威信

聯合ニュースが、あべーめいじいしんーせんそうーな記事を載せました。

まとめる意欲もあまり沸かないので、最初の部分だけ引用してみます。

<安倍晋三日本総理が、明治維新150年を言及し、日本がアジアの国づくりを支援していると主張した。6日日本経済新聞によると、安倍総理は、この新聞が東京都内のホテルで「アジアの価値観と民主主義」というテーマで開催したシンポジウムで講演し、「明治(維新)150年、日本はアジア諸国の国作り、民主主義の基盤づくりを助けることが可能な状況である」と述べた。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

それとともに「今後も信頼を得ることができる国になるように努力を続けたい」と付け加えた。安倍総理は、今年が明治維新150年であることを強調し、国民に愛国心を強調する戦略を展開している。日本が明治維新以後、韓半島を植民地化して帝国主義侵略戦争を起こした過誤は省略し近代化の成果だけを強調するものである。年初の新年の辞でも明治維新を称賛し、「新しい国家」を強調した彼は、国会新年施政演説でも明治維新を活用しながら、日本が「戦争可能な国」に変身することができるように改憲ドライブをかけたりもした。安倍総理はこの日も過去の過ちに対する反省はせず、自国の民主主義について自画自賛した・・>

http://v.media.daum.net/v/20180706114601585

 

安倍総理が「1+1は2です」と話しても、韓国は「1+1は確かに2ではあるが、安倍は悪い」と評する親日派と、「安倍は悪いから1+1は2ではなかったに違いない」と評する中道派に分かれることでしょう。

ただ、この明治維新は、韓国人がかなりコンプレックスを持っている言葉でもあります。1972年から1980年までの韓国の憲法を、「維新憲法」と言います。韓国の7次改憲による憲法の別名です。

これは、日本の明治維新に憧れていた朴正煕氏が付けた別名だと言われています。彼は著書で、「韓民族は国家らしき国家を作ったことが一度も無い」としています。きっと、明治維新がうらやましかったのでしょう。

韓国の歴史は、維新ではなく、虚しい威信だけを追い求めました。HAHAHAうまいジョークだ(自画自賛

 

 

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47 Replies to “威信”

  1. 明治維新で変わった事の一つとして「時間厳守」が言われます(笑)
    それまでの不定時法を止め定時法にし
    学校制度や列車の運行に採用したと。当然軍事には欠かせ無いでしょう。
    それから何年も経過して列車の定時運行等が実現したと。
    大変革でしたでしょうが、それを受け入れる素地があったのは凄いな
    お寺の鐘で時間見てたのが…田中正造の時計も凄すぎるけど

  2. 明治維新は、本当に誇りに思っていいと思います。

    無論その前提には、寺子屋教育(初等教育)の普及・商工業や貨幣経済の発展・管理された都市の存在・蘭学による西洋の知識の蓄積などが、江戸時代に既にあり、その社会に蒸気機関や製鉄技術を組み込めば、すぐにでも相当程度のことができるだけの地力があったからですよね。国民全体としての力が、相当あったのだと思います。

    政治体制も幕藩体制から中央集権体制へ、富国強兵・貿易立国への道筋など、グランドデザインを描いた指導者達やその配下のスタッフ達の能力と情熱も凄かった。

    その後、満州事変に端を発し、着地点を決めないでひたすら戦線を拡大し続けた戦争もありましたが、それは明治維新の精神とは異質なものだだと感じます。

    1. >その後、満州事変に端を発し、着地点を決めないでひたすら戦線を拡大し続けた戦争もありましたが、それは明治維新の精神とは異質なものだだと感じます。

      ワタシは明治維新から日清・日露、二度の大戦、朝鮮戦争まで、全て一連のもので切り分けるべきではないと考えます。

      明治維新は西欧の帝国主義に抗い日本の独立を保つためのものでした。早急に国力を上げねば独立を保てないという危機感が、あれほどの短期間で体制の刷新を成し遂げた原動力だったと思います。

      当時の東アジアはそれまでの地域大国であった中国(清)が衰退し、軍事的な空白ができていました。そして、その空白に西欧列強が乗り込んで来つつあったのです。日本の安全保障の為には、中国に代わってその空白を埋めて地域を安定させる役割を、日本が担わざるを得なかったのです。
      朝鮮半島については改めて述べるまでもないでしょう。

      1. >>日本が担わざるを得なかったのです

        朝鮮半島については、MS-06様に完全に同意です。当時の韓国宮廷が、あろうことかロシアに走った経緯をみても、当時の日本の判断は完全に正しかったと思います。

        そして、戦争の歴史もそれぞれの事象が密接に関連し合っているのだから、それを恣意的に切り分けた私の考えに欠陥が含まれてしまうことも認めざるを得ません。

        しかしそれを覚悟で言うなら、満州事変と満州国樹立は、やはり他と比べて異質です。1931年当時日本は満州鉄道の利権をもっていましたが、国民党中華民国分子の妨害活動もあり、事業としては、目指したほどの利益をあげられませんでした。これは、陸軍としては許しがたかったでしょう。しかし満鉄爆破とそれを口実にした戦争はやるべきではありませんでした。これは現場の暴走です。私がどんなに愛国心を奮ってみても、石原個人の浅はかな謀略に見えてしまいます。統帥権を持つ昭和天皇のあずかりしらぬところで行われたことです。軍の幹部すら把握していませんでした。不可避的な偶発的衝突でもありません。しかも、この事件の真相は、欧米諸国にすぐにバレたのですよ。間抜けにもほどがあります。

        「満蒙は日本の生命線」と、満州国樹立に当時の日本世論は沸きましたが、同時に英国を敵に回しました。

        結果論にすぎませんが、満蒙は、多くの人命と大金をかけて守る価値はない場所だったと思います。日本にとっては。

        これを皮きりに、陸軍は戦線を拡大し続けました。どこまでやれば終わり、という目処もつけませんでした。日ロ戦争のときは、開戦と同時に金子を米国に派遣し、米国大統領に調停依頼を働きかけていたのに比べ、全く違う道筋です。

        「戦をもって戦を養う」と石原はうそぶいたといいます。戦線を拡大しては兵員増派を本国に要求し続けました。政府自体は戦線不拡大を掲げながらも、現場の暴走をとめられませんでした。すぐ終わるはずの日中戦争は泥沼化し、中国による国際宣伝もあり、徐々に米国までもが米国益を犯しかねない存在として日本をみるようになりました。

        MS-06様は歴史にお詳しいので、これ以上は書きません。MS-06様と私とは、満州事変とそれ以後敗戦までの経緯についての、「日本にとっての国益」とはなんだったかについて、見方が違うということだと思います。私の考えはいわば「逃げ恥」的なものかもしれませんが、あれほどの犠牲に見合う価値がないものに執着してしまったように感じています。もちろんこれは後知恵なのですが。

        ちなみに石原は、戦後、先勝国側に彼の謀略や構想について詳細を聴取された後、許されて天寿を全うしました。晩年彼は「日本は軍備を持ってはいけない。たとえ他国に攻め込まれることがあっても」と語っていたそうです。石原の頭が余りに良すぎて、ついていけません。

        1. 投稿後に自分の書いた文を読み直すと、指が走っているので誤字も目立つし、「全部石原完爾氏が悪い」みたいな内容の間違いもありました。すみません。

          「戦をもって戦を養う」は、別の軍人の発言だし、兵員の増派を本国に求め続けたのも別人です。

          なにより彼の目的は、ソ連への備えでしたから、どこまでやればよいかは、当時は明確ではありませんでした。そんな状況にいた彼を一方的に批判するのは酷なことでした。

          だから、私の満州事変批判は後知恵的なものです。ただ、後から振り返るからこそわかることもあります。

          いずれにせよ、石原完爾氏の人物評のようなことはすべきではなかったと反省しています。

          1. いや、わたしは最初のであっているように思うよ、石原完爾が悪いのです。

  3. 明治維新は日本の内部から起こした社会変革ですね。まさに近世から近代への転換です。しかもそれは強大な力を持った大名が起こしたのではなく、下級武士が起こしてそれに主君である大名がついて行った。そしてそれまでの身分制度を廃止し、主君に領国の支配権を放棄させ、華族という名誉だけを与えるだけで、既得権一切を放棄させたのです。そして日本はアジア唯一の近代国家として世界に乗り出し、日清・日露の戦争で勝利する国家に成長する。第1次大戦では戦勝国となり、国際連盟の常任理事国にまでなる。

    下関条約の結果、朝鮮が独立して大韓帝国になっても身分制度は残り、両班の既得権も維持された。つまり朝鮮国から大韓帝国と看板だけが変わっただけなんです。韓国人の手によって社会変革できなかったのですね。
    韓国で李承晩を追放した4.19革命、朴槿恵を退陣させたロウソク革命というように「革命」という言葉をことさら使うのは社会変革だということなのでしょう。でも、社会の仕組みはまったく変わっていませんよ。
    韓国の社会の仕組みを変えた画期は2つに分けられると思います。最初は日本に併合されて身分制度を廃止したこと。近代的社会システムが導入され、韓国が初めて近世から近代になったのです。第2の画期は米軍政下で共和制政治制度を整備したこと。これは日本統治時代の統治組織をそのまま転用することができました。実務訓練された公務員たちもそのまま残った。李承晩追放後の政治混乱をクーデターで収束して軍事政権が樹立されますが、共和制は維持された。

    日本の上に立ちたい韓国としては面白くないだろうと思います。でも、そんなこと言ってるのは世界では韓国だけなんですよね。日本と12年間戦争をした中国はそんなこと言わないし、日本の植民地支配を受けた台湾もそんなこと言わない。日本は日本、自分たちは自分たち。
    もしかして韓国人は日本を身内のように考えているのではないでしょうか。だからいつも日本と比べ、悔しがり、悪罵を並べ、嫌がらせをする。かと思えば、日韓トンネル建設、先端技術の共同研究、国際試合の共同開催などをもちかけたりする。あれだけ反日をしており、しかも大嫌いな国No.1の日本に年間700万人も来る。身内との関係がこじれると、かえって相手を憎む。しかし骨肉の情はまた別ということでしょうか。いやはや疲れます。

    1. 「日韓トンネル」とかって、本当にやめてほしいですよね。

      韓国発のカルト宗教である統一教会が関わっているとか。ああ、やだやだ。

      ほかにも、韓国からは700万人も日本に来てるとは。「犯罪(予定)者は入国しないでね」、とハングルで書いた横断幕を張ったら、ヘイトといわれちゃうんだろうか。ああ、やだやだ。

      1. >ああ、やだやだ。
        の前には毎度、改行をいれると加点です。

  4. 「韓民族は国家らしき国家を作ったことが一度も無い」

    ”正しい歴史認識”のお手本でしょうか。

  5. 維新、威信、
    今の安倍政権は韓国を「以心伝心」出来ない「異心」の
    基本的価値観を共有していない国と評価してます

    大阪維新の会。橋下は東京(国政)に出るんじゃなかったな。
    中島三郎助は箱館戦争で亡くなりましたが、函館には中島町として名前は残ってます。北海道坂本龍馬記念館が函館にありますが子孫が北海道に渡った為とか
    坂本龍馬は人気がありますね。司馬遼太郎の竜馬がゆくの影響でしょうか

    1. 坂本龍馬の海援隊の大番頭が、岩崎弥太郎なんですよ。

      もし三菱財閥がなかったら、戦前戦後の歴史はまったく異なるものであったとは思いませんか?
      韓国は、こういう人物を歴史から消したいんです。

      1. 岩崎弥太郎は政商ですよね。岩崎弥太郎のような人物だけなら朝鮮半島にも存在できるでしょう。

        岩崎弥太郎の功績が大であることは勿論ですが、岩崎弥太郎のカウンターパートとして渋沢栄一が居たことが、日本と韓国の違いだと思いますよ。

        1. 渋沢栄一は、アジア主義、アジア思想の持ち主で、わたしは支持していません。いまの韓国問題の幾分かは、彼が原因だと思っていますので。

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