リボン教

朝鮮日報の報道を再構成してみます。

<先月、MBCが2014年のセウォル号断食デモを批判した右派の集会を報道し、北朝鮮の政治犯収容所を告発するミュージカル「ヨドクの物語」を作った脱北者チョン・ソンサン氏のことも一緒に10秒間(映像を)流した。

その後。チョン氏に抗議の電話が一日に100通はかかってきたという。運営する冷麺店の窓に黄色のスプレーでセウォル号追悼リボンが描かれ、非難する紙が貼られた。レッテルが貼られたのだ>

http://v.media.daum.net/v/20180510031631127

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

「お前らの狂った信念より人間たる常識的な道理が大事だそんなくだらない信念で人が食べる料理を売るとは!」と書いてあります。

※画像はチョン・ソンサン氏のフェイスブックキャプチャーです(ノーカットニュースが紹介)※

http://v.media.daum.net/v/20180512104504109?rcmd=rn

 

朝鮮日報はこれを、二つのものに「似ている」としています。

一つは、1966年中国文化大革命の時の「走資派(資本主義追従者)」レッテル。紅衛兵たちは「〇〇は走資派だ」という壁紙が貼られると、その〇〇を殺しながらも罪の意識をまったく感じなかったとか。

もう一つは、ナチスがユダヤ人の商店の窓などに描いた「ダビデの星」。1938年11月10日未明から夜まで、ナチスのレッテルを貼られた177個のユダヤ礼拝堂、7500以上のユダヤ人の店が攻撃を受け、ユダヤ人90人余りが死亡した、とか。その日の夜を(割れたガラスが水晶のように輝いていたとして)「水晶の夜(Kristallnacht)」と呼ぶそうです。

 

 

去年3月、釜山のある中学校。学生たちが黄色いリボンとバッジ(セウォル号犠牲者を追悼・真相究明を要求するためのもの)を付けて登校するのを見たこの学校の校長先生は、学生たちに「名前の票(名札)が見えないじゃないか。それ学校内ではしないで、学校の外で付けたらどうかな」と話しました。このことが知られ、学生たちの多くがリボンとバッジを外したそうです。

しかし、抗議が殺到しました。教育庁も真相調査に着手したとのことです。

聞くどころ、すでに釜山教育庁は「学校内でセウォル号関連リボンなどを付けるのは学生の良心と表現の自由」という人権教育資料を発行している、とのことです。

http://v.media.daum.net/v/20170316101038291?d=y

 

「良心」の象徴になったこのリボン。

しかし、私は(セウォル号の事故そのものはとても残念無念ですが)この追悼リボンには良いイメージがありません。「沈韓論」にも書きましたが、事故の後、黄色いメモ紙にいろいろ追悼のメッセージを書いて(このリボンに似た形に)かけておくのが流行りました。

2014年の旧ブログですが、ここに画像があります。

マスコミが堂々と紹介したそれらの内容が、私には追悼ではなく呪いにしか見えなかったので・・「(主に政府批判のニュアンスで)絶対に許せない」「(死んだ高校生たちに)二度とこんな国には生まれてくるな」などなど。それらが「追悼」なのでしょうか?

私も、ある対象を呪ったことがあるからわかります。それらのメッセージは、追悼ではありません。それらは、呪いです。しかも、一部は死んだ人たちのことを思って誰かを憎むものではなく、自分自身の満足のために死んだ人たちを利用して「誰かを憎め」と人々を先導するための、呪いの中でも最悪の呪いでした。いや「呪いにすらなれない」と書くべきでしょうか。

いまでは「レッテル」に化した黄色いリボン。確かに、画像のリボンは怪しい宗教のシンボルに見えます。

亡くなった方たちのご冥福を祈っているなら、こんな使い方は絶対にできないはずです。

 

 

 

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“リボン教” への51件の返信

  1. 黄色いメモ紙に認(したた)められたメッセージが恨み辛みに満ちた怨嗟ならばそれは願いや祈りの様な高潔な気持ちではなく、悪意に充ち満ちた呪詛に成り果てると思われるシンシアリーさんの考えは神道の教えと相通ずるものがありますね。

    正道の祈願とは違い、所詮、呪詛は邪道でしかない。
    『人を呪わば穴二つ』です。

  2. レッテルを貼ることにより、敵を明らかにする。これにより攻撃すべき対象が明らかとなる。
    攻撃するには、敵こそが必要なのです。敵が分からなければ攻撃できません。
    冤罪、言いがかり、こじつけにすぎなくとも。
    それが真の敵ではなくとも。

    リボンの象徴は、どこに向けたらよいか分からない、己の鬱憤を晴らすために使っているのでしょうね。

    「リボンの騎士」がさっそうと立ち表れ、悪を懲らしめ、悪人を成敗し、敵を倒す。
    正義の使者として、立ち上がることを望んでいるようです。
    男装の麗人、正義をもたらす騎士を期待しています。

    今までの、積弊を一掃し、希望にあふれた新しい社会が出現することを期待しているのでしょう。

    しかしながら、韓国に住んでいる同じ人間が作るのだから、同じような社会にしかならない、ということに気付いていないのでしょう。
    積弊を一掃しても、新しい積弊が出現するだけ。
    悪人を成敗しても、新たな悪人が出現するだけ。
    同じことの繰り返しで、社会は変わることはない。

    男装の麗人、正義の騎士。
    しかしいくら期待しても、そんなものは、どこにもいはしない。

  3. 乳がん検診の啓発キャンペーンのシンボルであるピンクリボン。
    それを貼った日本人の車を見て、「日本人がセウォル号被害者を追悼してるぞ!?」と言った韓国人がいましたね。
    セウォル号の黄色リボンよりずっと前からあるはずですが、韓国ではあまり知られていないのでしょうか。
    デザインは、色が違うだけで全く同じです。(画像検索すると、微妙にデザインの違うものが色々出てくるのでどれが正式なものかは分からないのですが…)
    シンプルなデザインなのでパクリと言えるかどうかは分かりませんが、〝元々こういうシンボルがあって、それになぞらえて~〟という説明などは聞いた事ありませんね…。

  4. ずっと韓国人のこれが気になってました。
    「道理」の概念の把握と使い方を間違っている。

    1. >「道理」の概念の把握と使い方を間違っている。

      そもそも韓国人には「道理」の概念がないんだと思います。

      日本のことわざに
      「無理」を通せば「道理」がひっこむ

      と、あるように「無理」と「道理」は対象のものです。
      韓国人は「無理」を通そうとする攻撃性しか見えません。

      「筋道」や「道理をわきまえる」や「人としての正しい行い」が
      欠如していると思います。

    2. >名無しさんへ

      >「道理」の概念の把握と使い方を間違っている。
      そういえば、韓国のことわざはことごとく
      「道理」からはずれたものばかりです。

      ●女は3日殴らないときつねになる(うぬぼれてつけあがる)
      暴力で相手を服従させるのは人の道にはずれた行い

      ●泣く子はひとつ余計に餅をもらえる(ごねた方が得)
      泣いても笑っても、餅はどこの子にも公平に分配すべき
      ゴネ得が通用するとこどもの躾にも悪い。

  5. そのうち街中で突然ロウソクに着火する者が居たら無条件に称賛せねば吊るされる社会になりそう

  6.  ユダヤ問題(文化的に同調できない人達の問題)と比較するのは、ちょっと当たらないのではないか。
     意見の異なる人々へのレッテル貼りの問題なのでは。

    1. >ユダヤ問題(文化的に同調できない人達の問題)と比較するのは、ちょっと当たらないのではないか。

      レッテルを貼るところと、一度、レッテルを貼られたら
      ナチスや紅衛兵のように、相手を殺してもなんとも思わない
      その思考停止の虐殺者ぶりのとこだけは、共通していると思います。

      1. 眠り猫さんに同意です。

        レッテルを貼られた人間は、人間ではなくなる。「下の存在」奴には何をしてもいい、むしろイジメテもいい、奴が悪いからイジメテも問題ない、むしろイジメテ欲しい存在になるんです。

        これらは、まったく同じ問題なんですよ。人の心にある問題なんです。

      2. >眠り猫 さん

         ユダヤ問題には問題となる差異が現実に存在する、と言いたかったんだけどな。

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