「ウリ」に関する1990年の論文から

前にも紹介したことがありますが・・韓国人の心理状態に関して多くの論文を発表した中央大学校の故チェ・サンジン教授が一九九〇年に発表した「ウリ」関連論文を紹介します。

韓国人のウリには次のような特徴を持っている、というものですが、まとめてみます。

・韓国人の言う「ウリ」の特徴は、西洋でいう内集団(個人が所属感を持っている集団)の概念とは異なり、自分自身を集団の中に陥没させる、「脱・自己」で代表される

・西洋人はお互いに分かち合っている(Distributive)共通点から「私たち」を作るが、韓国人の場合、単一体としての(Collective)「私たち」を作る。韓国人の私たち、すなわちウリは、相手の行動を評価する基準にもなる

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

・ウリの範囲に含まれる人には、相応の行動規範、すなわち連帯意識、多情多感、相互依存、同質性に基づいた行動を心理的に要求することになる

・これらの特性は、結局は伝統的な韓国の家族関係の原型をそのまま反映しているものである

・韓国人は、ウリを感じれば感じるほど、ウリの中の人たちには実際よりもさらに仲がよいと感じる心理的経験をする。逆に、ウリでない人たち(ナム)に対する排他感情も増大される

・韓国人のウリは、いったん形成されると、環境や時間の変化に関係なく、常に体験される、または「体験されなければならない」、規範とも言える耐久性をその特徴とする。西洋の「私たち」は、状況によって解体されることが当然とされる

・このようなウリの特徴により、韓国人は、自分が誰なのかよりも、「私はどのウリに属しているのか」を優先する。よって、韓国人にとっては、自分の行動が持つ理念や原理、そしてその行動の一貫性よりも、ウリの状況に合わせて適合な行動なのかどうかの方が重要である

 

もうすこし短くすると、「これ、レミングス現象のことではないのか?」という気もします。韓国人が「ウリに合わせるべきだ」と考えるのは変わらないとしても、ウリそのものが恒久で一貫したものではなく、状況によって変わるなら・・

ウリの状況が変わる→ウリが方向性を変える→個人がウリに合わせて動くことだけは変わらない

すなわち、個人としては、超高速で手のひらを変えることになるのではないでしょうか。自分の信念より、手のひらを返すことのほうが「賢い」または「役に立つ(期待さっれていることを充足させる)」ということになるのでしょう。

全的に同意するわけではありませんが、面白い指摘だと思いました。

 

月曜日と火曜日は、更新がありません。またちょこっと遠くまで出かけます。火曜日の夜にはレナスレでも書けたら・・と。

日本チームの試合もホテルで見ることになりそうです。前みたいに更新はできませんが、かならず日本チームを応援します。

それでは(・∀・)ノ

 

 

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“「ウリ」に関する1990年の論文から” への78件の返信

  1. 崔祥鎮(チェ・サンジン)韓国の心理学者
    ネット検索してみると、なかなか面白い韓国人論を書いてると思います。
    シンさんのブログにも過去に登場してますね!

    韓国の「傾中(従中?)」は、ひょっとして、オギ(傲気)ではないだろうか (2015-08-31 11:44:51)
    _https://ameblo.jp/sincerelee/entry-12067780387.html

    ネット検索した中で「ウリ」に関するモノを一つ紹介!

    「道徳的」だが「倫理的」ではない韓国人
    _http://blog.livedoor.jp/watusiota/

    なぜ韓国人は公共心が薄いのかという論考ですかね?
    論考の中で崔祥鎮の論文『韓国人と日本人の「我々」意識の比較』(1993)*が引用されてます。
    ちょっと長文ですが、関心のある方は読んでみてちょ!

  2. この記事は本当に面白いですね。
    私がこれまで考察してきた韓国人の心理にすごく近いものであり、
    こういう分析が「当の韓国人によって」為されたということに意味がある。
    私の考察を裏書きし後押ししてくれるものとして非常にありがたいです。

    ただ、少しの異論を唱えるならば、「脱・自己」という言葉でしょうか。
    私がこの言葉の何が間違っていると感じるのかと言うと、
    元から韓国人の心理には「脱」するほどの自己が形成できていないだろう、
    ということです。他の方もすでに書かれてますが、
    多くの韓国人に見える「自他の境界の希薄さ」。
    それは、彼らが大人になる段階で形成できなかったもの。
    最初からそこに無いものを「脱」するという矛盾的な言葉への違和感です。

    私がこの言葉を修正するならば、「滅・自己」としたいですね。
    韓国社会のシステムは、全てにおいて「自己」の形成を
    阻む方向で固定されている。韓国人にとっての「自己」とは、
    「ウリ同士の同化を阻むバリケード」なのでしょう。
    だから、彼らの自己は、最初から社会によって「滅せられている」のだと。
    そうあることが「善」とされる社会によって。
    それは、歪んだ儒教文化を利己的に利用し続けた指導者たちの悪徳の果て。
    愚民を愚民のままにして操縦しようという、怠惰で無責任な政治のツケ。

  3. 8月20~26日に金剛山で行われる離散家族再会行事が行われるみたいですね。
    現地は電気が無いらしいので、発電用の重油まで持ち込みになるとかw。

    トランプ政権は制裁の1年延長。日本ももちろん制裁継続。
    中露韓だけは「なし崩し」にしていくみたいですね。(中露は国連でも解除に動いてます)
    それじゃ、核放棄も時間がかかるだけでしょうに

  4. 所属=隷属なんでしょうね。

    韓国においては対等な関係は無く、全てが上下関係であることを敷衍すれば、納得の結論。

    韓国人にとっては「対等な関係」ってものすごいストレスなんじゃなかろうか?
    中国に頭を踏まれたがっているようにしか見えない外交姿勢なんかも、対等な関係を忌避した結果ではなかろうか?

  5. 行動把握の問題はあるかもしれませんが、シンシアリーさん視点の日本紀行記または日本論、楽しみにしてます。

      1. おぉ!楽しみです^ ^
        シンシアリーさんは自分より国内を歩き回っていると思うので、逆に勉強になりそうですね。以前、本州以外は行ったことがないとの記述を見たことがあるのですが、一昨年の熊本地震で線路及び国道が倒壊封鎖されてしまったのですが、阿蘇などの大自然も見てみて欲しかったですね。5月のドライブなど最高でした。本州以外のお話も楽しみにしてます。

  6. レミングス現象というものは(盲目的にリーダーに従い自滅へと突き進む群集心理)を指すものですが
    元々はレミングスが「集団自殺」をすることではなく、3〜4年周期で
    個体数の異常な繁殖と絶滅寸前までの激減を繰り返すこととをさすのであり、
    これについては未だに原因不明なのだそうです。
    レミングスの和名は旅ネズミで、大発生すると、集団移住するそうですが、
    元々社会性の高い動物ではなく、喧嘩しやすいそう(殺し合い個体数を減らす)で、(盲目的にリーダーに従う)性質はないそうな
    なので、韓国人のウリナム思想とレミングは、似ていないかと思えます。

    韓国人のウリ思想とは(自分と他人の境界が曖昧であること)
    すなわち自己愛性パーソナル障害では?
    ●「自分は正しいことを言っているのに、みんなは理解してくれない=みんなが間違っている。みんなは私のことを嫌っている。」
    ●「自分の考えが最良の案であると他人も理解して当然」
    ●「自分の考え=他人と同じ」「自分の価値観=他人も同じ価値を持つ」

    自己愛性パーソナル障害とは、特別なものではなく
    未成熟なこどものうちに多く見られる減少であり、
    大人になって自我が発達していくうちに、解決していくものです。
    その特徴は
    ありのままの自分を受け入れ愛することができていない状態。その未成熟さの現れが「自己の誇大化」、「他者からの評価に対する過敏さ」、「共感性の薄さ」「奥底に隠れている本当の自己に気づけない」「承認欲求が強い」

    自我が成熟することで、解決しやすい精神疾患であり、
    境界性パーソナリティ障害とは違うわけです。

    いいかえれば、韓国人社会が、自分と他人、公私の区別がつかない
    未成熟な社会なんでは?

    1. 逆にいえば
      成熟した社会 とは

      韓国のウリナムとな真逆で

      自己と他人の区別をしっかりとつけていて、
      自我が発達し「人は人、自分は自分」と、周囲に振り回されず
      それでいて社会に対する帰属意識を持っていて
      「公私の区別をつけつつも、社会の一員として協調性を持ち、
      他人にも敬意を払う」

      日本ではそんな人を「あの人は大人だな」と呼び
      尊敬するのですよ。

    2. 韓国人社会が示す韓国人像というのが、精神的な発達障害の症状と似ている…というかそうとしか思えないのは旧ブログからも何度か話題になっていますね。

      問題は社会全体で、比較的高い確率でそのようあ状態になってしまうことが、なぜなのかが判らないという事と、なんらかの治療のようなことが個人レベルを超えて可能なのかという事。

      結局、私たちは、それが彼らの標準であるという事を理解して事に当たるほかはないのでしょう。

      「彼らはいつか成熟する」というのは幻想であると考えた方がいいのでしょうね。

  7. チェ・サンジン氏ですか、難しく書く事が頭がいい証拠って感じのウリ論ぽいですね

    日本だと・・・
    小倉 紀蔵氏の「韓国は一個の哲学である 〈理〉と〈気〉の社会システム」 が読みやすかったな~

    1. 韓国人記者にもすごく多いですね。知的に思わせたいのか他所からの抜粋挿入が多く、だらだら長いばかりでまとまりがないですよね。

    2. 小倉 紀蔵氏を検索してみたら受け入れ難い基地外だった…。

      1. 注射星人さん
        小倉 紀蔵氏は当たり外れが激しくて、おもしろい本となんじゃこれ本が混在してるし、基本的にはリベラル系の人と対談本なんかを出してますが、古田博司氏の門下なのでそこまで基地外ではないかと(笑)
        これと朝鮮思想全史は思想関係なくおもしろいので読んで損はないと思いますよ、産経の黒田さんもこれは誉めてましたから。

  8. あ~、これは韓国ウォッチしていて感じていた部分ですね。韓国人には「芯」とか「軸」とか「信念」とかいったものが無いのじゃないだろうかって。

    常に周囲に合わせて流されていなければ、社会的に抹殺されてしまうような状況では、そんなものは生きていく上で邪魔にしかならないのではないかと。そういったものを全て「外」に依存しているのではないかと。

    仮に持っていたとしても、それは精神の奥深くに埋没されるか、不要なものとして軽視されるのでしょう。それが表に明確に現れるのは、彼等が最上位者になった時、「押し付ける側」になった時だけなのかもしれません。

    1. >仮に持っていたとしても、それは精神の奥深くに埋没されるか、不要なものとして軽視されるのでしょう。それが表に明確に現れるのは、彼等が最上位者になった時、「押し付ける側」になった時だけなのかもしれません。
      いや日本に対しては「押し付ける側」になることに死に物狂いじゃないですか。

  9. 結局、幼稚なんですよね。
    精神は幼稚なままで、知恵と体だけはだけは大人になる。他国では厄介な人になる典型です。

    自分では考えず強いものに媚びへつらい、自分が強い側と一体化すれば威張り倒して残忍な行いも平気にできる、それが朝鮮半島では生きていくのに便利だったのでしょうか。

  10. 韓国社会ではネット普及する以前から自己分析に必要なピースが
    ある程度は揃っていたように見えますが、それらが社会の変化に
    良い影響をもたらしてきたという形跡も見えません。

    自我を放棄して付和雷同する習性は目標がはっきりしてるような
    発展途上の段階においては有利に働いていたと思われます。
    しかし自分で将来を考えねばならない民主主義のシステムとは
    非常に相性が悪いのは間違いありません。

    そろそろ方向転換の必要性を社会全体が実感してなければ
    ならない時期のはずだけど、まだその兆候は見られないどころか
    ロウソクなどで退化しているような節すら感じられます。

    万年お花畑というべき危機感の鈍さは民族性なんですかね。
    真面目に物事考えなければ自分は不安と無縁でいられるけど、
    子孫たちの将来の心配とかはしないのでしょうか?

    家族(民族)の未来に対する責任感が欠けた民族主義って
    それが民族主義ではない別の何かである証拠に思えます。

    1. >>真面目に物事考えなければ自分は不安と無縁でいられるけど、
      >>子孫たちの将来の心配とかはしないのでしょうか?

      それを考えるのは「自分」ではなく「ウリ」なんでしょうね。
      「ウリ」の中には頭のいい人や責任感のある人、徳の高い人がたくさんいるわけです、きっと。
      だから「自分」がでしゃばらずとも「ウリ」が「自分」のための最適解を出してくれるとでも思っているのでしょう。

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