街を歩くこと

昨日から、次の本の原稿を書き始めました。発売時期も内容の方向性もまだテスト段階ではありますが、はじめて「日本で暮らすようになってから」を書いた本であるため、新しいスタートを切るつもりでいます。

明らかにネットのブログで始まった著述家暮らしではありますが、「ブログはブログ、本は本」。「ネットはネット、リアルはリアル」。「アニメはアニメ、映画は映画」。私はいつもそのスタンスです。原稿を構成するネタも、ネットとリアルの両方から得ることになります。

根拠や資料、ある種の総合的代弁(マスコミの記事など)を探すには言うまでもなくネットが向いていますが、結局、人々が「何か」の影響をやり取りするメインの場は、リアル、現実です。その「何か」を求めて、結局は街を歩きながらその「何か」からネタを感じ取ることになります。今回の本のような場合は、特にそうです。

 

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歯科医師を休み、日本に来てから、朝起きる時間をものすごく気にするようになったのも、そのためです。出退勤という名の「人生最大のライバル」が無くなったわけですから、すこし油断すると十時、十一時まで寝てしまいます。

朝ちゃんと起きて、しちじしちじし~ちじの(この歌、結構好きです)ニュースを適当に聞き流しながら、コーヒーでも一杯やって、一日をスタートして原稿を書くと、書いて休んで書いて休んでして、ちょっと出かけようかなと外に出て、そのまま何かいい店でもあったら入って食べて、そんなことができます。

十一時十二時に「おはよんにちは」と(お腹が空いて)起きて、わざわざ「◯時から◯時まで」と時間を作って原稿を書くと、出来上がった原稿の「字数」はそう変わらなくても、つまらないものになってしまいます。この方が効率良いという方もおられるようですが(笑

昨日も書きましたが最近のマイブームたる「コトワリ」をもっと知るためにも、もっといろんなところに行き、大勢の人たちと会わなければなりません。ちゃんと会話するのがベストでしょうけど、単に道を聞いてみるだけでも、単に挨拶を交わすだけでも、それが人と人であるかぎり、一回目と二回目がまったく同じことなどありえません。「その瞬間、その場所だけ」の何かを、感じ取ることができます。それができなくなると、人生はつまらなくなることでしょう。そう、街を歩くといっても、それはかなり受動的なものであり、個人的に、それは「滑空」にも似ていると思っています。

いままでの自分の人生は、「飛ぶ」ことを意識していました。でも、いまは風に身を任せて、浮いています。

体のほうではなく、それ以外の何かを押しつけていた恐ろしいまでのストレスが、消えました。「~であるべきだ(理想)」と「こんなもんだろう(諦念)」の脳内聖戦が、圧倒的に少なくなったから、でしょうか。だから、街に身を任せてもいいと、自分の頭のどこかからGOサインでも出たのでしょうか。

もちろん、私の人生最大のテーマである「向上心」を失くしたわけではありません。気持ちよく浮いているためには、もう少し高いところへ飛び上がる力も必要でしょう。それは忘れていません。

 

家の周辺には、さらに工事が増えました(アベノミクスの効果でしょうか?ファンドも予想していたよりかなり上の方に動いています)。最近は、邪魔にならないように道の向こう側からではありますが、その工事の現場をボーっと見ていたりします。なんか、韓国で見ていたものとは「速度」が明らかに違います。韓国での「工事」のイメージは、遅い、同じことを何度もやるというものでしたが、日本で見た工事は、そのようなことはありません。別に聞いてみたわけではありませんが、これも「納期」というラインを守るためでしょうか。

韓国の場合、工事が予定より遅く完了したほうが得になると聞いたことがあります。工期をわざと伸ばして、その分の金ももらう(それができそうにないと手抜きする)などの手口だとか。

 

洗車をした次の日に弱雨が降る(予報では曇り)法則は今日も変わらずでしたが、そんなこんなで今日も浮いている、シンシアリーのじゃぱんらいふ、2017年11月8日でした。

 

 

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“街を歩くこと” への52件の返信

  1. 昔に比べると道路工事がだんだん魔法に近くなってきた印象がありますね。
    人のいない時間帯に素早くやってると見えて、工事そのものを見ることがどんどん減っている気がします。

  2. >「ブログはブログ、本は本」。「ネットはネット、リアルはリアル」。「アニメはアニメ、映画は映画」。私はいつもそのスタンスです。

    最初は何をいってるのか、その真意がわかりませんでした。一見、スルーしてもよさそうな表現ですが、なにか引っかかりました。たしかに現象としては、それぞれ別個なんですが、ことはそんなに単純ではない。
    例えば元民進党、元検察官の山尾志桜里は、幼い子供を残して週4回も配偶者がいる男性とマンションやホテルで不倫をしていたわけですが、その不倫疑惑の相手を堂々と政策顧問起用したわけです。つまり一人の人間の中に、ある意味極端とも言える二面性が混在してるわけです。
    「公と私」は誰にでもあり、通常ならそれ自体を咎め立てできないわけですが、はたして「こいつに国政をゆだねるに足る資質(責任感や倫理観や誠実さや節度)はあるのか?」ってことになります。
    彼女の「資質」有り無しの評価・判断はひとまず置くとして、そういう極めて極端な二面性を持った人間としてふつうの日本人は山尾志桜里を見るわけです。
    「ネット」も「リアル」も「アニメ」も「映画」も、そして「レナ」もあなたの中でつながっているんです。それぞれが一見独立して見えるのは、「人間の意識は焦点をあてる」という不可避な特性があるからなんです。あなたの中では、それらが矛盾せず自分に都合よく納まっているんです。
    「人間の意識」は、ある意味「化け物」なんです。放置するとみんなが山尾志桜里になってしまいます。
    マッ、個人的には山尾志桜里なんてどうでもいいんですが。

  3. 日本人はどこの国に移住しても、いつのまにか馴染んでしまいます。
    しかし…何年住もうが何代経とうが馴染めない国民もいます。(ピンポイントでは有りません)その違いはなんでしょうか?沢山の理由はあるけど。
    そこが分かれば視界が広がるのではないでしょうか。

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