何も変わらなくても「国格」は上がる?それはありえない

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大勢の人命被害が出たある事故のことで、『国の格は上がったのに、何も変わっていない』という言葉が出てきました。

妙なことですね。国の格が上がったなら、それは『何かがいろいろ変わった』、基本的には『良くなった』結果であるはずですが、なんで国の格が上がったのに何も変わっていない、という文章が成立するのでしょうか。

先月29日、韓国のインチョンというところにある冷凍倉庫で火事が発生し、38人が亡くなりました。その件について、アメリカ3M安全環境研究所先任研究員で、韓国産業安全保険公団理事長でもあるパク・トゥヨン氏は、こう話しています。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

『あの時と同じだ。国格は上がったのに、何も変わっていない』。あの時とは、2008年のことです。同じインチョンの別の冷凍倉庫で火事が発生、40人が亡くなりました。パク理事長は当時も産業安全保険研究院長として、その件を担当しました。

2008年も2020年も、根本的な事故原因は同じです。事前に問題を指摘されても、事故が起きたわけでもないから直さず、また指摘されて、また放置して、そしてその問題に起因した事故が発生するパターンです。

他にも、安全基準を会社と労働組合が話し合って決めようとする慣例(パク理事長は、安全はそんなふうに妥協できるものではないとしています)、安全事故の量刑が軽すぎる(処罰出来る法律そのものは世界でもっとも厳しい方なのに、実際に裁判所の判決は弱すぎる)、変わらない安全意識、などなど。そういう点にいて、パク理事長は、『何も変わっていない』とします。ソース記事は中央日報です。

https://news.v.daum.net/v/20200519003954031

 

パク理事長の主張には(現実性があるのかどうかはともかく)同意できるところも色々ありますが・・変わってないなら、国格も上がってないはず。

繰り返しになりますが、国の格が上がるというのは、そう短い間に出来ることではありません。少しずつ蓄積され、上がるべくして上がる、上がるべきでないならいつになっても上がらない、そんなものでしょう。言わば、少なくとも本題のテーマにおいては、『いろいろ変わった結果』が格の変化であるはずですが・・

ふっと、曇った心の私の目に、『国格は上がったのに、何も変わっていない』が、こう見えました。『何も変わっていないのに、国格は上がっていないといけない』。安全に対してここまで肯定的な話が出来る人でも、この『~でないといけない』の呪縛からは逃げられないのでしょうか。

そう考えると、韓国が「格」という言葉に一々焦る・・まさに一喜一憂する姿とオーバーラップするようにも思えます。

 

 

 

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