雑談エントリーその7

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“雑談エントリーその7” への602件の返信

    1. すみません。シンさんではないのですが、リンクを読みました。
      興味あるとこだけ流し読みで。
      でも、一つ発見がありました。韓服です。
      私にはかつて、韓国人の衣服はチマチョゴリ含めて、白を基調としたものというイメージがありました。中華風の派手派手は特別な時だけかと、、、
      でも最近様々なブログその他で見ていくうちに韓国人、派手???
      変だな、と思いました。韓国映画、ドラマでも派手系とおとなし系が混在しています。どっちやねん。
      リンクを読んでいて少しわかった気がします。
      大阪と関東みたいな、、これは地域ですが、、
      韓国の場合、ある時期から両班系というかそっちにガラッとシフトした時期があったようですね。ここ20-30年くらいかな?

      1. 八木淳一 様

        <私にはかつて、超汚染国人の衣服はチマチョゴリ含めて、白を基調としたものというイメージがありました>。
        その通りです。今でも当てはまるのです。
        「超汚染国」には、衣類を染色する染料が無く、超汚染国の
        最下層の白丁が着る「白い服」しか有りませんでした!
        それが、電通の「やらせ韓流ブーム」で、華やかな色彩の服装を捏造したのです。1910年日韓併合の時、両班貴族しか着ていません。英国人旅行家:エリザベス・バードの朝鮮紀行に詳しく書いて有ります。「朝鮮紀行のハングル版は全くのインチキ本」で、首爾が、腐った糞便臭が酷い最悪の町であると記載されている処を削除しています。

  1. 「木村花」さんという名前は、本件まで知らなかった。
    事件のイキサツもよくは調べていない。
    「(ネットで)匿名での誹謗中傷すること」
    には反対するが、
    私の本件の結論として

    「何も死ぬ(自殺する)ことはないだろ」

    だ。

    人生、辛いこともある。
    転校生だったからいじめられたこともある。
    「ヤベェ(オワタw)」
    ってなったこともあるw(具体的には書けんw。親の仕事のこととかなw)

    でもな、「人間社会での出来事」なんで、
    「死刑判決確定」する犯罪を犯さない限り、
    「どーとでもなる」んよw

    借金を返さない方法もあるw
    いじめ返す方法もあるw
    「みんなで仲良く」は理想ではあるが、恨みを買うこともあるし、そんなもんだw
    それこそ「お互い様」であるw

    昨今、生活保護の申請が急増してるという。
    あるシステムは使えw
    そして
    死ぬまで生きろ!
    だ。

    明石家さんま「生きてるだけで丸儲け」

    1. そう、逃げる方法はあるのです。

      問題は、逃げる方法があると思えなくなる、一種の錯覚ともいえる状況に追い込まれてしまうことなのです。

      追い込まれてしまった人は、自力では楽観的になれないことが問題です。

      1. 「自力では……できない」という人は、必ず出現します。
        ゆえに、
        1「追い込まれない方法」を教えておく。
        2「逃げ場所を準備」しておいて「逃げろ!」と言う。
        3「実は『追い込まれてなど、いない』こと」を理解させる。
        が重要なのです。

        「追い込んだものを厳しくお仕置きする」は、その後で。
        というか「追い込んだもの」を特定するのが困難なので、問題の根が深いのですね。

        「ウリも、自力では成長できないニダ」
        「きみは、追い込まれてることを、自覚せな、あかんよ」
        「チョッパリが、ウリを甘やかして来たせいニダ」
        「じゃあ、もう甘やかさない」
        「WTOに、訴えるニダっ!」

        1. かなり今さらですが、自分もそう思います。
          今回政府が企図している法改正をもって誹謗中傷と戦うことができるような人は、法改正なくとも自殺は選ばないと思います。
          逆に、自殺を選んでしまった木村花さんのような人は法改正あっても戦うことはできないように思います。
          夢物語じみてしまいますが、ネット社会のレスキュー部隊みたいなものがあればいいのに。

          あと、自分は以前のコメントで悪質な誹謗中傷については名誉棄損として対応すればいいなどと書きました。
          名誉棄損は相手が特定できていないとダメだからこそ情報開示が必要なのに、なにを頓珍漢なことを。アホなことを書いてしまいました。

  2. >とろいやさん
    >「権力によって濫用される可能性があるから」だけ、ではないのです。 「誰もが、その制度によって『権力として、攻撃的に』振る舞えるようになるから」という視点も、意識しておきましょう。

    私も、人権法案とかの現状をみて、組織的な人権屋に利用されていて、実際に必要としている被害者に恩恵が届かない難しさがあるように思われ、トロイやさんの考えに近づいています。ご報告まで。

    1. 「人権屋に利用され」
      それです。

      「人権を護るためのシステム」は、これまでは「利権化に乗る者」に利用されて、「免疫系が自分を攻撃する疾患」のようになる危険性が、常にありました。

      特に「左翼の人権屋」は、それがはなはだしい。奇麗ごとを掲げてそれを利用するのは、得意なのです。
      「旧手痛い教」じゃなくて「旧挺対協」みたいに、「悪用者同士」で戦う場合も有りますけどね。
      「分裂抗争」も伝統芸ですから。

      「右翼の暴走」は、それに比べれば、奇麗ごとのレベルが低いので、対応はしやすい。
      ですけど「対応が必要」なのは、同じです。ほっとくと「体が死ぬ」のは同じなので。

      そして今は、「左派」や「右派」のような「政治的勢力」が「自分たちの『旧来型の権力』を拡大したり維持したりするために、人権保護システムを悪用する」というレベルを超えています。

      「誰も」が、「面白がって」または「正しい事をする快感に浸るために」あるいは「何も考えずに」、それ(社会システムの悪用)が出来るように「テクノロジーが進化」した訳です。
      なので「ウィルス」と表現しました。
      従来の「独裁志向の連中」は、それに比べれば「大腸菌」のようなものです。中毒すれば死にますが。

      テクノロジーが進化すれば、社会システムも進化しなければならない。そういう「当然の話」をしているのです。
      で、危険性が増大するならば「機能を拡張しない」方向を目指すのも、必要な検討事項である、という事です。

      1. テクノロジーの進化は、時間と距離の制約を無くしてしまいました。
        昔は物理的に遠く離れた人間を攻撃するためにはその制約を越える強い意志が必要でした。そのため、極小数の分かりやすい意志を持つ相手だけに時間的余裕をもって対応すれば良かったのです。

        現在は、非常に多数の軽い意志を持った相手に対応しなければなりません。刑罰などの恐怖で縛ったとしても、恐怖を感じる前に軽い気持ちで攻撃する者は止められません。軽くても、非常に多数だと致命的になるのです。
        だから、システムで対応するのは非常に難しいと思います。自己防衛できる個体しか生き残れないかもしれません。

        自己防衛の手段はネットとリアルの切り離しです。ネット上の人格は別人格として自分のコアの人格を出さないことを意識することです。ネット上での攻撃からコアの人格を守るために。
        リアリティ番組やワイドショーの面白さは人格を晒け出させるところにあります。芸能人や政治家のような常に「演者」であるような人間しか参加させてはいけません。そうでないと犠牲者が出るのは必然です。(プロレスラーはマット上では「演者」だから大丈夫と思ったのでしょうかね。)

        参加しているコミュニティによって人格を使い分けるのは、実社会でも無意識にやっているはずです。職場や学校と家庭では違う振る舞いをするように。(いじめられている人は過度にやってしまい疎外のループに嵌ることもありますが。)
        しかし、ネットでは相手が見えないから、自分自身しかいないと錯覚して、コアの人格を出してしまうことがあるのかもしれません。

        私自身は、そういったことも考えて十数年前にブログのようなものは止めました。本当は、こういう事も言わない方がいいのです。
        パーソナルな情報を出すと、ある人は傷つけないように気を使ってしまい議論が中途半端になるし、ある人は討論に勝つためにそれを利用して傷つけようとします。どちらも不毛です。

        1. >>現在は、非常に多数の軽い意志を持った相手に対応しなければなりません。

          ここを、「対応しなくてもいい」と分かった人たちが、炎上上等でやって行けているのでしょうね。
          所詮とても軽い意識なのです。
          時間と距離の制約を受けるような行為はしません。
          直接手を下しに来る人間は、滅多にいません。
          裏を返せば、今までと大きく変わったわけではないのです。

          あと、もう一つ言えるのは、出る杭は打たれるけれど、打たれても出続ける杭は支持を得ます。
          人は弱みを見つけると、寄ってたかって叩くけど、逆境に強い人は尊敬されます。
          だから炎上したら、そこで折れては絶対にダメです。出っ張り続けなきゃ。
          虚勢を張ってるだけじゃダメですけどね。

          デジタルネイティブの人々は、すぐに対応して行くようになるだろうから、実を言ったら、放っておけばいいじゃんとも思っています。

        2. >>ネット上での攻撃からコアの人格を守るために。

          「コアの人格」を守るためには、コアの人格を知っていなければなりません。
          潰れる人は、自分のコアを見失った人なのだと思います。
          逆に、コアがはっきりしていれば、炎上上等でやって行けるだろうと思います。

          リアルとバーチャルの境目が曖昧になってしまうのも、コア・中心を据えることができないからです。
          それが何か分からない。
          だから、ふらふらしてしまう。
          軽い意志の集合体の悪意を受け入れて、自分を攻撃してしまう。

          大きく枝葉を伸ばすためには、しっかりと根を張る必要がある。
          結局「カウンセラー」の視点になってしまいますね。w

  3. 「量」の方の話しをしたいので、別立てスレにします。
    昨夜からしている、常識の転換が必要だというものの続きです。

    まず、人間の本能に根差している、サンクション ( 社会的制裁 ) という行動は変えられません。
    人間とはそういう行動を取るのだと、広く認知させる必要があると思います。

    次に、民族など、各集団の慣習に基づく認識、常識は変えられます。
    子供の頃から叩き込まれた常識は、身に付いた考え方の癖です。
    この癖を治して行くのは、大変なことではありますが出来ます。
    環境の変化に対応するために、人間は幾度もそれをして来ました。

    ここまでが、昨夜までに述べたことの概要です。
    ここから、今回の事件の本質であろう、「量」の問題に入ります。

    悪口を言われた時、悲しくて胸が詰まったり、胃が掴まれたように痛いように感じたりしますよね。
    この痛みは大脳辺縁系の反応です。
    大脳辺縁系は、記憶や感情をつかさどる部分で、不安や恐怖など情動的な痛みの情報を受け持ちます。
    「みんなに悪口を言われる」は、「コミュニティから追い出されるかもしれない」に繋がります。
    集団からの追放は、集団を作って生きている人間という動物にとって、やはり本能的な恐怖なのです。
    それは、コミュニティからの全ての保護を失うことを意味します。
    その個体には、もう安心は訪れないという事です。
    だから「量」は怖いのです。

    それを踏まえた上で言いたいのは、それでも「言葉で人は殺せない」ということです。
    木村花さんの死因は、自殺です。
    彼女を殺したのは、彼女自身です。
    大量の悪意ある「言葉」によって死んだわけでは、決してありません。
    彼女を殺したのは、あくまでも「彼女自身」なのです。
    そこは、間違えてはいけないと思います。

    言葉に恐怖が伴ったのは、実際に身に危険が及んだからです。

    しかし、インターネットはリアルではない。
    そこを追い出されても、死に直結する事はないのです。
    さらに、炎上商法なんてものまであるように、大量の悪口が送られて来たところで、追い出されることもないでしょう。

    だから本当は、怯える必要はないのです。( 本能に根差した反応なので、そういうわけには行きませんが。)
    悪口を言う側も、返り討ちの危険など全くない安全な場所から、いい加減な事を言っているに過ぎないのです。
    実際に面と向かって本人に、SNS に書き込んだことを言える人が、一体どれだけいるでしょう?
    普通は、知り合いに面と向かって悪口を言うことはないし、サンクションには常に、返り討ちの危険が伴って来たのです。
    だから抑制が効いた。
    インターネットの匿名性は、その箍を外してしまいました。

    それなら、相手の気持ち云々とか言っても無駄です。
    メカニズムを広く認知させて、悪い相手を叩いて気持ち良くなっても、そんなものは正義ではなく、脳内麻薬が出ているだけで、中毒性があるものだから気を付けろと、言った方がいい。
    悪口を言われて不安や恐怖を感じるのは、本当に自分が悪いことをしたからではなく、脳の反応で、先祖が残した形質なのだと知っていれば、大丈夫だと自分に言ってあげられるのではないか?

    長くなりましたが、
    「世間の常識」という認識を、「メカニズムと反応」という認識にシフトして行くのが、取り得る一つの手段ではないかと思うのです。

    1. cieさま
      木村花さんは芸能界では無垢、未熟だったのですよね。虚構のキャラクターへの攻撃だと分別できなかったのでしょうね。攻撃した人もキャラクターだと思ってた人も多いのじゃないでしょうか。
      憎き政治家でも本人は良い人だったりしますからね、例えば鳩山某氏。
      日本の子役は、小さい時から子役で育てられマスコミ芸能界では親よりも、その社会を理解していますよね。
      残念ですが属人的な弱さも社会の責任でと言う日本社会ですから、其の閾値を下げ過ぎているとも思います。
      ライオンは子供を崖から落して育てると言いますが、崖から落されないでその血だけで育ったライオンが荒野に追い出されたらどうなるでしょう? この様な事態はあらゆるとこで起こり得るでしょうね。

      1. >>虚構のキャラクターへの攻撃だと分別できなかったのでしょうね。

        350円さんも以前書いていらしたように、人の脳は、現実と虚構の区別が曖昧です。
        とても上手い表現でしたので、引用させていただきます。

        >>人間の脳はOSであって、直接ハードであるリアルに触れる事は不可能

        >>リアルではなく、脳のグラフィック・ユーザーインターフェースを介してアリティとして感じる為に情報を一旦内的印象(クオリア)に変換する必要がある

        >>催眠術で水を熱湯と誤解して水膨れが起きる現象は我々がクオリアで世界を感じているから //

        しかし、妄想や虚構は創造性と紙一重です。
        この曖昧さがなければ、ヒトという動物にここまでの発展はあり得ませんでした。
        例えば「金融」などは、信用という虚構の集団的な了解によって成立しています。
        そもそも人間が、動物の域を超えた大集団を作ることが出来るのも、神話や歴史といった「物語」を語り共有することで、血縁以外の個体を「仲間」だと認識することで成り立っています。
        つまり虚構性に依っているのです。

        ですから、リアリティ番組と銘打った虚構を本物だと勘違いしてしまったのも、脳の反応として、仕方がないことなのかもしれないとは思うのです。
        それならば、これからどんどん現実に近づいて来るであろう虚構に、どう対処して行くのかという問題が浮上してきます。

        どこまでをリアルと見て、どこからを虚構と見るのか?

        そこまでは、考えなくてもいいのかもしれませんが、こういった人間の脳の形質は、広く認知されて行くべきだとは思います。

    2. 350円さんからお便りがあったので、上に、返信しておきましたが、
      私が提起した「話」は、「社会システム」の問題です。

      ここでcieさんが提起したのは「心」の問題。
      テクノロジーが進化したのに、「人の心」が進化しないでいては、対応できなくなる、という話だと思います。

      「人の心」を進化させるために「進化したテクノロジー」の意味を再考しましょう、という事ですね。
      「心の持ち方の方向性」としては、cieさんの提示する方向で良いでしょう。

      けれども…難問が残ります。
      「しょせん、仮想空間」という認識が標準になったとしても、そこを踏み越えて「危険な領域」に入る人は、必ず出ます。
      それに対する「セーフティネット」を、どう構築するか?

      一案
      「木村花事件」を教訓にするのなら、
      「仮想空間で、何かを演じるのを職業とする人」には、定期的なカウンセリングを義務付ける、なんていうのは、どうでしょう。
      木村さんが自殺に「自分自身を追い込んでしまった」のは、そういうフォローが無かったのも一因でしょう。
      「仮想空間の管理者」に、それを義務付けるのも必要でしょうね。

      cieさんの発想は、言わば「カウンセラー」の視点、ですね。
      私は、どうしても「社会システムの設計」に目が行ってしまいます。

      もう少し「心理誘導」の視点で、対応策を考えられそうなものですが、個人的資質の限界なのですね。

      1. そうなのです。
        ちょっと後出しジャンケンみたいになってしまいますが、やはり、ここまでを踏まえた上での「社会システム」の整備が必要だと考えていました。

        だって、人の脳の仕組みや反応が常識になったところで、実際に自分自身をモニタリングし続けるのは結構シンドイのです。
        全員が出来るようになるとは思えないし、全員が出来るようになる必要もないと思います。

        人にはそれぞれに役割 ( 特徴 ) があるのだから、システムに乗っかって、そこは考えずに、つまり合理的に他の仕事を進められる人が多くなければ、社会は回りません。
        だから、ポンと乗っかれる「社会システム」がなければダメです。

        日和見菌が、悪玉菌の方向に大量に流れて行かないようなシステムの構築って、無理ですかね?
        なんか色々一所懸命、考えてるみたいなんですけど、モニタリングしている方の私には、今のところ、なんも見えて来ません。
        w
        なんか考えてるなあ、というのが分かるだけです。

        1. 日和見菌と表現したのですが、要は「大衆」です。
          「大衆」という層が無くなることは、絶対に起こり得ません。
          彼らは「人とは何か」などという考えに煩わされる事なく、その生産性を別の仕事に振り分けられる人々です。
          バカなのではなく、別の意味で賢い、合理的な脳の持ち主なのだと思います。
          だから、その生産性を遺憾無く発揮できるシステムが必要なのだと、改めて考えました。
          今のシステムは、古くなってしまっているので。

          新しいシステムは、脳科学や心理学、行動学、環境学などに基づいて設計されるのがいい。
          分かり易いので、学校を例に取ります。
          社会から隔離され、上下関係、つまり権力構造があるあの空間は、イジメが発生し易い環境です。
          そういう報告が既になされているのです。
          ならば、イジメが起こり難い環境をつくって、そんなところに無駄なエネルギーを使わなくて済むようなシステムに変えて行く方がいいはずです。

          緊急事態解除に伴う学校再開のニュースで、「辛いなら、無理に行くことはない。」という記事を見ましたが、無責任な発言だと思います。
          「行かなくてもいい」ではなくて、「行けるようにする」じゃなきゃダメだよって思うのです。
          行けるに越したことはないんだから。
          脳の発達のためにも、リアルとバーチャルの区別がつくように、地に足をつけるためにも。

          リアルとバーチャルの区別は曖昧なのだから、その区別をちゃんとつけられるようにするためにも、社会システムの見直しは必須だと思います。
          やはり、特に学校環境ですよね。
          子供の脳内は未熟だから、リアルが楽しくなければ、簡単にバーチャルの方に行ってしまって、戻って来られなくなってしまうから。

        2. 学校の話が出たので、お付き合い。
          「学校」というのは、ある意味では「予防接種」なのです。

          「(広い意味の)社会」に出て行くときに、
          「家庭から社会へ直に出る」のでは「社会にひそむ様々なウィルス」にやられる惧れが大きい。

          ゆえに「社会の縮小版」である「学校」で、
          1「不条理」つまり「辛い事」「苦しい事」「話が通じない事」を経験させる。
          そして子供に「免疫とか耐性とかのようなもの」を獲得させておく。

          同時に、
          2「うれしい事」「楽しい事」「合理性」を経験させる。
          社会の機能の「暗黒面」と「光明面」の両方を「柔らかく」経験させる訳です。
          ついでに、
          3「学問の基礎」と「方法」を教える。

          ところが、教育に携わる人の多くが、教育の目的と手法を「適切に」把握できないでいます。
          愚劣な順に並べれば、
          子供に「不条理」を強いるだけ⇒子供の心が、歪む。
          子供を「無菌室」に入れておきたがる⇒免疫を獲得できない。
          子供に「学力」だけを付けさせたがる⇒「学問」の意味が身に付かないし、不条理への免疫も「学力頼み」になる。

          多くの子供は「そういう『分からない大人』の存在自体」が「慣れておくべき不条理の『弱い例』」なのだと気付いて「それぞれ適当に、免疫機能を形成する」訳ですが。
          時折「ストレートに不条理を受けとめて、受けとめきれずに死ぬ子供」が発生するわけです。

          私は「無菌室」で過ごすことが多かったです。
          しかし無菌室からでも、世の不条理は見えます。
          というか「自分が、無菌室にいなければならない。そうでないと死ぬかも」というのが不条理なのですが。
          ゆえに「世の不条理の哲学的な部分」については、子供ながら良く考えて、免疫を形成しました。
          しかし「現実の暴力・肉体的苦痛」にさらされた経験が希薄だったので、そこは「弱いまま」です。

          こういう風に「自分がどう育って来たか」を考えるだけで「教育システムの考察」になります。以上はほんの一例。

          この「学校の構造」は、ファクターを入れ替えると、社会のいろんな事象に該当します。
          つまり「学校の在り方」を考察するのは「社会システムの在り方」についての考察として、役に立ちます。
          たいていの人が「子供時代と学校生活」を経験してますので、話が分かりやすいですからね。

          1. 私は「不条理」でした。w

            よく大人を怒らせてしまう子供でした。
            でも、私の質問の何に怒っているのかを、ちゃんと説明してもらえたことがなく、よく、屁理屈だ、我儘だ、なんで素直に言う事が聞けないんだとかって言われてました。
            大人に怒られるのは怖いし、でも、なんで怒られたのか、何が怒らせたのか、全く分からないので黙っていることが多くなって、川ばかり見てました。w

            「無菌室」に逃げ込んだんでしょうね。
            「無音室」かも。
            感覚を閉ざして、なるべく見ない聞かないようにしないと、乗り切れませんでしたね。だから、ホントにナンモ思い出が無いんですよ。学生時代。w
            アウトカーストだったので、イジメはなかったのですが、周りからは不思議ちゃんと見られていたようで、目立つ子たちとは別のベクトルで目立っていたみたいです。
            大人しくしてたのに。w

            この間、また来たよさんに、孤独じゃないってどういうもの?って、思わず聞いてしまいましたが。
            たぶん「人とは何か」を考え続けなくても済む脳の、持ち主って事なのでしょうね。

            学校が本来の「予防接種」の役割を果たせるうおうになるには、どうしたらいいんでしょうね。

            >>ついでに、
            3「学問の基礎」と「方法」を教える。

            ついでかい!Σヽ( ≧∀≦ )
            勉強は学生の本分ちゃうんかい。
            って、やらんでも出来た人の言いようはちゃうな。www

          2. 学問などについて
            学校で教えるべきなのは「勉強」じゃなくて、
            「人が生きて行く方法」なのです。
            そのうちのもっとも重要なものとして、
            「社会の不条理に慣れておくこと」があり、
            「社会規範を理解し適合すること」があり、
            「社会生活の楽しさ・便利さ」があるわけです。

            その他の事は、その後になります。
            重要な順に並べるとすれば、
            「生活実務」「保健体育」「学問」「芸術」「娯楽」でしょうか。まあ優劣不明とするのが正しいかも。

            で、「学問を教える」というのは、「学問」というものが世に在って、人間の基本を形成している、そして「身につくと楽しい」のを理解させる事、です。

            「勉強」は、「学問」を身につけるための「必要な方法の一つ」です。つまり「辛かったり、面白くなかったりするけど、やらなければならない『基礎トレーニング』」。
            基礎トレーニングで、ある程度の下地を作っておかないと「楽しい所」までは行けない、と理解させなければならない訳です。

            この基礎トレーニングの必要性と方法と効果を、理解させて、習慣づけてくれる先生が、良い指導者なのです。
            でも、そこを意識していて生徒に分かりやすく教えてくれる先生は、学校にはあまりいません。

            もっとも大切な「不条理を教える」という事に至っては、なおさらですね。
            「木村花事件」の根本にも「もっとも必要な『不条理と対峙する方法』をきちんと教えてもらえない」という「現代社会の教育システムの欠陥」が有ると思います。

            分かっていても「それを子供に教える」のは、大変ですから。

            私は、小学校の3年生ぐらいで、大人に聞くのは諦めました。自分の疑問に答えられる大人は、少なくとも周囲にはいないみたいだ、と漠然と分かったからです。
            で、本を沢山読めば分かるかもと考えて、図書館にいる時間が増えました。

            そして、似たような資質の親友と二人で、いろいろ話をしました。「革命の方法」とか。「全学連はバカ」とか。
            「根源的な疑問」について考えていると、いつも彼を思い出します。
            彼が、生きていてくれたら、人生は違っていたでしょう。

          3. とろいやさんとは似た境遇だったのかなあ。
            とろいやさんのようなギフテッドは、他の人からは存在自体が「不条理」なんですよね。
            基礎は「ついで」にできて、そこからは自分で好きに進められるから楽しい。(私は記憶力はないので暗記科目は嫌いなのですが、とろいやさんのように記憶力もあれば、そりゃ楽しかっただろうと思います。)
            ところが小学校低学年の当人には、他の人ができなくて「不条理」を感じていることが分からないので、他の人から何か疎外された状況が「不条理」になるのですね。
            (私の場合、遺伝なので家庭が「無菌室」でした。)

            中高は私立の進学校だったのですが、進学校にあるまじき自由な校風でした。(高3 の 9月に運動会の準備をしていた記憶しかないとか。)
            そういう子たちを集めていたので「不条理」が薄れて、能力があるから自由でも勝手にやれてしまうということなので、一般的には参考になりませんが。

          4. >cieさん
            >たぶん「人とは何か」を考え続けなくても済む脳の、持ち主って事なのでしょうね。

            案外そうかもしれません。

            私は、次に生まれかわるときがあるとしたら、別に人間じゃなくていいと思っています。例えどんな生き物に生まれようと、生きることの意味は大きく変わらない。

            「人とは何か」以前に「生きているって何か」の方が重要だからね。

            何でもそうだけど、複雑なものというのは論理でも物理的なものでも脆いです。「人とは何か」に複雑で高度で厳格な思考を重ねるほど、それは高く積み上げられた塔のようになって、ゆらゆら揺らいで不安定になって、いずれ崩れる…と思います。私には「人が人であることに理由など不要」「生き物が生きることに理由など不要」ってのが根底に強くあります。

          5. ホントの雑談
            「生まれ変わり」について

            昔、といっても、少し昔。
            ある先輩がある仏教系(の要素も取り入れた)新興宗教にはまり、しきりに周囲に「きみの前世は」「あなたの来世は」などと吹きまくっていました。

            そこで、こういう問答を。
            「先輩は、輪廻を信じてるんですか?」
            「信じているとも」
            「山川草木悉有仏性という思想は、正しいですか?」
            「正しいとも」
            「論理的思考は重要でしょうか?」
            「重要に決まってるさ」
            「確率的思考は、論理的ですよね?」
            「うむ、論理的だ」
            「では、あなたの来世は、多分『細菌』です」

          6. >とろいやさん

            雑談として、伸びしろありませんけど…

            輪廻が本当にあるのかとか、命とは何かとか…
            あまり、突き詰めて考えているわけじゃないんですw

            お題に沿ってお話しをするなら、もし、細菌やウイルスみたいなものと比較するなら、人間の細胞の1個になれるかどうかを比較した方がいいんじゃないかな?そうするとまた違った空想ができて面白いです。

            そして、確率は確率ですし…

            前世や来世があったら面白いですね。

          7. 来世や天国があっても人格や記憶が持ち出せないなら、たとえ霊魂が同じでも別人格であり自分ではないと考えていました。

            来世や霊魂に人格や記憶が持ち出せるとした場合、例えば事故で脳に重大な損傷を受けて記憶を失ってから死んだ場合にどうなるのか。もし記憶が復活するとしたら、これまでに忘れていた記憶はどうなるのか。全て思い出した人格は、忘れることで構築された今の人格とは違うものではないのか。
            などと考えた結果、無意味だな(自分の問題ではないな)と結論を出しました。
            だから、死は怖かったです。(子どもが生まれると、まあいいやと思えるようになったのですが、生物の本能なのでしょう。)

            私の場合、この自分の保持(人格の保持)が、洗脳まがいの思想教育や宗教に対する強い拒否感になっていて、リベラルの根幹になっています。

          8. 「あなたの前世はポチで来世はミケだ!
            「ヒャッフー♪」ヽ(^∀^)ノステキナ飼い主様キボウ

            「あなたの前世はミジンコで来世はミドリムシだ!」
            「お、おう!」(それはそれでヨシ)

            「前世はピーマンに来世はニンジン!」
            「…タマネギでもいいよ?」

            わりと楽しいかも?

          9. と「来世、細菌では?」
            上司「いや、それもあるかもしれないけどライフサイクルが短いのでカウントしないのだよ。微生物の把握って難しいよね」

            昔なら存在しない(把握できない)何かになっていたのですね。

          10. 前世のお話の続き

            昔むかぁし、あるところに、仏教系の新興宗教団体がありました、とさ。この人たちは、二人組で布教に来ます。
            「入信すると、いいこと有りまくりだぜ」
            「なんてったって、うちの会長先生は、お釈迦様の生まれ変わりだからな」
            「解脱した者は生まれ変わらない、と賢者が教えていらっしゃいますが…どのようにお考えですか」
            「どこのバカがそんな事を…」
            「そのバカの名前を言ってみろよ!」
            「ゴータマ・シッダールタ、とおっしゃいます」
            「ゴータマなんとか、だってよ、おまえ知ってる?」
            「知らねえなぁ、そんなやつぁ」
            (ひそひそひそひそ)
            「そのゴータマなんとか、ってやつぁ、仏敵に違いない」
            「違いない!」

            実話

          11. 「我ら集金マシーン!教団の手と足!」
            「頭などではないのである!」
            ドドーヽ(´^`)(´^`)ノーーン

            (;`ロ´) 開き直った!?

          12. ウチには、キリスト教系の2人組みしか来たことないなあ。w
            あ、最近「浅尾機械」さんという所から人が来たから、どんな機械を出してくるんだと思って、話しを聞いていたら「朝起き会」だった。ガッカリ。
            朝早くなんか起きたらゲエ吐くわ、マジで。

            ところで、また来たよさん
            「人とは何か」は、「人が人であることの理由」とは違います。
            理由以前に、もっと根本的に分かってない感じです。
            「なんじゃこりゃ?」 ってやつです。
            私は、人として生まれてしまったけれど、もう結構長いこと人をやっているけれど、「人とは何か」がよく分からない。

            そして、これを考え続けているのは、「私」ではなく「この人」です。
            まあ、勝手に考えおる、ぐらいに思っていただければいいのかと。( 思っていただかなくてもいいですよ、もちろん。)

            「この人」と「私」は別だし、本当の「私」は「この人」の方だな、と分かったのは、それほど以前のことではないです。
            でも10年ぐらいにはなりますね。

            すいません。
            わけ分かんないですよね。w

          13. >cieさん

            cieさんが自分の内面をどんな風に客観視しているかは知りようがないんですけど、「人が人である理由」と「人とは何か」の差は、私にとっては大きなものではありません。

            「人が人である理由」は、「人はなぜ人なのか」
            と「人はなぜ人でなければならないのか」です。「人とは何か」は、もともと私の言葉ではありませんが、「人の本質とは何か」とか「人と他の生き物の違いは何か」とかと問題の本質が同じだと考えます。

            まぁ、人それぞれの感じ方でよいことです。
            孤独か孤独じゃないのかも。

          14. また来たよさん

            客観視というのとは違うのですが、感じ方の違いであるのは間違いないですね。

            どんなに言葉を尽くして、分かり易く説明されても、私に数式の美しさが、バチっとは分からないのと一緒だと思います。

            あ、とろいやさん
            そう言えば、
            せっかくおすすめして頂いたので、碁会所に行ってみようと思ったのですが、コロナの煽りで閉まってますね。w
            そろそろ再開する思うねんけど、思い立った時の勢いがなくなってもうたかも。w
            ちょっぴり遠いしなあ。

          15. cieさんへ
            とりあえず「ネット碁会所」に行くといいです。
            日本棋院の「幽玄の間」とか。
            プロがトレーニングとして打ってるから、見てるだけで面白いですよ。

          16. 「ネット碁会所」?! そんな所が!
            行く行く。
            とりあえずマンガから入ろうかと思ってました。w
            『ヒカルの碁』。ブックオフに全巻セットあった。w

  4. 論点を、もうちょっと整理しましょう。
    「ネットで発言した人がどこの誰なのか、にアクセスする権限を拡張する制度」が危険なのは、
    「権力によって濫用される可能性があるから」だけ、ではないのです。
    「誰もが、その制度によって『権力として、攻撃的に』振る舞えるようになるから」という視点も、意識しておきましょう。

    権力構造そのものが、いろいろな技術の革新によって、変化しています。
    権力の本質は「強制力」です。
    そして「人を強制する手段」は、多種多様の進化を遂げていて、
    そこに新たに「ネットによる言葉の暴力」が加わった訳です。

    ついでに言っておきますが、ここまでに私は「ネット言論」の「権力としての側面」についてのみ話しています。
    「木村花事件」の全体、特に「防止策」として「アクセス権拡大にNo」という意見を述べてはいません。
    「拡大されたアクセス権を、『官憲が、また誰もが』利用できるようにする事」にNoといっています。

    「言及された当事者」については「アクセス権拡大」で良いと思います。
    特に「悪意を持った攻撃」に対しては。
    だからこそ、「何とかして『受忍すべき批判』と『反撃が許されるべき悪意ある攻撃』を区別するべき」なのだと思います。
    そして「一見正当な批判でも、例えば『執拗』であれば『悪意のある攻撃』と見做されるべきであろう」と。
    なので「言及行為」の可視化を。

    しかも、そのような制度を構築したとしても「量」の問題が。
    「どこの誰に攻撃されているのか」を知る権利が付与されたとしても、一日に何千件もの攻撃にさらされれば、反撃や防御どころか、ふつうの日常生活も不可能になります。
    ですから「ウィルス」と表現しました。
    こっちの問題は「アクセス権の拡大」では対応できません。
    そして「木村花事件」の本質は、こちらに有ると思います。

    1. >トロイやさん
      貴方と同じ意見を述べている方が根拠として、次のような事を言っておられる。

      >これだけ早い反応は、この件に便乗して、政治批判を封じ込めようという腹づもりなのではないか、そんな憶測さえ漂っても不思議ではない。SNS上の安倍晋三首相への攻撃や、野党への批判も凄まじいものがある。
      いや、それにもまして、空気だけで政治が動くのだとしたら、日本が戦争に突き進んだ時代の様相と重なって映る。あの時も世論が強硬外交と戦争を煽り、それがいつしか言論や表現の自由を奪われ、規制される方向に動いた。勝算も無視して戦争に突入し、無謀な作戦が繰り返され、最後は竹槍でB-29(爆撃機)に勝てると説いた。2020.5.30(土) 青沼 陽一郎

      何ともハヤ、根拠としてB29の空襲の事を思い出しておられるようだ、韓国の慰安婦も赤い靴を視ると体も心もうずくと言っていた。

      所謂戦後リベラル層は戦中の思い出からとか、言論が封殺されるのでは、との妄想から反対する意見が多そうだ。
      戦後リベラルを変わらず忠実に守っている立憲民主党の面々は議会でも首相の妻の行動が・・桜がと妬みの誹謗中傷しかない。
      野党が政権に反対する事が見当たらない政治の国になりつつある。
      リベラル老舗本舗がこの様な心情で反対してる、その教育の残り香の戯言などは、これからの日本の腐臭を放つ汚物でしかない。
      汚物が放つのは腐臭であるのは、実に科学的な事で屁理屈を幾ら捏ね回しても仕方がない。
      誰にでも投稿相手が特定できる法律にするとは誰も言っていないでしょうし考えても居ないと思うけど。

      1. 350円さんへ
        私は、この「青沼」という人がどういう人なのか知りませんが、この意見を見る限り「バカ」ですね。
        実際は、世間に分かりやすく、しかも「当たり障りなく」言おうとしたのでしょう。
        「バカからアサッテの反論が来ないようにするための言い方」です。つまり「バカに阿った言い方」。
        しょうがないですけど。評論家の言い方としては下手ですね。
        これは、素人でも使える手法です。
        「独裁は悪だ、ナチスを見よ」みたいな。

        そういうのと一緒にされては不本意です。
        「言論封殺」の実例として、私は「現代の中国政府」をあげました。(もうひとつあげるとすれば「韓国のⅤANKの活動」なども、実例として適切でしょう)。
        右派か左派かは、問題としては小さい。
        左派の方が酷いですが。

        私の主張は「右派左派問わず、『権力が、アクセス権を握る制度』は止めるべきだ」という事です。
        しかも「誰もが、権力として振舞える」のが、現代のネット社会の構造だ、とも述べています。

        350円さんは、私の意見の主旨を見誤っていると思います。
        「権力」=「右翼」及び「政府」と思い込んでいませんか。

        分かりやすく言い換えます。
        「そういう制度を採用すると、左翼がそれを悪用して、事態はさらに悪くなるだろう。だから、止めましょ」

        そういう制度、とは「誰が誰にモノを言っているのか、すぐに調べる事ができる制度、つまりアクセス権の拡張」の事です。
        で、
        「攻撃されている当事者が、そういう権限(拡張されたアクセス権)を持つことは、やむを得ないので消極的賛成」
        しかし、
        「何が『攻撃』なのか、ちゃんと分別しましょう」と。

        「私は『不当な攻撃』を受けている。だからアクセス権を寄越せ。私を攻撃している敵に、私は懲罰を与える権利が有る」
        こういう論理で、左翼は言論封殺するのです。
        右翼はそんなまどろっこしい事はしません。最初から強権的手法を採ります。
        ですから、一見「左翼はきちんとしたやり方を提唱している」ように見えます。そして右派の「ちょっとまともな人」は、これに乗せられやすい。なぜなら「自分たちにとっても便利だから」です。
        その例が高市大臣の発言だと思います。
        しかし左派の行き着くところは、強権的右派より酷い。「正義の衣」の被り方が上手いからでもあります。

        そして、この手法は、現代社会では「誰もが出来る」というか「ある程度以上の多数が参加すると、個人では抵抗できないような、ものすごいレベルの暴力になる」(※ここが最大のポイントです)、

        ゆえに「制度として採用するのなら、最小限に。危険性を充分に意識して、危険性を除去し切れないだろうから、効力を緩めて」と言っているのですよ。

      2. 「誰にでも投稿相手が特定できる法律」
        にしなくても、
        「それを悪用しようとする者が1万人いて、そのうちの1人がアクセスに成功すれば、たちまち拡散する」
        のが、現代の状況です。

        おまけに、
        「正当なアクセス権を持つ者が、それで入手した情報を拡散させない」というのも、有りそう。
        システム上、それを防止するのは不可能でしょ。
        そして、限度を越えれば、その「拡散行為」もまた「処罰の対象」になるでしょうし、「再反撃」の対象にもなるでしょう。

        結局「際限のない闘争」になります。
        ムダだし、バカそのものですけど、しょうがないよね。
        「バカに刃物を与えているのだから」。

        で、「攻撃者」が「特定し切れないほど」に増殖して「ウィルス化」した場合は、どうします?
        「木村花事件」の本質は、そこじゃないですか。
        アクセス権の拡充で、「効果的な対策」になりますか。
        「クラスター潰し」ぐらいには、なりますかね。

        しかし「左翼という癌細胞(右翼のバカも癌細胞の一種ですが)」に栄養を与える副作用の方が大きいだろう、というのが、私の危惧なのです。
        健康であるべき「自由な言論という細胞」を自己免疫機能が攻撃する、という副作用も。

        1. >「制度として採用するのなら、最小限に。危険性を充分に意識して、危険性を除去し切れないだろうから、効力を緩めて」と

          これには賛成です。が未経験の領域ですから一歩でも踏み出してみないと解らないですよね。
          その一歩は必要で重要です、しかも過度でも効き目のある薬で在る必要がありますよね。いずれ成熟して形骸化されると見込んで。

          >「私は『不当な攻撃』を受けている。だからアクセス権を寄越せ。私を攻撃している敵に、私は懲罰を与える権利が有る」

          良悪は別として伝統のある政権が左翼政権、革新政権、共産主義政権を経験した国は殆どが不幸になっていますよね。
          セオル号事故でも良く勉強させて頂きました。日本では同じような事故が起きた事が有りますが、その様な発展はしていませんでした、国民性、国民の歴史的経験にもよるんでしょうか。
          日本は過度な事を嫌いますから為政者にも過度には為らないとある程度は信頼するしかないですよね。

    2. 私は言論の自由が認められてる以上、SNSの監視など論外だと思ってます。自費出版の書籍を監視しろ!との言論は見たことありません。根拠の無い噂を広めるメディアは何の自戒も無く喚いています。
      ネットなど玉石混交だし、なりすまし等に弱くて問題は山ほどあります。それを理解してツールの一つとして使って行くのが当然だと思ってます。
      既存?旧態メディアが喚くのは自分達の情報操作が苦しくなったからでしょう。木村花さんの件は知りません、ネットを悪者にしたかった感じがしますけど

  5. 「ダエノガレ明美氏がマトリから監視されている。」とあのアエラドットが書いたそうだ。
    ダエノガレ明美が抗議して謝らせたNewsを視たが、あのアエラですよ、朝日新聞のアエラです、AERAですよ。
    記事は捏造の酷い物だったらしい、記者は「フリーランス」、編集長はチラ見。ニュースソースは「マトリに近い人」という事で、根拠も裏付けも全く無い。
    この記事なら私にも直ぐ書ける、一記事幾らだろうか?100円? 

    最近は大手通信社KYODOもウソ記事が良くでる、まるでノルマの様な、でもギョットする短文記事がネットに露出される。
    ダレノガレ明美は抗戦して謝らせた、編集長は震えていたそうだが、ダレノガレの毛髪の検査が無実だったら誤りの記事を書くと言って更に怒らせたそうだ。
    最近?大手新聞社マスコミ、通信社の記事は捏造が多く含まれる、凋落が見えてきた。組織を小さくしてもネット社会では生き残れない淘汰されるべきだ。
    新聞社、通信社はフリーランス記事を多用するのであれば記名署名にしなければならないと思う。

    1. 新聞社、通信社は事実の報道にあたって、自社社員記者の記事も使うし、フリーランスの記事も使います。週刊誌も同様。通常事実を伝えるだけの記事については無署名です。ただし編集権(何を載せるか、どう載せるか)はその媒体側にあって、責任も媒体側が負います。だからAERAが謝罪します。
      「事実」が真正性を保つためには様々な検証が必要です。また、捏造と事実の誤認は違います。
      事実、もっと正確にいえば「事象」に対して解釈あるいは意見を含む報道には、普通署名が入ります。この場合でも署名者(著者)だけが100%責任を負うことはなく、例えば名誉毀損で訴える場合、著作者だけでなく、その著作を掲載した媒体者(団体他)も被告となります。
      ですから、
      >新聞社、通信社はフリーランス記事を多用するのであれば記名署名にしなければならないと思う。
      というのは、根本的に間違っていて、記名署名にすべきかどうかは記者がフリーランス如何は全く関係がありません。
      それから、余計な指摘かもしれませんが、
      大手新聞社マスコミ、通信社は淘汰されつつあります。
      350円様は朝日とかAERAとか共同通信とかを一種の権威としているように見受けられます。350円様自身はそうでなくても、周りがそう思っていると感じられているのでしょう。
      間違いです。もう終わっています、ネット時代以前に。
      確かに朝日の購買数は約550万部くらいで、影響力はあります。でもその影響力は、例えば地方版でなんとかのラーメンは美味しい、とコラムに書いてあったら、とりあえずその店に行列ができるという程度です。
      情報リテラシーの問題なのですが、1つの紙媒体での速報(ニュース)をそのまま「事実」として自分の主張のための何かの根拠に使う人は滅多にいません。まあネットならわかりませんが。
      朝日他を権威のように振りかざす言動は、ちょうどこのブログでよく紹介されているように、韓国のメディアがよくやっていること(朝日の記事を恣意的に引用したり、なんたら大学の教授の発言を根拠にしたり)と変わらず、それが有効に見えるのも350円様のような方がいらっしゃるからです(逆説的に聞こえるかもしれませんが)。

    2. 追伸:
      >あのアエラですよ、朝日新聞のアエラです、AERAですよ。
      アエラなんて誰も読んでません。

      1. 追伸2:
        ごめんなさい、からむつもりはないんですが。私もフリーランスなので。
        例の検事さん。マージャンで辞任しましたね。ついでに朝日他の記者もやられた。
        この文春の記事。記事自体はアンカーの署名入りだったと思いますが、元の取材データは基本フリーランスのジャーナリストです。記事をまとめたアンカーさんも文春の社員かどうか。
        新聞社に比べ、出版社は圧倒的にフリーランス(非正規雇用者)によって支えられています。
        で、捏造、誤認についてのモラルで言えばフリーランスの方が大手マスコミの正社員記者よりも高い。倫理基準が高いというより、誤報が続けばすぐに切られてしまうからです。捏造だったら一発で、その社はもとより他社からも相手にされなくなります。
        朝日の社員記者はその点楽でしょうね。ギリギリまでかばってもらえます。首になってもたっぷり退職金が入ります(高給取りですし)。
        うむ、まてよAera.dotの記事?これは朝日の紙媒体ニュースおまとめサイトですね。抗議したのはこっちか。フリーランス、って話はどこから出たのだろう?
        多分Aera.の謝罪の中にそんな言い訳があったのかな?ありそう。
        350円様、調べてもよくわからなかったので、よろしければ教えてください。

        1. ダレノガレ氏が謝罪にきた編集者と法律顧問について、TVでインタビューに答えていました。
          「何故、記事を書いた記者を連れてこないのだ、書いた本人になぜこのような記事を書いたのか問いただしたい。」と、
          だから事実は解りません、アエラの編集者の嘘かも知れません。この点も問題ですよね。
          やはり、ダ氏も書いた本人に聞きたい気持ちが大きかった様です。
          我が地方の公立図書館には「アエラ」が伝統的におかれ続けています。

          1. リプライありがとうございます。
            やっぱりそんな感じでしたか。朝日の記者や出版部(
            現在は別会社)に知人が何人かいます。実は出版部からご指名で匿名原稿(書籍やムックの一部)を書いたこともあります。いい人たちなんですが、やはりエリートサラリーマンでしかなく、全く無意識なんですが「保身」に走ります。無意識にです。本人以外には見え見え。
            >書いた本人になぜこのような記事を書いたのか問いただしたい。」
            これに答えないのは記者(フリーであれ、社内であれ)本人に発言されると、困ることが多々あるからでしょう。
            わかりやすい例では、記事を書いた人が「私はこう書いたんですけど、編集者がこう直しました。修正についての確認はありませんでした」ですかね。ほぼこれが実情でしょう。もしかしたら、元執筆者の原稿は捏造とまでは(法的に)言えないものだった可能性すらあります。
            ともあれ、アエラの記事を読むときと、例えばこのブログの記事を読むときと、同じ目線で読んでいただきたいと思います。
            アエラの記事は読むななんて言ってませんよ。私だって図書館に行って、興味あるテーマが載っていればアエラ読みますから。

          2. 朝日新聞は断末魔か、全社でデマ闘争に入ってるようですね。下記の記事視るとフリーランス記者では無くて、朝日の体質に95%の悪意がありそうですね、虐待されるフリーランスの名誉を奪回する方法はあるんでしょうかね。やはり実名記事の路しかないのでは?

            >国のコロナ抗体検査に激怒???週刊朝日が取り違えた私の批判2020年05月31日 11:30 中村祐輔
            >しかし、激怒するほどでもないのに…と思いつつ、アエラの記事を読んだ。すると、するとだ、「シカゴ大学名誉教授の中村祐輔医師が…厳しく批判した」とあった。読み続けると、どうも激怒した人物は私のことのようだ???????
            >いくら読者の目を惹くためとはいえ、「批判」と「激怒」は違うだろう。確かに、朝日出版関係の別雑誌の電話取材を受けたが、「激怒した」覚えはない。

    1. >>匿名 様
      私も気になって確認してみたら、Twitterの方で
       「現在、諸般の事情で引っ越し中」
      と告知されてました

      YouTubeのBAN工作と同じように、敵対工作されたんじゃないですかね
      Livedoor関係だと、他のジャンルでも結構攻撃あるんですよね

  6. 今朝の日経の「春秋」記者は結構の左であるが、女子プロの自害問題について
    >こうした問題は通信の秘密や表現の自由と言った大原則と密接に絡み、議論が迷走してしまいがちだ。だからと言って安直に発信者を特定できる制度にして、批判的な書き込みをする人を公人や企業が探し回る様な社会になっては困る。
    同じ悲しみを繰り返されない様SNS時代の新しい基準造りに知恵を絞りたい。(春秋@日経)

    どうだ、野党の法案つぶし骨抜きの定石ではないか? 良い案は在るのか?自分が迷走してるのは解らないのか? 今やらなくて何時やる課題なのだ?
    春秋氏は、「君の悲運は繰り返さない様に知恵を絞るよ、犯人探しも防止策も具体的にはしないよ、難しい問題だからね」と遺影に言えるのかな。

    このブログの識者も、この名うての老左リベラル記者と全く同じで、自分は案も行動もないが、他人のやる事には反対して、うやむやにするのは同じに思う、
    幾ら理屈はこねても悲劇の主人公とか社会に対して何もしない、他人のやる事を否定する無責任に変わりはない。

    1. 昨夜も少し書きましたが、デジタルに対応するには、アナログの規制強化では追いつきません。

      誹謗中傷を、「やってはならない事」として規制するのではなく、「やる奴はやる」という心構えを持たせることが必要だと考えます。

      やってはならない、あってはいけない事に巻き込まれた時、完全に被害者だとしても、自分にも非があったのではないかと考えてしまいます。
      木村花さんもそうです。
      彼女は、「弱くてごめんなさい」と書いています。
      そういう気持ちにならなければ、死ぬことなんかないのです。
      だからこそ、誹謗中傷はあるのが当たり前だという意識が要ると思っています。

      どんなにダメって言ったって、イジメも差別も誹謗中傷もなくならないんだと、表に出してしまうしかない。
      デジタルというパンドラの箱を開けてしまったのですから、建前と本音は、もう通用しないと思っています。

      子供たちに綺麗事を教えても無駄だと、大人が分かるしかない。
      アナログの倫理を、デジタルの倫理に転換して行くしかないと思っています。

      悲劇の主人公なんて意識をなくす事。
      それがネットの誹謗中傷で亡くなった、全ての方への手向けだと思います。

    2. 詭弁だ。
      遺影とか悲劇の主人公とかで感情を揺さぶって思考停止させ言論を封じることこそ無責任だ。
      他人のやる事によるデメリットがメリットを上回るなら責任を持って「何もするな」と反対するべきだ。
      何でも解決できるわけじゃない。「対案を出せ」と言って(ベストかもしれない)「何もしない」という案を攻撃するのは間違いだ。

      1. >他人のやる事によるデメリットがメリットを上回るなら責任を持って「何もするな」と反対するべきだ。

        これが戦後レジームと言われる心根の曇りだ。デメリットかやってみなければ解らないし、遣る人次第だ。
        政府のやる事成す事全て悪意があると心を曇らせているからだ。
        >何でも解決できるわけじゃない
        為政者が「自己責任だ」と言ったら、職の放棄だ、人権無視だと言うだろう。「何もできません」と言ったら無責任だ、職の放棄だ、攻撃するでしょう。
        「見なかったことにしよう」、この件に関して、言わざる聞かざる見ざるにしようと言うのですね。
        委任しているのですよ、国民は為政者に権限を、命を委ねているのですよ、だったら武器を与えても良いでしょ。
        「角を矯めて牛を殺す」、我儘な国民に成ってしまった。それで政府を無能だとか罵る国民、マスコミは世界に類を見ないでしょう。
        そんな政権に命を守れとか虫が良すぎる。それが戦後の知識人・教育者に吹き込まれた良い子の成れの果てなのだ。

        1. 今回の事件ですが、私の理解では「問題のTV番組が木村花さんに実体とは異なるイメージを付与した。その虚像に対して激高した大勢の人間が木村さんを攻撃した。TV局は木村さんを守る努力を怠った。木村さんは攻撃に耐えられず、自ら命を絶った」というものです。
          この流れから私が思ったのは、まずはTV局に対して何か対策を要求すべきではないかということです。
          今回の件であれば、木村さんへの攻撃が苛烈になってきた時点でTV局側が「あれはあくまで番組の演出で、木村さんの実像とは異なるものです」と発表すべきだったのではないかと思います。攻撃した人間は悪くないというのではなく、もっとも効果的な防止手段はそれだったのではないかということです。

          そもそも木村さんが自ら命を絶った直接的な原因はなんだったのか。木村さんを死に追いやった決定的な誹謗中傷があったのか。
          単体なら誹謗中傷の類よりも正当な批判の方がダメージが大きいと個人的には思います。バカ、死ねの類の攻撃は一人、二人から受けたところで(私なら)無視できます。むしろ淡々と分析されて自身の欠点を突き付けられる方が心が痛みます。
          逆に死ね、バカの類でひどく傷つく人もいるでしょう。
          レベルの高い言論であろうが、低い言論であろうが、人を傷つける可能性は常にあるのです。
          言論を潰すものは言論でなくてはならない、これが私の思う原則です。
          mottonさんが質よりも数だと仰っていたように、私は誹謗中傷の質以上に数が木村さんを追い詰めたのではないかと思っています。
          ネット社会ではツイッターのリツイート機能など利用すれば万単位の攻撃も容易に発生します。
          この数の暴力が最大の問題なのだと思います。こうした数の暴力は純粋な言論とは言い難い性質を帯びていると思います。
          それをどうにかしないと対策になりません。
          正義の主張であれば一人を大勢が攻撃することだって正当なんだという認識が問題の本質のような気がします。

          最後に誹謗中傷の定義についてですが、このサイトに投稿されたコメントの中に、どのくらいの割合で誹謗中傷が含まれていると思いますか?(これは質問ではありません。回答していただく必要ありません。というか回答しないで下さい)
          本サイトの参加者だけで議論してもまとまらないでしょう。ましてや外部の人が議論に加わったらどうなることでしょう。

          1. >最後に誹謗中傷の定義についてですが、このサイトに投稿されたコメントの中に、どのくらいの割合で誹謗中傷が含まれていると思いますか?

            だいたい100%だね。朝鮮人への誹謗中傷でできてるサイトですから。
            で、誹謗中傷をなくすとすれば、このサイトをなくすことになるだろう。

            誹謗中傷のない世界なんて、実現しえないんですよ。
            じゃあ何が悪いのかって言ったら決まっていて。

            おい ネトウヨども!日本人の祖先は虐殺者だ」「慰安婦なかったとかいうやつら〇ね」。フジ「テラスハウス」の放送作家、ツイッターで酷い暴言を吐いていた・・・過去ツイが発掘される

            こういう番組作ってるフジテレビだろ。

          2. >正義の主張であれば一人を大勢が攻撃することだって正当なんだという認識が問題の本質のような気がします。

            これ認識の問題じゃないみたいです。
            「人間はもともとそう言うものだ」と言うことです。認識をする必要があるとすれば、「人間には誰しもが多かれ少なかれ集団で一人を攻撃することを好む」という本質で、そういう弱さを認識した上で、それを知恵や論理やシステムで封じ込める努力をし続けないといけないということだと思う。

            著作「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」中のエピソードで、一人の子をいじめていた子が、結局クラスの大半から虐められる対象になってしまう話があります。直接は被害者でもない人が、多勢で「虐めたこと」を理由に「その子を罰するために虐める」のです。

            今回の話題と構図が同じです。これは特殊なことじゃないんです。どこにでもありふれていて、皆、無意識にそれを好んでいる傾向があるということです。

            知るべきは、そういう意識を多かれ少なかれ持っている自分がいるということです。

          3. 誤:「人間には誰しもが多かれ少なかれ集団で一人を攻撃することを好む」

            正: 「人間は誰しもが多かれ少なかれ集団で一人を攻撃することを好む」

            最近、すごく間違いが多い…反省せねば

          4. 前に、このテーマについて「パラダイムシフト」の事を述べました。
            「攻撃」の手段、特に「言葉をあびせる」という攻撃の手段が、根本的に変質したのです。

            それまで「言葉の暴力」は、
            「相対する敵から、それ相応の量を浴びせられる」だったのが、
            通信技術の進化によって、
            「どこからでも、ものすごく大量に浴びせかけられる」に変わりました。
            「獣との戦い」だったのが「ウィルスとの戦い」になったようなものです。獣も混じっています。ゴブリンも。
            攻撃する方は「獣」にもなれるし「ウィルス」にもなれる。
            「正義」の衣をまとう事で「ワクチン」になったつもりにもなれます。

            これは、攻撃手段の変革としては、「道具(1:木とか石とか、2:火)の使用」「弓矢の発明」「船・車両の発明」「火薬の発明」「飛行機の発明」に匹敵するぐらいの大変化だと思います。

            ゆえに「攻撃という事に関する倫理」を洗い直さなければならないのです。
            そして「攻撃者が『現実には誰なのか』にアクセスしやすくする」のは、ウィルス対策として毒薬を恣意的にバラまくのを許容するようなものです。

            まず、この毒薬を「国家を装うテロ組織」が持つとどうなるか、実例がすぐ隣に有ります。
            「権力は必ず腐敗するから危険」なのではありません。
            「人間は元々何割かは腐敗している、その腐敗レベルの高い者が権力を握る可能性は常に有る、だから危険」
            なので、
            1「権力というシステムの有毒成分」を、あらかじめ「弱く設定しておく」べきなのです。

            次に、
            2「では、新しい攻撃手段にさらされた場合に、被害を最小限にとどめるにはどうするか」が問題になります。
            その次は、
            3「新しい攻撃手段そのものの使用を抑制する事の可否」
            そして、
            4「その具体的な方法」

            これらの問題は関連していますが、問題としての位相が異なるので、まとめて論じるのは、論点がぼやけて議論が混乱するだけです。
            なので、1を、とりあえず述べてみたわけですが。

          5. >人間は元々何割かは腐敗している

            うわ、なんというか含蓄があるというか達観しているというか…

            (´・ω・) 諸行無情の響きあり?
            (`ロ´;) 無常ね。意味違うし。

          6. >>正義の主張であれば一人を大勢が攻撃することだって正当なんだという認識が問題の本質のような気がします。
            >これ認識の問題じゃないみたいです。
            「人間はもともとそう言うものだ」と言うことです。

            一人を大勢で攻撃することを好むのが人間の本質なのかもしれませんが、本質がどうあれ少なくとも現代の日本人は、それはよくない、やめた方がいいと認識しているように思います。
            問題なのは、正義の主張(実際には正義ではないかもしれないが)であれば、大勢で一人を攻撃してもいいのかどうかです。あるいは、己の本質を解放したいがために正義を利用するという問題もあると思います。
            手段の過剰をどう抑制するべきなのか、あるいは過剰となることあっても抑制すべきではないのか。
            (政治的な発言に対する攻撃の場合は? 作家の著作に対する攻撃は? さまざまなケースがあっていちがいには言えません)。
            とろいやさんの仰る(とろいやさんにとって本意ではない引用かもしれませんが、ご容赦を)
            >>「攻撃という事に関する倫理」を洗い直さなければならないのです。
            が、自分も必要だと思います。

          7. 補論
            議論の前提として、
            「言葉による攻撃」を考察しましょう。

            そこで、次のような図を想定してみましょう。
            「誰かが、ある人について述べた事…言及行為」を、三次元の図で表わすために、座標系を設定します。
            まず、縦軸Xを「肯定的か」で。
            +「肯定」
            -「否定」
            次に、横軸Yを「法律用語の悪意ではなくて、ふつうの意味の『悪意』か」で。
            +「善意」
            -「悪意」
            そして高さZを「論理的か」で。
            +「論理的」
            -「論理無視」

            評価値は、それぞれ5段階ぐらい設定すれば充分でしょう。
            もっとも「評価値の明確化」が難しいのは「善意・悪意」ですが、おおよその目安で。

            この「三次元言論空間」のどのあたりに「判定すべき言及行為」が位置するか、可視化できるでしょう。
            その可視化された個々の言及を、ドットで示すと、ドットの密度で「影響」がある程度分かりますね。
            声の大きさをドットの大きさで表わすと、さらに見やすくなりそうです。

          8. >コンバトラーVさん

            少し前のmottonさんのコメントで、論理ではなくて合理性でなきゃダメみたいなことを仰っていたでしょう?
            「いけないこと」っていう風に論理的に誘導しようとしても「人の本能的な快楽を求める心」を押さえるには限定的な効果しかありません。

            >問題なのは、正義の主張であれば、大勢で一人を攻撃してもいいのかどうかです。

            それは問題ではないでしょう。攻撃=暴力なのだから、少なくとも日本の国内で、相手を攻撃して良い正義など原理的にあり得ません。正義は人の数だけあります。ですから正義を正当化の理由にした時点で身勝手でしかありません。
             

            >己の本質を解放したいがために正義を利用するという問題もあると思います。

            言動が攻撃的になっていくのは、こちらの要因の方がつよい。
            ・例えば、お母さんが子どもを叱り倒している…論理的には子どもの行いを正そうとしているかもしれないけど、苛立ちの本質は生理的な者かもしれない。
            ・例えば、部下のミスを叱責している上司は、決まってお昼の直前が多い…何のことはない腹が減ってイライラしているだけなのです。
            個人差がある事例とはいえ、こんなことは毎日のようにいくらでも無意識に起こりうるシチュエーションです。

            正義や論理が無駄とは言いません。しかし攻撃的になってしまう本当の要因は別にあって、正義がそれを補強されるのに利用されることがとても多いです。

          9. >とろいやさん
            >「言葉による攻撃」を考察しましょう。

            私はとろいやさんが示してくれたような立体的な評価や言動そのもののウエイトのような客観的な評価の他に、最も重要な部分として、本人の依存度があると思っています。

            例えば、今回のケースの場合、同じような状況でも自らを死に追いやってしまうほどの辛さを感じてしまう人もいれば、そこまで精神的なダメージを受けない人もいる。その違いがSNSに対する依存度の差なんではないかと。

            この場合の依存度っていうのは時間の長さのようなものではなくて、自分の精神の居場所がどこにあったのかというようなもの。DVの被害者が、それでも別れられない理由のようなもの。危険を感じていても、状況から逃げることができなくなってしまっていることが問題なんじゃないかと思います。

            「言葉による攻撃」をウイルス対策のようなものに例えるなら、感染力や毒性の強さ、害を及ぼす部位のような解析とともに、重症化しやすい対象の特徴のようなものも非常に重要な要素ではないかと思うのですが…

          10. 色々あるのですが、順番に行きましょう。

            まずは、コンバトラーさんとまた来たよさんのされている、

            >>正義の主張であれば一人を大勢が攻撃することだって正当なんだという認識…//

            が認識の問題か否かということなのですが、答えは「否」です。
            これは、集団を作って生きる動物の、サンクション ( 社会的制裁 ) という行動です。
            集団にとって悪影響がある ( と認知された ) 個体を、他の構成員が排除することによって、集団の秩序を維持しようとする行動です。
            集団を作る動物にとって、集団の崩壊は死に直結する大事件です。
            ですから、集団の秩序を乱す個体に制裁を加えるのは、本能的な行動です。

            では、それが行き過ぎてしまう理由はというと、サンクションのご褒美として、脳内麻薬、ドーパミンが放出されるからです。
            つまり、正義の主張で誰かを攻撃すると、気持ち良くなってしまうのです。

            何故か?
            集団に悪影響を与える個体を排除しようとすれば、攻撃される側の個体は、当然抵抗します。
            制裁を加える側の人間には、返り討ちの危険が伴うという事です。
            集団のために自分の命が脅かされては、割に合いません。
            その割りに合わない行動を取らせるものが、ドーパミンというご褒美なのです。
            あと、アドレナリンが分泌して興奮するというのもありますね。

            つまり、行動学や脳科学で説明できる行動なのです。
            だから倫理で止めても無駄です。
            ある程度の制裁は、集団の維持に必要な行動ですから、容易に線引きできるようなものではないのです。

            行き過ぎないようにするには、こういうメカニズムを広く認知させ、自分の行動の意味を客観的に判断できるようにするしかないんじゃないかな。
            メタ認知という方法です。

            今回の事件、私はテレビを見ないので、職場の噂話しを元に、ネット検索して概要を知ったのですが、記事の中にあった悪口の中に、「テラハから出て行け」というものがありました。
            これは、ネット内の「テラハ村」で起こった、村八分事件です。
            悪口を書き込んだ人々は、「テラハ ( 村 )」の視聴者 ( 村民 ) で、「テラハ ( 村 )」を愛しているわけです。
            だから、( 演出であろうと ) 無作法をした木村花さんという個体が、サンクション ( 社会的制裁・村八分 ) にあった。

            ツールが変わっても、使っている人の認識が変わっていないのです。
            それこそが「認識」の問題だと思います。

            とりあえずは、ここまでにしておきます。

          11. 人間はサンクションという行動を、考えてやるわけではありません。
            考えなければ、自動で取ってしまう行動です。
            韓国人の反日がいい例です。
            あれは既に、反射です。
            ドーパミンは慣れてしまうと放出され難くなるので、より刺激を求めて過激になります。

            SNS に悪口を書き込む行動が、サンクション、村八分的な行動だと分かってやっている人は、まず、いないだろうと思っています。( 分かってたら、バカバカしいからたぶんやらない。)
            知らないからやる。
            カラクリ人形みたいなものなのです。

          12. >cieさん

            仰る通りだと思います。
            ですからそういう部分をすっ飛ばして、強権的にねじ伏せる(権力にものを言わせる)方法では吐口が変わるだけで解決になりません。

            とろいやさんが仰っているのは、それを知りながら、さも有用な措置であるかの如く、権力側が自らに力を持たせようとすることが、将来的に良い方向に向かわないことを見抜いてのことなんですよね。
             

            やはり発言を制限することより、辛くなってしまった人を救うことができる仕組みの方が重要な気がするし、ここでいうのも何ですが、所詮ネットの世界の出来事なんて命をかけるほど重いもんじゃないって思える方がいい。

          13. 本当にそう思います。
            ですから、とろいやさんの仰る

            >>1「権力というシステムの有毒成分」を、あらかじめ「弱く設定しておく」べきなのです。

            には、全く異論がありません。

            ただ、他の部分には異論があって、色々言いたいのですが、その前にもう少し、仕組みについてお話しさせてください。
            それをしておかないと、途中で通じなくなりそう。w )

            先にカラクリ人形みたいなものと言いましたが、人間は多くの行動を、何も考えずに行うことができます。
            歩いたり、話したり、お箸を使ってご飯を食べたり、車を運転したりと、一度身に付けてしまった技術は、特に意識しなくても当たり前にできるようになります。
            できなければかなり困ったことになります。w

            こういう身体を動かすような事は、運動野である小脳が自動で行なってくれますが、それ以外も、生活習慣とか、集団に於ける行動様式なんかも、常識として一度身に付けてしまえば、脳の各分野が自動でこなしてくれます。
            「常識」が社会システムとして、ちゃんと機能している間は、それに乗っかって生きて行くのが合理的です。
            しかし、社会システムに変化が起こった時には、「常識」を転換して行く必要が出て来ます。

            私たちは子供の時に、学校で「村社会の生き方」を叩き込まれます。
            日本 ( 各国それぞれ ) に生きて行くのに最も合理的な在り方を、脳に刻み込まれます。
            ただし、それが合理的であるには、社会が変化しないことが必要です。

            デジタルツールが普及して、社会に変革が起こってしまった今、「常識」は転換されなければならないけれど、今まで機能していた在り方を転換するのは、容易ではない。
            考えなくても良かったことを、考えなくてはならないからです。
            しっかりと書き込まれた脳内地図を書き換えなくてはならないのは、合理的にラクをして来た脳には、かなりの負担です。

            これが今現在の状況だと考えます。
            新しいツールを、古い社会システムの常識に基づいて使ってしまっている。

            「パラダイムシフト」が起きる時は、脳内地図を書き換えることができる人間の数が、出来ない人間の数を上回った時です。

            ここから、「言葉の暴力」「言葉による攻撃」の話しになるのですが、もうめっちゃ眠いので明日にします。w

          14. 自分の言いたかったことをまとめておこうと思います。
            政府が考えている法規制について、実行すべきではない理由を複数の方が御意見寄せられています。
            それらに賛同したうえで、自分はその法規制が有害であるかどうかではなく、今回のような問題に対してあまり有効とはいえないのではないかという観点で意見を述べました。

            誹謗中傷と正当な批判を区別するのは困難である。
            また、規制をかけてもその法則を読んで、網にかからないような誹謗中傷が行われるであろうということ(これは初めて書きました)。
            誹謗中傷の質よりも量が問題なのではないかということ。
            そうした状況はネット社会により容易に起こりうること。
            やっている人間が自分は正しいと信じて行なっている節があること(そうではなく、さらに悪質な人間も存在しているが)。
            数が多い場合は、たとえ批判が正当であったとしても手段としては過剰ではないのかということ。すなわち攻撃、暴力となっているのではないかということ。そこが問題なのに政府の法規制では対処できない(と思う)。
            ※「番組内でのあなたは態度は悪いと思います。反省してください」という書き込みは誹謗中傷とは受け取られないでしょう。ですが、これが1人の人間に1000も2000も寄せられれば暴力ともなりえます。
            政府の考えている規制はこうした数の問題についてはあまり有効性がないし、少数の極めて悪質な誹謗中傷については新たな法規制は不要で、名誉棄損として対応すればよいのではないかと。
            上記はネットの普及という大変革によりもたらされたものであるから、われわれが初めて直面する問題である(とろいやさんのコメントが非常にわかりやすい)。こうした手段の過剰に対応するための変革も必要ではないかということ。
            以上です。

          15. とろいや様の
            言及行為における3次元座標系について。
            これは「言葉による攻撃行為」を可視化(定量化の一歩手前かな?)し、攻撃行為の対象及びその被害の現象に対してその有効性、威力、影響力等を考察するための基礎考察(あるいは前提条件の定義手段)の提示かと理解しています。
            座標X,Zの措定はわかりやすい。
            もっとも座標Yは、「善意か悪意か」では、とろいや様がおっしゃっている通り重み付けは難しい。というかある立場を設定しないと不可能です。「意」なので、言及者にとっては全て「善意」です。またネット上の「誹謗中傷」ですら分別が難しい(こんなこというと叩かれそうですが)。
            「攻撃意図」でY軸は可能でしょうかね。0は「言及の中に攻撃的表現がない状態」+は明確に攻撃的表現が使用されている程度でランク付けする。−は明確な攻撃的表現はないものの言及の意図において攻撃的であるものを重み付けする(これも難しい話ではありますが)。例えば「〜はとても恥ずかしいことだと思います」は個人の価値観を前提としているため。ーの軸でもいいでしょう。
            ここでの「言及」については、その中での個々の命題の真偽は問わないものとします。
            とろいや様の言及行為における3次元座標系は、個別事案について受け手の被害状況を理解することに大きく貢献するものではありません(というか当事者、本人以外にはほぼ無理)。ただ、「言葉における攻撃行為」の一般的有効性を考える上での思考の土台となるかとは思います。

        2. まず、
          >委任しているのですよ、国民は為政者に権限を、命を委ねているのですよ、だったら武器を与えても良いでしょ。

          私は為政者に命を委ねていません。
          まして為政者(現在の日本では国民の代理人)に武器を与えるか否かは私たちが決めます。
          その武器が有効であるかどうか。この話の中では武器とは法律の事ですよね。
          今回の事件を2度と起こさないで済むような法制を私は考えつきません。
          そもそも何かの新法中にSNSの定義を書くことができません。
          定義できない対象への規制は不可能です。
          まさにどんな武器を与えたら有効か。
          前にちらっと書きましたが、 SNSやネットワークのシステム自体の問題ではない。そこをいじって解決できるとする人たちは大きな勘違いをしています。

          350円さん。少なくとも議員や政府から出た案?は全く話にならないと思っています。
          プロバイダーから誹謗中傷した人間を特定する情報を得る?で、そのあとどうするんですか?
          バカも休み休み言いなさい。

          1. >私は為政者に命を委ねていません。

            法律、文書で人間社会で完璧な規制は根本的に出来ません。解釈次第でどうにもなるのです、法を犯す人もそうです。
            法規制の解釈でどんな悪行も無罪になる、法律でグレーをねらう巧妙な犯罪も多くあります。それは法の拡大解釈とか民意で変わる事もあります。全ては為政者をどこまで信じているかの原則は在りますが。

            日本国民で在る限り、日本の為政者に世話になって居ないと粋がっても日本に住んでいる限り日本政府から命は保証されているんです。
            そう、日本人は空気も水も安全なのは日本政府が命を護っているからです、中国政府支配の香港がどの様になるのか、香港人に聞いてみてください、日本人はふざけていると。
            在日韓国人はなぜ日本にいるのか、考えてみてください。

            この法律は、悪行への抑止力になるんです。
            そうでなければ、貴方は「強くなければ生きられないのだ、自己責任だ」と言ってください。
            日本の為政者に世話になていないとは、これこそが戦後教育の残差でしょうね。

          2. >コンバトラーVさん
            >まずはTV局に対して何か対策を要求すべきではないかということです。

            私も一番悪いのはTV局だと思いますよ。放送の自由、干渉されないのは法律で護られていますからね。
            今回の件は、
            ・報道番組と称して政治的プロパガンダをやってる。
            ・個人の生活だと偽って演出してる。
            小説も含めて文化的活動はすべて曖昧にこの妄想の世界だと知ってれば良い事なんですけど。

            今回の自殺、個人攻撃ではなくキャラクターへの攻撃だったと言い訳すれば通るかもしれませんね。俳優の悪役への嫌悪も酷いものですから、彼女がそれを理解できなかった、自分でもキャラクターと個人が混ざって分離できなかった心理の問題もありますよね。

            これはヘイトの問題と同じです、火の元は手を付けられないが延焼を防ぐ小手先の作業ですけど、この法は飛ぶ火の粉を防ぐだけでも意味はあると思います。

    3. 虐めにあって自殺した。
      SNSが諸悪の根源だ。
      だから、SNSを規制しよう。

      という流れのようですが、規制には反対です。
      虐めに使われた「道具を規制」しても虐めはなくなりません。

      いじめの原因の番組を規制する発言は、ありましたか?。
      テラスハウスは知りませんが、番組のほうが問題だと思います。

      道具の規制より、
      道具の使い方を教育するほうが正しい方法だと思います。

  7. 都知事選
    現職の小池都知事が優勢らしいけど対抗馬候補がクズばっかり。逃げるだろうけど
    前川喜平、山本太郎、宇都宮健児、蓮舫ねえ

    立憲は今年3月、前川喜平元文部科学事務次官(65)に出馬を打診したものの、前川氏は固辞。一時、待望論があったれいわ新選組の山本太郎代表(45)は4月末、「小池氏の圧勝だろう。なかなか難しい」と述べ、二の足を踏んだ。共産党が宇都宮健児元日弁連会長(73)を推すとの見方があるが、立憲、国民両党は革新色が強過ぎるとみて消極的だ。

     ただ、立憲にとって小池氏は2017年10月の前回衆院選で、旧希望の党代表として自分たちを「排除」した因縁の相手とあって、対立候補擁立は容易に諦められない。都連幹部は、16年参院選東京選挙区で110万票余りを得てトップ当選を果たした蓮舫氏(52)に粘り強く出馬を働き掛けているが、関係者は「出ないと思う」と明かす。

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