雑談エントリーその6

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“雑談エントリーその6” への414件の返信

  1. 以前の話題に関連して。
    今朝の産経に大根のゲノム解析で地中海沿岸原産の大根がゲノムの
    「データと産地の関係を分析した結果、世界のダイコンは、遺伝的に(1)欧州など(2)南アジア・東南アジア(3)中国・韓国(4)日本の4グループに、くっきりと重複なく分かれることが判明した。」
    のだそうです。つまり、南アジアからシナにわたるルートと日本にわたるルートの二つが別々に存在したと。
    私たちの遠い先祖が稲作と一緒に大根も持ってきたのであればそれほど大切な食物であったということですね。
    (有料会員記事のためリンクは載せません、すみません。)

    1. と言うことは、日本に来た縄文人祖先の移動ルートが中国、朝鮮半島経由では無かったことに成りませんでしょうか。或いは超高速で移動してしまい、痕跡が全く残っていないとか・・・私はそう思っています。無論、Y遺伝子でO系統は後に五月雨式に列島に流れ着き、その繁殖力で現在は半ばまで勢力を拡大しているようです。でも、交雑することは男女とも縄文系統の遺伝子が入り込んでしまいます。決してその気性が無くなることは無いでしょう。今も、他の国から見れば?な感性を日本人が持ち続けられたと私は確信しています。全く個人の勝手な思い込みですけど!!。

      1. 元荒川の縄文人さん
        すっかり流れてしまいましたが、mottonさんが性染色体の調査による人種の分類を紹介されており、そこでも日本人の基層は南方ではないかという話になっています。
        縄文・弥生人骨の調査からも、南方系の縄文人に、半島などから流入してきたらしい弥生人が混血し、それらが一体となって現在の日本人が形成されたとか言われているようです。

    2. 大根、そうでしたか。考古学発掘では解明できませんから、ゲノムでの2ルート想定は楽しいですね。稲作技術と一緒に入ってきたなら、はるか古代の生活に新たな思いを感じます。

  2. ここまでのおさらいを兼ねて、地理的知識の整理をしておきます。
    後々、インドへ行きますので、その準備も兼ねて。

    漠然と「ペルシャ」と言っておりますが、これは、本当は「イラン南西部」を指す呼び方です。そこから出現した「アケメネス朝」が大帝国を築いたので、全体名称としても、それで通るのですが。
    現在の国名「イラン」の方が、あの辺り一帯を表すにはいいかも知れないのです。
    ところが、「イラン」だと、今度は中央アジア(ソグディアナとかバクトリアとかオクサス河流域とか)が入れにくい。

    実在のザラ先生の暮らした場所は、今のイラン北東部説・ウズベキスタン辺り説・バクトリア辺り説・果てはカザフ説など、いろいろ有って、もしかしたら本人も、どこで生活しているのかよく分かっていないかも知れません。

    日本人の地理感覚では、中東から中央アジアの状況は、掴みにくいのですね。
    なにしろ、今はあの辺りは「トルコ系優勢」の地域なので。
    ゆえに「トルキスタン」と言います。

    なので、ザラ先生の話をしている内は、「ペルシャ」で、漠然とあの辺り全体をイメージしてください。
    インド人とペルシャ人(本当はイラン人かな?)が分化する前の、インドヨーロッパ語族のアジア進出組全体は「古代アーリア人」とでも呼ぶことにします。
    で、今のアフガニスタン東部から向こうが「インド」です。

    どちらにせよ「最広義のオリエント」は、まだ入り混じっている時代ですし、現代に至っても実は複雑に入り混じっています。
    セム系とペルシャ系とその他のせめぎ合いを、ギリシャ人がいったん統一してまたバラバラになり、ローマ人が入ってきて、その後からユダヤ系・アラブ系(これはセム系の流れですが)と、トルコ(テュルク)系と、モンゴル系が入ってきて、インド系も流れ込み、雑然とまじりあって暮らし、混血したりしなかったりします。
    文化は血脈よりもっと複雑に絡み合います。

    その「石焼ピビンパに大量のキムチを投入したみたいなぐちゃぐちゃ」が、十字軍辺りの時代から、ヨーロッパに移入されます。
    そういう意味で、ヨーロッパは「オリエントとギリシャの子孫」なのです。
    なぜ「ギリシャ」だけ特別扱いか、というと「ギリシャ哲学」と「ヘレニズム」の影響が莫大だから。

    1. オクサス河って何処にあるのかな?
      って思ったら、アムダリアのことなんですね。知らなかった。
      アラル海の消滅に、改めて、なんとも言えない気持ちになりました。

      とにかくイラン+「○○スタン」辺りを、漠然と思い浮かべれば良いわけですね。
      ○○スタン、伊達にペルシャ語由来じゃないな。w

    2. とろいやさん
      新参者なので(ん?いつの間にかいついてしまってるような)過去のお話を存じ上げないのですが、この前まではアクエンアテンとユダヤ教に関連ありやなしや、というようなお話でしたが、そこからゾロアスター教の黎明に至っていると思います。
      今後、おおむね同時代で区切ってインドに飛ぶのか、それともユダヤ教やギリシャ・ローマの神々、キリスト教、イスラーム教と地中海世界の神様を一通り眺めるのか、どちらなのでしょうか。

      いずれにせよ、日本まで来るまでには某国があと2~3回はデフォルトを起こしそうなくらいの時間が必要な気がしますが。

      1. とりあえず、一神教の構造をある程度理解した上で、多神教との対比的考察を、展開したいですね。

        しかし、一神教を勉強し始めると、とてつもなく時間がかかるでしょう。なので、ユダヤ教もギリシャ・ローマも適当に端折って、キリスト教が成立した辺りで、インドとの対比を始めたいです。
        ゾロアスター教は、その辺りのすべてに影響を及ぼしているので、もう少しポイントを押さえましょう。

        多分、キリスト教が進化していく過程をたどって行くうちに、考察は泥沼化します。泥沼に浸かるのは楽しいですが。
        泥沼ついでに、その辺りで「中華」という泥沼にも、足を踏み入れましょう。その向こうには「朝鮮」という「底なし沼」が…。

        話が18世紀まで来ると、西欧も中華も日本も「現代の原型」が出来て来ますから、かなり「見えるもの」がクリアになって…来ればいいなあ…それまでの間、アレがデフォルトしないでいられるかなあ…日本にタカって来ませんように、神様お願い。

        1. 全知全能なるデウス様、願わくばかの国がデフォルトを起こし我が国にタカることがありませんように
          「かの民を魂より生まれ変わらせよ、さすれば願いは叶えられん」

          偉大なるオーディーン様、願わくばかの国がデフォルトを起こし我が国にタカることがありませんように
          「案ずるではない、いずれかの国はヴァルハラとならん」

          南無帰命頂礼弥勒菩薩摩訶薩、願わくばかの国がデフォルトを起こし我が国にタカることがありませんように
          「善哉善哉。ただ我にあと一恒河沙年ほど思惟する時間を与えよ」

          かけまくも畏き八幡大菩薩、願わくばかの国がデフォルトを起こし我が国にタカることがありませんように
          「膂宍(そしし)の空国(むなくに)にかかずらわることなかれ」

        2. アレがデフォルトする前に、なんとかパウロまで行ってください。無理かな?

  3. ちょっと休憩替わりに、予告編。
    この「ゼミ」は、私が言い出しっぺなので、私の論述が中心になって進んでいますが、私は「講義」をしているつもりは無くて、
    「今、発表している学生」のつもりでいます。
    ですから、遠慮なくツッコんでください。

    で、この話が最終的にどこに行くかというところを、予告替わりに、少し述べておきます。

    「宗教観」を考えると、それぞれの文化圏、というか文明圏の特徴がよく見えて来ます。
    で、いろいろと考えて「日本と西欧とインドには共通点が有るけど、中華は異質だな」と気付きました。
    日本から見ればすぐ隣に有って、日本文明は中華文明から大きな影響を受けているにも関わらず、です。
    梅棹忠夫先生の「文明の生態史観」で、そこはある程度読み解けますが、もう少し細かく、現代の人類学や文明論の知識も取り入れて考察してみたいなあ、と思いまして。

    で、思いついたのが「神の不在」です。
    中華には、私たちが「神様」だと考えて恭しくかしこまるような厳粛な何か、が有りません。
    他の文明圏では、「神」とは「人を超えるもの」であり「人はその前でただ頭を垂れるべきもの」です。
    多神教であろうが一神教であろうが、この構造は共通しています。

    ところが、中華には何が有るか。
    あの文明では「神」とは、我々の知っている用語で言えば「式神」なのです。
    つまり、徹底的に「人間中心主義」なのです。「人間中心主義」というと聞こえが良いですが、中身は「人が上・神が下」。
    人が祭壇の前でかしこまるのは、神を敬っているのではなく「神を使役するための方法」なのです。

    他の文明圏の影響を受けて、中華文明でも「造物主」や「最高神」に該当するものをこしらえましたが、存在感が薄いですね。
    それは、基本的に「神とは人に使われるもの」という意識が強いから、ではないか、と。

    もちろん「すべてがそれで説明できる」訳ではありません。
    そういう要素は、他の文明圏にも有りますし、中華文明の中にも「神に恭しく仕える」という要素も有ります。
    結局は、どの要素の濃度が濃いか、そこに分岐点が有ります。

    で、肝心の「朝鮮的思考」とどう関わるか。
    みなさん、すでに答えは分かっていると思いますが。
    「朝鮮文化」は「中華文明」のカリカチュアである、と言えば、説明になっていると思います。

    1. とろいやさん
      すみません、今回のご主張にはとても違和感があります。
      シナにも神はいます。世界の中心、北極星に座す天帝を中心にして、整然とした官僚機構を示す神々が。
      私の好きな「楚辞」の中に「天問」とか「九歌」などの詩賦があります。ここには儒教や道教以前の神々が描かれています。
      たとえば、人の運命を紡ぐ司命星を、人間ごときが使役できるはずはありません。

      というか。とろいやさんの仰るのは人間を神と同等の位置にすることを目指す道教の神々ではないでしょうか。

      1. 中華にも天帝などの神がいます。
        しかし中華の神は異質です。
        天帝は「運命を定める神」だと言い換えてもいいと思います。

        他地域の神々は「個人」に対して施しや罰やイタズラを与えます。
        天帝が個人に何かをするというイメージは薄いです。
        天帝は「世界」に何かをします。豊作をもたらしたり、瑞兆を呼んだり、天災を引き起こしたりします。

        つまり、人間の行動規範に神の影響がほとんどないのです。

      2. では、中国において個人の行動規範は何が定めているのか。
        具体的には儒教ですね。祖先崇拝です。
        怪力乱神を語らないのが儒教です。
        この辺は今後の話で出てくるでしょうから詳しく突っ込むのは控えますが、行動規範の基準となるものが神ではない、ということには注目しておくべきだと思いますよ。

        1. 祖先崇拝も怪しいんですよね。
          漢の劉邦の父母の名前すら史書にありません。(始皇帝までの帝王には黄帝に遡る系図があります。)

          使えるものは先祖だろうが天帝だろうが使うという感じ。それを畏れない。

    2. キサラギ=アリスさんへ
      確かに「神はいない」というのは、言い過ぎですねwww

      きちんと言い直しましょう。
      中華圏では、「原初的には在った神」が、儒教や道教によって「形骸化」された、と思います。
      儒教は「神」を「棚上げ」して、神話の中のただのお飾りにしてしまいました。倫理も宇宙観も「神が世界をどうお造りになったか」ではなくて「人が世界をどう捉えているか」に由来します。
      道教も「神の棚上げ」に加担していますが、どちらかというと「人が神と同レベルになる方法」と「式神の使用方法」の体系になった、と思います。

      そして、民衆にとっての「神」とは、
      A「神話の中のお飾り」
      B「権力者に使われる式神」
      C「巧く祈祷すれば我々にも使える下級の精霊」
      のどれかに、なりました。
      民衆が祭壇で祈るとき、Aに祈りを捧げるように見えていても、それは実は「Cを上手く使うための操作」です。
      これは、権力者でも同じ、というか権力構造の中ではもっと「大がかり」なだけでしょう。

      これを「神の不在」と言ってみました。
      格好いいから、ですwww
      「人間中心主義」という言い方もできますが、それじゃ恰好良すぎですね、実態は「人が上、神が下」です。
      社会構造が反映しているのか、宗教観が社会構造に反映しているのか。ニワトリとタマゴみたいです。

      1. 『神を殺した文明 – 中華文明』という本があります(私の脳内に)。

        よく言えば人間中心主義ですね。もしかしたら最先端かもしれません。最良のものが光武帝になり、最悪のものが毛沢東になります。

      2. 補論
        このような「神についての意識の重点の変化」は、どの時代に起きたのか。
        1、殷から周への王朝交代
        2、春秋時代
        3、戦国時代
        4、前漢時代
        5、後漢時代
        6、三国志時代以降
        私は、3が怪しい、と思います。
        まあ、いずれ詳しく。いつになるか…不明ですが。

        1. とろいやさん
          先の楚辞は戦国時代、山海経や淮南子など古い神話の本が成立するのが戦国から漢代にかけてなので、3はないと思います。

          大陸の文明は元の支配で完全に断絶があり、それ以前と以降とでは別の文明だとする説が正しいとすれば、宋と明の間になるでしょう。そうすると、神々が実質いなくなった世界から朱子学だけ導入すれば、半島のような状態になるのも納得できるように思います。

        1. まさに「神は、死んだ」
          ご冥福をお祈りしましょう。

          西洋では「神は、死ぬ」
          中華では「神は、こき使われたあげく、食われる」
          日本では「神様は、清らかな場所にいらっしゃる」
          印度では「そんじょそこらに、うじゃうじゃと神様が…」
          南極では「もちろん、神様も凍ります」

          さて、朝鮮では…

      3. とろいやさん、ヲチャーさん、mottonさん
        とても重要なお話が続けて出ているような気がします。

        とろいやさんの今回のまとめは、違和感なく受け入れられます。補足するならば、儒教は神々を「敬してこれを遠ざく」ることはしても否定はしていません。そこの理解がないまま儒教から発展した朱子学を受け入れた国があれば、神なき世界ができるのではないかと。

        それと、ヲチャーさんの仰るように、神が個人に影響を与えるものではない(これは極論だとは思います、「天網恢恢疎にして漏らさず」と言いますし)という要素は強いと思うのですが、これはそのまま日本の神々にも当てはまると思います。儒教によって敬遠され、道教によって使役されるようになったあちらの神々と、人間に歩み寄ってきた日本の神々と。・・・と言うと先走り過ぎなので、とろいや塾の進展を待ちますね。

        ありがとうございました。

    3. とろいやさんの講義の中で、今回だけは同意する。

      中華では神がいないゆえに、畏れがないのです。
      それが日本と正反対の性格を作っている。

      神がいないゆえに、嘘を吐くことが怖くないのです。

  4. さて「ツァラトゥストラかく語りき:漫才バージョン」少し上に上げます。

    「じゃあ、ザラ先生、忌憚のない所を、聞かせてください」と、未来からの旅行者と名乗る男は、急になれなれしい口調になって、懐から透明なカメのようなものに入った液体を出した。
    「うちの国の地酒です、これ飲りながら、ゆっくり話聞かせてもらいましょう。先生もイケる口でしょ?」
    「酒…というと、ソーマの事か?」
    「まあ、うちらの国じゃ、神様じゃなくても、酒は飲めるんで」
    「ずいぶん豊かな国から来たんだねえ…」
    「ここだって、見方しだいで、ずいぶん豊かな国ですよ」
    「草原と山と砂漠しかないけどね」
    「天は青く、地は広く、オアシスには憩いが有ります」
    「砂漠を彷徨ってるとね、神様のお姿が、見えるんだ」
    「うちの方は、何もかも、せせこましくて、煩くて、空気はよどんで、人の心は荒んでいます」
    「こんな美味い酒が呑めるのに…か?」
    「酒を飲み過ぎて、体を壊す者もあります」
    「…体を壊すほどの酒を、一度呑んでみたいもんだ、と従弟なら言うかも知れない」
    そう言って、賢者は盃を重ねたが、一向に酔う気配は無い。
    「お強いんですね」
    「は?」
    「お酒が」
    「私たちの部族では、酔うほどの量の酒を飲んだ事のある奴は、まあ、いないよ」
    「やっぱり、体質が違うんですねえ」
    「体質が違えば、思想の向かうところも」
    「違って来ますよねえ」

    「で、ザラ先生。神様の事を、どういう風に感じられたんですか?」
    「光、と言うと正しくないかも知れない。まばゆい光、あらゆるものに影が無くなるほどの、まばゆい光。その『光』の依って来る源に、私は夢の中でお会いした。その厳粛な何かを『神』とお呼びするべきだ、と私には分かった」
    「夢…だったんですか?」
    「考えに考えて、瞑想に瞑想を重ねて、この世のものではない物事を『見て』しまったのだよ。それは『夢』と言うよりも『神がわたしに直接語り掛けてくださるような経験』だった。しかし、他人には『夢』としか言いようが無い」

    1. ここで、私がザラスシュトラ先生に勧めた酒は「963」と言います。
      ウィスキーですが、福島の地酒です。
      美味いですよ。

      1. アルコール消毒に、その「893」というウィスキーは効くんでしょーかw

        どーも、ワインとウィスキーは外国モノに敵わない、、と信じてるんでw
        「国産モノ」には躊躇してしまうw

      2. 「963黒」は、スモーキーでアイラ系の味。
        ウィスキーとしての評価は、値段と比べると「まあ良い」です。
        3,000円ぐらい。
        もう少し安いといいんですけど、人気が出て、安く売ってない。
        フィディックやリベットの12年が、それぐらいで売ってるから、そういうのに比べられると…ですね。

        ただし、私の評価は当てになりません、何しろ一番好きなのが「スコッチ界の正露丸、ラガブーリン」なので…

        初対面の先生にお勧めするので、やはり「地酒」と、そこがポイントです。

        1. 前にチラッと書いたと思いますがw

          私、福島市内で生まれております。
          当時の住所は「山形県内」ではありましたが。
          (なので福島の記憶は、ないです)

          昨年、墓参りの途中、「土湯温泉」に泊まりました。
          理由は複数ありますが、「峠の力餅」を峠駅で買うため、でもあります。

          なので、「インネン」がある福島のお酒、には興味があります。

          「シングルモルトの消毒液」ブッシュミルズとか、好きですよw
          。。。でも銘柄(ブッシュミルズ)、、何かと勘違いしてるかもw

        2. ラガブーリンは少々お高いので、今はラフロイグです。

      3. ウイスキー苦手です。福島では若松で飲んだ日本酒「寛政の藩酒」が気に入りましたが、よそでは手に入りません。。。私はこちら大阪は池田の酒「呉春」が大好きですが、問題は一升瓶しかないこと。。。

        でも私は他県産品と福島産品が並んでいたらよほど高くない限り福島を選びます。避けるなんてとんでもないです。で、一番好きなお菓子は赤福ですが、二番は会津葵です。デパートの福島フェアでさえめったに売っていませんが。。。

        1. 菊水が新しく『お酒』を発売したとか。

          昨年?の豪雨で被害を受けた時、多くの方に応援してもらったお返しに、

          「消毒に使うエチルアルコールと同等の70度のお酒」

          なんだとか。
          言ってる意味、わかりますか?w

          酒屋(酒造メーカー)なので、あくまで『お酒(酒税がかかる)』んだけど、消毒用アルコールが品薄の今、

          「消毒にも使えるお酒」
          を新発売したんだとw

          消毒用アルコールだと、「医薬部外品」?の規定があるけど、
          「酒税を払ってもらうけど、消毒用にも使えるお酒」を発売したわけw

          こういうの、心意気がうれしいねw

    2. 「誰と、何の話をしているんだね?」
      「あ、ちょっと、友達と酒の話を…」
      「その、小さな箱で…かい?」
      「遠方の仲間と、話ができる仕掛けなんですよ」
      「なるほどなあ、その水晶みたいなカメといい、カメから出した酒といい、きみが未来から来た、と言うのは本当みたいだね」
      「不思議に感じないですか?」
      「ここに、自分がいる、その不思議に比べれば、何も不思議なことなど無い、と思うのだがね」

      そう言って、またウィスキーをぐびぐびと呑む賢者の横顔を眺めながら、私は(ああ、賢い人がたどりつくところは、同じようなところなのだなあ)と感心せざるを得なかった。

      「ところで、先生、神様が唯一永遠というのは、どういう事でしょう。この世に悪がはびこり、正しい者でも報われない事と、どう関係づけるのですか?」
      もっと複雑な概念について話をしたくて、私は「自動翻訳機」の感度を上げ、賢者にも手渡してみた。

      「私が解明したのは、世界の多層構造と対構造です」とスピーカーから自分の声が流れ、それがまた古代ペルシャ語にフィードバックされるのを聞くと、賢者は「自動翻訳機」をしげしげと見つめた。
      「私の言おうとする事を、この言語は巧く表現してくれるね」
      「なるほど、二元論とアフラ・マズダの下位の神々、とは、そういう意味ですか」
      「そう。この世界はそういう構造になっている。それが今まで、我々の部族が崇拝して来た『神』の意味だ」

      「それと、唯一神の関係は?」
      「そこで私は、その構造のまた奥の方に『もっと根源的な何か』が有らねばなるまい、と思いついたのだよ。つまり、それが『唯一の神』なんだが、何と言っていいか分からないので、と言うか『それ』を表す言葉がないので、困っちゃってねえ」
      「それで、神々の体系を改革した、という事ですか」
      「そう。アフラ・マズダという昔からの最高神を、実はそういうものだと、皆さんに教えてみたわけなんだよ」
      「でも、分かってもらえなかったみたいですねえ」

      「そうなんだよなあ」
      寂しそうに、また賢者はウィスキーをぐびぐびと呑みほした。
      「こりゃあ、美味いねえ。まだ有るかい?」
      「ああ、まだ有ります」
      2本目の瓶のふたを開け、素焼きの盃に、とくりとくりと酒を注ぎながら、先駆者の孤独に思いをはせずにはいられなかった。
      賢者は、つまみのチーズを齧りながら、遠くを見るような顔をした。
      「そして、私の没落は、始まったのだよ」

      1. 多元宇宙の時間線のあちこちを彷徨っていた実在するかどうか不明の賢者は、「時間線収束装置」によって、現実っぽくなってきた。
        「それでなあ、私は、従弟のマイドヨーイマンハに教えるつもりで、いろいろ考えを整理したんだよ」
        「唯一神から俗世に至るあれこれ、ですね」
        「そう、唯一の神の姿を見たような夢を見たけどね、あれは結局…」
        そういって、若い日の夢を懐かしんで、賢者はまたウィスキーを飲み干した。
        (もう、3本目だけど、先生、大丈夫なんだろか?それにしても、このヤギのチーズは、塩気が絶妙で、ウィスキーに良く合うなあ)

        「夢の中でも、まばゆい光で何も見えなかった…つまり、神の姿は人には見えない、という事に、私の潜在意識は気付いたわけさ」
        「人の認識能力の彼方に、神は在る、という事ですか」
        「そういう言い方も、できるね」
        「その『唯一の神』は、『何をする』んでしょう?」
        「何もしない」
        「唯一神が、何もしないと、世界が生まれないじゃないですか」
        「『する』という用語が適しない、という意味だよ」
        「じゃあ…」
        「神は、すべてが生成する原点として、ただ人には認識できないレベルに『在る』だけだ」
        そう言うと、賢者は自動翻訳機の他の機能も理解したらしく、どこかをいじって、言葉を探した。
        「ギリシャ人が言う『デュナミス』のそのまた源泉みたいなもの、と言えば近いかな…きみたちの時代の物理学者の言い方だと『真空のエネルギー』、そういうものを然らしめるもの、か」
        「なるほど、人間が考える『何かをする』とは、全然レベルが違いますね」

        「そう、それで『世界』が生まれる。生まれた世界は、法則に従って発展する。その法則が、つまり一般的に言う神だ」
        「でも、それを神と言い、根源的なものも神と言うと、話がややこしくなりますね」
        「だから、私は根源的なものを『アフラ・マズダ』と呼ぶ事にした」
        「じゃあ、その次の下位概念の神々は?」
        「『聖霊と悪魔』と呼ぶ事にしたのさ」
        「なるほど、ここで二元論になるわけですか」

        1. 緊急事態宣言下にある大阪、新世界。

          「どーでっか?」
          「アカン!人通り見てみぃ。安倍はんあかんでぇ!
          これで現金支給があっても、マイド!よーいわんわ!」

        2. 後世、ゾロアスター教の影響を受けて「弥勒信仰」が、大乗仏教に取り入れられた【本当】。
          つまり「アヴェスター」も、東方に伝わったのである。

          「ザラ兄さん、それじゃあ、一般ピープルには伝わりまへん」
          「ああ、マイやんに、またダメ出しされてもうた」

          この事から、ダメ出しのセリフとして「まいどよーいわんは」が使用されるようになった。

          民明書房刊「ゾロアスター教と大乗仏教」より
          …んなわけ、有るか~~い!

          1. とろいやさん
            昔法華経を読んだとき、弥勒菩薩の注釈にペルシャの影響、とだけ書いてあったのがここでやっとつながりました。
            ありがとうございました。

        3. とろいやさん

          これは、どれぐらい本当の話しなのでしょうか?
          いや、福島のウィスキーを持って、紀元前のペルシャで賢者と話すのは、創作だと分かってますよ。もちろん。www

          ゾロアスター教の「骨子となる部分」を現代風に読み解くと、こうなるということなのでしょうか?
          だとしたら、私が、キリスト教から得た核心、『その時』『在る』と同じですね。

          これが「アヴェスター」にあるのでしょうか?
          そうであるなら、ゾロアスター教とユダヤ教は、同じだと言える。
          結論を急ぐなと言われるかもしれませんが。

          この「光」。
          私は、たぶん同じものを見たことがあります。
          私が見たのは、眩いばかりの光というか、「全ての素粒子が光である」とでもいう光でした。
          小さな無数の光が、連鎖的に光っているため、影が無く、何も見えませんでした。
          自分の手さえ見えない。
          手を握ったり、開いたりすれば感覚はある。だから、あるのは分かる。
          自分に触ることは出来る。
          でも、白闇、明け闇とでも言ったらいいのか、何一つ見えない光の中で、上下左右の感覚さえ失われていくようで、このまま「消える」と思った。
          「私」は「消滅」すると思った。

          何かに呼ばれて、影の在る世界に引き戻されたけど、たぶん一瞬の白昼夢でした。

          この時、「私はもうすぐ、ここを出て行くんだなぁ。」と思って、その2ヶ月後に修道院を出ました。
          辞めたいというのではなかったのですが、終わってしまったのです。
          『その時』が。

          誰にも話したことなかったのですが、あまりにも似ていたので。
          信じなくていいですよ。www

          1. キサラギ=アリスさんが、
            下↓の方で書いていらっしゃる、お伊勢さんの話しなのですが。

            人智を超えた「何か」を彼女は「感じ」、山川アナウンサーは、感じなかったけれど、彼女が本当に「何か」を感じたと「信じ」た。
            それが信仰とか宗教とかの、原点ですよね。
            ただ、この話しは、神道「伊勢神宮」という枠組みが既にあるので、双方に了解があるわけです。

            「人は人に似せて神を作った。」
            という話しをしているわけですが、便宜上「神」としか表現し得ない「何か」を感じる事はありますよね。
            でも、「神」という言葉は便利過ぎるから、どうにか使わずに表現しなくては、本当のことは伝わらないです。
            「神」という言葉が、飽和状態になってしまったのかもしれませんね。

            感じたことは、どこまで本当なんだろう?
            脳が作り出したものなのだろうか?
            それとも、本当に「神」に触れたのだろうか?
            考えてしまいます。
            「感じる」を考えるのも、どうかなぁとは思いますけどね。www

            #「朝までいさせて」ということは、夜なのかな?
            夜の境内は神々のものだと言うけれど…。

          2. cieさん
            実はお伊勢さんのお話を投稿した後、あ、これ誤解を招くかな、でも聡いcieさんならおわかりいただけるかな、と悩んでおりました。やっぱり通じていたようで安心しました。そう、彼女が感じたものはあくまでも人知を超えた偉大なもの、であって伊勢の大神である訳ではないでしょう。ただ、自分の属する宗教以外は邪教として排除する狭量さがなかったからこそそのような経験ができたのでしょう。
            なお、お伊勢さんの開門時間は日の出から日没まで(正月除く)ですので、彼女が参拝したのは日中のことです。
            山本七平さんだったと思うのですが、例えば多くの日本人が伊勢神宮を拝む、その伊勢神宮に祀られているのは太陽神だ、となると、欧米人はしばしばただの天体を拝む愚かな未開人、という印象を持ってしまう。しかし、その日本人はみんな太陽は実は巨大なガスでできた天体であることを知っている、知っていて「それはそれ、これはこれ」ができるのが欧米人には理解できない、とか。まぁ、天動説も進化論もあっさり受け入れていますし。

            光に包まれた、というご経験。もちろん俗物の中の俗物である私にはございませんが、それ、司馬遼太郎さんが風塵抄に書かれていた、多くの宗教家が経験した「悟った」と思った経験ではないのでしょうか。もちろん、そのまま修行を続ければそこが悟りでないこともわかるのですが、そこを悟った、と誤解してしまったのが例のオウムの首魁ではないか、と。あ、そういえば、うろ覚えですが、明恵上人が夢でそっくりの経験をされたことを「夢記」に書かれていたと記憶します。彼はおよそ40年にわたって自分の見た夢を記録していたのですがその中に確かあったかと。

            私は不思議体験にあこがれてはいますが経験はありません。
            ただ、一度だけ。あの有名な金田一温泉で、例の宿(焼ける前)の例の部屋に泊まった時のこと。深夜ふと目が覚めました。が・・・体が動きません。後にも先にも一度しかない金縛り体験です。焦っていると、部屋の片隅にあった屏風のあたりがぼーっと光り始めます。え、え、何が起きるの?ひょっとしてあの座敷童がでるの?と思っていたら。隣で寝ていた母ががばと起き上がってお手洗いに立ち、その瞬間すべてがもとに戻り二度と不思議なことはおきませんでした。翌朝聞いてみたら、「出る」時はまさにそういう順序で金縛りがあってから部屋の隅が光り、そこから現れるのだとか。ちなみに母は何も感じなかったそうですが。。。

        4. cieさんへ
          もちろん、「ツァラトゥストラかく語りき」は、賢者の名を借りて「自分が神について考えている事」を書いている訳ですが、
          ここまでの「論述」に該当する部分は、主に、メアリー・ボイス「ゾロアスター教」と、レザー・アスラン「人類はなぜ『神』を生み出したのか?」の内容を読み解いたものです。
          半分は、読書感想文だとでも思ってください。

          メアリ-・ボイスはそこまで踏み込んでいませんが、レザー・アスランは「ザラスシュトラが一神教的信仰に達していた」説を取っています。
          信頼できる宗教学者ですので、私も、その説を採りました。
          で、どこが「一神教的」か、というと「神の非人格化」です。

          知性主義的に「神の本質論」を突き詰めると、そこにぶつからずにはいられません。
          ところが、その「非人格的な神」を受容するのは、とても難しくて、その意味での一神教はなかなか成立しないようです。
          結局、ザラスシュトラがそこに至っていたかどうかに関わらず、ゾロアスター教は一神教になり切れませんでした。
          追い追い、そこの事情を「ザラ兄さん」に語ってもらいます。

          私には「光に包まれた経験」は残念ながら有りませんが、
          「全世界・全宇宙との一体感」を感じて、とても幸せな気持ちになった事は有ります。
          瞑想や夢、ではなくて「宇宙の構造」を半日ぐらい考え続けて、風呂に浸かっている時に「イデア」にたどり着きました。
          「ユウレカ!」と叫んで裸で外に出る、というのはしませんでしたが。

          1. とろいやさん
            私はその一神教に「進化」する、というところがどうしても理解できないのです。
            例えば、日本神話で言えば天御中主命は私は非人格的な神であると思えるのですが、記紀の段階では未消化で何の事績も語られません。ただ、存在して姿を消した、というだけです。もっとも、その後非人格的な方向で発展することはなく、他の神との習合(具体的に言えば外宮の神官が外宮の地位を内宮の上に置こうと画策してこじつけた)で終わっています。それは進化しなかったのではなくて、日本の神の進化の方向が違っただけだと思うのです。
            ですから、非人格的な神が一神教につながる、というのは私の多神教の頭ではどうしても理解できないのです。すみません。

          2. キサラギ=アリスさんへ
            私も「一神教」は、理解…というか「感覚的に受容」できないのです。

            始めに人類は「人智の及ばない事象の一つ一つ」を、個別に「人格化」して「神という概念」を成立させたと思います。「多神教の萌芽」は、そういうものでした。

            しかし「神という概念」についてさらに考察が進めば、「人智の及ばないすべての事象の根源」に思い至るでしょう。
            そして、そこまで「神という概念」を突き詰めると「『人格』と『無限であり唯一であり絶対である事』が、両立しない」という結論に至るのは、必然だと思われます。

            このような過程を経て「神」はまず「人格化」され、次に「非人格化」される訳です。

            ところが、現実に存在する「一神教」の教理体系においては、そのような「無限」と「人格」が「唯一神」において両立する事になっています。

            つまり「知性主義的なアプローチ」では「一神教」は理解できない訳です。
            けれども、知性主義的な方法以外では、私は自分自身を納得させられません。なので、なんとか理解できないかな、と考えて、実践的アプローチとして「唯信論」を考えついた訳です。

            「日本の宗教感覚」(=「日本教」という便利な用語が有りますので、それを使いますが)、は哲学用語を借りて表現すると「神という概念」を「本質論において、エポケーしている」のではないか、と思います。
            これは、これで「進化の極致」だと、私も思います。

            古代ペルシャを整理できたら、ユダヤ教の成立と並行してインドについても考察してみたい、と思います。
            その後、ギリシャに寄って、それから、キリスト教に行って、ローマ人の実用主義を見て、ゲルマン・ケルトの多神教的要素を見て、ようやく「西欧の考え方」を、中世まで整理できます。

            それから、「中華」に行きます。
            並行して、イスラムとキリスト教の変革と近代思想にも触れる事になりますが。
            そして「肝心かなめ」の「日本人のものの考え方」を、もう一度整理して。
            中華文明と日本文明を対比すると、どれだけ日本が西欧と近いか読み解けると思います。

            そして「世界の最果」に「朝鮮半島」が。
            「日本から東に向かって歩いて行く(比喩)」と、世界でもっとも遠いのは「朝鮮半島」なのですね。
            そこを理解するために、この「ゼミ」をやっています。

          3. あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月

            という明恵上人の歌があります。
            直感的に「明け闇」のことだな、と思いました。

            明恵上人は一神教徒の臭いがします。
            釈迦との一体化。
            戒律の厳しさ。
            自分に出来ることを、人が出来ないのを、修行が足りないと言い放つ様。
            法然への攻撃。
            孤独な、理想主義者と読みました。
            一神教に嫌気がさしていた時期に一冊読んで、げんなりしました。
            ( どなたが書かれた本なのか、覚えていませんが、今読むと、また違うのかな。)

            こんな光を見るのは、ただアンテナが曲がって付いているだけです。
            悟りなんてものじゃない。
            でも勘違いしてしまうんですよ。
            私も自分が預言者だと、本気で思った時期がありました。w
            そうなると、人を導こうとするので、自然と人に厳しくなります。
            本当に、賢者とテロリストは紙一重です。

            一神教に嫌気がさしていたは、自分に嫌気がさしていた、なのです。

            私は、この光を「見えなかった」時、人間には、影が要ると思いました。
            人間、俗でなきゃいかんです。

            両輪でなければ倒れてしまうのです。
            一神教も多神教も、風土と共に在る。
            どちらがより優れているというのではなく、進化 ( 深化 ) の果てには、同じところに辿り着くと思います。
            西欧と日本は、両輪になれると思っています。

            #「風土」なのですが、「ユダヤ人は土を持たない風だけです。」と、あるユダヤ人が言っていました。
            風が「気、霊」なら、土は「身体」です。
            風は土の上位存在などでは、決してありません。

            それにしても、とろいやゼミ。
            長〜い道のりですねぇ。w

            ついでに言っときますと、幽霊は見えません。www

          4. 「あるべきようわ」の明恵上人が一神教徒とは思いません。
            本人はキリストとは似ているかもしれません。しかし、皆もキリストになれ(自分=内なる神と向き合え)という思想ではないかと。

            逆に、仏教の一神教化が浄土宗だと思っています。

          5. 一神教「徒」ではない。
            という意味ですね。

            今現在の私には、判断がつきません。
            あれ以来明恵上人には触れていないからです。
            上にも書いたように、今読めば違うものが見えるかもしれない、とは思います。

            光の体験は、アウグスティヌスにもあって、「イルミナツィオ ( 証明説 ) 」と呼ばれています。
            宗教家には、割とある体験なのだと思います。
            アウグスティヌスは、こう言っています。
            『外に行くな。汝の内に還れ。汝の内にこそ真理は宿る。』(「真の宗教について」)

            一神教は内側に向かう。
            mottonさんも、明恵上人には、同じ臭いを感じるから、

            >>皆もキリストになれ(自分=内なる神と向き合え)//

            をやられると、周りはキツいと思います。
            それを要求してしまうと一神教「徒」になってしまうのではないでしょうか。

          6. cieさん
            私もmottonさんに同意で、明恵上人を一神教的とはとても思えません。ただ、「小乗仏教的」と言えば、その通りだと思います。
            仏教が一神教的になったのが浄土宗ということですが、浄土宗ではまだそこまでではないものの、浄土真宗は神祇不拝など徹底してしまったように思います。同じ浄土系でも非常におおらかな時宗とは対照的ですね。かくて真宗大嫌いな私の家の宗派は真宗大谷派門徒です。。。

          7. あれ、cieさんのお話と行き違いになってしまいましたが・・・・。
            そう言われれば、小乗仏教って一神教的かも知れません。まだ阿弥陀如来も大日如来もおわしまさないですし。
            きっとその辺はとろいや塾で解き明かして下さるでしょう。弥勒下生までには。。。

            ところで。
            > ユダヤ人は土を持たない風だけです。
            ・・・ジンやったんかいな。。

          8. 違って見えるのは当り前と思います。
            私の脳には、一神教のフィルターが掛かっています。w

            でも、同じものを、右から見るか、左から見るかの違いぐらいに思っています。
            進化 ( 深化 ) の果てには、同じところに辿り着くはずですから。

            #ジンって。www
            一応補足として。
            ユダヤ人は国土を持たないって意味です。
            彼はユダヤ系アメリカ人で、現在のイスラエルを、国とは認めていないと言っていました。

          9. 明恵上人は釈迦を求めましたが、他者には釈迦を求めることを要求していません。「あるべきようわ」を自分で考えることを説いただけだと思います。

            一神教は内側に向かいません。
            皆が信仰する同じ神が自己の内側にいるはずがありません。いるとしたら、内側を(外の)神に明け渡たしているということでしょう。
            明恵上人が専修念仏に対し発菩提心(悟りを得たいと願う心)が欠けているとして非難した理由は、このあたりではないかと思います。

          10. 私の感覚では「一神教的」なのは「浄土真宗」ですね。
            ただし、ゾロアスター教と似た運命をたどっています。

            似たところは、
            「本質論」を理解されずに、「実践面」だけがクローズアップされ、「大衆の救済だけが信仰の目的であるかのように誤解」されて広まった。
            まあ、それはそれで、宗教としてちゃんと機能しているわけですが。「救済」は重要なテーマの一つですし。

            違うところは、
            ゾロアスター教は、教義そのものが世俗化して「多神教」に先祖返りして、ミスラ教のような分派が生まれ(※弥勒は、このミスラがマイトレーヤと転訛したものです)、本家は「儀式と慣習」が誇張されて「ペルシャ人の民族宗教」に縮小してしまいました。
            浄土真宗も、「救済」が強調され過ぎて「一神教化」し、「極楽に行った後の修行」が忘れられがちですが、「儀式なんぞどうでもいいわい」という所が有って、「万人に開かれたまま」だと思います。

            とは言え、私も大谷派の門徒ですが、本山に参詣した時は、きらびやか過ぎると感じました。もっと「素朴」な方が、浄土真宗らしいような気が、個人的にはしています。

            真言宗がきらびやかなのは構わないんですけどね、本来の「ヒンズー教のエッセンスが入った姿」ですから。

          11. mottonさんの仰っているのは、宗教としての、つまり、人々を集団に纏めるための装置としての一神教のことですね。

            私が話しているのは、個人の信仰、唯一の自己と対峙する、在り方としての一神教です。

            この二者は違っています。
            確かに、後者が大きくなれば、前者に所属していることは難しくなります。
            ご指摘は「教」と言うのは、前者だという事ですね。
            今までも何度か、ご指摘を頂いているのですが、
            ただ、私は一神教の中で後者を身につけたので、また、その在り方は一神教の中でしか、身に付けられなかったと思うので、それを指す適切な語が「一神教」しか見当たりません。
            でも、そうですね。
            ちゃんと分けましょう。

            ただただ、一者と向き合う。
            内向きのそれを、どう表せばいいのかな?
            ちょっと考えます。

            #明恵上人のことは、ちょっと保留で。
            これから、何冊か読んでみます。
            おすすめがあれば、教えて頂きたいです。

          12. >ただただ、一者と向き合う。内向きのそれ

            cieさん、それは哲学ですよ。

          13. cieさんへ
            町田宗鳳先生の「法然対明恵 鎌倉仏教の宗教対立」という本が、講談社選書メチエで出てます。
            立ち読みしただけですが、面白いです。
            学術文庫に収録されるのを、待っているところなので、手元には有りませんが。
            ブックオフででも見つけたら、買っておくのも一興。
            この先生の「人類は宗教に勝てるかー一神教文明の終焉:NHKブックス」も、題名は挑発的ですが、内容は考えさせられるもので、面白いと思います。
            この先生、天台宗のお坊さんなんだけど、ハーバードの神学部で学位を取ってる人なんです。

          14. とろいやさん
            > 「極楽に行った後の修行」が忘れられがち
            これ、真宗に限らず、法然以来の浄土宗系はどなたもここには触れていないのではないでしょうか。見落としているのかスルーしているのか。
            それと、救済に徹したのは時宗だと思うのです。阿弥陀如来が救うと決めたからあとはお任せすればよい、というのが一遍以来の考えですから、極楽浄土での修行も「心配せんとお任せしたらええやんか」で終わると思うのです。それに比べれば真宗は中途半端だと思います。
            そしてそれ以上に、徹底して自分に厳しい明恵上人に対して、親鸞上人の自分に対する甘さはやっぱりちょっとどうかと思います。

            でも、今書籍を、特に古書で求めるのは避けたほうがよいと思うのですが。

            ところで、cieさん、お気づきと思うのですが、念のため。ジンか、と言ったのは、神は土から人間を、火から天使を、風からジンをお造りになったという、イスラームの伝承からです。

          15. キサラギ=アリスさんへ
            こういう軽口っぽい話しは、伝わったかどうかが微妙ですね。w
            伝わりましたよ〜。っていう符丁みたいなものを、ちゃんと残せるよう努力します。
            ( ̄^ ̄)ゞ

            とろいやさん、ありがとうございます。
            町田宗鳳先生いいですね。
            『なぜ宗教は平和を妨げるのか 「正義」「大義」の名の下で』という著作を読んだ事があります。
            これも、考えさせられる本でした。

            ヲチャーさん
            「哲学」かなぁ?
            違うように思うけど、違うと言い切ることもできない。
            スコラ哲学の基盤は、アリストテレスだし…。

            ザラ兄さんのお話しの続きを聴きながら、考えときます。

          16. 主題から離れるかもしれませんが。

            宗教というものの必要条件として、
            「信仰を他者と共有する」というものがあると思います。
            他者の影響を排して、ただ自分の中の神と向き合い、その結果を皆に共有せず自分の中だけで処理するのなら、それは自己の内面との対話です。
            もちろん、それを悪いことだと言うつもりは毛頭ありません。あしからず。

  5. 最近、「迷惑メール」が来るんだよねw

    これもそうw
    笑っちゃったんで紹介するw
    【以下コピペ】

    コロナウイルスを世界的に潜伏させ、流行させることに成功。
    そして政治の実権を握っている高齢者の政治家、権力者を抹殺し、国の機能を停止させることが、フェーズ1。

    フェーズ2の段階は、国の機能が停止してしまい、カオスになってしまった国にさらに致死率、感染率をあげるウイルスをばら撒くこと。
    それにより増加の一歩を辿る人口を減少させる。

    すべてはWHOと中国との忖度により、この世界規模のリスクとなり、批判が集まっている。

    だがしかし、この先にある本当の真実。
    それは秘密結社フリーメーソンの目的がここに記されている。

    【引用終わり】

    この後、リンクが貼られてるw

    おお!そうなんだ(棒)

    この世界で平等なことがある。
    それは「誰もが死ぬ」ということだ。
    私も人生の折り返しをしたw
    もうね、いつでもいいがな。
    高齢者が重篤化する、、、昔なら『寿命』なんだろうし、親より後なら本望だw

    誤解を恐れずに言えば、
    新型肺炎で、通常のインフルエンザでの感染者(死亡者)が1/5なのだという(武田先生紹介のデータ。虎ノ門ニュース)。

    例年1万人亡くなるところ、2千人に抑えられている(日本国内)。
    ザックリだが、
    「インフルエンザの死者2千人+新型肺炎の死者60人(チェックしていないけど)」
    =2060人

    「例年のインフルエンザ関連の死者数1万人」

    私ゃ、「マスクしたり、親にうつさないように気をつけたり、アルコール消毒に気を配ったり」はするけど、

    特に不安視はしていない。

    それより、
    「経済での死」
    の方が心配だ。

    安倍政権の、防疫での対応は及第点を与える(満点ではない)が、
    緊急経済対策のほうには、落第点をつける。
    いい加減にしろよ??!!

    1. ラインのアンケート(2回来た)かと思いきや、本当に迷惑メールですね。
      リンク踏んじゃあぶないかも?

  6. 八木淳一さん

    >>韓国人じゃあるまいし。
    とは、どういう意味でしょうか?

    >>アウグスティヌスもトマス・アクィナスも夢想した原理から理想を述べたわけではないと思います。

    当たり前です。
    だから、建築家だと言っているのです。
    彼らの構築物は城塞都市です。
    生半可な知識では、傷一つ付けられません。
    砂上の楼閣などではない。
    だから、未だ20億近い人が住んでいられるのです。( キリスト教徒の数 )
    ましてや韓国人の作るハリボテと、同列に語った覚えはありません。

    それでも、やっぱり「理想」なのです。
    構築物は、老朽化しています。
    よく見れば、あちこちに亀裂が見えるという事です。

    1. あ、上に来てしまった。

      2020年4月4日 20:36 八木淳一さんへのレスです。
      すみません。
      少し不快に感じたので、言葉がキツくなりました。

      1. cie 様
        いくらでもキツくコメントしてください。
        もう、傷つくことには慣れている歳ですから。
        こうしたブログで遠慮はいけません。
        私もついボケコメントを書いてしまいます。
        みなさまのコメントを読んでいると様々なことを思い巡らせます。
        でも、ROMではいけないと思うので、何か書いてしまいます。
        必ずしも全てを読んでいるわけではありませんがその時その時の妄想を書いて、とろいや様に苦笑されています。
        今後ともよろしく。

        1. 八木淳一さん

          キツい物言いは、自分がへこむのでしたくないのです。w

          言い訳をさせていただくと、書き終わって読み返している時に、スマホを落としそうになって、あたふたしてたら送信されてしまって、直せなかったという裏事情があります。w
          きっと、変なところを触ったのでしょうね。独立コメになって、上に来てしまいました。

          でも、この際ですので、お言葉に甘えさせてください。
          今後のためにも、確認しておきたいことがあるのです。
          その方が収まりが良さそうなので、もう一つ下のコメントへのレスとして書きます。

          あと、「様」はやめませんか?
          お互い「さん」にしたいのですが。
          お嫌でしたら、私の方も「様」を使うことにします。

    2. cie 様
      すみません、舌足らずでした。
      >>韓国人じゃあるまいし。
      というのは
      >>アウグスティヌスもトマス・アクィナスも夢想した原理から理想を述べたわけではない
      というところにかかっています。
      >>ましてや韓国人の作るハリボテと、同列に語った覚えはありません。
      わかっております。そう聞こえたならお詫びします。
      >それでも、やっぱり「理想」なのです。
      構築物は、老朽化しています。
      構築物は常にメンテナンスが必要ですね。実際それができるかどうかは難しいところですが、「構築物は、老朽化する」という認識は常に「誰かが」持たないと。
      私は韓国よりも日本を心配しています。

      1. 確認したいことは2つあります。

        まず一点目。
        「韓国人じゃあるまいし」という言葉は、
        「アウグスティヌスもトマス・アクィナスも夢想した原理から理想を述べたわけではない」
        にかかっているからこそ、バカにされたように感じました。

        書き換えると、
        「韓国人じゃないんだから、アウグスティヌスやトマス・アクィナスが、夢想した原理から理想なんか述べるわけないでしょう。」
        となります。
        私が、「一神教は理想」だと言ったのを受けての、彼らが、理想なんて韓国人みたいなこと言うわけないでしょう、という返しに思えたのですが。
        如何でしょう。違いますか?
        それを受けての、上の意見です。

        最後の一文「韓国人じゃあるまいし」が無ければ、バカにされたと感じることはなかったでしょうから、もう少し丁寧にお返しできたのにと、残念に思うのです。

        もう一点は、

        「彼らの構築物は城塞都市です。
        生半可な知識では、傷一つ付けられません。
        砂上の楼閣などではない。
        だから、未だ20億近い人が住んでいられるのです。」

        のような暗喩的表現が、どれほど伝わるかという事です。
        これは、八木さんだけではなく、他の方にもご意見を伺いたいのですが、

        「城塞都市」というのは、アウグスティヌスやトマス・アクィナスが打ち立てた、「キリスト教理論」の暗喩です。
        その上に、約20億人のキリスト教徒がいるという意味で使いました。( 東方教会は、ローマ・カトリックの理論の中に入らないので、本当は20億人もいないですが。)
        アウグスティヌスやトマス・アクィナスを知らない信者さんでも、教会に所属している限り、彼らの理論の上に立っているという意味です。

        私は、元カトリック信者なので、その辺りの匙加減が分からなくなります。
        ブログ本編の方で、キリスト教の話題が出た時などは、昔の自分に合わせて、「なんも知らん」を前提で書きますが、こちらでそれをすると、冗長な感じになってしまうのではないかな? と。

        伝わってないのかな? と感じたのは、こちらの八木さんのレスを受けてです。

        >>「構築物は、老朽化する」という認識は常に「誰かが」持たないと。
        私は韓国よりも日本を心配しています。//

        私は、キリスト教の話しをしていて、
        それ ( キリスト教理論 ) は堅固な理論だけれど、よく見ると、時代の変遷による老朽化で、亀裂が見えますよ。
        だから、キリスト教会という「理想」は、近々崩れますよ。( と言ってもまだ100年、200年は保つでしょうが。)
        と言いたかったわけです。

        でも、メンテナンスしなきゃダメって話しになるのか。
        韓国とか日本の話しになるのか。
        と、どうも伝わっていないようなので、考えてしまうのです。

        キリスト教の話しは、やはり暗喩的表現では伝わらないでしょうか?

        今はまだ、ゾロアスターの話しに入ったばかりで、その時はエジプトだったこともあって、キリスト教の話しは暗喩程度に留めておきたいという事情もあるのです。( 話すと長くなるから。)
        いずれがっつり話すけど、今のところは後回しね、という意味で。

        1. cieさんへ、部分的な返信
          「キリスト教は、20憶人が今でも住んでいる構築物であり、とてつもなく頑丈である、けれど部分的には劣化している」

          この「キリスト教」を、カトリックに限定しなくてもいいと思いますよ。
          カルケドン公会議あたりまでの論争でも、ものすごく精緻な議論が交わされていますから。
          その時代までの「共通了解」だけでも、充分に「堅牢な構築物」ですから。東方正教を含めてもOKなのでは。

          前に、私が「世界を受容するための何か」と表現したのと、cieさんの「構築物の喩え」は、同じことを言いたいのだと思います。

          「世界と対峙し、受容するための方法」と私は感じましたが、
          「世界の中で、自分の居場所を確保するための方法」でも、分かります。

          西欧の感覚だと、こういう表現も出来ます。
          「都市」というのは「そのままでは、人間には居住が不可能な過酷な環境で、生活、というか『人間である事』を成立させるためのシステム」である。
          これは、30年ぐらい前に、地理学の本を読んでいて「そのように読解した事」でした。
          中東なら、なお「ぴったり」来ますね。

          さらに「劣化を免れない部分がある」というのも、巧く言い表していると思いました。

          1. とろいやさん、ありがとうございます。

            >>東方正教を含めてもOKなのでは。

            仰る通りなのですが、正教会の方が嫌がるんですよ。w

            正教会の神父と話したことがあるのですが、私が「カトリック」と発すると、すかさず、「ローマ・カトリックね。」と返って来るのです。
            「お前らが、カトリック( 普遍 ) を名乗るな。」な態度もろ出しで、ちょっと笑ってしまいました。
            オーソドックス ( 正統 ) なのは、ウチだから。って感じで、めっちゃプライド高いんですよ。w

            昨今のキリスト教は、「教会一致運動 ( エキュメニズム ) 」といって、超教派で対話と和解、一致を目指して、相互の秘蹟を認めることもしています。
            例えば、旅行先でカトリック教会が見当たらない時、プロテスタントや正教会のミサに預かっても、カトリックのミサに出たのと同じこととしますと、カトリックでは教わります。
            が、正教会の方では、ローマ・カトリックの秘蹟なんて認めてないよ。
            と言うのです。「え?」
            なるほど。
            こりゃ、東西に分裂するわけだ。
            と、ちょっと面白かったので、正教会は分けてあげました。www
            トマス・アクィナスが、分裂後の人物だからという理由もあります。

            あとは、もう仰る通りです。
            正に「世界を受容するための何か」の構築です。

            ただ、とろいやさんは、読解力が並外れているので、私の質問の答えとしては、除外させて頂きます。www

            >>キリスト教の話しは、やはり暗喩的表現では伝わらないでしょうか?//

            についても、やはり、八木さんに答えて頂いた方がいいかな。
            と思いました。

  7. YouTubeでケントさんがTBSニュースの「アメリカのコロナ死者数が中国を超え7100人」を聞いて怒りまくっていました。中国の死者数が3300人なんて、ありえません。中国コロナは、武漢の細菌実験場のネズミを普通は熱処理して廃棄しないといけないのに、職員が肉として市場におろし食べたのが原因。(福島香織氏)こんな衛生管理のおかしい国が経済アジアNO.1なんて、世界の秩序が狂うはずです。

    1.  武漢の研究所の研究員が感染して、武漢の軍関連の病院へ入院したのが始まりという説の方が、有力ではないかと思う。
       この女性研究員は、行方がわからないらしい。

  8. 鳴霞氏のYouTube 中国携帯利用者が4000万減、武漢の火葬場には。(2020年3月22日)これが本当の亡くなった人の数?

    1. 中国なら、あるでしょうね。
      あの国の出して来る数字は、信用なりませんから。
      大躍進政策や、文化大革命での死者の数。
      天安門事件での死者の数。
      何も分かっていません。

      中華人民共和国は、国家ではなく中華王朝です。「国民」はいません。
      彼らは、未だ「民草」です。

      このウイルスの発生源は「中国」です。
      それを誤魔化すようなことだけは、させてはならないと思います。

      1. ですが、中国を批判する日本のメディアはほぼありませんね。WEBに上がる噂やデマも多く、真実の見えない壁で覆われた大陸ですね。

      2. 個人的にはチャンコロナでいいと思うのです。

        でも世の中、集近閉に気をつけろと言われているし、左巻きマスコミが暗躍してももう消せないでしょうね。

        しかし・・・あの国も、米軍が持ち込んだなどと荒唐無稽なデマ流すよりは、半島の某教団が持ち込んだ、と言ったほうがまだしも信憑性があったのに。反論できないだろうし。

        1. 厄介な3つの国をお隣さんとして抱えてしまった日本列島はこれからも苦労させられますね。
          そっから逃げてきてクニを作ったようなもんだからしょうがないか。

          1. 八木さん
            ご年齢からすれば、あなたが学ばれたころの歴史学はマルクス主義史観全盛時のものであり、日本を貶め、万世一系を否定するものであれば大歓迎の頃です。そんな風潮の中で登場して一世を風靡したのが騎馬民族征服王朝説です。
            残念ながら、そういった学説は今では考古学的に完全否定されています。もちろん左巻きのマスコミはまだ固執していますが。
            初心に戻って改めて学ばれることをお勧めします。

          2. キサラギ=アリス 様
            あ、そうか、
            >逃げてきてクニを作った
            というところへのコメントですね。
            まあ、「逃げてきて」というのは、ちょっと言い過ぎでしたね。ゴメンなさい。

          3. キサラギ=アリス 様
            >騎馬民族征服王朝説
            は、私も授業を受けたことのある江上波夫先生の説が有名ですが、先生も半ば与太話(言い過ぎ)としてお話していました。当時も考古学的証拠はなくか細い文献資料からの構想、仮説に過ぎなかったからです。もちろんその後考古学的な証明はありません。
            というか、ここでの騎馬民族って匈奴かその後裔ですから、はるかなロマンチシズムの類です。
            かろうじて、日本文化の中に儒教や農耕民文化以外の牧畜、遊牧文化の痕跡がわずかに見出せること、そこに江上先生は着目し、大和朝廷の成立について一つの視点を提出したものかと思います。
            ちなみに大和朝廷の成立は今でも古代史の謎の一つです。

          4. >あなたが学ばれたころの歴史学はマルクス主義史観全盛時
            そうなんですが、江上さんはマルクス主義史観とは縁もゆかりもない方でした。

          5. まあ、古い学説なんですけど、日本語が「ウラル=アルタイ語族」であるならば、何か世界が広がったような気がするのです。
            そうか(ここから妄想)モンゴロイドは当たり前としても、大陸の草原を疾駆した遊牧民の血が混じっているのか、秦や百済の遺民、さらに下がって鄭成功やら明の血筋がもしかしたら混じっているかもしれない、なんて思ったら、何か楽しくなりません?
            ダメかな。

          6. 八木さん
            誤解を招くような言い方で申し訳ありません。江上さんご自身はマルクス主義史観に媚びたわけではないでしょう。そこは自ら魂を売った家永さんとは異なります。ただ、彼の説は結果的に皇室の権威を貶めたいと考えていた左翼勢力に利用されてしまいました。それと、彼が晩年に考古学者の佐原真さんと対談されたときに、佐原さんから提示された問題点に正面から答えず、のらりくらりとし、騎馬民族の行動として疑問だと言われたら自分が見たのはそうだったと、今では検証不可能な答えに終始されていて、いくらなんでも研究者として不誠実だと感じました。

            いずれにせよ、半島から五月雨式に流入してきたことはもちろん確かですが、結局同化していきます。逃げてきたと言えるのは百済滅亡時の多数の亡命者くらいなものです。

            恐らく八木さんは学歴も社会的地位もおありなのでしょう。けれどそれらはここでは何の関係もありません。しばしば本名を名乗れと言われているようですが、八木さんこそ、仮面舞踏会に仮面をつけずに来て、気に入らない他人に仮面を取れ、とすごんでいるようで、滑稽でさえあります。八木さんも仮面をつけられてはいかがでしょうか。そうすればあなたの物言いにしばしば感じる「上から目線」も変わってくると思うのです。

            例えば、あちらの人を「超汚染人」と呼ばれる匿名の方がいらっしゃいます。その言い方はさすがにどうかと思います。しかし、あの方が問題視している在日特権の闇、これについての問題意識は言われるとおりだと思います。けれど八木さんは恐らくそれらの問題を全く認識しないままほとんど嘲弄するようなコメントをされていて、とても不快に思いました。せめて何を問題とされているのかくらい理解されてからにすればいいのに、と。

            八木さんが広い知識をお持ちなのはわかります。けれど深くはないと思っています。cieさんはキリスト教を中心としたことがらにとてもお詳しく、恐らく多くの経験と読書などに裏打ちされたものだと思います。そういう、自分が大切に思われている分野に、生半可な知識で土足で上がり込まれたら、誰だって不快になるでしょう。それこそ、もう少し遠慮があってしかるべきではないかと思います。

            もっとも、ここも最近はチャンコロナの話題でそれぞれが自説に固執し、互いに罵り合う光景が続いており、ほんとうにうんざりしています。昔から、人を馬鹿だ、理解すべき、と明らかにあちらの人の思考パターンで罵倒する人やブログ主を罵るキムチの人などはいましたが、最近は全体がそのようにぎすぎすしてきており、とても疲れます。

            多分ご気分を害されたと思います。その点は申し訳ありません。ただ、ここに来る多くの方は、隣国のあまりなふるまいに、悲憤慷慨しに来るものであって、ここに来てまで気分を悪くしたいのではありません。その点をご理解いただければと思います。

          7. キサラギ=アリスさんへ
            「厄介なお隣さんがいる。そこから逃げてきてクニを作った」
            これを「騎馬民族説の話」としてではなくて「日本人全体の原型の話」として捉えると、むしろ「爽やかな話」になります。

            紀元前1万年頃の、気象変動の時代に、大陸では居住条件が激変して、いろいろな部族が「住みよい土地」を巡っての闘争を繰り返していた、と思われます。
            この流れは、ずっと続いて、今に至っています。

            これは、国立民族博物館の海部陽介さんの「台湾からの渡航実験」を読んで感じた事ですが。
            大陸での「ヒャッハー!の跳梁跋扈」に嫌気がさした集団が、平和な土地を求めて海を渡ったのが、私たちの先祖ではないのかな、と。

            厄介な連中が近所に居て、そこから避難してきた。
            日本と言う国の成り立ちが、元々そうなのだと思います。
            「厄介な連中から離れて暮らす事を選んだ平和主義者」
            「しかも、遥かな海に乗り出す勇気と技術は有った」
            古代人のそういう文化的祖型が、今の日本人にも残っているのだと思うと、爽快です。

            八木さんへ
            ですから、
            「逃げて来た」の主語が「騎馬民族が」であるような印象を与えない言い方にすれば、言い過ぎにはならない、と思います。
            「騎馬民族説」だと「大陸のヒャッハー!の負け組」が日本を作った事になるので、愉快な話にはならない、と感じる人が多いでしょう。
            騎馬民族が日本国家の原型を作った、というよりも、大陸から様々な理由で列島に渡って来た人たちが、何となく「後に日本と呼ばれる国の原型」を作った、の方が面白いと思います。もちろん、中には騎馬民族の末裔もいたでしょう。なにしろ、日本人には「デニソワ人」の血も入ってるらしいですから。

            それと、
            「だからしょうがないか」は、修正しましょう。
            「だからしょうがないか、と思わずに、上手く距離を取る方法を工夫するべきではありますが」みたいに。

        2. とろいやさん
          うーん、わかって仰っているのかも知れませんが、半分だけ同意します。特に縄文人は南方系の人が中心となっていたと見られていますから、台湾が日本人の源流というのは大いにありうることだと思います。が、彼が言われた最大の問題は「厄介な3つの国」から、ということです。少なくとも現在の台湾はとてもよい隣国です。台湾、トルコ、ポーランド、古い恩義に報いようと、取り残された日本人を救うため自国の航空機を提供してくれる、そんな大切な友人をこれからも大事にしていかなければなりません。悪夢の民主党政権の時のようなことは二度と起こしてはなりません。

          もちろん、半島からの人の流れもあったのも確かです。そもそも私が今住んでいるところの近くにある神社には百済の昆伎王が祀られており、あたり一帯は渡来人の里でした。百済滅亡の際には百済王氏以下の王族・貴族以下大量の難民が来ています。これらを渡来人の影響を否定するつもりはありませんが、基層にあるものは南方系であると感じています。

          律令官制の一つに掃部寮というのがあります。かもん、古くはかもりと呼ばれましたが、さらに古くは「かにもり」と呼ばれました。平安初期の「古語拾遺」に、これはウガヤフキアエズノミコト誕生の際に、産屋に侵入する蟹を追い払う役目がもとになった、と説明されており、かつては単なるこじつけと見られていました。しかし、南方の部族には今でもそういう役割・習俗があることがわかり、何らかの伝承をもとにしていたらしいことがわかりました。大蔵、主税、主水、大膳などを含め、これらの官制は雄略朝にはじまります。南方のはるかな記憶は大切に守られてきました。

          ついでに言えば、私は定説である「稲作農耕は半島から伝わった」ということにも重大な疑問を持っています。それはあの本間九介が半島には苗代の風習がない、と書いている点です。弥生時代の遺跡からさえ痕跡が残る苗代が半島にはないのであれば、稲作農耕も少なくとも主流は半島経由ではない、と思うのです。

          1. 私は「厄介な3つの国」って、「北朝鮮」「南朝鮮」「中共」の3つだと思って、読んでました。
            台湾は「大陸の有象無象の跳梁跋扈から避難してきた仲間」みたいな感じです。

            で、私が言いたいのは、次のような事です。
            歴史時代以前を考えると、南方の「スンダランド文化圏」とでも言うべき地域が有って、そこから北と東の海洋に進出して来たのが、ミクロネシア人や台湾先住民であり、縄文人でもあったのかな、と想像した事が有ります。
            この民族が海上に進出した原因が、「中国人の先祖を構成する諸民族が南方に進出して来た事」ではないか、と。

            つまり、最近の人類学では、
            今の東アジアを構成する諸民族の形成は、4重玉つきみたいな説明がされています。
            まず、中国には「タイ系稲作民」が住んでいた。
            それが「北方シナ系雑穀民」に押されて南方へ移動。
            「北方シナ系雑穀民」と「タイ系稲作民残留派」の混血に「さらに北方系遊牧民」が進出して、さらに混血して「現中華系諸民族」に。
            ここに、タイ系の南下を受けてスンダランド系が海上に追われた、という推測が入るわけです。
            ですから、日本人には「それらすべての血」が入っているでしょう。

            ところで「稲作朝鮮半島経由説」は、もう「定説」じゃないのでは。最近出た「稲作の歴史本」では「江南からの直接伝播説」の方が優勢だと思います。
            中学・高校の歴史教科書の事はおいといて…これは、修正しようとしても日教組とかの老害連中が猛反対しそう…大問題ですけど「心じゃなくて頭の温かい人たち」は「退場する」のを待つしかないですね。まあ、もうすぐですよ。

            ですから、私は海部先生の渡航実験には、少し疑問が有るのです。
            「台湾から琉球へ」より、「江南から日本列島へ」の渡航実験の方が意義深いのではないかな、と。
            それも、過去1万年ぐらいの「海岸線の変遷」を正確に再現してやってみて欲しいなあ、と。
            海退期には、長江河口から五島列島あたりまでは、けっこう近いのではないかと、思うのですよ。
            それと、中継基地的な役割を果たす「島々」が、中間点に多数在った可能性も。

          2. とろいやさん
            多分、とろいやさんと私とではおおむね意見は一致していると思います。ただ、あの方の言われた渡ってきた元は多分半島を指していると思うのですが。

            で。台湾からの航海実験は間違っていないと思いますよ。そこで実験されたのはコメの伝来ではなく、民族の渡来です。台湾を起点に、ある一派は日本列島に、ある一派はミクロネシアなどに乗り出していった、という説だと思います。稲作の伝来はそれよりも後のお話ですから。

            そしてとろいやさんのお話とぴったり符合するのが、鳥越憲三郎さんの説だと思います。彼はシナの史書にある「倭人」は日本列島の日本人だけでなく、長江流域の人々も含んでいると指摘しています。とろいやさんの仰るスンダランド系がまさしく「倭人」に相当する、ということですね。

            江南からの直接伝播説が有力であれば心強いのですが、問題となるのは遺跡です。現在、最古の稲作遺跡は縄文末期の北九州で、そこから広まったと考えると、直接伝播は難しいのです。ただ、将来また新しい遺跡が見つからないとも限りませんから。

          3. 残念ながら台湾(先住民)と日本(沖縄を含む)では男系(Y-DNA)も女系(mt-DNA)も断絶しています。ちょっとビックリするくらい。

            台湾(先住民)の言語はオーストロネシア語族(フィリピン、マレー半島、東はイースター、西はマダガスカル、南はニュージーランド、北はハワイ)で、言語学でも遺伝子的にも台湾(やその対岸)を基点に拡散したことが分かっています。

            また、Y-DNA だと朝鮮(韓国)にはモンゴルやツングースのC2aがあまりありません。元に支配されてなお。騎馬民族は朝鮮にすらあまり来ていません。

            Y-DNAと言語の対応は以下。NO や P(QR) が意外。

            DE系
            * D1a1:チベット(基層)
            * D1a2:日本(縄文系、アイヌ)
            * E1b1a:ニジェール・コンゴ語族(アフリカ)
            * E1b1b:アフロ・アジア語族(いわゆるセム・ハム語族)

            C系
            * C1a1:日本(縄文系)
            * C1a2:クロマニョン人
            * C1b3:オーストラリア先住民、オセアニア(基層)
            * C2a:アルタイ諸語
            * C2b:朝鮮(基層?)

            F系(G~R):H(ドラビダ語族)、MS(パプアニューギニア先住民)、NO系(下記)、P系(Q:アメリカ先住民、R:印欧語族)など。
            * O1a : オーストロネシア語族
            * O1b1 : オーストロアジア語族(クメール語、ベトナム語)
            * O1b2:朝鮮、日本(弥生系)
            * O2:シナ・チベット語族、タイ・カダイ語族(基層はO1aかO1b?)
            * N:ウラル語族

          4. mottonさんへ
            「『日本人はどこから来たか』系」の本で、この類の一覧表を何度も見ましたが、私は、こういうのは「すごくいい加減に」眺めるので、対照表を作って貰うと分かりやすくなって良いです。

            文化的には、日本人の祖型は南方系の要素が強い(これはキサラギ=アリスさんの言う通り)と思いますし、それは縄文系から来ているのかと思っていたのですが、台湾先住民他のオーストロネシア系とは、かなり遠いですね。

            基幹単語や音声体系などは、日本語はオーストロネシア系と共通点が有る、という学説も有力です。
            この表だと、弥生系とオーストロネシア系が少し近いです。
            という事は、日本語の基層は、弥生系なんですかね。
            にしても「分化」は、相当に古いようです。

          5. 日本語の基層は D系だと思っています。(アンダマン諸島の先住民が D系なのですが詳細不明。センチネンタル島なんか未だに鎖国だし。)
            O系だと分岐が新しいのでもっと近隣諸国と似ているはず。
            稲作関連は O1b で O1b1 のオーストロアジア語族はインドにもあるので、そこからタミル語(H系)への繋がりまであるかもしれません。

            文化や音声体系は、印欧語族を見てもバラバラで環境起因(収斂進化に相当)が大きいかと。単語や文法は言語連合(水平伝播に相当)というものがありますし。
            基幹単語については、日本語の数詞は似ているものが全くありません。朝鮮語とアイヌ語はちょっと似ています。
            でも、朝鮮語の基層はむずかしいんですよ。C2b か?

            もっとも、オーストラリアやパプアニューギニアや南北アメリカの先住民の言語は(DNA が非常に近い集団の中でさえ)何十もの語族に分けるしかないほどバラバラなので、言語だけでは語れないことも多いかと思います。

          6. mottonさん
            ありがとうございます。とても興味深いです。私は文献史学の出身ですので考古学や民俗学までは読みますが遺伝子での調査は読んだことがありませんでした。

            もしお存知ならいくつかご教示いただけますでしょうか。

            1)台湾の原住民高砂族はもともと相通じない多数の言語に分かれていたため、共通語として自然に日本語を受容したと聞いています。ご紹介いただいた調査ではそれらをある程度網羅しているのでしょうか。
            2)縄文系はCとD両方にありますが、地理的とか年代とかで何か差異はあるのでしょうか。

            高麗は元に支配されたといっても、直接支配ではなく貢女した以外は混血がないのはわかるのですが、ご承知の通り百済も高句麗もツングース系と思われる扶余族が建国しています。百済滅亡の際に王族・貴族はあるいは唐に連行され、あるいは日本に亡命しているから、庶民との混血はあまりなかったのかも知れませんね。高句麗の方は・・・あらかた北と重なりますので、調査対象にはなっていないのではないでしょうか。

            もしよろしければ、一度読んでみたいので、お勧めの本があればお教え頂けますでしょうか。

            ありがとうございました。

      3. 鉄のカーテンが竹のカーテンになったと思ったけど
        金盾はじめもっと強力になってるんでしょうね

      4. 中国は今後厳しい状況に置かれるでしょう。
        来年度以降のGDPどうなるでしょうか。
        感染源としての非難は意味ないと思います。
        とはいえ、現状では余裕がないとしても、武漢での初期状況に対する情報開示、国際機関による調査、まだまだ続きますし、将来の世界(次の世代に対する責任)のためにまずは中国での状況、その後の推移については貴重な情報です。
        頼むから、面子を潰さないように配慮するから、情報開示して欲しい。調査団も受け入れて欲しい。

    2. 「携帯料金の滞納者を解約処分している」という話を何かで見ました。
      「死亡→即解約」は無理があるような気がするので、単純に「悪質な料金滞納者を洗い出して解約してる」で正解なのかと思います。

      1. 「死亡→即解約」ではないのでは?
        この感染症は、昨年からのものです。
        そして今は4月です。

        それと、その話し、タイミングが良過ぎやしませんか?
        中国のネット工作は有名です。
        とりあえずは、双方の説を疑っておくことをお勧めします。

        いずれにせよ、今回の感染症は、中国共産党の起こした人災です。
        ネットでの言論、情報封鎖を行った。
        そして、何の対策も取らなかった。

        チャイナリスクは、もっと重く見た方がいいと思います。
        あの国は、エグいです。
        想像を絶するほどに、エゲツないです。

        1. 韓国よりも(自滅しようがしまいが)、チャイナリスクの方が怖いですね。コロナがいつ収束するかわからないにしても経済はまったがありません。

  9. 「私は、今、紀元前1200年のペルシャにおります」
    「とろいやさん、先週までは、エジプトじゃなかったですか?」
    「『虚空間転移装置』を使って、一瞬で、ここに来ました」
    「そこには、アレはいますか?」
    「いません。とても爽やかな風が吹いています」

    「現代で言うと、どの辺りでしょう?」
    「おおよそ、中央アジア、トルクメニスタンかアフガニスタンからキルギスタン辺りでしょうか」
    「ペルシャ人の帝国が有ったのは、その辺りですか?」
    「大帝国として有名な『アケメネス朝』は、少しメソポタミア寄りになりますし、かなり後の時代になります」

    「おお、第一村人発見、ちょっと聞いてみましょう。こんにちは」
    「こんにちは、見かけない顔だね」
    「東の方から来ました」
    「ああ、山の向こうだね」
    「知ってらっしゃるんですか」
    「山の向こうには、顔の平べったい人たちが住んでいる、と言い伝えがある」
    「へえ…」
    「という訳じゃない…」
    「(* ̄0 ̄)/ オゥッ!!」
    「じゃないけど、この辺りには、平べったいのはおらんから」

    「…」
    「で、何か用かい」
    「ゾロアスターさんって言う、偉いお坊さんを探してるんですが」
    「知らんなあ」
    「え?知らない…」
    「家格の高い神官の家柄なのに、何だか妙な考えに取りつかれて、荒野を彷徨っている、という若者の噂なら、聞いたことがある」
    「(それだ!)」

    1. 「(いやあ、すごい山奥だなあ)」
      「(お、ここか?)」

      「こんにちは」
      「こんにちは」
      「ゾロアスターさん、ですか?」
      「は?」
      「ゾロアスターさん、ですよね?」
      「とんでもねぇ、あたしゃあ、ゾロアスターだよ」
      「。。。_| ̄|○」
      「あ、ごめんごめん、新しいギャグなんだけど…ウケなかった?」
      「いや、大ウケです…いろんな意味で」

      「ツァラトゥストラ、と呼んでくれる方が、私たちの言葉に近いですけど、それはともかく、こんな山奥に、よく来てくれましたね」
      「教えをうかがいたい、と思いまして」
      「おお(´;ω;`)!」
      「そんなに嬉しいですか?」
      「山に籠って10年。やっと啓示を受けたのに、私の話を聞いてくれたのは、従弟一人だけだったんですぅ( ;∀;)」

      「何で?」
      「斬新過ぎたみたいで」
      「神は死んだ!とか、言っちゃった?」
      「まさか!私は、むしろ、神という概念を体系付けた訳で…」
      「聞かせてください」
      「本当の神、万物の造り主、唯一にして永遠、すべての善きものの根源、アフラ・マズダとお呼びするのは、そのようなお方です」

      こうして、ツァラトゥストラの長い長い話は始まった。

      1. おおっ!流石師匠や。
        さっそく『虚空間転移装置』を使ってはる。
        いいなぁ。風爽やかなペルシャかぁ。
        それにしても、あれがいない古代は快適ですね。www

        新連載「ツァラトゥストラはかく語りき」とろいや版 。 Coming soon !!!

    2. 「では、ペルシャっぽく、ザラスシュトラ先生とお呼びします」
      「いや、先生だなんて、そんな、ザラスシュトラさんでいいです」
      「ザラスシュトラ・ニムとお呼びしないニカ?」
      「あんた、どっから出て来たの?まあ、先生でいいじゃないですか」

      「じゃあ、本題に入りますけど、ザラスシュトラ先生、あなたは実在するのですか?」
      「え?存在論までは、踏み込んでませんけど…」
      「いや、先生、あなたは実在の人物なのですか、という話ですが」
      「ああ、それは、自分でも分からないんですよ」

      「古代ペルシャから、この時代、さらにササン朝で国教になるまで、ゾロアスター教の歴史って込み入ってて、何が伝承で何が史実で何が教義で何が儀礼規定なのか、分かりにくいんですよね」
      「真実は、一つです」
      「?」
      「唯一の神、造られたものではない永劫の過去から永遠の未来まで実在するもの、それが神、つまりアフラ・マズダです」
      「アヴェスターの中の賛歌は、そういう事を表現している、と?」
      「そうです。神とはどういう存在か、10年間山籠もりして、それが分かりました」
      「神々しい光を見た、というのは、それに思い至ったという事の比喩でしょうか?」
      「そう解釈していただいても良いでしょう」
      「でも、それって、他の人には分かってもらえませんよね?」
      「うん、従弟1人だけだった…orz」
      「…」
      「だから、アフラ・マズダとはそういうものだと、最初に思いついた実在の私は、森の中で隠者となって、寂しく死んだのかも知れないのですよ…」

      「それじゃ、あんまり可哀そうですから、別の時間線をたどりましょう」
      「え~と、それだと、別の国に行って、王様に気に入られて…」
      「信者が増えるんですよね」
      「でも、それって、かなり教義を現世寄りに分かりやすくして、つまり妥協してるんです」

      そう言って、実在するかどうか不明の人類最初の「啓示を受けた者」は、ちょっと寂しそうな顔をした。

      1. やがて、気を取り直して、賢者は話を続けた。
        「つまり、従弟のマイドヨーイマンハと、話し合ったんですよ」

        「なあ、ザラ兄さん。それ、俺には何となく分かるわ。でもな、アレ見てみ」
        「何見ろちゅうねん、マイやん」
        「あの『ヒャッハー!』どもを」
        「ああ、アレねぇ…」
        「ああいうのが、はびこっててええんかい?」
        「そら、良うはないわなあ」
        「そやろ、そやから、神さんがお一人しかおらん、言うても、世間には通用せえへんねん」
        「そない言うたかて…」
        「正しく生きる者が報われる、そういう仕組みと、その神様をうまく結びつけなあかんのとちゃう?」

        「えらい難しい事言いよるなあ…」
        「神様が一人やったら、ああいうのがはびこるんも、神様のせいや、ちゅう事になってまうやんか」
        「ほな、悪者は、神様に懲らしめられるように出来とるねん、言うて、世間受けするような話にせえ、言うんかい?」
        「そやないと、神様の立場が、無うなるやないかい」

        「私もね、マイやんに言われるまでもなく、そこは問題だなあ、とずっと悩んでたんですよ」
        「え~と、そういう時間線も有ったかも、という事ですね」
        「そういう事にしときましょう」

      2. ここまで、漫才みたいになってますが、もちろん「実在の漫才コンビ」ではありませんwww。

        私は、歴史上実在したザラスシュトラがいたとしても、
        (実在の人物であり、アヴェスターの主要部:アフラ・マズダへの賛歌などは、その人が作った可能性が高い、というのが現在のゾロアスター教研究では有力説なのだそうです※「ゾロアスター教」メアリー・ボイス著・講談社学術文庫版が、ネタ元です)
        その「実在のザラスシュトラ」が、ササン朝の国教になるまでの教義の全部を作った、というのは無理があるので、いろんなアイディアや布教上の都合や伝統的なペルシャの民族宗教との妥協など、を様々な「預言者」が重ね合わせたのであろう、という妥当な推測を述べています。

        ただし「骨子となる部分」は、ザラスシュトラの独創かも知れず、そうだとしたら、凄い人だなあ、と思います。

        紀元前1200年頃のペルシャ(中央アジアのどこか)は、文明世界の辺境です。
        ペルシャ人と、インド・アーリア人との「分化」さえ、「つい最近の出来事」だった時代でも有ります。
        メアリー・ボイスの前掲の著作の中でも「古代ペルシャと古代インドの文化、と言うか『アヴェスター』と『リグ・ヴェーダ』の共通性」が、言及されています。

        アーリア人が分化して、それぞれが「メソポタミア」と「インダス」という先進地の文明に触れて、後世に影響を与え続けた「様々なアイディア」を創り上げました。
        この現象は「アーリア人が田舎者だったが故」かも知れません。

        インダス文明の影響を受けたインド人(詳細は不明、ですが、アーリア人によってインダス文明が滅んだ、というのなら影響は受けたでしょう)は「多神教」を、そのまま練り上げましたが、
        メソポタミア文明の影響を受けたペルシャ人は「一神教の手前」まで「神の本質論」を前進させました。

        その違いは、風土の違いによるのでしょうか。
        それとも「民族の歴史上ほんの数回しか出現しない『天才的思想家』の資質と指向性」によるのでしょうか。
        そこを、もう少し「ザラ兄さん」と話したいと思います。

        ※天才的思想家は、朝鮮半島に「今の朝鮮人」が住むようになってからも、出現していると思います。
        しかし、その人は「自分のアイディア」を誰かに説明した瞬間に、抹殺されたでしょう。
        仏僧や朱子学者で「超秀才」はいますけど。

        1. ありがとうございます。とても興味深いのですがこのあたりは全く知識がないので突っ込みもできず…代わりにザラ姉さまとポーラに突っ込ませようとしたらポーラが飲み始めてダメになった(謎)のでおとなしく拝聴させていただきます。

        2. 「世界に神がいるのなら、現世はなぜこんなにも地獄なのか」
          すべての宗教が直面し、その解釈と救いを必要とする事実ですね。

          ・ギリシャ……いまは人間が神への信仰を忘れた鉄の時代だ、信仰して元に戻さなければ
          ・北欧……だからヴァルハラに行こうぜ。勇敢に戦死すればイケルイケル。だから死ぬ気であの村の戦士を殺して略奪してこい。
          ・インド……世界はループしまくってるから数京年後には全部滅んで平和に戻るよ
          ・仏教……そういう細かい苦痛から逃れるためには仏になればいい
          ・キリスト教……神の与えた試練です。つらい現世でも神への信仰を忘れなければ永遠の楽園にいけます

          お国柄が出ていて面白いなあと思います。

          1. うわー。なるほどぉ。
            めちゃくちゃ上手い、まとめですね。www

            面白い!

        3. とろいやさん

          >>その違いは、風土の違いによるのでしょうか。

          あるシスターから聞いた話しです。
          彼女は、普段イスラエルに暮らしていますが、私が会に所属していた時期は、たまたま日本に帰って来ていました。

          イスラエルにいると、聖書 ( そっくり ) の場面に出会すことがあるのだそうです。
          「先入観もあるかもしれないけど、キリスト教は、間違いなくここで生まれたんだ。って思うのよ。いつか来てみて。分かるから。」と。

          荒凉とした土地に、たった一人でいると、物凄く自分を感じるのだそうです。
          自分と「神」の二人きり。
          その条件下でしか、一神教は生まれなかっただろうと、彼女は言っていました。

          分かるなあ、と思います。
          だから、インド組はそのまま多神教なのですしょうね。w
          自然が豊かだと、様々な「物の気」を感じてしまいますから、一人にはなれません。
          日本人に一神教が理解し難いのも、この体感としての「一人」が無いからだと思います。

          でもね、一人が過ぎると、人間は潰れちゃうのです。
          だから、アブラハムにロト、モーセにアロンがいたように、ザラ兄さんにもマイやんがいたのでしょう。

          1. cieさん
            そのお話と関連するのか、全く無関係なのか、わかりませんが、私が昔とある神道系の雑誌で見たお話です。NHKアナウンサーの山川さんのご経験です。
            ある若い女の子を伊勢神宮(内宮)に連れて行った時のことだそうです。キャッキャはしゃいでいたその子は突然靴を脱いで裸足になります。痛いだろう、と言うと、私は小さいころから牧場を裸足で駆け回っていたから平気、と答えます。気持ちよさそうに玉砂利を踏みしめて進んでいくのですが、快活なその子がなぜかだんだん寡黙になっていったそうです。そしてご正殿の前の石段の下でとうとう座り込んで泣き出したそうです。「私にはわかる、ここには絶対神様がいる、初めて神様に会える!どうかわたしを朝までこのままここにいさせて!」

            彼女がどんな神を感じたのかはわかりません。確かに、何事の おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる、と言われるだけに、あそこは人の少ないときは恐ろしく神々しい場所です。

  10. 好きだねユネスコを
    『韓国の「タルチュム」、ユネスコ人類無形文化遺産に登録申請2020.04.01 11:26 5』中央日報
    ttps://s.japanese.joins.com/JArticle/264360?sectcode=400&servcode=400
    写真を見ると中国の「龍舞」ほどカッコよくないし秋田の「なまはげ」ほど面白くない
    獅子舞をパクった感じもするけどもね
    「韓国のタルチュムは歌舞と演劇の特徴を持っており、前近代時代の社会・階級・道徳的な矛盾をユーモアと風刺で公論化した点が特徴だ。登場人物の性格を誇張し類型化したタル(仮面)をかぶって歌や踊り、演劇を通じて意味を伝える。特に、観客の同調やヤジのような能動的な参加まで含まれてこそ完成される積極的な疎通の芸術だ。」
    風刺劇は色々とあるでしょうけどユネスコ無形文化財へね…
    歴史を知らないと風刺にもならないんですけどね
    時代を超えての芸術じゃないとね

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