ラムザイヤー教授が、例の論文の件で、韓国でもっと説明したい、本を出版したいという意向を明らかにしました。個人的に、『韓国内で』ではなく、普通に本を書いてそれを各国語で出したほうがもっと効果的はないだろうか、そんな気がしますが・・教授を応援したいという気持ちに変わりはありません。
教授が、いままで教授の意見を同意、養護してくれた韓国学者たちに感謝のメッセージを出しました。教授を弁護してくれた学者たち、日本の西岡力さんを通じて会った学者たち、教授関連の記事を積極的に載せた『メディアウォッチ』関係者たち、などなどです。そのメッセージは、誰かを責めるようなものではなく、『こういう事態は、自由民主主義においてあってはならない』とするもので、いつもの慰安婦関連メッセージというより、教授の自由民主主義観がよく出ています。本ブログも、臨時更新ということで、今日は自由民主主義に関する部分を主に紹介したいと思います。全文はメディアウォッチに載っていますが(韓国語)、ソースページに教授のメッセージ動画(英語)も載っています。全文が知りたいという方は、参考にしてください。以下は一部だけの引用で、<<~>>が引用部分となります。
<<・・私は研究をしながら、日本に関する文を定期的に書いています。私の研究の大部分は現代の日本の法と、法的手続きに関するものですが、ここ数年、慰安婦問題についての研究もしました。ただし、慰安婦研究に関して、私はアメリカの大学のメンバーの多くが、この問題に対して過度に偏狭な立場を持っている事実を知り、苦しむことになりました。そして、正直に言って、驚きました。
米国では、殆どの案件において、人それぞれの意見の違いは尊重されています。論争が激しくなることもありますが、自分と異なる見解を持った人でも、いったんその主張を広げる機会を持たなければならないという認識が確立されているからです。つまり、ほとんどの問題において、アメリカの学者は通説とは異なる主張をしても、とりあえず、それを発表する機会を得なければならず、またこれを学術誌に掲載する機会を保障されなければならない、そんな立場を持っているということです。
それにもかかわらず、私は、慰安婦に関連する問題では、多くのアメリカの学者が、自分たちと意見が違う人と相互尊重する伝統を、守らないことが分かりました。実は、一部の米国の教授たちは、この問題に関しては、自分たちと意見が違う人は、その見解を出版することも許してはならないとまで信じている状況です。これは、実際に私が個人的に経験したことです。私は多くのアメリカの学者が関連した歴史について、私の研究結果を絶対に出版してはならないという立場を持っていることも確認しました。
そして私が、今年の冬に、過去にこの件で私を批判した人々に反論する論文をハーバード大学のウェブサイトに載せましたが(※この文なら、本ブログで『概要』を紹介しています)、何人かの教授たちが、私の反論論文を削除するよう、そのウェブサイト管理者に要求しました。明らかに、彼らは私が批判者に対して書いた反論の論文すら、誰も読めなくなることを望んでいたのです。
このような不寛容は、あるべき大学の姿ではありません。学者が通説とは異なる見解を持ったという理由で、沈黙しなければならない状況で、大学での仕事を続けることは不可能です。基本的に言えば、このような不寛容的な行動は、私たちが生きていきたいと思っている自由民主主義社会とは全く両立できません。
私たちは、立ち向かうべきです。異なった考えを持った人々に沈黙を強要する者を相手に、立ち向かわなければなりません。言論の自由、そして他の観点に対する寛容こそが、自由民主主義の核心です。私たち全員が、自分の場所でこれを守らなければなりません。正直さ(honesty)と率直さ(candor)こそが、大学の根本です。同時に、それは自由民主主義の根本であるだけでなく、私たち全員が住みたいと思う社会の姿でもあります。
正直さと率直さによって実現される世界のために努力するのは、苦しいことかもしれません。しかし、私が今日感謝のメッセージをお送りする方々は、そのような世界に向かって勇気ある歩みを踏み出しており、膨大な個人的リスクを負っています・・>>
メディアウォッチによると、教授は、韓国で本を出版したいと思っているそうです。それで、『説明』ができる、『話せば分かる』という、そんな目標があるのでしょう。その目標が叶えられることを、願います。しかし、なぜでしょうか。『いえ、それ、大して意味がないのでは・・』と思ってしまうのも、また事実です。そういう内容の本が今まで全然無かったわけでもないし。
結構前に拙著にも載せたことがありますが(確か、旧ブログにも載せました)、李明博大統領の竹島上陸をきっかけに、日韓関係に関する本の原稿を用意したことがあります。もちろん、ハングルで。当時、出版社が多いことで有名なところを回ってみましたが、返ってきた返事はほとんどが『自費出版するにしても限界がある』『万が一応じてくれる出版社があるとしても、どれだけの人の手に渡るかな。そういうことを考えないと』『大統領選挙のポスターなどで、印刷所も忙しい』そんな内容ばかりでした。唯一、相手してくれた小さな出版社の社長さんだけが、『責任が取れません』という重い一言を残してくれました。『読みやすい文章です』、とも。扶桑社から本の依頼が来たのは、それから少し経ったあとのことです。
あのときのわたしは、一人の歯科医師、本当にそれだけでした。でも、もし私のまわりにメディアウォッチ及び関連者たちのような協力者がいてくれたら、少しは違う展開になったのでしょうか。しかし、もしそうだったとしても、『今』より、自分のやりたいことが出来ただろうか? と、そんなことも思ってしまいます。今の私はシンシアリーであるし、シンシアリーでいいです。『私』だから、それ以外はイヤです。神様が「過去に戻ってやり直せる」と言ってくれても、今の私が消えるなら、私は過去に戻りません。もう帰化も決めましたし。
何が書きたかったのかよく分かりませんが、教授の勇気と、自由民主主義の新年に幸あらんことを。私の予想が間違っていることを願います。その本が実現し、かならず相応の効果を出し、一人でも大勢の人が真実に目覚めることを願います。
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