イエス尊待法

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コロナ19もいいけど、やはりもっと本ブログらしいエントリーが書きたかったので、急にイエス・キリストの話になりました。

韓国語にも敬語がいろいろあります。一般的に韓国人は自分が尊待されている(敬語を言われる立場)か下待されているか(そうでない立場)をものすごく気にするので、相応の敬語法も発達しています。

しかし、前に「日本の映画やアニメで、『先生が生徒に敬語を使う』場合、韓国語には訳が難しい」と書いたこともありますが、韓国語の敬語はそこまで幅広いものではありません。

ビジネス的な関係でもないかぎり、最初に会ったときには敬語を使うけど、韓国人の関係に「お互い敬語を使う」場合はありません。二人の韓国人が、少しでも知り合いになったなら、1年、いや数ヶ月の年齢差でもいいから、とりあえず何かの理由を持ち出し、かならず1人は敬語を、もう1人はタメ口を使うことになります。それが『ウリ』に『長幼有序(本当は年齢による長幼有序でもありませんが)』もどきの階級を作ることになります。韓国人にとって上下関係は道徳です。そうやって、集団の道徳が作られます。言わば、韓国語は、誰かと誰かの上下関係を確立するための道具としての側面があります。

 

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実にわかりやすい例えを一つ紹介しましょう。新約聖書は、世界各国で様々な言語で訳され、出版されています。ですが、その中で、イエスが相手を自分より「下の格」として話す、言わば命令形に近い語調を話す聖書は、世界で韓国語聖書だけです。

例えば、マタイの福音書4章19節には、イエス・キリストが、後に彼の弟子になる人たちに、こう話すシーンがあります。<イエスは彼らに言われた、『わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』>。日本語聖書では、基本的に、イエスのセリフは「~なさい、~です・ます」で訳されています。物凄い尊敬語を使うわけではないけど、命令調ではなく、タメ口もききません。英語だと「Come with me, and I will teach you to catch men.」で、極めて普通の表現になっています。敬語表現ではないからといって無礼な感じではなく、普通の会話のニュアンスです。余談ですが、イエスは弟子たちを「友だち」とよく称していました。

 

ですが、韓国語聖書には、こうなっています。<私について来い。私がお前たちを、人間をとる漁師にしてやる(韓国語共同翻訳新約聖書2005年改正版、マタイの福音書4章19節の直訳)>。語調そのものがどことなく上から目線なのもそうですが、「あなたたち」ではなく「お前たち」と言っているのが、大きな特徴です。そう、例え愛を慈悲の神様とて、漁師に敬語を使うのは、韓国語として不自然すぎたのです。

こういうのを韓国では俗に『イエス尊待法』と言って、韓国語聖書翻訳において大きな問題だとしています。しかし、なかなか直りません。直るところか、悪化しています。改正前の聖書では、それでも「ついてくるがいい」だったのに、いまは「ついてこい」になっていますから。どっちもどっちか。このまま行けば、50年後には「ついてこいっつってんだろうが漁師どもが」になっているかもしれません。

 

 

 

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