよ。

  8. 今日は珍しく「昼時」が「昼休み」なので、ちょっと書き込み。

    「バカ」について
    私は、ときおり「人間の9割はバカだから」と言い「バカによって世界は動いている」と言ったりします。
    この「バカ」は、一般用語としての「バカ」と微妙に違います。もちろん「ゴブリン語のバカ」とは大いに違います。

    元ネタは「スタージョンの法則」
    SF作家シオドア・スタージョンの、次のようなエピソードによります。

    ある時、スタージョン先生は、とある文化講演会で、ある評論家と一緒に講師を務めることになりました。
    その評論家がまず、講演の中で、こんな事を言い放ったのでした。
    「文芸にもいろいろな分野が有りますが、私の次に講壇に立つ尊敬すべきスタージョン先生が健筆をふるわれているSFという分野の作品は、その9割が、まずクズといっていいでしょう」
    これにカチンときたスタージョンは、次に講壇で、こう言ったのでした。
    「先ほどのご高説は、実に説得力がありますが、少し遠慮がちな表現だと思われます。そもそも文芸作品というものは、分野の如何を問わず、その9割以上がクズ、なのです。先ほどの先生の作品をご覧になれば、皆さんもそれが良くお判りになるでしょう」

    これにより「文芸作品の9割はクズ」というテーゼを「スタージョンの法則」と呼ぶようになりましたとさ、どっとはらい。

    この「スタージョンの法則」について考えていて、私はこの法則が文芸作品どころか「人間の営みのほぼ全て」に当てはまる事に気付きました。
    人間のやる事は、ほぼ「クズ」です。
    この「クズ」とは「どうでもいい事」がその大部分を占めています。この「どうでもいい事」に拘泥すると「どうでもいい事」が「有害な事」に変質します。
    これが、私の言う「(事象としての)バカ」です。
    そして、そのようなふるまいをする者が「バカ」なのです。

    さて、自分自身を省みて、そのような「バカ」をやっていないでしょうか。
    答えは「やってる」ですね。
    目先の利益や自尊心や虚栄心に囚われると、人は誰でも「バカ」をやります。
    また、自分や仲間が危険にさらされると「客観的判断」が出来なくなって「バカ」をやってしまいがちです。

    社会を動かしているのは、そのような「客観的で冷静な判断が出来ない状態での『愚かな判断』である事」が実に多いと思います。
    しかも、そのように自分を省みる、という事が出来ない人たちは「確信に満ちて」「好判断だと信じて」バカをやり、バカな事を主張します。
    おまけに「バカほど声が大きい」。
    社会を動かしている者は、民主主義的社会でなくても、そういう「バカの声」を無視できません。
    ゆえに、政策は「バカでも許容できるレベル」が多くなります。
    社会を動かしている者が「バカそのもの」でなくても、です。

    人の営みのすべては、自分にも他人にも内包されている「愚劣さ・弱さ」と折り合いをつける事、なのだと思います。
    自分自身も、9割はバカなのです。
    これが、私の言う「バカ」です。

    1. 自分たちは「バカ」なので、理想や理論が間違っているかもしれないから、先人が遺したものを尊重しつつ、変化を見ながら徐々に変更したり、間違っていると分かれば引き返せるようにしておくのが保守主義ですね。

      この思想の元に、間違ってしまった為政者から「無血で」権力を取り上げるシステムが民主制です。「正しい」為政者を選ぶのではありません。「正しい」かどうかは結果を見ないと分からないから。
      だから、国民に「正しくなかった」為政者を選んだ責任は無いし、為政者も(権力を手放す以外の)責任は問われません。
      # 政策ではなく人(為政者)を選ぶという間接民主制も、自分たちは「バカ」だという思想の産物です。

      一方、自分たちは「賢い」から「正しい」為政者を選ぶことができるのだと考えてしまうと、「正しくなかった」為政者を選んでしまった時に、為政者に「正しいと騙した罪」を問うてしまいます。為政者は罪に問われないために間違いを認めず権力にしがみつきます。
      また、「正しくなかった」為政者を選んでしまった(自分たちが「愚かだった」)と認めたくないが故に盲目的に支持してしまうこともあります。
      # 韓国を見ていて、上記が明瞭になりました。

    2. 各人の定義が色々違ってそうですね。
      私はサンスクリット由来説の無知の意が強めで、知らない、気付いていない、志村後ろ状態で混乱しているところなんか、ばかかわいいです。関東民なせいか割と肯定的でクズとは別カテゴリ扱いみたいです。

      それとは別に、物事の判断を自分でせずに他者に委ねてしまう人を見ると、時と場合に依りますが、それでいいのかと馬鹿じゃなかろかと思ってしまうことがありますね。鹿を馬と呼ぶ話の影響が大きいのかもしれません。

      世間様や人の営みにおいてのばかと言うと、ばかがばかやって、はかばかしいことになったり、あらぬことになったり、集団になるとばかばかしくなったり酷いことになったりしますが、ばかとはさみは使いようです。

      馬鹿って言う方が馬鹿なのを、最初の馬鹿と後からの馬鹿のどちらがより馬鹿なのかを真剣に考えるばかばかしさや、そろそろゲシュタルト崩壊が間近になってきたばかばかしさが、如何にもばかで楽しいです。

      1. レスありがとうございます。
        にゃなさんのこの書き込みを見て、しばらく考えました。

        「バカ」とは「無知」を言うのか?
        「バカ」とは「頑迷」を言うのか?
        「バカ」とは「無責任」を言うのか?
        「バカ」とは「無節操」を言うのか?

        私は、上記の並べ方だと、下へ行くほど「バカが酷くなる」と感じます。人それぞれでしょうけどね。

        また「話をかみ合わせる事のできない人」を見ると「ああ、バカだなあ」と思いますね。
        例えば「罵る相手を間違って、別のコメントにレスを付ける人」とか…ときおり「可哀想だなあ」とも感じます。

        1. 昔、父親に言われた言葉。
          人間には4種類いる。
          ① 利口・利口(本当に頭も良く、行動も それに伴っている)
          ② 利口・ばか(頭は良いけれど、行いが ひどい。頭が良いことを鼻にかけてい  る)
          ③ ばか・利口(頭はそれほど良くないけ れど、その人なりに考えて良い行動をし ている)
          ④ ばか・ばか(頭も悪いし、行いも悪  い)

           お前は頭が悪いのだから、ばか・利口を心掛けよ、です(笑)
          (の中はうろ覚えです。何しろばかなもの で)

          1. 以下でもいいかな。

            1. 自分は賢いと自覚している賢い人。
            2. 自分は賢いと勘違いしているバカ。
            3. 自分はバカだと謙虚に考える賢い人。
            4. 自分はバカだと自覚しているバカ。

            1 はいわゆる「超人」。3 は謙虚すぎると罪。1 になれるのだから。4 を 3 に向かわせるのが教育。(高レベルの教育環境には 1 がいるので、2 にならず 3 になる。)
            2 はどうしようもない。

        2. 肯定的用法はちょっと置いておいて、何を「バカ」と言うのか、と考えてみましたところ先ず色々思いついたことに共通するのは、行動の結果について考えない人みたいです。

          夏休みの最後に悲鳴をあげたり、ながらスマホで道渡ったり、思ったこと全部喋ったり嘘ついて舌禍を繰り返してたり、とかとか。

          締め切り修羅場が楽しいとか誰かに軽く轢かれて入院したいとか、誹謗中傷、罵倒によってストレスの発散が出来ればそれでいいと結果を受け入れるなら、それもまた有りかとも思いますが、そうなると今度はそれで他人様に累を及ぼす程にくずカテゴリ寄りになりますね。

          また結果を考えてても、性分や習慣、器質的なものなどから、どうにも上手いことできない場合を勘案しますと、加えて望ましくない結果を軽減する努力が足りないこともあげられましょうか。ながら横断でも手を振りながら渡ることを習慣づけるとか、相手に理解を求めて勘弁してもらうとか。

          とはいえ常に切磋琢磨を要求するというのも何様だこらな感じがして頂けませんし、そんなんやっとられんわという時や、いや自分はそこまでは目指してないし面倒くせぇという方もありましょう。何より、行き過ぎると「かくあるべし」に至りそうなので望ましくないように思われます。

          このように相手のことを忖度(人の気持ちを推し量ること、すっかり悪い意味の言葉になりましたね)すると上記を「バカ」と一括りにしてしまうのにも、なんだか抵抗が感じられてきます。

          じゃあなにが「バカ」なんだろうという最初の疑問に立ち返りますと、「考えないこと」に尽きるかもしれません。無知の知に始まり、知り理解し選択判断することを自らしないことかなと。……あれ、判断を他人に委ねるに戻ってきたようです。

          どうやら私の場合は「自ら考えない人」みたいです。
          話が噛み合わせられないのは、ちょっとあれが限界な気もするので一般論の埒外ということで、おみそです。

    3. とろいやさま
      9割かどうかは、分かりませんが、声の大きなバカを、今回のコロナウイルス騒ぎで、沢山見かけました。
      政府は、多数だから相手にしないとならない訳ですね。
      程度の差こそあれ、国民の半分は、平均以下ですからね。

      1. レスありがとうございます。
        とりあえず、ツッコミを、
        「国民の半分は、平均以下」というのは「同義反復」ですよ。
        ちょうど半分のところが「平均」なので、半分は平均以下、は当たり前www

        「とろいや式バカ理論」の肝腎のところは、
        1、「自分も、9割は『バカ』でできている」
        2、「誰でも、約1割は『使えるところ』が有る」
        の2点です。

        ごく稀に「5割ぐらいしか『バカ』を含んでいない人」や、
        「純度99、9999999%の『奇跡のバカ』」もいますが…
        まず「己の中のバカの自覚」から始めて、徐々に「社会」へと適用方法を拡張し、やがて「バカでも世界を救えないだろうかの追及」に至るのです。

        多分「修身⇒斉家⇒治国⇒平天下」という朱子学のテーゼより、この「バカ理論」の方が「合理的」だと思います。
        だって「現実」を見てますからね。

        1. とろいやさま
          「とろいや式バカ理論」、なかなか深いです。
          自分の中の馬鹿を発見するのは、レベルの高い精神構造が、出来上がらないと、なかなか出来ないでしょう。
          馬鹿に気づかない馬鹿が、多いんじゃ無いかなぁ。

  9. さて、話を「本編」に戻して…と。
    どれが「本編」なのか、怪しいけどwww

    「悪い事とは何か」のサブテーマ「富」について、
    今日は「富の形成・蓄積」を考察します。
    舞台は「古代の文明揺籃期」です。
    本当は「悪い事の考察」が導入部であって、こちらが主要部かも。

    「富を蓄積できるか」の要因は、
    1、自然条件
    2、テクノロジー①農業生産力の技術
    3、テクノロジー②貯蔵と流通の技術
    4、天災の過酷さ
    5、人災の過酷さ
    で、決まります。
    1と4は連動していますが、正と負なので、分けました。

    まず「日本」を例にとって、各要因の内容を。
    「日本文化と朝鮮文化との比較論」をテーマとするこのブログの一角にお邪魔させていただいているのですから、そこは必然ですね。

    1、自然条件が、どのぐらい「人間集団の生存・拡大」に「正の効果」を与えるか。
    日本の場合、「小集団が狩猟・採集を主として」生きていくためには、「とても恵まれた環境」です。
    農業にもっとも重要な「水」も豊富にあります。
    ところが「肥沃で広大な土地」が、どこにも有りません。
    ですから「大規模集団が文明を築けるか」という観点からは、4段階評価でCぐらいです。

    2,3については、「日本文化固有のテクノロジー」はそれほどのレベルにはなりませんでした。
    狭い土地で、それ相応の人口が暮らす程度だからです。
    採集と加工の技術は発達した、と評価できますが、小規模です。
    これには「他の文化から先進テクノロジーを移入できるか」も関わって来ます…というか、そっちの方が重要。
    なので、ここは「古代・文明の揺籃期」には、Dクラス。

    4、天災は「激しい」ように見えて、実は優しい。日本でもっとも厳しい天災は「台風」と「地震」ですが、どちらも「収穫を困難にする力」は弱いのです。一過性であり「根こそぎ」ではありませんから。蓄えられた「食糧」を台無しにする力、という意味でも。
    ゆえに、ここはB評価で。

    5、人災すなわち典型的には「異民族の襲来」、これが少ないのが、日本の恵まれたところ。
    マイナス要因の少なさ、という点で、ここはAクラス。

    自然条件が小規模で、天災は少ないが「大規模な農業」を可能にする条件が「自然・人間」の両方で貧弱だった。
    なので「天災は緩く、敵が少ないので、まず食糧の蓄積から出来さえすれば、なのに蓄積力が無い」という訳で、総合評価はCクラス(身びいき)です。
    これが、中世以降になって一変しますが、それはずっと先の話。

    ここまで読んで、鋭い人は気が付くと思いますが、5は3と連動しています。
    すなわち「異民族による富の収奪」は「当の略奪者にとっては富の形成」であり、全体像としては「流通」と言ってよい訳です。
    さらに「略奪」という「交流の形」が成立する、という事は、富の争奪だけではなくて、実は「技術の伝搬」と「富の多様化」が可能であるという事を含みます。つまり2にも関わって来ますし、富の形成が「穀物だけ」ではなくなります。
    つまり「略奪者である異民族(≒遊牧民)」も「富の形成」において重要な役割を果たすわけです。

    そこが貧弱な日本(土器の発達などは早かったけれど、規模が大きくなれなかった)でも、いろいろな集団が交流したことによって「富」の意味が「高床式の倉庫に蓄えられた穀物」だけ、ではなくて「黒曜石製品」や「土器」や「宝飾品としてのいろいろ」や「馬その他の家畜」などが「富」の一部になりました。

    ここまで、とても大雑把な「文明の揺籃期」に関する考察です。
    非常に「スキ」が多いので、ご指摘大歓迎です。
    ただし「ゴブリン文明との比較」は、遠慮してください。
    「人間限定」で。

    次は、西洋と中華と印度で、各要素がどのように連関して「富」を形成したか、を考えてみます。

    1. このように、とろいやは、根本的に富が何なのかすら理解していないわけです。

      現代社会の富とは何か。それはクレジット、つまり信用です。日本の国富とは、日本の信用である訳です。通貨の価値もそう。

      赤字神が悪なのは、何が通貨の信用を支えているかを、根本的に理解していないところなのですね。

      信用があるから、1万円は、1万円として通用し、手形は手形として通用し、株は株として通用する訳ですよ。

      日本は信用ある社会だから、世界一の債権国になれるのです。

      1. この人が言論の自由を理解していないと思うのは、
        意見の違いを人格の違いと混同して、自分と違う考えを持つ人間は人格が自分より劣っていると考えるところです。

        1. 言論の目的が、討論(声戦)に勝って自身の優越を証明することだと考えているからですね。

          自身と相手の智を使って、自身と相手にとりより良い結論を出すための議論が目的ではないから。

      2. 信用というのも富の一つ。
        話題は「古代の文明揺籃期」における「富の形成・蓄積」の考察。

        単語を拾い上げただけと思われてもしかたがないレベル。
        物々交換から貨幣へ、手形や債券などの信用へと進むのは後の話なのです。

        1. なぜ、他人が「信用も富の一つ」だと知らないと思うんですかねえ。

          数の話をしようと、1,2,3 と自然数の例をあげたら、「数とは実数なんです」って言われたような違和感。こっちは、虚数の話までするつもりなのに。(でもって、虚数の話をしたら「間違い。それは数ではない」って言われるんだ。)

      3. 七誌さん、前に「富」がテーマになったとき、
        「富とは穀物である」って、ドヤ顔してたじゃないですか。

        1. 穀物が集積できるようになって、はじめて人間は集団生活ができるようになったと言ったのです、私はね。

          そして、穀物により貸借、貯蓄の概念が生まれた。あるものをあるだけ食べてしまう動物の世界では、信用は生まれないからね。

  10. 「悪い事とは何か」に関連して、「少子化」がサブテーマになってますが、そこを、もう少し、つついてみましょう。

    極言すれば「悪い事」とは「社会的な暗黙の約束事」として成立しているところの「倫理感覚」に依るものです。

    つまり「社会的」である事が重要な要素なので、必然的に「社会の根幹を揺らがせる」ような行為は「悪」です。
    ※この「社会的約束事」が逆方向へと進化したのが「個人の尊厳に関する善悪の基準」だと思いますが、それは置いといて。

    この「何をすれば社会の根幹が揺らぐのか」というのが、「悪」を論じる際の「基本的視点」だったのです。
    そして「悪い事」をしなければ「社会は継続する」と、みんなが漠然と思っていた訳です。

    ところが、社会システムが「全地球」にまで及ぶと、視点の拡大が必然になりました。
    「社会の継続そのもの」が、実は不安定だという事が、あらためて、しかも「規模を拡大して」厳然と、人類の目の前に。

    天災や敵の襲撃や産業の崩壊によって「小さな共同体」が滅ぶ、ゆえに「そのような危機を招く行為が『悪い事』」というのが前近代というかごく最近までの「視点」だった、と思います。
    それが「変更」を迫られている訳ですが、人類の知恵は、それに追いついていません。
    ※ここまでは「悪い事」とは何か、という話の続き。

    ※この先は「少子化」を、どう捉えるべきか、という話。
    一方では「共同体の変質」という括りで、モノを考えなければならなくなりました。
    「少子化」の問題とは、換言すれば「自分たちが少数派になれば、自分たちの文化は変質する」という事を「避けるべき事」と捉えるべきかどうか、です。しかも、それをもたらすものが「出産・育児の敬遠」である、という「妙な事態」なのです。
    その「考え方の変革」は、実に難しいです。なぜなら、たいていの文化は「そのような事態を想定していなかった」から。

    ゆえに「少子化」をもたらす様々な要因が「共同体の継続」を不安定化させるものだとしても、それを「どのように防止するか」は、難しい議論になる訳です。
    「悪い事の防止」という論理が応用できませんから。
    要因の分析、それ自体も難しいですが。

    また、他方で「人類全体の存続」まで視点を広げる事も「意識する必要がある」と分かってきた訳です。
    この視点からだと「文明が進めば、出産・育児に関する社会的意識が変わるのだろうか」というところから、議論を進めなければなりません。
    私は、この論点への答えは「イエス」だと思います。
    動物は基本的に「面倒なことはしないモノ」だと思うからです。
    すでに「出産・育児」は「ヒトという動物の内、自分自身の生活を楽しめるモノ」にとっては「めんどくさいのカベ」の向こう側に行ってしまおうとしているのでしょう。

    「面倒じゃない」という意識を浸透させるのか。
    「面倒でも、得られる報酬は何ものにも替えがたい」という意識を浸透させるのか。
    「社会全体のバックアップによって、面倒さが極限まで軽減」された体制を作るのか。
    「出産も育児も、面倒なところは、ロボットに」なのか。
    4つの要素を、巧く組み合わせるのが、最善かな、と。

    「悪い事」を論じているのか「少子化」を論じているのか、読み返してみて、自分でもよく分かりませんwww
    まあ、いいか。

    1. 少子化について話していますが、老人とか病人も同じ問題を内包していますね。

      昔なら生きられなかった人々を、生かす技術が今はある。
      その技術はさらに進むでしょう。
      完全に「倫理」を取り払って「命の選別」を論じる必要が、目の前に迫って来ているということだと思います。
      子供を産まないのだって、ある意味「命の選別」です。

      倫理を壊して言っちゃうと、「死なないから、生まないのかもな。」って思っています。
      「死」が無くなれば、「生」も無くなるんじゃないかと思うのです。

      これは、本編の方の「死生観」に通じるものだと思うのですが、今語るには早いですよね。

      この先の未来に、今までの経験が役に立たないとしても、
      今、過去を振り返って、自分たちが何者であるのかを確かめるのは、未知の領域へ踏み込むための足固めになるはずです。
      逆に根っこが無ければ、何を語っても無駄かなと。

      なので、そろそろ本編に戻りたいです。www

        1. 「一理ある」どころか、それが「本質的な問題」です。
          「死なない=生まない」というのは、「生物としての原点」に反しています。
          多細胞生物は「細胞が順番に死ぬ」のでなければ、健全でないのです。「新しい細胞が生まれて、古い細胞が死ぬ」という循環によって生物は存在します。
          死にもしない、生みもしない、というのは、極言すれば「生物」ではない。

          つまり「不死」を獲得すれば、存在として「別の位相」に移る訳で、社会がそういう志向性を持つ個体によって構成されれば、「新世界」が生まれるのですね。

          その新世界が「どういうものか」かは、不明です。
          新世界がもたらすものは、「串カツとどて焼き」なのか「ポテトとトマト」なのか。

          1. >とろいやさん
            団塊の世代が一掃されたら、また増加傾向になるかも?という一縷の望み?はありますw

          2. せっかくレスしてくださったので、ちかのさんへ

            日本の少子化問題
            いま、日本で起きている「少子化」の問題は、「「団塊の世代」とか「ゆとり世代」とか言うような「短期的な世代間の価値観の傾向の差」ではない、と思います。
            もっとずっと「長期的」な「人間集団の生活レベルの大変革」に由来するもの、と私は捉えています。

            なので、団塊の世代が去っても、同じでしょう。
            「出産・育児」が「社会全体に最優先の仕事」と位置付けられて「それに携わる者(何よりもまず当事者である妊産婦とその家族)」が「全面的に優遇される」という事にでもならない限り、人間の「余裕を楽しむ方が良くなる」という傾向に基く「出産・育児の忌避」は止まらない、と思います。

            ダークな未来予想
            結局、生活の余裕を楽しむレベルに達せず「セックスぐらいしか楽しみがない」人たちが「宗教的要因によって避妊しない」ことで、大量に子供を産む。
            現代医学の恩恵の余波で、それらの子供は無事に育つ。
            よって、そういうレベルの人々が大量に移民して、世界全体で多数派になり、世界全体の文化も変化する。
            やがて、そういう地域にも「生活の余裕」が行きわたると「宗教的行動」より「楽な暮らし」を選んで、先進国並みになる。

            結局、何らかの意識変革とそれに基づく社会構造の変革をしないでいると、「出産・育児忌避」がスタンダードになります。
            「生活の余裕」が世界に行きわたる前に、人類の産業構造が破綻するかも知れませんが。

    2. 「少子化」などの社会問題の幾つかは、現在よりも将来において深刻になる問題(「悪い事」)です。それを問題だと考えることは「(自分の死後における)社会の存続」が前提となっています。
      子孫がいないとこれが薄れます(人それぞれでしょうが平均的価値観としては確実に薄れます)。

      「少子化」を深刻な問題だと考えるのは(その影響を受ける)子供がいる人の方です。だから、非常に単純化すると、子供がいる人がいない人に向かって「私の子孫のために無理して産み育ててください」と言っている構図になります。(子供がいる人は既に無理しているので、対価を払えません。)

      政治問題として非常に筋が悪い問題です。書いていて、ちょっと嫌になるくらい。

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