ソウル・鐘路に全琫準の像を設置・・「親日派や日本の資本主義と戦った」

ソウルでも大勢の人が訪れる鐘路(チョンノ、종로)に、チョン・ボンジュン(全琫準)の像が設置されました。

http://v.media.daum.net/v/20180424125110973

タイミングいいな・・と思いました。なぜなら、韓国では彼は「反乱」「反日」の象徴だからです。

1894年あたりから、朝鮮半島の歴史では極めて珍しく、農民反乱を起こした人です。韓国で彼がどう認識されているのかというと、「朝鮮の封建制度は限界だ」「日本から入ってくる資本主義に反対した」「親日派が中心だった開化派と戦った」となっています。

http://100.daum.net/encyclopedia/view/b19j0499b

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

ですが、妙なことがいろいろ、目立ちます。

まず、彼は「親が世の不理屈と戦って殺された」「彼が農民反乱を起こして、朝鮮の政府が彼を恐れて和平した」となっていますが、それらを事実と証明してくれる資料が残っていません。

しかも、封建制度を破ろうとした人が、「日本からの資本主義」「親日派中心の開化派」と戦ったという内容も、矛盾しています。じゃ、どこの国ならよかったのでしょうか?

そこから、全氏のことは「外国勢力に抵抗した」、すなわち「ウリ民族キリ(私たち民族だけで)」を夢見ていた、という解釈をされることもあります。しかも、彼が活躍した場所は、左派の本拠地でもある全羅道(全羅北道)です。

私は彼のことを、「ただ苦しくて農民反乱を起こしただけなのに、必要以上に反日の象徴として持ち上げられている人だ」と思っています。

次期大統領になる可能性がもっとも高い、パク・ウォンスン市長が率いるソウル。いろいろ、チョン・ボンジュンは、左派勢力から見ると「いま」の大韓民国にぴったりなチョイスかもしれません。

 

 

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“ソウル・鐘路に全琫準の像を設置・・「親日派や日本の資本主義と戦った」” への29件の返信

  1. 牽強付会とはこのことですね。「日本から入ってくる資本主義に反対した」のは当時の保守派。つまり親清派、大院君や高宗などの旧守派ですね。
    「親日派中心の開化派と戦った」とは、シンシアリーさんが指摘されるように、開化派も古代専制国家体制(高麗や朝鮮は封建制度ではありません)を打破しようとしていましたから、おかしな解釈です。でも解釈したいように解釈するのが韓国の歴史学界のようです。

  2. 人形もそうでしたが像に対する気持ちが全く違いますね。
    恨みを忘れないとか、無念のまま亡くなったとか。抗議に使うとか。
    よくそんな思いをテーマに創作しますね。
    普段から見たいのか理解できない。不運で終わった人が、後世の人間を見守るイメージないけれど。
    一方で大学創立した人の像を倒そうとしたり、平和的な像は人気がないとか。仏像の頭を割ったり。
    像は毒や劇薬のイメージなのでしょうか。

  3.  韓国でどう教えられているか。資料です。

    『【I♥JAPAN】ウリナラファンタジー7』
    ・https://www.youtube.com/watch?v=xS1GzqPERyk&list=UUgedvUXkCIzdCW7SXYfPxvw
     (6分20秒付近から)

    『韓国国定歴史教科書mirror site』
    ・http://f17.aaacafe.ne.jp/~kasiwa/korea/textbook_korea/
     Ⅶ 近代社会の展開
      2 近代意識の成長と民族運動の展開
       2 東学農民運動の展開
    の中から一部引用
    ———-以下引用————————————–
    農民層の動揺
     開港以来、朝鮮をめぐって展開された列強の政治的、経済的、軍事的侵略競争は、甲申政変後にいっそう加熱された。清国と日本の問の侵略的対立はますます激化しただけでなく、ロシアとイギリスまでも朝鮮問題で衝突するようになった(1)。このような状況にもかかわらず、朝鮮の支配層は外勢の侵略に適切な対応策を立てることができないまま、妥協と屈服をくり返し、当面の問題に対する解決能力を見せられなかった。

     さらに、国家財政は開港以後の国際的紛争による賠償金支払いと、近代文物の受容に必要な経費支出などでいっそう窮乏し、支配層の農民に対する圧制と収奪も厳しくなった。

     一方、朝鮮の農村経済は日本の経済的浸透によって疲弊していった。開港以後、朝鮮に最も早く侵略の手をのばした日本の勢力は、政治的な面では壬午軍乱と甲申政変を通じて清国に押され大きく弱まったが、経済的な面ではむしろ清国より強かった。

     日本人商人は最初は清国の商人たちと同様に、主にイギリスの綿製品を安く買って高く売る仲介貿易をしていたが、次第に自国製品に代えて莫大な利益を得た。当時、日本に対する朝鮮の輸出品は米穀が30%以上を占めていたが、日本政府の政治的庇護を受けた日本人商人は朝鮮農民の貧しい状況を利用して、立稲先売や高利貸の方法で穀物を買い入れて暴利を貧った。

     このような日本の経済的侵略に対応して、咸鏡道と黄海道地方では穀物の輸出を禁ずる防穀令を出すが、日本の抗議で賠償金だけを支払い実効をあげられなかった。こうして農村経済はますます疲弊して、農民たちの日本に対する敵愾心も大きくなっていった。

     同時に、資本主義列強の侵奪と支配層の搾取のために農村経済が破綻してしまい、農民層の不安と不満がますます増大していった。そして農村知識人と農民たちの政治・社会意識も急成長し社会変革の欲求も高まった。

     この頃、東学の教勢は三南地方(忠清道、全羅道、慶尚道)を中心に拡大していった。東学の人間平等思想と社会改革思想は新しい社会への変化を渇望する農民の要求に符合し、東学の包接制組織は大規模な農民勢力の糾介を可能にした。そうして従来、散発的に起こっていた民乱形態の農民連動は組織的な農民戦争の形態に変わっていった。
    ———-以上引用————————————–

    1. 長いんで、適当に端折ったw
      結局、
      「ウリは悪くないニダ。イルボンが悪いニダ」
      つーことでしょw
      で、「オウム真理教の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚みたいなナリの全某が、李王朝に反乱を起こして、後年、英雄に押し立てた」
      と。

      1. >受験生 さん

         「ウリは悪くないニダ。イルボンが悪いニダ」は、的確なまとめですね。
         「麻原彰晃」に例えるのは、ちょっと違う感じがします。全琫準は割と善良な人だったみたいです。私としては、一向一揆のようなイメージです。

  4. うむ、東学党の乱の事ですよね。
    近代史を勉強した人や、少しおさらいした人は、農民一揆のようなものを時の政権(王朝)が鎮圧できず、清国に泣きを入れ同国を引き込み、結果として日清戦争の要因を作った、と理解してるのが普通ですかな。
    抗日の要素が全く無いとまでは言い切れないし、日本で言う攘夷論に通ずるようなところも無くはないが、本質的にはだいぶ違うものでしょうね。
    韓国での同乱の理解というか一般的な知見は随分異なるのですかね。堂々たる抗日闘争の一要素といった報道やらインタビュー記事を目にする事があり、何でそうなるのかなと思う事はよくあります。時系列的にもちょっとおかしいしね。

    1. 日本公使だった井上かおるが、全琫準の人格に共感して、
      「どうか処刑しないでください。」と、朝鮮政府に要請したけど、
      井上が帰国している間に、1895年に処刑したんですよね。

      東学党ってなんだろう?と、思ったんだけど宗教なんですよね。
      太平天国の乱も、白蓮教もみんな宗教

      中国もなんけど、クーデターを起こすのに、教祖様がいて
      盲目にならないと反乱を起こせないものなのかなぁと

  5. シナの歴史では宗教反乱での戦乱が王朝末期にはよくありましたからね、東学党の乱では朝鮮王はシナの歴史を知ってますから、弾圧したんでしょうよ

    五斗米道 白蓮教 太平道とか、東学党の乱に近い年代だと太平天国の乱ですかね、東学党の乱に派兵した日本は軍隊でしたけど清は盗賊に毛が生えたぐらいの規律だったんですが、またぞろ日本と中華を逆にして描写してるんでしょうね。

    1. シナの様に真っ当に弾圧すれば良かったのですが、大院君が政争に利用した節があるのです。

      鎮圧できないと清に派兵を依頼した結果、日本軍までやってきたのを見て、東学党を懐柔したら一旦治まってしまうのです。
      ところが、もはや引けない日本と清が戦争を始めてしまい、日本が優勢になったら東学党が再蜂起して日本軍を攻撃するのです。

      なんか、おかしいでしょ。でも大院君と東学党が繋がっていると合理的に説明できる。

      1. 最終的に東学党の主だった連中が、ちょっとした禁固刑で済んだのは政権側との八百長だったのでは?
        清と日本の勢力均衡政策が目的だったのでは?
        ってやつでしょ・・・

        1. 2500様、
          萎んだOチンチン半島のハングル愚民には、難しすぎて
          まったく理解できません!
          シンシアリー氏が指摘している「機能的文盲」ですからね~

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