勢いで書いた内容です。雑記としてお読み頂けたら、と思います。
本ブログはもともと『心の曇った』内容ばかりを書いており、韓国側の記事の引用も99%は「それは違う」を説明するために引用しています。そのせいもあって、韓国側の記事から正論を見つけると、「あ、珍しい」と思いつつも、同時に「あ、虚しい」と思ってしまいます。なんで人様の書いた正論(と思えるもの)に対し、虚しいなどという失礼なことを感じ取るようになったのか。
正論といっても、全般的な趣旨ならともかく、些細な部分では異論が無いというわけではありません。これは別に日本でも韓国でも、どこでも同じでしょう。人はそれぞれ異なるし、正論を書くとしても、ディテールにおいて差があるのは仕方ないことであり、また、当然のことでもあります。だから虚しいと思うことだってあるかもしれません。でも、私が書きたい『虚しさ』は、単なるディテールの問題ではありません。韓国側が書いた主義主張は、例え正論といっても、『日本』には適用されません。それが虚しさの理由です。
尹美香(ユンミヒャン)氏が慰安婦関連の資金を私的に使ってヒャッハーしたことがバレたとき、一部ではありますが、日本では「これが、韓国が慰安婦問題に疑問を持つきっかけになるのではないか」という期待が見られました。当時、韓国側でも、「これはいけない!尹議員を除名しろ!(きりっ)」な意見がかなり出ていたし、大勢の国民がそれを望むという調査結果もありました。それらは全て、正論でした。「寄付金を私的に流用するのはいけないだろうが!」。正論です。はい。でも、なぜでしょう。それから何かが変わったのでしょうか。
これらの正論は、なぜか『日本関連』には適用されません。日本関連のいくつかの重要(?)案件、例えば慰安婦、福島第一原発に関すること、旧朝鮮半島出身労働者、それらの案件に比べると、正論など、下位の存在になってしまいました。一例として、前にもちょっとだけ引用したことがありますが、2月17日の中央日報がそんな感じでした。「自分が相手に加えた問題についてはすぐ忘れたり、無視したりするけど、相手から受けた被害だけは絶対に忘れない」、そんなタブルスタンダードによる争いが絶えないという記事です。
簡単にまとめると・・「正義」「公正」などそれっぽい価値は、「自分の陣営」だけの物で、相手陣営には絶対に無い。『私たちの集団は、他の集団から苦しめられた』という『集団』単位でのメモリーを作り出し、それで自陣営の内部結束を固める。だから、彼らにとって、『自陣営が受けた被害』は、高貴で聖なる犠牲となり、それについての異論を絶対に許さない。そのためにも、自分たちが相手に加えた問題に関しては誰も何も言わない・・、と。そんな内容です。本ブログでよく用いる表現だと、自陣営の聖なる存在の『無謬さ』を必要以上に守ろうとしていく、とも言えるでしょう。ちなみに、無謬さの追求は、やがて全体主義や独裁者を作り出すとも言われています。無謬なものなどありえないから、無謬ではない部分を誰も認めない、認めることができないような雰囲気や制度を作ろうとするからです。
この記事を初めて読んだとき、適当に読み進めて該当部分で目が止まったときには、「おお、この韓国分析、すごい」と思いました。私が見た韓国社会の姿、そのものだったからです。ですが、もうちょっと詳しく読んでみたら、これ、「韓国だけでなく世界中がそうだ」というもので、ついには「どれぐらいひどいかというと、日本すらも戦争の被害者だったとアピールする」という内容まで出てきます。韓国人なら日本を批判しなければならないという妙なグクポン(無条件的な愛国)・コンプレックスでも発動したのか、それとも、身を守るための措置だったのかは、分かりませんが。
本ブログで結構集中的にお伝えしましたが、韓国のキムウォンウン会長が、数々の問題で辞任しました。そこでもまた、同じ問題が起きています。もう一つ、これは毎日経済の記事ですが、ここからはちょっと引用してみます。以下、<<~>>が引用部分となります。 <<自分たちに有利であればいくらでも自画自賛、不利な場合は口を閉じて沈黙するのが権力の属性ではあるが、現政権は度が過ぎている。キム・ウォンウン光復会会長が、不名誉な形で退陣した。現政権は、日本を批判し人気を得ようとしたときには、彼を積極的に支持していたにもかかわらず、今は沈黙している。曺国(※元法務部長官)、朴元淳(※前ソウル市長)、尹美香のときと同じだ。
キム会長は昨年8月15日、光復節記念辞で保守派大統領たちを親日派とし、政府の『正統性』を否定する演説をした。当時の行事に出席していた文在寅大統領は、拍手した。李在明(イ・ジェミョン)共に民主党大統領候補も昨年11月、光復会を訪れ、キム会長と面談し、キム会長が進めている、親日を罰するという内容の法案推進などに同意、彼を励ました。さらに、李候補は面談後、記者たちと会って「キム会長を尊敬している。彼は、私の、心の『光復アニキ』である」と言った。だが、いまのところ、李候補はキム会長の辞任についてこれといった立場を表明していない・・>>
記事は「尹美香のときと同じだ」としていますが、私からすると、別の意味で尹美香氏のときと同じです。キム会長が主張してきた、いわゆる反日案件について、誰一人問題視する人がいない点です。毎日経済の記事のコメントを読んでみると、同じ記事でも、リンク先となるNAVER(比較的に左派支持が弱い)では、1200個を超えるコメントが集まっています。でも、DAUM(左派支持が強い)では、コメントが5つだけです。この数字でもうお分かりでしょうけど、全てが政権への批判コメントです。キム会長の主張してきた「内容」への疑問など、目につきません。
前にも同じ趣旨を書いたことがありますが、あくまで一般論としての『日韓関係改善』というものが成立するためにもっとも必要なのは、韓国内部で、日本に関連した事案、いままで韓国が『無謬な存在』と信じてきたものに対し、疑問を持つことです。そのために必要なのは、まず、公論化です。無謬ではないかもしれない、せめてその可能性だけでも認めることです。すぐには変わらないでしょう。変えられないでしょう。でも、公論化しておくことで、可能性を開けておかないと、『未来』はありません。未来志向というけど、無い未来を志向してどうしますか。『正論が反日主義の下位互換でしかない』現状。それは虚しいかぎりです。
最後に、日本関連から離れて記事を読んでみても、これ、『政権』の問題ではないでしょう。前の政権は、こうではなかったのでしょうか。そうでなかったなら、なんで記事を書いた方は「自画自賛、不利な場合は口を閉じるのが権力の属性」だと思っているのでしょうか。いままでずっとそうだったから、現実と理想のギャップに戸惑っているから、だからついこんな文章が出てきたのではないでしょうか。読めば読むほど書けば書くほど、後頭部(?)が痛くなるばかりです。次の更新は19時~20時あたりを考えております。また、シンシアリーからの大事なお知らせ と、 コメント注意事項(2月17日アップデート)をぜひお読みください!まだまだ現在進行中のトラブルもありますが、ブログの技術的問題は安定してきました。ありがとうございます。
新刊<卑日(扶桑社新書)>が2022年3月2日発売です。韓国に蔓延する、新しい、そして歪んだ対日観、『卑日』について考察した内容です。最近、韓国で流行っている『地位』『国格』などの言葉と、その裏の意味。K防疫や終戦宣言なども含め、なぜ今韓国に『卑』が必要なのかを考察、率直に書きました。ぜひ、ご一読を!
・准新刊<文在寅政権最後の暴走>が発売中です。文政権においての日韓関係とは。文政権の考える『まともな国』とは。まともな南北、対日、対米、対中関係とは。それらはどういうもので、どう失敗したのか。そんな内容の本です。
・既刊として、自分なりの『日本語』本<日本語の行間~韓国人による日韓比較論 (扶桑社新書) >、日本滞在4年目の日常と、ラムザイヤー教授の論文騒ぎから見えてきた日韓の差を考察した<「自由な国」日本から見えた「不自由な国」韓国 韓国人による日韓比較論>、併合時代や1965年(基本条約締結)の古い記事を考察した<恥韓の根源>も発売中です。他の拙著については別ページにまとめました。
・サブブログに議論エントリー(1~3)と雑談エントリーを用意しました。長くなりそうな話にはサブを利用してください。・シンシアリーはツイッターを利用しています。99%更新告知ですが、たまに旅行先の写真とか載せますので、よかったら覗いてみてください。・本ブログのプライバシーポリシーはこちらになります。