韓国与党議員『法治など怖い。人は良心、社会は常識が制御するものだ』

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「民主主義国家には法治が必要だ」という主張に対し、現職国会議員の口から「違う。民主主義国家で人を支配するのは、法ではなく良心だ」とする主張が出てきました。韓国という社会の「考え方」などを書いてきた本ブログ的には、かなりのヒットです。もちろん、思わしくない意味でのヒットですが。

文政府から目の敵にされているユン・ソクヨル検察総長が、3日、新任検事申告式の演説で、「憲法の基本的価値観である自由民主主義は、民主主義という仮面をかぶった独裁と全体主義を排撃する、本当の民主主義のことを指す」、「自由民主主義は法の支配によって実現される。一度制定された法律は、誰にでも公平に適用されて執行されなければならない」と話しました。韓国でそれを言うか、な点以外は、さほど問題ない内容です。ですが、これが「現政府への批判だ」とされ、結構大きな騒ぎとなりました。ちなみに、演説に現政府のことは出てきません。

 

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そこで、与党である共に民主党のシン・ジョンフン議員が、フェイスブックに反論を投稿しました。ここからは引用してみます。

<・・共に民主党シン・ジョンフン議員は4日、ユン・ソクヨル検察総長が前日新任検事申告式の演説で、「自由民主主義は、法の支配を介して行われた」とした部分について、「大胆な発想」「非常に衝撃的」「とても残念である」と述べた。一部では「法治主義を否定する発言が与党議員の口から出てきた方が衝撃的だ」という反応も出ているた。

シン議員はこの日、フェイスブックに「自由民主主義こそ本当の民主主義という(ユン総長の)主張が正しい表現であるかどうかは別にして」、「その果敢な発想は非常に衝撃的だった」とした。それと共に、「民主主義社会で個人を支配するのは、ただ良心であり、社会を支配するのは常識だ」と主張した。

シン議員はまた、「法はただ、その良心と常識の境界を定めるための道具にすぎない」、「このような理由から、法律家ではなく、一般人の立場から『法の支配』などという恐ろしい言葉は、とても危険だと思える」とした・・(ソース記事:朝鮮日報、外部リンクにご注意を)>

 

ああ、なるほど。ここでいう「良心」と「常識」は、「法」の反対概念なのだな、と分かります。他にも似たような意味として、韓国では「道徳」という表現もよく使います。

今回の日本企業の資産売却(現金化)の件、及び数々の反日関連記事において、韓国側は毎日のように「良心」を叫びます。韓国に同調するだけが「日本の良心」だというのです。基本条約で解決済みだと、慰安婦問題に証拠など無いとする日本の主張を、「非常識だ」とする記事も、よく目に付きます。それらの良心・常識が、なぜここまで日本の主張する「法」「証拠」「資料」などの言葉と相性が悪いのか。公務執行妨害や暴行などで前科5犯のシン・ジョンフン議員が、ソースを提供してくれたわけです。

関連した内容として、2018年12月のものですが、ある小説家の『法律が増えると道徳を守ろうとする人がいなくなる』という主張も、合わせてお読みください。ここでいう「道徳」もまた、似たような意味だと見ていいでしょう。

 

 

 

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・現在、最新刊は<「高文脈文化」日本の行間 韓国人による日韓比較論(2020年5月31日)>です。私なりの『日本語』本です。ふと感じた、この国の一員になるために自分自身に必要なもの。足りないもの。その「もの」に関する私の試行錯誤の記録でもあります。他のシンシアリーの拙著については、リンク先の内容紹介、または本ブログの書籍紹介ページをご覧ください。ニューコリアは、私の書いた本ではありませんが、ブログを立ち上げるきっかけになった本です。

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