美しい謝罪

シン・シンシアリーのブログ、初めての更シン(新)です。THORというテーマです。指二本で拡大できるし、フォントも大きくしましたし、余計なもの全部消したりしました。まだ出来ていないのは、コメント欄のページ化が、コメント欄の下段部にはあるのに上段部には無くて、それをなんとかしたいと思っています(※追記:何とかできました)。もう少しお待ち下さい。近いうちにもっと速いサーバー(同じレンタルサーバー社内で、ですが)への移転も考えております。内容は日々曇っていくばかりですが、少なくとも自分で良く出来る部分だけでも、良いブログを目指して頑張りたいと思います。改めて、よろしくおねがいします!

 

で、本題ですが、「なぜ日本人選手は銀メダルを取ったのに謝罪するのか」という記事があったので、紹介したいと思います。韓国では結構前から、『金メダル以外は意味が無い』という風潮が強くて、銀メダルを取ったのに悲しくて泣く選手たちが問題になりました。でも、それは「後少しだったのに」「『感謝』を表現しきれなかった(金メダルならもっと恩返しができた)ことへの涙」ではなく、ただ悲しみと絶望の涙でした。また、『謝罪』をする選手はそういなかったと記憶しています。不幸中の幸い、最近は、韓国でも若い人たちを中心に「金メダル取れなかったって責めるな」という風潮もあって、昔ほどではないと聞きます。日本人選手の場合は、銀メダルでも十分いろんな人たちが祝ってくれる、拍手を送ってくれるのに、なんで泣き、しかも『謝罪』をするのか。外国メディアの人たちも、不思議だったようです。以下、ソウル新聞から引用してみます。<<~>>が引用部分となります。

 

<<・・昨年、東京オリンピック・パラリンピックの際に優れた成績を収めても、痛恨の謝罪をする日本選手たちを、外国人記者たちの視線を集めた。米国ニューヨークタイムズ記事「なぜ日本人は銀メダルを取ったのに謝罪をするのか一つ」は昨年、東京オリンピックレスリング男子グレコロマン型決勝戦で敗れ、銀メダルを獲得した文田健一郎選手が「大会を運営してくださったボランティア、関係者に勝利として報いることができなかった。情けない結果で終わってしまって本当に申し訳ない」と泣き、謝罪した事例を紹介した。

「試合を終えた選手が『申し訳ありません』と頭を下げるのは、多くの日本人には見慣れた光景なので、これといって違和感が無いかもしれない。しかし、海外メディアの記者たちの目には、奇妙に映る。記事は「世界2位になったことに対して謝罪をするとは、成功の基準が驚くほど厳しいということを示している」とし「同時に、選手たちの立場からすると、これを通じて悔しさ、感謝、責任、謙遜など複雑に混じった感情を表現すると分析した。

世界レベルの選手である高梨の場合、去る7日、混成団体戦で規定よりもゆるいユニホームを着たという理由で失格になった。しかし、高梨の該当ユニホームが個人戦で問題にならなかったため、判定に対する論議が巻き起こった。自分なりに悔しい状況だったはずだが、高梨は翌日、自身のインスタグラムで「失格で日本の仲間たちから、メダルを取る機会を奪ってしまったこと、そして応援してくださった皆さんを大きく失望させたことについて謝罪します。本当に申し訳ありません」と書いた。ニューヨークタイムズ記者はこのような謝罪文化を、「謝罪したい衝動」と表現した。立教大学キャサリン・ユミコ・ライトナー教授(スポーツマネジメント)は、「そのような衝動は日本の一部で現れる厳格な選手指導スタイルに由来することもある」と伝えた・・>>

 

厳格に指導しただけで、そんな『感謝としての意味を持つ謝罪』をするはずがないでしょう。国ごとに『謝罪』というニュアンスが違うのは、ま、仕方ないとして。個人的な考えですが、日本は「謝罪をする文化」ではなく、「謝罪をしてもいい文化」であるから、謝罪が礼儀のようになったのではないか、そう思っています。謝罪にもいろいろありますし、ソース記事に書いてあるような『美しい(これを美しいと思える自分に安心できます)』謝罪もありますが、全ての謝罪がそうではありません。でも、日本には、謝罪した人をさらに責めようとすると、「もう謝罪したじゃないか」「本人もああ言ってるし」などと、決して肯定ではないにせよ、『認める(相手が自ら謝罪したことだけは認めざるを得ない)』と思う、『超えてはならない線』が存在します。

韓国人も日常での「軽いこと」なら、謝罪の言葉をよく耳にします。それは、ま、日本に比べると微々たる数ですが、ミアンハムニダ(すみません)、ジェソンハムニダ(申し訳ありません)、などなど。でも、何度も書いてきたことですが、あまり軽くない事案なら、いわば、利害関係とか利用価値とか、そんな重い言葉が関わる事案なら、謝罪した人は、『下』になってしまいます。「オマエが悪い、悪くないなら何で謝罪したのか」。これは、他でもない、反日たる思想でもっとも明らかに現れています。話が急に飛びますが、そういうものです。道徳的優位とかいうのは。自分が何かの根拠で優位になるわけではありません。相手が謝罪したことを論拠に、相手を下にすることです。線を超えます。

そう、日本は韓国に対して、前は謝罪したのに、なんで謝罪しなくなったのかと、韓国では悔しがる人たちが大勢います。だからか、安倍総理の前にあった日韓共同声明などに時点を巻き戻そうとする動きもあります。でも、日本は、日韓関係が「『謝罪していい』関係ではない」と分かったからです。謝罪した人より、謝罪した人をさらに責めようとする人を問題視する、日本としては自然な反応です。というか、長らく我慢しすぎたでしょう、日本も。

 

 

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