朝鮮戦争のとき、韓国軍による民間人虐殺の確実な証拠・・無数の遺骨が次々と見つかる。その数は4千人以上か

民間人大量虐殺に関する話は多いけど、信頼できる記録や証拠はなかなか目にすることができません。時代にもよりますが、無数の犠牲者が出たなら遺骨があるだろうし、場所によっては写真とかありそうなものですが、そんなものがありません。

特に遺骨の場合、戦時でなくても、率直に言って、隠すには「埋める」しかありません。骨を完全に燃やすにはすごいエネルギーが必要だからです。虐殺の前、または後に犠牲者やその遺体を分散させるとしても、犠牲者の数が多いほど、相応の人や車が動くことになるので、何かの記録が残りやすくなります。よって、遺骨の発見は、いつも「大勢の犠牲者」を語るもっとも確実な証拠とされてきました。

韓国関連の事案だと、ベトナムでの韓国軍による民間人虐殺は、韓国軍と同じ側だった米軍側が村の被害者たちを保護したり、虐殺現場の記録(遺体の数による具体的な犠牲者の数など)を残しています(※積極的に止めたとも言えません)。でも、光州民主化運動(『518』)に関しては、被害者たちは「3世帯に1世帯は家族を殺された」としていますが、実際に発見された遺体はその10分の1にもなりません。「全斗煥が隠した」として今も色んなところを掘っていますが、なかなか遺骨が発見されたとする報告はありません。

 

そんな中、珍しく、「ちゃんと遺骨が発掘中」の場所があります。名前からして、骨霊谷(ゴリョンゴル)。朝鮮戦争のとき、韓国軍による民間人虐殺の中でも「最大級」とされる民間人虐殺の場所です。ちなみに、あの「保導連盟事件」日本のWIKIページの写真説明に「1950年韓国大田近郊」となっていますが、それもこの地域です。保導連盟事件とは、簡単に言うと、李承晩政府が『正しく導く』という名目で『思想が怪しい人』リストを作り、いざ戦争になるとその人たちを無差別に殺害した事件です。実際は、各地の公共機関や警察などが、リストのノルマを達成するため、「ここに名前を載せると後で土地がもらえるよ」とまともに字が読めない人々を騙してリストを作った、という話もあります。

朝鮮戦争のとき、韓国軍は、そのリストの人たちなど民間人を「大田(デジョン)刑務所」近くに集め、無差別に銃殺しました。その数は、4千とも、7千とも。そのときから、この谷は骨霊谷と呼ばれるようになりました。前から、写真が残っていて、記録からも分かる内容で、間違いないとは言われていました。しかし、2020年9月から遺骨の発掘が始まり、実際に無数の遺骨が見つかりました(※まだ遺骨の発掘が終わってないので、4千~7千はまだ確定した数字ではありません)。

写真とかがあるのに2020年9月まで放置していたというのもよくわからない話ではありますが、今日は、それに関する記事を紹介します。引用ソースは「オーマイニュース(ソース記事1)」で、写真はこちら(オーマイニュースの別記事ソース記事2)にもあります。ブログ本文には写真は載せません。ソース記事を御覧ください。 無数の遺骨の写真です。ソース記事で写真をご覧の際には、ご注意ください<<>>が引用部分となります。

 

<<・・最近、大田ゴリョンゴル現場には、遺骸が溢れている。10日に訪れた発掘現場は、民間人虐殺の専門家である記者さえも、目を開けることができなかった。幅は2メートルに過ぎない穴(※ピット、溝)の中に、数十メートルも人の骨が無数に転がっている。数十人の作業員が遺骨を収拾している。まるで「遺骨の畑」である。このピットは、6月と7月に発掘したもう一つのピットと連結されていて、合計の長さが100mを超える。さらに、1つでもなく、複数のピットが上下に接続されている。

遺骨の中には、10代、女性も多い。狭いピットの中にうずくまって座ったまま後頭部に銃撃を受け、足の骨と頭の骨がくっついた遺骨も数十柱にはなる。一部の遺体は、ガソリンなどで燃やしたという証言と同じく、薪の束の中から発掘された。

ゴリョンゴルは、韓国戦争勃発直後の1950年6月28日から7月17日まで3回にわたって、国民保導連盟員と大田刑務所の政治犯を対象に、少なくとも4000人、最大7000人の大量虐殺が行われた。当時加害者は、忠南地域CIC(防諜隊)、第2師団憲兵隊、大田地域の警察などであり、彼らによって、法的手続きなしに集団殺害された。1950年6月末から9月末までの4ヶ月間ゴリョンゴルで最小4000人-7000人、大田刑務所で1557人(これは北朝鮮軍による報復虐殺である)など、最大8500人が命を失った。

民間人虐殺は、ここで止まらなかった。北朝鮮軍が撤退すると、李承晩政府は再び北朝鮮軍に同調していた賦役者(北朝鮮軍に情報を提供、案内、自主的幇助した人たちなど)を見つけて、大田刑務所などに監禁した。大田と忠南一帯だけで、9月28日から11月13日まで忠清南道の警察に捕まった賦役者の数は1万1992人に達した。この中で、最小で数千人が処刑されたり、劣悪な収容施設で飢えで、凍えて、病気で死んでいった・・>>

 

写真を見ると、「穴(溝)を掘り、その穴の前で銃殺した」「穴の中に火を燃やして、その上に倒れるようにして殺した」などが推測できます(ソース記事にこんな内容が書いてあるわけではありませんが)。妙ですね。この二つのパターン、日帝に強制徴用(旧朝鮮半島出身労働者問題)された、慰安婦にされたとする人たちが、『日本軍が~~なやり方で殺した」と証言した内容と一致します。うろ覚えで恐縮ですが、慰安婦の映画かドキュメンタリーかにも同じシーンがあると聞きました。

60年前にどんな理由があったにせよ、犠牲者たちの冥福をお祈りします。

 

 

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