高麗大学名誉教授が話す、「無視するか、無視されるかの二択しかない」社会

社会の情緒は言語にそのまま現れ、いずれ韓国語には極端な「尊待(相手を上げる)」か「下待(相手を下げる)」か、二択の表現しか残らなくなるだろう。拙著でそう論じたことがあります。

本エントリーのソース記事は、言語に対するものではありませんが、同じく韓国社会の『現れ』の一つとして、「無視するか、無視されるかの二択しかない」という点をあげています。相変わらず日本関連ではおかしくなりますが(笑)、それ以外は、どことなく『言語』の二分化と似ている気もして、エントリーしてみました。以下、世界日報1月29日、高麗大学校カン・スドル名誉教授の見解です。<<>>が引用部分となります。

 

<<・・韓国が経験した特殊な現代史は、「力が無く、権力に抵抗する存在は弾圧される」というメッセージを社会構成員に刻んだ。その結果は、体制を疑うよりも早く適応して、『強者』になって、「君臨される前に、君臨する」人になろうという盲目的欲望となった。これは、私たちの社会にどんな影響を及ぼしているのだろうか(※以下、教授との問答)・・

(※「既得権益勢力になりたいという欲望が強い」という質問に対する教授の見解)「いわゆる『強者同一視』心理が、そのように生まれた。ルール自体をまったく疑わないまま、既得権益勢力になって、私も強者グループに属してこそ偉そうに生きることができる、そうしか思わなくなった状態である。既得権になるための競争社会となり、勉強するにも、学びのためではなく、「既得権に進入できるかどうか」を基準とする。そうやって既得権に編入できたら、自分が享受できるものをすべて「享受できてあたりまえだ」とおもってしまう」。

(※「人々は、無視するか、無視されるか、その二択しか存在しないと思っているようです」という質問に対して)「そのとおりです。多くの人文社会科学術書が共通して話している内容である。規則を作る側とその規則の適用を受ける側、支配する側と支配される側、管理する側と管理される側。そんな考え方が影響しているわけだ」。

「(※「私たちの国では、その強者同一視、既得権羨望が特にひどいような気もするが、それはなぜでしょうか」という質問に)「広く見れば、『集団的劣等感』だと思う。大韓民国を一日でも早く世界最高にするとか、先進国になるとか、そういうことばかり考えているのも、全て劣等感だ。幼い子どもたちも、喧嘩するときに、「お前のお父さんは警察だろう、ボクのお父さんは検事だ」、 「オマエの家よりうちの家が二倍は広い」と言いながら、優越感と劣等感を丸出しにする」

(※「その劣等感はどこから来たのか」という質問に)「劣等感の源泉は、約100年前から私たちが歴史的に束縛されてきたがらだ。日帝以後の歴史で特にそうだった。強者側に付いておもねた人たちは、いいものをもらうことができた。独立運動など抵抗した人たちは、弾圧され、貧しい生活を送った。そんな姿を見ながら、はやく私も強者にならないといけない、そう思うようになったのだ」・・>>

 

最後の段落、日本関連の部分だけは突っ込まずにはいられませんが、まぁそれは後にして。この強者同一視、すなわち既得権益勢力といっても人それぞれ違うはずなのに、世の中を上と下の二分で考えてしまい、『上は下に何をしてもいい(なにをしてもそれは正当なものだ)』という展開になってしまう。その指摘は、おおむね合ってると思います。教授は、これが、「既得権益勢力を非難しながらも、その勢力の一員になることに憧れる」心理とも関係していると説明しています。

また、これは自分で努力して出世した人ならともかく、『偉い人の子だから偉い』という流れになり、ただ偉い人の子で産まれただけで好き放題やらかす、そんな人たちも多いと、教授は指摘しています。本ブログでは前から、「スプーン階級論」などは、実は『自分自身』や『社会』への問題提起ではなく、『なんでボクは豊かな親のもとで産まれなかったのか』を嘆くものだと指摘してきました。結局、結論は、『大金持ちの子が一番いい』なんです、そういう階級論は。

他にも、「全員が既得権益勢力にはなれないし、なれたところでいいこともない」という主張もあり、全員が両班(貴族)になろうとした朝鮮末期のこととどこか重なる部分があって、いろいろおもしろく読めました。必要以上に左派思想を強調している部分と、日本関連以外は。その日本と併合する前までは、『努力して既得権益勢力になる』それ自体も不可能だったでしょうに。こうしてなんでもかんでも日本のせいにすることこそ、劣等感でありましょう。

 

 

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