日本が韓国に「譲る」は、ただ「奪われる」だけ

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韓国のシンクタンク「セゾン研究所」の主席研究委員が、日韓関係を改善できる3つの外交解法を提示しました。3つとはどんなものかというと、「相手の戦略的価値を知る」「相手国民の心を読む」「両国首脳が関係改善の意志を持つ」です。

「相手の戦略的価値を知る」「相手国民の心を読む」「両国首脳が関係改善の意志を持つ」ですか・・へぇー・・うわー・・びっくりした・・そうだったのか・・なるほど・・(棒

内容があまりにも「無い(良い悪いではなく、無い)」ので、率直に言って反応に困ります。でも、少なくとも『両国は、少しずつ譲れ』という主張だけは伝わってきたので、関連した内容を書いてみたいと思います。

以下、「毎日経済」の寄稿文がソース記事となります(※外部リンクにご注意を)が、引用はありません。

 

(PCの場合、ここから「続きを読む』の後になります)

3つの主張、『戦略的価値』『相手の国民の心』『関係改善の意志』に共通するのは、両国が少しずつ譲れ、ということです。大事な隣国ではないか。戦略的価値があるぞ、国民のためを思え、首脳から関係改善の意志を強く持つべきだ。表現はどうであれ、結局は、「お互い、少しずつ譲れ」が基本です。

「譲れ」。これは、韓国だけでなく、日本側の一部のマスコミでも、同じ論調を見つけることができます。譲り合うという言葉が、美しいからでしょうか。人権や平和などの言葉もそうですが、美しい言葉であればあるほど、それを利用しようとする人たちも増えてしまうのでしょうか。残念なことです。お互いが譲れと、言うのは簡単です。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?子供の絵本っぽく、あるシチュエーションを描いてみます。

 

隣り合わせのAさんとBさんは、それぞれ土地を所有しています。二人は、50年以上前に合法的に約定を結び、基準線を「50」として、0から49までをAさんの土地、51から100までの土地をBさんが持つことになりました。しかし、突然Aさんが、「60」を基準線にすると言い出しました。これから基準点は60だ。0から59までが私のものだ、と。

Bさんはありえないと言い、既存のまま50を基準線にすべきだと主張しました。すると、Aさんの友人が現れて、こう言いました。『喧嘩はいけない。そんなことで何が解決すると言うのだ。AとBよ、ここはお互いが少しずつ譲って、55を基準線にするのだ。この方法で解決できる!』

 

これは、お互い譲り合うものではありません。Bが一方的に土地を奪われることです。これだと、先に刀を持ち出した強盗がもっとも得をする世界になってしまいます。1000万円出せ!と脅しておいて、後で500万円にすれば、譲り合ったことになってしまうからです。それは、韓国が望む世界かもしれませんが、日本がそんな世界のために「譲る」役になる必要など、まったくありません。戦略的価値も、国民の心も、首脳の意志も、そんな世界のために存在するものではありません。『法治こそが、最高の譲り合いなのです』。

 

 

 

拙著のご紹介

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・現在、最新刊は<「高文脈文化」日本の行間 韓国人による日韓比較論(2020年5月31日)>です。私なりの『日本語』本です。ふと感じた、この国の一員になるために自分自身に必要なもの。足りないもの。その「もの」に関する私の試行錯誤の記録でもあります。他のシンシアリーの拙著については、リンク先の内容紹介、または本ブログの書籍紹介ページをご覧ください。ニューコリアは、私の書いた本ではありませんが、ブログを立ち上げるきっかけになった本です。

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