元朝鮮日報記者「『韓国とは友になれない』という日本人が増えつつあります」

もと朝鮮日報記者イ・ヒョクチェ氏の寄稿文を紹介します。『ついに、日本も韓国が嫌いですって』という分かりやすい題の寄稿文です。以下、いくつかの段落から抜粋したもので分かりづらい引用になりましたが(※失礼ながら、原文の展開もちょっと分かりづらい)、『首相や外相が変わっても、必要によって国際環境に適応するためにある国の外交が変わるわけではない。外交は国際環境によって決まるものであり、韓国が基本的な外交から目をそらしている間、日本の国民の韓国観は、すでに変わっている』という内容になります。寄稿文メインのネットメディア「スカイデイリー」からの引用です。<<>>が引用部分となります。

 

<<・・外交というのは、メニューから好きに選んで注文できるものではない。人との付き合いというのがいつもそうだが、ましてや他の国を付き合うわけだから、私たちの勝手に注文できるはずがなかろう。だから、他の国が何かの主張をしたなら、なぜそんなことを言うのか、よく考えて、一度は慎重に調べてみるのがいい。もし相手が慎重な性格の友人なら、私にも慎重さを期待し、もし私が慎重に行動しなければ、そんな私に不信を向けるだろう。

国際法と国際慣例を見るのが、その基本だ。そして、そのように慎重に処身すること、決して屈辱などではない。自国民のための正しい行いである。外交を、国内世論や雰囲気、自分に合わせるだけで行ってしまうと、国家のコンパスは壊れてしまう。

日本で新しい政権が発足した時、韓国のメディアは、外相になった林芳正について「良い人だ」という分析を出した。「消極的だった茂木外相とは違い、韓国に深い関心を示す人だ」、「共存公営の韓日両国というセミナーに参加したことがある」、「彼が所属する自民党の派閥はアジア外交を最も重視する」、「次世代の親韓派議員として韓国に関心が多い」、「朝鮮通信社交流の会の幹事出身だ」、などなど。別に、林外相に私たちが期待を寄せることが悪いと言っているわけではない。しかし、誰が首相になっても、誰が外相になっても、日本の外交はそう簡単には変わらない。いや、変わらないと言うか、人が変わったからって、外交がそう簡単に変わってしまってはいけないのだ・・

 

・・(※外交というのは国際環境に合わせて出来たものであり、人が変わるだけで変わるものではない。外交が成立するためには国同士で手を組む必要があるのに、韓国は日本の主張について何の議論もせず、『人が変われば』だけ気にしていた、という趣旨の内容の後に)、これまで韓日関係を心配する人たちは、いつもこう言っていた。「いくら政治がダメでも、両国の国民は仲良く手を握って粘り強く過ごしていこう」、と。「草の根外交」をしようという話だ。

ところが、もう状況が違う。いくら韓国で日本食に客が集まり、ソウルの居酒屋に韓国人が集まり、日本で韓国映画を上映したり韓国グループの公園を中継したり韓国俳優の特集番組をやるとしても、前とは状況が違う。お互いの文化を楽しく消費しているだけで、距離が縮んだりはしない。民間交流が、意味を失い始めたのだ。韓国だけでなく、平均的な日本人の心からも、韓国は遠くなっている。 Kポップ、韓国ドラマを楽しむ日本人がまだまだ多いが、文化に対する好感度が日韓関係の改善につながっていない。これは、決して今だけの一時的な現象ではない。

一方、政治的な関係の悪化は、文化関係の悪化にすぐ影響する。端的な例が、日本から韓国に修学旅行に来る学校が、2012年までは全体の20%だったのに、コロナ19事態直前の2020年初めには、1.2%まで落ちた。一般的な日本人が、「韓国は友だちになれない国」と言うこと。それがどうしたと言うかもしれないが、そんな一般日本人が増えていることは紛れのない事実だ。コロナ事態のせいでお互いに行き来できなくなっただけが、その理由ではない>>

 

9月、まったく同じ主張を紹介したことがあります。「韓中日3カ国協力事務局」前事務総長で、韓国通と言われる元外交官、道上尚史さんの話でした。「今の日本の一般的な人たちの感情は、韓国に対する失望と、『韓国とのソーシャルディスタンス(거리 두기)』状態であり、一時的な現象ではなく、構造の変化である。これは韓国への偏見、優越感から生じたものではなく、韓国を尊重していた人ほど、今の韓国に対する失望が深い」、と(過去エントリー)。

「韓国人による恥韓論」の頃から書いてきたことですが、ある主義主張においては、強く深い意見ももちろん必要でしょうけど、それだけだと世論を動かすことはできません。多少浅くても、『広がっていく』必要があるのです。まだまだ韓国という国の日本観については「それぜったいおかしいだろう」と声を上げる必要がありましょう。とはいえ、『広がる』風潮があること。言い換えれば、ある種のスタンダードになりつつあること。複雑な立場の人間ではありますが、個人的にも感慨深いことです。『嫌』ではなく、『知(ち)』がもっと広がりますように。『恥』には、『知』韓論の意味もありましたので。

 

 

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