最近、庚戌國恥(日韓併合)関連の記事が増えました。高宗や閔妃に関する記事も増え、日本がー日本がーうわあぁぁぁな記事がいろいろと増えました。こっそり「民族が力を合わせて~」と、親北な内容を組み込む人たちもいます。
大韓帝国の皇帝「高宗」について「どちらかといえば彼こそが主犯だろうが」とする主張もあります。また、彼の妻である閔妃も、どう見ても褒めてやれるところがないのに、美化がすぎるのではないか、とんな意見もあります。もちろん、相手が「日本」ですから・・こういう意見は極めて一部だけです。被害者は『無誤謬』なほど善良でないと、効果がないですから。
そんな流れの中、去年10月、ネットメディア「時事IN」の高宗関連記事を一つ紹介します。SBSの東京特派員にして報道制作局長出身でもある、キム・ヒョンミン氏のコラムです。実は、一部は前にも紹介したことがありますが、引用部分を増やしてもう一度エントリーします。<<~>>が引用部分になります。
<<・・朝鮮26代王の高宗は、12歳で王になった。高宗が王になった当時の朝鮮王朝は、中身は何もなく、外は西洋勢力から本格的に狙われている、まさに内憂外患だった。彼の治世に植民地に転落した原因は、いくつもを挙げることができるだろうけど、今日は、19世紀半ばから20世紀初頭まで、朝鮮の王と大韓帝国の皇帝であった君主、高宗がどんな人だったかを話をして見たいと思う・・
・・野史(※王宮の正式記録ではなく、民間側の記録)だから確実に本当なのかどうかは分からないが、こんな話がある。朝鮮末期、王宮で長く働いていたチョン・ファンドクという人が書いた「南柯錄」という備忘録の内容だ。この本によると、王になった直後の高宗は、もう自分が王であり、全国民の「生死を決める権利」が自分のものになったと分かった途端、、最初の御命(王の命令)を下した。その内容は、焼き栗を売る店の人を殺せというものだった。
「余(私)の家の前の路地にある焼き栗屋の店主を殺せ。あいつは、他の子にはただで焼き栗を施したのに、余にはただでくれたことが無いからだ」。臣下たちが「いくらなんでもそれはちょっと」と必死に説得したおかげで、その焼き栗屋は生き残ったという。逸話なりに、高宗に関する、大なり小なりの真実を含めているのだろう。私はこの逸話で、高宗が示すいくつかの『悪徳』を垣間見ることができると思う。
まず、王の立場が分かっていない。洞察不足。王として最初に思いつくことかな、これが。自分の不利益を極めて嫌う傾向。たとえ、焼き栗であっても。最後に、自分に逆らう者に見せる残酷さだ。あっさりと『殺せ』はないだろう。高宗は、自分の臣下を信じておらず、自分の民を尊重しなかった。彼が渇望していたのは、そのような彼の地位と権利を守るための、「より確実な力」、すなわち外勢だった・・
・・君主には残酷さも必要だと言うけど、高宗の残酷さは、君主としてのそれではなかった。外勢には卑屈で、焼き栗屋のような弱者と、自分の機嫌を損なう人には残酷だった。乙未事変(閔妃が殺害された件)で妻を失った後、衝撃と怒りはあっただろうに、日本に対して復讐とかは一切思わなかった。その代わりに、民が罰を受けた。燃やされた遺体を収拾しようと触れた人が、「不敬罪」で惨殺された。
事件の主犯とする三浦五郎日本公使(※この点、殺害に直接加担したという証拠は無い、との主張もあります)と日本の浪人たちには何もせず、加担した朝鮮人たち(農学者 禹長春博士の父などが加担していた)は絶対に許さなかった。甲申政変後、開化派の家族まで連座して虐殺したのはもちろんのこと、金玉均を暗殺した後、その遺体を持ってきてバラバラにして、全国を回りながら死体を見せしめにしたのが、高宗だった。甲申政変後の連座制虐殺を見守った日本の思想家福沢諭吉は、「このような国は、滅びるのがその国の人民の利益になる」と言った。金玉均の遺体が全国に回されるのを見た留学生朴重陽は、このような愚かな朝鮮なんか滅んだほうがいいという 新年 信念で、「親日派」に転落した・・>>
ちなみに、なんで不敬の罪になったかというと、王妃(の遺体)に「触れた」からです。
大韓帝国のとき、高宗の顧問だったホラス・アレン(Horace Allen)は、「韓国人たちは約束はよくするけど、その約束を守るには脆弱である」、「高宗はびっくりするほど軟弱な人で、日本が彼を脅すのは容易」、「高宗のことで負担を感じず、冷静で事務的な態度で臨まなければならない」、「高宗は贈り物をもらいたがるし、賄賂が大好きで、物量攻勢を仕掛ければ何でもOK」、「(高宗の側近たちは)自分の利益のためだけに行動し、国家の利益や合意については全く気にしない」と記録を残しています。ただ、韓国では売国奴とされるイ・ワンヨン(李完用)外務大臣については、「最も優れた大臣で、特別な判断力と勇気を持っている。皇帝の言うことを聞かなかったため、皇帝に嫌われてしまった」と高く評価しています(2019年5月20日聯合ニュース)。
この記録の発掘及び訳が発表されたのが、もう2019年5月のことですけど・・やはり『資料ごとき』では、何も変わらないようです。
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