ウリ的に(?)大したネタが無いな・・と思っていたところ、中央日報系列の週刊誌「中央サンデー」に「非倫理的倫理主義者」という言葉があったので、紹介します。倫理というのは「自分のやるべきことを気にする」であり、倫理主義者というのは「他人のやるべきことを気にする」であるが、倫理的でない(自分のやるべきことをやらない)人たちが倫理主義者(他人のやるべきことばかり気にする)から、結局は自己矛盾で崩壊するというのです。記者は主に現政府批判として書いたコラムでしょうけど、どことなく、『他人が悪いと熱心に叫んでいるから、私は悪くない』が蔓延する韓国社会全体に響きそうな指摘です。中央日報の大記者(特定分野の専門的知識を持つ記者)イ・フンボム氏のコラムです。
<<・・(※韓国土地住宅公社職員の不動産投棄問題のことは、実は前からずっとそうだったという趣旨で)相次ぐ人事検証に失敗し、高位公職候補が次々と資格未達だと明らかになり、それでも誰も責任を負う人がいなかった。大統領が任命を強行したときからのメッセージは明らかだった。 「ウリ(※『私たち』、一応原文ママです)は、やってもいい」。
大統領側近の不正疑惑に内部から警鐘が鳴っても、警鐘を鳴らした人に責任を負わせて追い出したときにも、メッセージは明確だった。「ウリの味方は問題ない」。
大統領と30年間も友人だった人が9回目の出馬で(※自治体長に)当選した選挙で、大統領府が介入した疑惑があったときにも、解明せず詭弁で一貫したときのメッセージも確実だった。「ウリは正しい」。
結局、批判の矢が新たに任命されたチョ・グク法務部長官に集中し、その家族による不正が想像もできないほど明らかになったとき、チョ・グクを擁護する人たちが群れをなして「聖・家族」を守ろうとし、むしろ批判する側を積弊であり改革に抵抗する勢力だと決めつけ追い込んだときも、メッセージは明快だった。 「ウリは無条件に正しい」。
それからチョ長官が辞任しその妻が拘束され、弟が拘束され、チョ長官さえ起訴されたにもかかわらず、大統領が国民の前に出て、「チョ前長官には心の借りがある」と言ったときも、メッセージはただ一つであった。「ウリこそ正義だ」・・
・・(※ユン・ミヒャン議員を擁護する与党のスタンスを紹介してから)彼らは、ユン議員を擁護するために韓日関係まで巻き込む。清算(口先だけの清算だが)するのが大好きなこの政権は、歴史的に、特に保守政権の下で親日派清算が完全に行われていないのが大変ご不満でおられる。したがって、日本と対立する人や団体は、簡単にウリ側になる。日・中・ロシアの間で、限りなく無能だった高宗さえも、日本に対抗した皇帝と美化されるありさまだ。慰安婦問題の解決を追求するという正義連(※旧・挺対協)のような団体は、言う必要もないだろう。その理事長を務めたユン議員が横領と詐欺の疑いで起訴されても、ウリで、味方だから、その間違いに簡単に目をつぶる・・
・・このように行動してきた大統領と政府が、公職者たちに道徳と正義を要求できるものか・・・土地住宅公社だけではなく。大小全ての公共機関が、それらを関しる役目の機関も、予め知った利権を貪るために全てを汚している。川の上流が汚れているから下流が汚れるのは仕方ないというか、ウリ側に立てばそれだけだから、彼らにとっては罪悪感すら邪魔になるだけだ。
大統領府も政府も、倫理的ではない倫理主義者だけで満たされているとしか言いようがない。フランスの哲学者アンドレコント スポンヴィルの区分を借りてみよう。「倫理的というのは、私がすべきことに関心を持つものであり、倫理主義者になるのは、他の人がやるべきことに関心を持つことをいう(『資本主義は倫理的か』)」。
このような結果がハッピーエンドになれるはずがないだろう。なれないし、なってもいけない。今すぐにでも直すことができれば最悪は免れるだろうけど、それができるか分からない・・>>
私がやるべきことをちゃんとせず、他人がやるべきことには敏感に反応すること。この件、文政府だけでなく、韓国だけでなく、世界中で起きている様々な問題に当てはまりそうな、そんな気もします。記者さんは、「帰って北 ウリ寅(トラ)マン」のつもりで書いたのかもしれませんが。
「非倫理的い倫理主義者」。面白い表現です。『資本主義に徳はあるか』という題で日本でも出版されているようで、興味が湧きました。『私がやればロマンス、他人がやれば不倫』と同じ趣旨になるのでしょうか。あ、でも意味的には「ブーメラン」だけでいいかも。
「他人のやるべきことに関心を持つ」ならそれでいいかもしれませんが、「他人のやるべきことを決めつける」まで行ってしまうから問題ではないでしょうか。そもそも、本当に社会の共通認識にあたいする一握りの案件以外に、「人のやるべきこと」を別の人が決めていいことなんかあるのでしょうか。もしあるなら、すでに法律で制限されているはずでしょう。非倫理が倫理のふりをしてもハッピーエンドにはならないでしょうけど、正義が大義のふりをしてもハッピーエンドにはなりません。私見はともかく、これが、毎日のように日本に対して『法律より正義(または道徳)が上』と主張している、韓国の現状であります。
ありがとうございます。新刊が発売中です!
♨ 拙著のご紹介♨・・以下、拙著のご紹介となります。本の題の部分はアマゾンリンク(アソシエイト)になります。リンクされたページで電子書籍版もお選びいただけます。
・新刊<恥韓の根源>、発売中(2021年2月28日)です。ありがとうございます!100年前の併合時代、1965年基本条約締結を前後しての時期など、古い記事を考察し、それらから今の韓国の反日思想の矛盾を浮き彫りにしてみました。アマゾンの目次・説明、ぜひ本ブログの紹介エントリー(導入部を事前公開しております)もお読みください。・<「反日」異常事態(2020年9月2日発売)>も発売中です。いわゆるK防疫として表出された、韓国の反日思想の本性である『卑日(日本を見下す)』とその虚しさについて主に考察しました。・<高文脈文化 日本の行間>は、私が日本で暮らしながら感じた、日本、特に『日本語』の不思議な魅力に関する本です。
・本ブログのコメント投稿、VPN・PROXYからはうまくいかない場合があります。リンクはhttpの「h」を消してください。サブブログに議論エントリー(1~3)と雑談エントリーを用意しました。サブブログは、コメントに返信可能な仕様です。長くなりそうな話にはサブを利用してください。・シンシアリーはツイッターを利用しています。99%更新告知ですが、たまに旅行先の写真とか載せますので、よかったら覗いてみてください。