韓国では、記事だけでなく一般会話でも、アリャン(雅量)やドリャン(度量)という言葉が結構頻繁に使います。もともとは「器が大きい」などの意味ですが、ちょっと違うニュアンスになる場合が多いです。雅量を示すことで、相手より格上の人だと示すことができる、というのです。東京オリンピックに関する文大統領の態度に対し、キム・ヒョンソク延世大学名誉教授も寄稿文(東亜日報)で同じ表現を使いました。該当部分だけ2ヶ所、引用してみます。<<~>>が引用部分になります。
<<・・隣国日本であったオリンピックだってそうだ。私たちの大統領が、金泳三、金大中 元大統領だけの雅量と指導力さえ持っていたなら、雑多な政治・経済関係はおいといて、日本の首相にお祝いと協力の礼儀を先に示し、日本の政治家たちよりも高いレベルの度量を示してくれたはずだ。大統領府の水準がその程度だから、私たちの選手団宿舎には李舜臣将軍まで登場し、MBCは国際的な亡身(※恥)をかかされた。オリンピック精神にも違反するし、国際舞台での恥を国民に回す結果となった・・>>
協力はともかく、まず「祝賀の意」を示さなかった点については、異論の余地がありません。安倍総理が平昌冬季オリンピックに参席したこともあるから、その答礼の意味も含めて、「首脳会談はいいから、とりあえず参席したい」または「貿易対策への協力として参席はしないが、心から祝賀します」ぐらいは言うべきでした。しかし、それが「相手より高いレベル」を示すためのものでしょうか。違うでしょう。これだと、まるで「礼儀を示すことで相手より格上になれる」、「礼儀を示すべき相手(日本)こそ雅量が狭いと思い知らせてやれ」なニュアンスになってしまいます。
それから、寄稿文はこう続きます。 <<・・(※8月15日の)大統領の祝辞は、今まで通りの業績自賛であり、誰が責任を取るのかも分からない将来の夢の話ばかり繰り返した。一つ確かなことは、日本には扉を開けてあるという声明だった。「問題は日本にある」という印象だった。これまでの対日政策で、我々は何の名分も手に入れることが出来ず、日本の経済制裁は企業が負うはめになった・・>>
確かに、文大統領の演説は「悪いのは日本だが、それでも私たちは扉を開けてある」な感じでした。しかし、それを言うなら、教授の寄稿文だって『雅量が狭いのは日本だ』というニュアンスがあったと思いますが・・私の読み方がおかしいのでしょうか。
例の李舜臣応援幕をオリンピック精神違反だと言い切るのは素晴らしいことですし、MBC(など)の問題は確かに問題です。でも、大統領や大統領府の雅量が狭いことと直接な関係があるのでしょうか。あえてひねくれた書き方をするなら、「王に徳が無いから雨が降らない」と似たような考えにも見えます。大統領の雅量を語る前に、「礼儀」や「お祝い」を上下関係の観点から考える価値観そのものの問題ではないでしょうか。
全体的にはちゃんと問題(北朝鮮問題、言論仲裁法問題など)を指摘している寄稿文ですが、なんで日本に対してはこういう『礼儀を語る無礼』になってしまうのか・・『韓国は日本より偉い存在であるべきだ』とする呪縛の現れかもしれません。
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