併合時代、「遊郭」は儲かっていたのだろうか? とある超人(?)の話、など

最近、もうラムザイヤー教授の論文とはあまり関係なく(関係ないような、なくもないような、そんなところです)、遊郭関連の古い記事をチェックしています。昨日~今日見つけた記事で目立ったのは、わざと前借金だけもらって逃げる(外には仲間が待っていて、一緒に他地域に逃げる)娼妓酌婦が多かったことです。これはいちいち記事は紹介しませんが、これで潰れる遊郭もあった、とのことでして。

とはいえ、基本的に、当時の遊郭というのはものすごく儲かっていたようです。一人の高齢の酌婦(この場合、娼妓のことです)が年332人の客を相手して1万ウォン以上を稼いだとの記録もあり、記事は「超人的精力を見せつけられた」と書いています。

ちなみに、1938年5月15日朝鮮日報の記事によると、「物価が上がり、普通米1kgが24銭になった」となっています。以下、1938年1月17日、東亜日報の記事です。

 

 

<<・・15日、本町署は所管内の、新町(シンジョン)並木町一帯の40箇所の遊郭にいつ売春婦400人が、去年1年に登録した登録客九万人が使った総額を計算してみた所、総額が100万ウォンで、去年の収益と比べてもあまり変わらず、昨今、各方面は殺人的な不景気と収入の激減に苦しんでいるというのに、遊郭村だけは黒字、別世界の底力を演出した。

特に驚くべきことは、所管内に外国人遊郭は一ヶ所だけだが、そこのたった一人の高齢の酌婦が1年に332人の客を相手し、総収入が1万ウォン以上という、超人間的精力を見せつけたという>>

 

もちろんこれは「店」側の収益ではありますが、この『不況知らず』は、女性たちにも相応の利益になっていたことでしょう。なにせ、日中戦争が起きてから、いわゆる海外の売春店(その一部は軍慰安所でしょう)が増えてからは、朝鮮内で娼妓酌婦を雇用するのが難しくなった、という記事がありました。朝鮮日報1939年2月5日の記事から部分引用してみます。

 

<<事変(※支那事変のこと)以後、北支(※北支那)方面が開発されるにつれ、売春業界の女性たちも大勢がそちらに進出していて、朝鮮内では酌婦の雇用が全然足りないという。だから、現在 開城(ゲソン)売春業界だけでも事変前には500~600ウォン払えば雇用される可愛そうな女性も多かったが、いまでは1000ウォンをやっても女性を雇用することができず、紹介業者は頭痛に悩まされている。

食堂飲食店のようなところでは(※この場合、娼妓という意味ではなく本物の『酌婦』のことだと思われます)30ウォンだった月給を50、60ウォンまで上げてもなかなか有能な女性を雇用することが難しく、まさに雇用大乱である。

よって、これをいいことに後からどうなろうとお金を稼ぐのが先だと、悪徳商会業者たちが料理業者と結託したり密計をしかけたりして、親には養子や大金持ちの妾にすると騙し、純真な田舎の処女たちを営業者に売って不当な利得を得るものが多いという。これらの事実を探知した開城署では、特に紹介業者を徹底的に取り締まり、不良な輩を摘発して厳罰に処する方針である>>

 

まだ未読の方は、1940年の記事、「上海で朝鮮人がやる仕事はアヘン販売と慰安所しかない」もぜひお読みください。

 

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