「民族」の韓国固有語は?

アジア圏の国では、「民族」を意味する固有語を見つけるのは難しいと聞いたことがあります。日本で民族という言葉が作られるまでは、民族という概念そのものが弱い、または単語として表現する必要が無かったからでしょう。これは、別に良い・悪いで語る必要は無いと思います。でも、『民族』が日本語だと知っている韓国の知識人(?)たちは、そんなことも言っていられません。どうしても固有語、またはそれに準ずる何かを見つけ出そうとしています。

韓国の自民族中心主義は、1900年代になって、併合時代、併合に反対する人たちによって広げられました。実は数千年前からすごい帝国を築いていて、ずっと単一民族だった、そんな内容が、併合反対及び独立派によって、急に増えてしまいます。皮肉なことに、日本によってもたらされたインフラ(本や新聞など)の拡充を背景に。余談ですが、戦後、金九(キム・グ)氏を中心とした韓国左派が、どうしても民族単位での選挙(朝鮮半島全域での総選挙)にこだわったのも、そういう認識が影響を及ぼしています。結果的には、国連の監視下で選挙できる南半分だけで総選挙を行ったため、いまでも韓国の左派思想家たちは『民族国家の誕生』にこだわっています。保守右派も「韓民族」という言葉を聖域化しているのは同じですが。

 

このように、韓国で「民族」とは、日本とは相性が悪い概念になります。なのに、なんで日本語をそのまま使っているのか。そんなに歴史が長くて、古くから民族という概念があったなら、民族を意味する固有語があってもおかしくないはずなのに、なんでそんな言葉は無いのか。結論から言いますと、韓国もまた、1900年代になるまで民族という概念がこれといって無かった、単語にする必要もなかったからです。時代の必要に応じて日本で開発された民族という言葉が、朝鮮半島でも使われるようになった。ただこれだけのことです。

しかし、韓国の『ボクが考えた最高の歴史』においては、どうしてもずっと前から民族という概念があった・と・い・う・こ・と・にしないといけません。そこで、いくつかの言葉が、用いられるようになりました。もっとも一般的なのが、『ギョレ(겨례)』です。ハンギョレ新聞のギョレです。しかし、これは、本当は民族という意味ではありません。これはもともと、ガルレ(갈래)という言葉の変形で、「一つがいくつかに分かれる」意味です。例えば、道が分かれ道になってくると、それを「ドゥ(2)ガルレ(分かれ)ギル(道)」と言います。この分かれるという意味から、古い文献、極めて一部ではありますが、『親戚』『家族』などの意味で使われることがありました。でも、それはあくまで家系図のような概念であり、民族とは違います。これもまた説にすぎませんが、家族を意味する場合のギョレはガルレからの変形ではなく、キョテ(『側に』という意味)が変形した別の言葉ではないのか、そんな話もあるにもあります。

だから、今度は、「『ギョレ』には、もっとすごい意味が隠されているんだぞ!知らないだけだぞ!」という流れになって、ギョレの語源探しが始まりました。いつものこと、無いから作ろうとする人が増え、様々なバリエーションが出来上がりました。一例として、「ギョレの語源は、ギョルだ」説があります。ギョルは、文様、または生地の柄などを意味する言葉です。水が流れるときも、水面には小さな波などで『文様』のようなものが出来上がります。小さな波ができたり、太陽や月の光が反射しキラキラしたりもします。そういうのも『ギョル』と言います。だから、『太陽の光が海に反射して輝く』姿こそが韓国の民族の語源だ、というのです。全世界において父たる太陽と、何だっけ、母なる海だったかな?月も出ていたような気がしますが、とにかくその結果で生まれたようなもの、という趣旨です。文献などの話はもちろんありません。他にも、「世界中の文明が韓民族の文明から『分かれて行った』ものだから、別にガルレで合っている』というのもあり、読んでいて虚しくなります。

 

じゃ、何か。これだけ大統領からネチズンまで『民族』を強調する国で、民族を意味する固有語が無いはずないですよね(無いけど)。でも、どうやら本当に無いみたいです(だから無いってば)。ここまで書いたのは、私が個人的に身に着けた知識によるもので、拙著にも似たような内容を書いた記憶があります。ですが、偶然、数日前に。忠北大学校国語国文学科チョ・ハンボム教授の書いた寄稿文を見つけました。なんと、そこにも、「民族という概念を表す言葉は、1910年まで無かった」と書いてありましたので、ソース代わりにちょっと引用してみます。2018年12月7日、文化日報です。教授は別に「トンデモ歴史」を信じる人ではなく、単に「ギョレの語源がわかったぞ」と書いているだけで、「実は1910年代まで、ギョレは民族という意味ではありませんでした」となっています。<<~>>が引用部分になります。

 

<<民族主義が大学で大人気だった1990年代初め、一人の生徒から「民族」を意味する固有語として、「ギョレ」以外には何があるのかと質問を受けたことがある。 一つでは満足できなかったようだ。その質問に、「ギョレ以外は無い」「ギョレも、本来から民族を意味していた言葉ではない」と答えた。あの時は勉強が足りなくて、語源や意味の変化についてまで詳細に教えてやれなかったが、最近も「ギョレ」の語源を聞く生徒がいて、今回はちゃんと答えられた。

「ギョレ」という言葉は、16世紀の文献に初めて出てくる。20世紀初頭までも、「親戚」を意味していた。1910年代に来て、「集団、集合」の意味を経て、「民族」の意味に拡大されたという事実を、実際の例を通じて確認できる。イ・ギュヨンの「いろいろなもの」(1911~1913)に出てくる「私たちギョレの言葉と文化がこの世で一番だ」の「ギョレ」が、「民族」の意味で使われた最初の例だ。1910年代は、西欧で「民族」の概念が入り、広範囲に流布された時点だ。だから、相応の言葉が必要になったのだろう。現在、「ギョレ」が持っていたもとの意味、「親戚」は、極めて一部を残して、使われなくなった・・>>

最後になりますが、「本当はあったけど、日帝が何かの手段で記憶から消した」という進撃の巨人な主張が無くて、物足りなさを感じました(おちつけ)。不定期に載せていた「コメントの注意事項」が、下の「拙著のご紹介&お知らせなど」の最後に常時表示されるようになりました。まだの方はぜひお読みください。次の更新は、午後2時~3時あたりを考えております。

 

2月25日の夜、追記・・コメント欄の一部の表現が問題になったため、コメント欄を非表示と致しました。せっかくコメントをしてくださった方々には申し訳ございませんが、どうかご理解の程をお願いします

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