旧ブログのときも2~3回取り上げましたが、朝鮮戦争の韓国軍慰安婦、久しぶりに関連記事が載ったので訳してみます。邪推ですが、多分日本語記事は載らないと思われますので。人の名前などの部分は簡略に訳した部分もありますので(漢字名などは調べていません)ご容赦ください。韓国日報です。<<~>>が引用部分となります。『6・25』とは、1950年6月25日の朝鮮戦争のことです。
<<6・25時も慰安婦が存在したという事実が、19年前に初めて世に明らかになった。キムグィオック(59)漢城大教授の2002年論文を通じて。しかし、6・25から71周年を迎えた今年も、韓国軍慰安婦は正しく照明されていない。日本軍慰安婦とは別の次元の抑圧と偏見に押されて、被害証言も全く出ていないのが実情である。キム教授は24日、韓国日報とのインタビューで、「韓国が未来を眺めるためには、必ず過去を確かめてなければならない」とし「国家レベルで韓国軍慰安婦被害者のための明確な調査と謝罪が行われなければならない」と強調した。
6・25で韓国軍慰安婦が動員された時点は、正確には明らかではない。キム教授は、「1951年秋頃、戦争が小康状態を迎え、戦線が現在の休戦線(※38度線)付近に固着された時、兵士の管理を名目に慰安婦が導入された可能性が高い」という立場だ。ただし慰安婦運営そのものは複数の史料から証明できるとキム教授は説明した。例えば、1952年12月30日東亜日報には「韓国軍のための慰安所は必要だ」という内容の読者投稿が載っており、翌年の停戦協定締結後の11月16日付の京郷新聞には「陸軍会館4つに韓国軍慰安所を増設する」という記事が掲載されている。
韓国軍慰安婦の存在は、軍の公式資料からも確認される。キム教授は、1956年に陸軍本部が編纂した「後方戦史(人事編)」で、戦争中、後方支援業務の名目で「特殊慰安隊」を設置したという記録を確認した。この本には慰安婦を「小隊」に編制して運営した記録の一部が残っており、それらを総合すると、ソウルの3つの小隊と江陵(※カンヌン)3個小隊だけで、128人の慰安婦がいたと推定できる。キム教授は、「最近、江原の高城・襄陽などにも慰安婦が動員された痕跡が追加で発見された」とし「公式運営だけでなく、各部隊が自主的に慰安所を運営した可能性も考慮する必要があるだろう」と述べた。
参戦した将校や捕虜が韓国軍慰安婦の実体を証言した記録も少なくない。キム教授は、1996年11月江原ソクチョでインタビューした越南民(※朝鮮戦争の際に北側から南の方に逃げて来た人たち)は、韓国軍に民間人捕虜としてつかまったとき、慰安婦を見たと回顧した。彼は「軍慰安婦女性たちがいた。北側のなまりで話し、軍人を慰問することをした」と述べた。ジェミョンシン、チャギュホン、キムフィオ将軍の回顧録にも、国軍のために慰安婦を割り当てたという内容を見つけることができる。
女性を戦争で性奴隷に動員した反人倫行為という点では、韓国軍慰安婦は日本軍慰安婦を連想させる。しかし、両者の間には決定的な違いがある。韓国軍慰安婦被害者の中には、被害事実を公に明らかにした人がまだ一人もいない。キム教授も、長い間、問い合わせ続けて2人の被害者に会ったが、彼らは存在を明らかにするのはおろか、具体的な被害事実表明も拒否したという。
キム教授は、「日本軍慰安婦被害者は当時国権を侵奪した日本を加害者として指名するが、韓国軍慰安婦の場合、加害者と被害者が同じ民族としてつながっており、被害を証明するのは難しい」と指摘した。キム教授は会った女性たちは、韓国軍慰安婦として連行され、「被害直前に軍人の助けで釈放された後、その軍人と結婚した」と述べた。実際、慰安婦に動員された女性の多くは、このような「強制結婚」によって被害事実が無かったことのようになってしまったという。
民間で性売買業の女性を募集して韓国軍慰安所を運営したという主張も、被害者たちが隠れるようにしてしまう。キム教授は、「そんな主張は事実ではない」と断言する。慰安婦が公開募集の形で運営されたという証拠は全くなく、むしろ被害女性たちが戦線の地域に「強制出張」に行ったという証言が出てくるなど、組織的統制状況がはっきりしている、という。キム教授は、「韓国軍慰安婦は当時、陸軍本部企画に基づいて制度化されて、国家体制の下にあったと見るのが妥当だ」と指摘した。
より根本的には、男性中心的性の認識が慰安婦問題の照明を妨げるとキム教授は指摘する。戦時状況だった当時、兵士の性欲が抑圧されていた状態であるため、民間人対象の性暴行を防ぐためにも、慰安所が必要であるとの世論が支配的だったという。前後にも被害者が名乗り出ることはできない環境であり、慰安婦の存在を証言した一部の男性たちも、被害者たちを残念に思う感情を明らかにしたものの、それを深刻な人権蹂躙とはみなさなかった。
金教授は、研究を進めている間、国家レベルで韓国軍慰安婦の歴史を隠そうとしていることを、何度も体感したという。 2002年の論文が発表された後、国防部は、当時、キム教授が所属する学校側に連絡し、研究自制を要求するなど、外圧を加えた。慰安婦の存在を証明する決定的史料である「後方戦史」が、軍事編纂研究所から消えたりもした。
政府は、これまで韓国軍慰安婦問題に言及すらしたことがない。 2005〜2010年活動した第1期の「真実和解のための過去史整理委員会」は、民間人虐殺を含めて6・25当時に行われた国家暴力事件を多数調査したが、肝心の韓国軍慰安婦には触れなかった。キム教授は「昨年、大統領府で韓国軍慰安婦の真相究明に関心を見せて連絡をしてきたことがあるが、それだけで、実際には何もなかった」と話した。
キム教授は、韓国軍慰安婦が厳然たる国家犯罪であり、国際的責任も明確だと強調した。キム教授は、「国連安全保障理事会が2000年に全会一致で採択した「女性・平和・安全保障に関する決議案」によると、国際戦でも内戦でも被害者に対して国が真相究明・謝罪・解決することを勧告している」とし「韓国もこの決議案に署名した国であり、さらにその主体として、韓国軍慰安婦の事態に責任を負わなければならない」と述べた>>
目新しい内容はありませんが、「民族主義的な観点により問題そのものが打ち消されている」、「募集は一切無かった」、「強制結婚(実際に結婚したわけではなく、そう証言させられただけだと思われますが)」の話など、数年前の記事には無かった部分もあります。
韓国は日本に対して、いつも「慰安婦問題は人類普遍の人権問題だ」としながら、だから条約や合意では解決できない問題だと主張します。しかし、他の理屈はともかく、まず「韓国自分自身」がそう思っていない。ただ日本を責めるための道具としか見ていない。この韓国軍慰安婦問題が、それを明らかにしています。
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