韓国の人類学者「南北ともに、統治の名分を『抗日』から見つけようとする。驚くほど似ている」

前にも本ブログで紹介したことがありますが、「新両班社会」など韓国の現状を朝鮮時代、儒教政治のようだと指摘してきた、キム・ウンヒ氏。米国シカゴ大学で人類学博士を取った人で、同時に韓国について研究する『韓国学』中央研究院の専任研究委員でもあります。彼女は朝鮮日報とのインタビューでいろいろ話しました。結構長いので、本ブログで私が今まで書いてきた内容(南北ともに『正統性』が抗日に依存している、など)と似ている部分だけ、紹介したいと思います。以下、ソースは朝鮮日報となります。ずいぶん私見(勢いあまって)が入っています。ありのままに引用したのは<<~>>の部分だけなので、ご注意ください。

その1、「道徳的に優越な人には、法の基準をそのまま適用してはいけないとする」。キム教授は、曺国(チョグク)氏や尹美香(ユンミヒャン)氏を支持する人たちの主張を真っ先に取り上げています。朝鮮時代の統治は、徳、すなわち正義が何より優先するものでした。法と呼べるほどものも無かったけど、基本的には『上』の人が『下』の人を、徳治で感化、『教化(教育)』させることこそが、その正義の適用方式でした。逆を言うと、儒教社会の『基準の適用』は、まるで水が上流から下流に流れるように、正義の人が正義でない人に対して適用するものであり、『下(徳が無い)』人は、ただその教えに感動していればよかったわけです。

曺国氏や尹美香氏のような場合でも、支持者たちは、『彼らは正義の人生を歩んできた人たちだから、彼らに法律を適用してはいけない、としています。キム博士はこのことで、<<大義に身を捧げてきた人たちには、法律の基準を適用してはいけないとします。彼らの道徳的優越性が、法よりずっと大事だからです>>と皮肉っています。

 

その2、「『反日』の無謬さに頼る韓国政府のやり方は、北朝鮮とそっくり」。博士のインタビューで、別に反日そのものに対する批判は見当たりませんが、『それ以外を認めない』ことに対する強烈なツッコミが炸裂しています。文在寅政府はよく親日清算を持ち上げて、「独立運動精神」継承を強調します。これが、北朝鮮がパルチザンを継承しているのと驚くほど似ている、とも。この件、シンシアリーも『正統性(ジョントンソン)』関連で、何度か拙著やブログに載せた記憶があります。

マックス・ウェーバーさんの用語を借りるなら、legitimacyです。統治が成立する名分、とでも言いましょうか。昔なら、『王子が王位を継承する』で十分でした。そううまくいかない場合も多かったですが。中国などで特にそうですが、どこをどうみても別の国なのに、多少無理をしてでも「過去の国と歴史的に連続性を持つ」ことにしようとする、そんな歴史観が目立ちます。そういうのも正統性に似たようなものだと言えるでしょう。ちなみに、韓国は併合時代の『正式政府』を自任する臨時政府という組織を、『正統性』の根拠としています。北朝鮮は、金日成氏を「始祖」としており、その名分において重要なのが、パルチザン抗日運動です。金日成一家がロイヤル・ファミリーになり、パルチザン仲間たちが党の幹部となり、それから権力を世襲しました。王と貴族の誕生です。

この点、博士は、「今、南北政権は共通して、武装独立運動は絶対善であり、親日は絶対悪だと確信している」「本当の民主主義なら、反日と、それに反論する主張が共に存在すべきなのに、それを認めない。なぜなら、『正義』以外を認めようとしないからだ」としながら、こう話しています。<<・・韓国政府も北朝鮮政権も、統治の正統性を『抗日闘争』とその『精神』から見つけようとする点で、驚くほど類似しています。親日清算という動きををめぐって、韓国社会が経験している葛藤の中心には、『誰が道徳的に優越なのか』という問いがあります。これは、言い換えれば、『現代韓国社会の両班は誰なのか』の問題でもあります>>

 

その3、「国民を法より上位の概念とする」。自由民主主義というのは、国民の意向ももちろん重要ではありますが、それを政治に反映するプロセスにおいて法律たる基準を破ってはなりません。いわば、民主主義は国民の『支配』を受けるシステムではなく、『法』の支配を受けるシステムなのです。例えば、国民世論が大統領の弾劾を求めたとしても、弾劾すべきかどうかを徹底して法律的に調べなければなりません。しかし、韓国では、国民を神のように思っていて、それは法を超える存在になっています。国民といっても、本当に一人一人の意見を全部聞きまわったわけではありません。原文の表現を借りると、『集団的存在としての国民』です。最後に、博士の言葉を引用してみましょう。

<<・・イギリスのメディア「ガーディアン」のソウル特派員だったマイケル・ブリーン氏が指摘したように、韓国社会では「国民が怒ると、公正な法的手続きや客観的な証拠、弁護と人権などは重要ではなくなります。「国民」は「野獣」に変わり、法を実行する人々は野獣に従います。ブリーン氏の表現を借りると、韓国は国民を「神」に祀る社会です。これは、後期朝鮮社会ではやった、諫官(王にアドバイスする官吏たち)と文官たちによって形成された公論は、王も服従しなければならないとする、「天命」「民心」などの概念とまったく同じです・・>>

 

国民が神というより、単に『扇動のうまい人間が勝つ』だけでしょう、これは。ソース記事には書いてませんが、『国民は、国民以上のレベルの政府を持つことができない』という言葉が、あまりにも重く感じられます。表現などにおいて気が合わない(というか、なんというか)部分もあり、必要以上に『左派だけ』の問題にしているのも気になりましたが、大手マスコミで、久しぶりにこういう意見を見た気がします。ここだけの話、『南北ともに正統性を日本に依存している』とする主張、これ、私以外にここまで直接的に書いてある文は初めて見ました。どうせ韓国社会で『響く』ことはないでしょうけど、それでも、私だけではなかった、と思うと・・なんというか、ほんの少しだけホッとします。

次の更新は、朝9時~10時あたりを考えております。本エントリーにコメントをされる方、またはコメントを読まれる方は、こちらのコメントページをご利用ください。あ、そして、拙著『卑日』の一部が、プレジデントオンライン(3月7日)に掲載されました。ぜひお読みください。昨日は特に、更新も無かったのに大勢の方々に来ていただいて、本当に嬉しくもあり、恐縮でもあります。昨日も、今日も、ありがとうございます。

 

 

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