二流

※星野仙一監督の冥福をお祈りします※

星野仙一監督が亡くなったことで、中央日報が次のようなコラムを載せました。

<・・星野は、自分自身を「超二流」と呼んでいたという。 一流ではなく、だからといって二流でもない存在という意味だ。実際に、彼は1等(1位)ではなかった。選手や監督に日本シリーズで優勝できたのは66歳の時、2013年だけだった・・・

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

・・・日本のメディアが彼に熱狂するのは、強敵にも恐れず立ち向かう闘志かあるからだ。自分は一流ではなく二流だというけど、そんな二流も英雄にするのが日本社会だ。文化、芸術、スポーツ界で日本を輝かせた人に首相が授与する「国民栄誉賞」も同じだ。 77年1号受賞者である王貞治をはじめとする24人(一度団体が受賞)がその賞を受けるたびに、国民的な祝福を受けた。そして、国民を一つにまとめる力になった。。ブラックリスト、ホワイトリストなどの議論に文化芸術界まで真っ二つに分かれている韓国の現実を考えると、日本の英雄作りは、ただ大げさだけとも思えない。>

http://v.media.daum.net/v/20180108020356505

 

2月に予定してある「次の本」には、こんな内容があります。

日本人は自分自身が目指す「線」を、「まだ越えてない(まだ至らない)」と考える人が多く、そんな精神を持つ人が尊敬を集める、と。そして、それがいつの間にか線を越え、次の世代が目指すべき「新しい基準」を残すことも少なくない、と。

この記事も、そんな日本の姿を書いています。また、それを「韓国も見習うべきだ」と言いたいようです。

しかし、記事自ら「それは無理だ」と自白しているようなものです。

記事本文では星野監督を「金メダル取ると偉そうに言って韓国に二回も負けた悲運のアイコン」と紹介しています。韓国が見習うべき日本社会の姿を書きながらも、とにかく少しでも偉そうにしたがる、韓国的発想です。

韓国人は、自分自身が目指す「線」を、「もう越えた」と宣言した人が尊敬を集めます。だから偉そうにする人が多いのでしょう。

自分を「まだ二流」と言うぐらいでは、見下されるだけです。

 

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“二流” への77件の返信

  1. 内面的な精神世界の違い と見えすね

    ゴールのある頂上を目指すか,果ての見えない大空を昇り続けるのか.外的に規定される登坂 と 内的な動機による昇華 との違いとでも言えますかね.

    朝鮮的思考では,外的に規定された目標を目指す.この目標はウリの頂点であるが,それはナムの存在によって認知される.言い換えるなら根源的な他者依存主義と思ふ,

    多重的なウリ構造で,ウリでの地位を自己設定し権威のあるナムの承認により地位が確定するんじゃなかろか.

     
    > 国民的な祝福を受けた。
    はキリスト教的な表現ですね.

    クリスチャン的には 人には解き明かされていない神の真理への希求 あるいは 神への接近 という思想もあるはずです.これは日本人的な 道 への希求と通じるものがある.

    ウリスト教では,そんな志向は無さそうだけどねぇ

  2. 「道」というのは、果てがないものなんですよ。

    技術革新もそうだけどね、昨日の満点は、今日の95点ぐらいなんです。極みに達したと思っても、まだまだ明日には先がある。

    人間慢心してはそれでおしまい。仕事だって何だってそうですね。だから、昨日の完全が今日はものたりないのは、それが一歩前進した証。

  3. そうか「もう越えた」と思うから借金するんですね。
    やはり韓国人の言う「プライド」は日本人の言う虚栄心そのものです。尊敬の枠からはずれてます。

  4. アイザック・アシモフが「あっぱれクライトン」という戯曲の中にあった面白いフレーズとして紹介している言葉があります。

    「なにしろ僕はもう何もかもわかるほど若くはないのだから」

    というもの。このセリフの意図は、若い時は知識が少ないから考えられる範囲のすべてのことが理解できている気になるのはたやすかったが、経験を積んだ結果そんなすべてがわかるなんてことは不可能だと理解した、というものです。

    そういう視点から行くと韓国は、「ああ、その程度で一流だと思えるんだ。若いねえ」という失笑の対象にしかなりませんね。

    1. ああそうそう、星野さんと韓国の関係といえば、ソンドンヨルさんを外すことはできません。あの人は私が知る限り唯一「一流」というのが手の届かないところにあることを理解していた韓国人です。いや、おそらく日本での一年目に叩きのめされた経験で蜃気楼のような「一流」の存在に気が付いたのでしょう。二年目以降のソンドンヨルは、もう何というか、すごいピッチャーとしか言いようがありませんでした。アジアプロ野球チャンピオンシップでは彼が韓国代表の指揮を執ったのですが、まあ、魂までは伝えることはできなかったのでしょうね。

    2. >若い時は知識が少ないから考えられる範囲のすべてのことが理解できている気になるのはたやすかったが、経験を積んだ結果そんなすべてがわかるなんてことは不可能だと理解した、

      ふかい!
      實ほど垂れる頭かな!

  5. 私は昔から星野仙一氏が大好きでした。
    お亡くなりになったニュースには、呆然としてしまいました。

    星野氏は「超一流」だったと思います。
    氏自身が「超二流」と自己表現したからと言って
    それは謙遜であり、自己実現を怠らない氏自身の謙虚さでしょう。

    自分を一流と表現すればするほど、日本では信用も
    尊敬も失う事にしかならないと思います。

    1. 俺たちはみんな三流以下だなと、他の監督がため息をついてますね。
      野村監督からは早速嫌味が聞こえそうだ。

  6. 私は、星野さんは一流であったと思いますよ。
    少なくとも「闘志」と「気配り」で。
    投手として星野さんより勝った人はたくさんいるし、監督としても星野さんより勝った人もたくさんいる。
    でも選手として活躍していた時の環境や、監督を頼まれた時のチームの状況も併せて考えてほしいなあと。
    一流でない人の訃報に号外が出ますか?
    私は少なくとも中日・阪神・楽天のファンではないです。
    でも個人としては好きな人でした。あの闘志を前面に出した、あの姿に。
    ご冥福をお祈りします。

    1. 追伸です。
      朝鮮人には理解できない感傷だと思います。

  7. 他人の上に立てれば満足する考え方と、他人よりその上を目指そうとする考え方の違いですね。
    儒教「人の師と成る為に。」が目標。
    (他人よりも上が大事)
    老子「愚に生きる。」→他人とは比較しないで、それ以上の高みを目指す。
    (高みから見たら、自分はズーと低いから愚直に求めていく。)
    此の違い。

  8. ダニング・クルーガー効果ですね
    能力のない人ほど自信にあふれ、ある人ほど自らの能力に疑問を抱いて悩む傾向にある

    1. >能力のない人ほど自信にあふれ、ある人ほど自らの能力に疑問を抱いて悩む傾向にある

      素晴らしいです。今朝の二つ目の深さです。

      >>若い時は知識が少ないから考えられる範囲のすべてのことが理解できている気になるのはたやすかったが経験を積んだ結果そんなすべてがわかるなんてことは不可能だと理解した、

  9. これが日本で言われる「道」なんですけどね。
    武だろうが華だろうが茶だろうが「道」と着くものに終着点は無いんだよね。
    今よりも先を目指すのみ。

    翻訳されている韓国人のネットの書き込みを見る限りでは韓国人には理解出来ない概念なんでしょうか?

    1. そうそう。

      ラインではなく、先に続く道です。
      最初からゴール等存在しない。

      だけどその道は「ぼくの前に道はない。ぼくの後ろに道は出来る」の道です。未知の世界へと続く道です。

      麻生さんの本にもあった言葉ですが、
      日本は常に「先駆者」である。

      日本人は自分自身が目指す「線」 など、最初からないのです。
      前人未到の世界を目指し続けるわけで、
      目的は韓国のように他国の後追いではないのですから

  10. 今回の記事から、日韓の違いの本質の一部が読み取れるような気がしまています。
    韓国からの日本に対する終わり無き、駄々を捏ねるような居直りのような要求をしたくなる心理。
    実はちょっと分からなくもない気がします。
    おそらくその理由は不安と無力感ではないでしょうか。

    たしか自分が中学生か高校生の頃。
    将来何に成れるのか、ちゃんとした大人に成れるのかどうかも分からない不安におびえていた自分は、ぼんやりこう考えていました。
    「誰かがほんのちょっとでも、お前悪くないんだよ、○○のせいでちゃんとできないんだね可哀想に、と言ってくれたら、その言葉に甘え倒して駄々を捏ねて、自分の無力さと戦うことを免除してもらえるんじゃないか」
    「堂々たる被害者として優遇してもらえるんじゃないか」
    「そうだったらいいなあ」と。

    もちろんそんなことは起こらず、ヒイヒイ言いながらなんとか大人になったわけですが。

    >しかし、記事自ら「それは無理だ」と自白しているようなものです。

    とあるように、やはり韓国に蔓延する反日的な要求の根っこにあるのは不安と無力感のような気がします。

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