教授「日本の配慮文化は利己の現れだ」

最近の本ブログには「日本人は順応する」という韓国側の主張を扱う内容が多くなりました。私がそういう記事に注目したから、というのもあります。でも、韓国側の各マスコミや寄稿文などに、同じ内容が多くなったのも一つの理由です。

順応は、別に悪いものではありません。でも、韓国では見下される概念となります。韓国は順応を「部下(子分)」や「しっぽを振る」ぐらいとしか見ていません。主導的に逆境を乗り越えてきた偉大なる韓民族には似合わないことだからです。「中国の諸侯国だった」「無能さのせいで併合されるしかなかった」などの歴史を死んでも認めないのも、韓国ドラマなどで「恵まれない生まれ」の子が主人公の作品が多いのも、同じ側面が見え隠れします。

そういう見方の本がまた韓国で発売されました。紹介記事がそこそこあるのを見ると、話題の本のようです。前にも紹介したことがありますが、日本で暮らしたこともある韓国人教授が書いた「易地思之・日本」という本です。易地思之は「相手の立場で考える」という意味です。

 

(ここから「続きを読む」の後になります)

あくまで本そのものではなく「『紹介記事』をソースにしたもの」ですが、まとめてみると、こうなります。

・半島国家で大陸と接続されていて、伝統的に「文」を崇拝してきた韓国とは異なり、大陸とかけ離れた過酷な島国で剣と武力を崇拝してきたのが日本のアイデンティティー

・(自然災害などが多いから)強い対象には常に順応し、自分が強者になれた場合は、周囲を服属させようとするのが日本人の生存論理、生存の法則

・自然災害や、サムライの剣と軍部政権の圧政から生き残るために、「恥」と「罪悪感」の中で生きるしかなかったのが日本人の悲しい歴史

・私たちがうらやましいと思う日本の「配慮」文化も、実は隣人との交流を萎縮させ、自分だけを大事にする極端な利己さと孤立主義にすぎない

・キリスト教や仏教のレベルの高い教えは、現世で生きることだけ考える日本人には届かなかった。だから現代社会になっても神道の影響が強い

https://news.v.daum.net/v/20180916160103021

 

まず、「易地思之・日本」の著者さんは「文武両道」という言葉を理解できていないようで、そこは笑い飛ばすとして・・

もし本ブログの読者の中に、本エントリー(「易地思之・日本」の内容紹介)を読まれて、「あれ?どっかで見た、これ」と思う方がおられたら、嬉しいですね。

「韓国人は、上に必要以上に頭を下げる、下に必要以上に厳しい」

「だから恨(ハン)と剥奪感(自分の権利を奪われたという考え)の中で生きるしかなかった」

「韓国で、配慮は他人が自分にやるものであり、自分が他人にやるものではない」

「韓国人は現世での利益を崇拝する。だから物質主義が強い」

いままで本ブログで繰り返して書いてきた、「韓国」に関する内容です。

ひょっとして、「『日本』の字を『韓国』に変えると文章が成立する」が「易地思之」の真の意味なのでしょうか(笑

しかし、日本の配慮文化すらも「悪いものだ」とする展開にはさすがに驚きました。

 

最後の物質主義の部分だけ、「くりかえして」書いたわけではないので、旧ブログから引用してみます。宗教関連のエントリーにしようかとも思いましたが、物質主義こそキリスト教や仏教との相性が最悪ですので、こちらにしました。

以下、2015年3月25日のエントリーからです。

<「主観的幸福感(Subjective well-being)」という論文で有名なイリノイ大学の心理学教授エド・ディナーさんは、2010年8月17日の東亜日報とのインタビューで次のように話しました。「韓国人は過度に物質中心的で、社会的関係の質が低い」、「物質主義的価値観自体が悪いわけではないが、社会的関係や個人の心理的安定など、他の価値を犠牲にしているから問題だ」。

朝鮮日報が2011年に連載したシリーズコラム「2011韓国人よ幸せになれ」の5回目(2011年1月7日)を見ると、韓国人のお金に対する歪みがわかります。

該当企画の諮問委員会に参加した海外の専門家たちは、韓国人を「お金が好きでありながら、お金持ちは嫌いだという、富に対して二重の態度を持っている」と分析した・・とのことです。財閥は嫌いだけど財閥企業に入りたい、という認識に似ています。

アンケート調査結果、韓国人は93%が「お金が幸せに必要だ」と思っていることがわかりました。しかし、その理屈だと「幸せになっているはず」であるお金持ちに対しては、「親のおかげだろう」「なにか不正をやった結果」としか見ていないそうです。

これは、専門家たちには興味深い結果だったみたいです。先に話したエド・ディナー教授も参加しました。彼はこう話しました。

「韓国人は、社会構成員たちと自分を絶えずに比較し、勝つことが幸せになる道だと信じている」、「しかし、いつも勝者になることはできない。他人と物質的な面だけ比べ続けても、幸せを感じられなくなるだけだ」。>

 

 

 

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144 Replies to “教授「日本の配慮文化は利己の現れだ」”

  1. 地震とか台風だとか火山の噴火だとか、日本は自然災害のあれこれに「恵まれた」国ですが、その代わり自然の恵みにも「恵まれ」ており、統一政権の成立前でも、譲り合って生きていける社会でした。
    配慮に対して配慮が返ってくる社会なら、配慮することは負担になりません。その方がお互いに楽だしね。
    そうでないなら、配慮はただの負担で、ストレスのもとですな。

  2. これが逆の事、日本の作家が日本で韓国に対する偏見に満ちた
    論評本を書いて出版したら、またヘイト本を日本が出したって
    色々騒がれそうですね。

    キリスト教や仏教のレベルの高い教えと言われましても
    大部分の現代の日本人は、「あ、宗教戦争で沢山虐殺した元凶ね」
    「元の哲学的な考えから遠く離れて、誰も救わず宗教家だけ儲かるやつね」
    という認識じゃないかなぁ

  3. 村八分という言葉が、農村文化の本質的な部分な気がする。
    文武両道は確かに・・・日本人の大半は農民だったのだけど。

  4. レディーファースト
    ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/レディーファースト
    ヨーロッパ上流階級における淑女のマナー(女性が先に準備して男性を迎える、女性が先に済ませる、女性が先に退出し男性の会話に加わらない、など)を示した言葉である。
    時代が下ると、女性の優位性や優先権を示すなど、当初とは逆の意図で用いられることも多くなった。
    本来は上流階級の淑女がとるべき行動やマナーを示す言葉であるが、しばしば紳士の取るべきマナーと混同される。
    レーモン・ルル著『騎士の礼儀の書』があり、騎士の責任として、教会を守ることに次いで女性と孤児を助けることが挙げられている。

    西洋にもマナーや配慮はあるんですけど、そっちは無視ですか。
    この教授はフェミニスト団体とディベートでもしたら(棒

  5. 子供のわがままが民族的な特性に定着してるだけだから真面目に語っても無駄だぞ。

  6. 日本と朝鮮半島の違いは生活環境の違いにあるのかな。と思います。
    朝鮮半島は生活環境が決して良くない地域。少ないものを奪い合ってきた文化なのかなと思う。
    日本は最低限あけ合えるだけの環境があった。その違いが韓国の価値観、思考と日本人の価値観、思考にでているのかなと思う。

  7. 実は日本の配慮というのは、わたしは利己だと思っています。

    お互いに配慮しあうことによって、はじめて自分の利益になる(快適な)社会が実現できるわけです。

    一方で、韓国の配慮というのは、利他なんですね。
    上には平伏して尽くすが、上から帰ってくるのはこん棒と足蹴りだけ。
    こういう社会では、配慮が消滅するのが当然なんですよ。

    1. **七誌語アナライザーv0.1**

      >一方で、韓国の配慮というのは….

      ?素朴な疑問?
      果たして韓国人に配慮という気持ちが有るのだろうか、甚だ疑問だ。

      ○配慮:心をくばること。心づかい。(コトバンク)より

      >実は日本の配慮というのは、わたしは利己だと思っています。
      日本の心配りというのは、自分の利益だけ考え他人のことは顧みない。
      そゆこと?信じられなーいでーすぅ。

      ○利己:自分の利益だけを考え、他人のことは顧みないこと。

      >韓国の配慮というのは、利他なんですね。
      韓国人は自分を犠牲にして他人に利益を与える。新説か?

      ○利他:他人の福利を願うこと。自分を犠牲にして,他人に利益を与えること。

      分析結果
      わたしには、まったく理解できません。
      あー西から太陽が上り、月が自転する。七誌ワールドでした。

      1. 七誌語翻訳
        「日本の配慮は、利己」
        →日本人の「他人に配慮する習慣」には、根底に「相互に配慮し合ってた方が、最終的には自分の利益を最大化できる」という自分の利益保持という目的が有る。

        「韓国の配慮は、利他」
        →韓国人には「相互に配慮する」という発想はない。乙の立場は「配慮」を強いられるだけ、甲に利するばかりで、自分の積極的な利益の保持にはならない。ゆえに「利他」と表現してみた。本来の意味の用法ではない。

        ※配慮しないでいると、そのウリから追放され「存在」できなくなるので、配慮の真似事をする。
        配慮の対価は「下の者」としてそこに存在するのを認められる、という極限の消極的利益。
        つまり、上の者に「蹴飛ばしたり殴ったり不条理な命令を出したり、いろいろな嫌なことを『してもらえる』。野垂れ死によりマシ(かなあ?)」。
        もちろん、ストレスばかり溜まるので、配慮の仕方がぞんざいになり、社会習慣として、そして概念として劣化する。
        配慮の替わりに、諂いやウソが横行。

        1. 七誌語解釈part2

          「日本の配慮は、利己」間違い

          「日本の配慮は利他」ーー>巡り巡って自分に戻る。
          ”情けは人の為ならず”

          「韓国の配慮は、利他」間違い

          「韓国は利己」ボスが代われば前任者を徹底的に叩きのめす。<ーー面従腹背
          それが、ボスへの忠誠の誓い(のふり)。
          配慮とも受け取れるが自己中なので保身が適切?。

    2. ミクロ的視点(七誌さんはえてしてこういう視点ですねw)でいえば、七誌さんの主張はわかるw

      で、
      マクロ的視点で言うと、明らかな間違いだと思うw

      「そういう部分もある」ところだけを見れば、正しいw
      それだけ。

      1. >受験生さん

        マクロ的視点だと、明らかに間違い?
        え?なぜ???

          1. それと

            「明らかに間違い」
            ではなく
            「明らかに間違いだと思う」
            ね。
            切り取らないでね。

      2. >受験生さん

        つまり自他の境界の認識に行き着くのかなと思います。境界が曖昧な日本人とハッキリとしている韓国人。

        配慮は他人のためでもあり自分のためでもある。どちらのウェイトが大きいかは局面で変わるかもしれませんが…

        こういう日本人の感覚からして配慮という言葉を利他とか利己とかで二分するのには無理がある。

        むしろこういう考え方で日本批判すること自体が韓国人らしいと言えるのかもね。

        1. >こういう日本人の感覚からして配慮という言葉を利他とか利己とかで二分するのには無理がある。

          だから、むりくり切り取ってる(ごく一部しか見ていない)七誌さんは間違っている、と、「思っている」わけですよw

          で、
          いいのかな?ゆっくりさん

        2. ○自他の境界線の区分
          はっきり:日本人
          あいまい:韓国人

          理由
          日本人は自分の唾液なのに、
          一旦口から出ると汚いもの(境界線外)と認識する。
          そんなもの飲めと言っても飲めない。

          韓国人の「うり」は集団が境界線。
          同じ器で食事をする行為は、自分の境界線内だから汚いと思わない。
          友達の家の冷蔵庫のものを勝手に飲んでもOK。
          自他の区別が曖昧だ。

          1. >最近の韓国は頭痛の種さん

            感じ方というかイメージの話なので、正しいとか間違っているとか言う話ではありませんが…

            日本人は他人との距離感を重んじるけど境界は曖昧。比較した場合の韓国人は、他人との距離が近い上に、境界がクッキリしていてぶつかり合う感じだと思います。

          2. また来たよさん

            こうしてネットで人様と会話して思うのは対話の難しさです。

            また来たよさんの、

            >つまり自他の境界の認識に行き着くのかなと思います。境界が曖昧な日本人とハッキリとしている韓国人。

            について、わたしの考えを定義したメモを記しました。
            メモです。
            反論、異論があれば、そのメモを参照して、具体的に示してください。
            それが、行き違いをなくす対話ができるのではと思います。
            そういう考えでメモを記しました。
            メモは、また来たよさんへの返信ではありません。宛名がないでしょ。

            会話形式では、このように「境界線」のメモが「距離感」の話になっています。
            会話が成立して居ると思えません。

            七誌さんのコメントを言葉の定義を載せて分析したのも解釈の曖昧さをなくすためです。
            あの人と話をするとのらりくらい逃げられるので、それができないようにした癖が残っているのでしょう。
            七誌さんが(ないけど)反論してきたら、さあどうぞ、そういう感じですね。
            そしたらとろいやさんが….。

          3. また来たよさん

            配慮の話を言うと、
            わたしの考え

            日本人の配慮は自他。

            イメージは天国の長い箸です。

            心の中は自己という考えが有るが行動は自他。
            そして、相手も自他であるという認識のうえになりたっている。
            ゆえに、自他であり自己であるが成り立つ。
            それが成立するには複数の自他が必要である。

          4. 訂正
            自己ー>利己
            自他ー>利他

            普段は訂正しません。

          5. 今読んだら私の名があったので一言。簡略版

            韓国人個人に自我があるのか?。
            韓国人にとって自我とは「うり」ではないのか?。
            韓国人個人はうりの中の一細胞ではないのか。
            韓国人の対立は「うり」と「なむ」ではないのか?

            話をすすめる上でそうだと仮定しましょう。

            韓国人同士の対立はうりとなむで表現できます。
            うりという集団内の細胞と表現する韓国人同士に境界線はない。(対立はない)
            韓国人にとっての境界線は「うり」と「なむ」の間に引くことができる。

            ○また来たよさんのおっしゃる境界線とは、うろとなむの間の溝ではありませんか?

            結論

            以前書いたメモになります。

            >また来たよ
            >2018年9月20日 05:12
            を読んで思ったことです。

          6. >最近の韓国は頭痛の種さん

            結構、気になっているポイントなんですけど…

            私、「境界線」とは言っていなくて「境界」ってずっと一環して言っているんですよね。だから、先ず「線」があるという固定観念を外してもらわないと、私が言わんとしていることは理解してもらえないと思います。

            急に「境界線」が「距離感」の話になって会話が成立しないとの御指摘があったんですが、私は「境界」の話を「境界線」の話に切り替えてメモを残された最近の韓国は頭痛の種さんとその関連部分について意見を交換してみたかった。

            「線」というのは、面積を持たない境目のこと。当然一次元的な認識の範疇にある。「線」というのは二つの「面」の境目にあらわれる。例えば、二枚の折り紙が重なったとき色の境目に現れるのが「線」であって、鉛筆で描いた線は認識しやすいように描いたダミーです。では「線」が現れる条件は?折り紙のようにクッキリとした領域を持ったモノでしか線は作り得ない。2種類の液体や2種類の気体の存在する領域同士が接触しても線(この場合は線はできるわけはなく、境界面や境界領域ができるのが正しい記述ですが…)はできないのです。
            液体や気体であっても、存在する領域やその物質が何であるかの属性はちゃんと持っているし、決して曖昧な存在ではないわけですが、接触した領域には線はできません。

            キッチリと線をつくる韓国人的な二つの自我の干渉は、客観的に観て折り紙が重なっているような状態になる、クッキリとした線はできない日本人的な干渉は、液体や気体が混ざり合う境界域を作るような状態になる。韓国人が折り紙のような自我の干渉状態でありながら、肝心の折り紙自体は実は何であるのかハッキリとわからない。その辺りも日本人と対照的であると言えます。
             

            ○また来たよさんのおっしゃる境界線とは、うろとなむの間の溝ではありませんか?

            前述通り、まず、私は「境界『線』が必ずある」という前提に立っていません(境界は必ずあるでしょうけど)。排斥や隔離のようなイメージがある「境界線で分かち合う」状態が全てだとは思っていません。融和や容認のようなイメージがある「線」ではない状態があると思っているのです。

            その前提で、かつ、ウリとナムを個人と個人の関係に適用していいのなら、境界線とはウリとナムの間にある溝(隔たりのある状態)か境目(丁度、ぶつかり合ってできる分かれ目の線)のことと考えていいと思います。

            私は「ウリとナム」の概念は、あくまで集団としての概念だと考えていますので、そもそも個人における「自他の境界」の話と、混同すべきではないと考えています。
             

            >最近の韓国は頭痛の種さん
            >2018年9月20日08:50
            を読んで、思ったことを書かせて頂きました。

            しつこくて済みません…

          7. また来たよさん

            そこは気にするところじゃないでしょ。
            境界線は間違いでもいいです。その言葉にこだわっていませんから。境界でも、自分の範囲、自他の区別、意識の範囲、境目、そんなイメージです。

            また来たよさんは禅問答みたいでわたしには理解できません。いったい何をおっしゃりたいのか、結論は何なのかわかりません。

            イメージで話をされても、イメージがわきません。具体的なことならいくらか理解しやすいでしょう。

          8. >最近の韓国は頭痛の種さん

            >禅問答みたいでわたしには理解できません。いったい何をおっしゃりたいのか、結論は何なのかわかりません。

            全て私の表現力と拙い知識の問題です。申し訳ないですw

            ①ウリとナムを二分させなければならないという圧力が自然に発生すること。→ウリとナムの間に「鮮明な境界」を創り出そうとする自然発生的な圧力がある。
            個人の間でも上記と同様。

            ②2018年7月1日のエントリー
            「ウリ」に関する1990年の論文から
            シンシアリーさんの発言の一節
            >韓国人が「ウリに合わせるべきだ」と考えるのは変わらないとしても、ウリそのものが恒久で一貫したものではなく、状況によって変わるなら・・
            ウリの状況が変わる→ウリが方向性を変える→個人がウリに合わせて動くことだけは変わらない
            すなわち、個人としては、超高速で手のひらを変えることになるのではないでしょうか。自分の信念より、手のひらを返すことのほうが「賢い」または「役に立つ(期待さっれていることを充足させる)」<

            自分の信念より、手のひらを変える(返す)ことのほうが重要→ころころと「手のひらを返す」ことをそもそも信念というのか?→信念・アイデンティティーそのものが確立されていない状態ではないか?→自我の発達状態が良くないことが原因では?→曖昧な自我の状態。

            ①が自他との関係性においての境界の話。
            ②が自我の内側と外側の境界の話。

            両方をまとめると…
            集団としてウリとナム(自分の集団とそれ以外)を明確に区別するために、個人的な思想・心情・アイデンティティーは隠蔽したり・消し去ったり・無視したりする。ウリとナムを明確にしようとすると個人は曖昧になる。

            他の方との考え方や感じ方とズレがあっても気にしないようにしますw

        3. >つまり自他の境界の認識に行き着くのかなと思います。
          >境界が曖昧な日本人とハッキリとしている韓国人。

          これは、ちょっと驚きましたね。
          また来たよさんは、かなりの古参とお見受けしてましたし、
          これまでのコメントなどでもすごく論理的な方だと思ってたんですが。

          私もそうですが、シンシアリーさんにおいてもこれまでに何度か、
          韓国人を「レミングの集団」になぞらえることがあったわけですが、
          それをどういう風に読まれてたんでしょうか。。。

          ちなみに、このブログの7月1日のエントリー
          「「ウリ」に関する1990年の論文から」に、これに関しての
          詳しい記述があります。重要なところを以下に抜粋しますが、
          ぜひ全文をお読みください。

          >「ウリ」に関する1990年の論文から

          >・韓国人の言う「ウリ」の特徴は、西洋でいう内集団
          >(個人が所属感を持っている集団)の概念とは異なり、
          >自分自身を集団の中に陥没させる、「脱・自己」で代表される

          1. ああ、そうか、分かりました。
            また来たよさんは、日本人が他者に優しく出来ること、
            思いやりを以って接することが出来ることを、
            自他の境界が曖昧だから出来ることだとお考えなんですね。

            それは間違いです。どういうことかと言うと、
            例えば自分の右腕に対して、
            「今日も働いてくれてありがとう」
            なんて言う人がいるでしょうか?

            韓国人にとって「ウリ」とはそういう存在です。
            「自分の一部」として認識されている。
            だから、日本人のような表現としてのおもいやりや
            優しさを以って接することは無いわけです。

            日本人は、自他の境界がはっきりしているからこそ、
            その自他の「関係性」「距離感」をコントロールできるわけです。

          2. >名無しさん(空蝉)さん

            ちょっと幻滅させてしまいましたでしょうか?
            自分では古参という認識がありませんが、そうなのかもしれませんね…感慨深いw

            レミングの話は、間違った見方ではないと思っていますよ。レミングが実際には集団自殺しないことは知られた事実なので、その言葉を使うのは好きではないのですが、言っていることは正しかろうと思います。
            いわゆる附和雷同的な部分は日本民族にも多かれ少なかれあると思うのですが、レミングの話になぞらえるなら、「先頭のレミング」に皆が着いていくわけで、その「先頭のレミング」の意思決定に日本と韓国とでは大きな違いがあるし、適切なリーダーを選ぶ、潜在的な知能や価値観にも差があるのかもしれません。レミングの話はここまでとして…

            名無しさん(空蝉)さんからこのコメントを頂けたということは、「「ウリ」に関する1990年の論文から」エントリーの内容と、私のコメントに乖離があるという御指摘と受け止めて良いでしょうか?

            そうだとして、

            まず、私はシンシアリーさんがこのブログで書かれていることが、全て正しいとは思っていません。ですから、これまでもこれからも、シンシアリーさんの考えと完全一致はしないでしょう。

            その上で、「「ウリ」に関する1990年の論文から」エントリーの内容と、今回のコメントとの差について語らせて頂きます。

            「「ウリ」に関する1990年の論文から」エントリーの内容は、短くまとめると、韓国人の「集団心理」のメカニズムについて記述されていますね。「ウリ」という集団が、どのような心理で作られるのかが、西洋的「私たち」との差として書かれていますね。(それはそれで興味深い)

            今回私が述べたのは、集団ではなくパーソナルな話です。物理的・心理的距離感を遠目にとるうえに、その境界線をその場の「阿吽の呼吸」で解決できる日本人に対し、距離感を近めに取るうえに、他者のとの違いや差でしか(つまりぶつけることでしか)境界線の解決ができない韓国人。どちらも全ての日本人・韓国人が必ず持っている特徴ではありませんが…

            上記の通り、それぞれが別の観点から、一方は民族性を、一方は個体の平均的な特徴を述べたものです。
            (余談ですが、私は集団として扱う場合は「日本」「日本民族」「韓国」「北朝鮮」「朝鮮民族」などと言う言葉を使い、個別の人を扱う場合は「日本人」「朝鮮人」「韓国人」などの言葉を使うようにしています。たまに誤ってしまうときもあるかもしれませんが…。先の私のコメントは「日本人」と「韓国人」の話)

            「脱・自己」という言葉と「ハッキリとした境界」に矛盾を感じたとしたら、こう考えてみて下さい。

            「ウリ」を創り出すためには「脱しなければいけない自己」を多くの韓国人は持っているとも言えるのでしょう。しかし、現実はそう簡単にはいきません。譲れない部分では「ウリ」はすぐに分断します。結局、「脱することができる自己」の部分は、それが自分にとって都合のいい部分だけの場合が多いのでしょう。(例えば、自ら選んだ大統領を辞めさせるためには、自分の正当性のために、過去の自分の選択責任を簡単に捨て去ります。)
            論文には「韓国人のウリは、いったん形成されると、環境や時間の変化に関係なく、常に体験される」とあるそうですが、これは誤りですね。「ウリを作ろうとする意識は常にあるが、一つのアイデンティティーで結束し続けるわけではない」とするシンシアリーさんの考察の方が正しい。なぜ結束し続けられないかといえば、「ハッキリとした境界」を持っているからで有り、排中律的な思考に陥りやすい朝鮮人の特徴でもあります。

            的外れな答になってしまったなら申し訳ありません。
            もしそうなら、もう少し具体的に御指摘頂けると助かります。

          3. >名無しさん(空蝉)さん
            2018年9月18日 01:42へのお返事。

            やっぱり感覚的な違いかもしれませんね。

            >日本人は、自他の境界がはっきりしているからこそ、
            その自他の「関係性」「距離感」をコントロールできるわけです。

            名無しさん(空蝉)さんの仰ることはわかるのですが、都度、「関係性」「距離感」をコントロールすることを私は「曖昧」と表現しているのです。自他の境界を「はっきりと認識」はしていなければいけませんが、固定された厳格な境目がないと私は感じるからです。

            もし、韓国人には、その「関係性」「距離感」をコントロールすることができない人が多いのならば、それらを固定的に捕らえることしかできないからではないでしょうか?つまりこちらの方が固定された厳格な境目が存在することになると思うのです。

          4. >また来たよさん
            >2018年9月18日 02:59へのレス

            どうも、長文でのレスありがとうございます。(礼)
            また来たよさんのコメントにはもう返信できないので
            こちらで失礼させていただきます。

            >今回私が述べたのは、集団ではなくパーソナルな話です。

            ああ、やっぱり「パーソナルスペース」のお話でしたね。
            最近の韓国は頭痛の種さんが正解でした。
            最近の韓国は頭痛の種さんが書いた「距離感」というのが
            「パーソナルスペース」を指しているというのに
            気付くのが遅れましたね。。。
            私も書いた後しばらく考えて、そういう可能性もあるなとは
            思ってたんですが。。。
            最初から、言葉の定義が違っていたようで
            会話が成立していなかったようです。申し訳ない。

            「パーソナルスペース」と「自他の境界」とは別物です。
            これを混同してしまっているため、また来たよさんの分析は
            ズレたものになってしまっていると思われます。
            「パーソナルスペース」というのは、定義としては
            「人間が快適に他者と共存できる物理的な距離感」のこと。
            「自他の境界」というのは、精神医学的な概念であり、
            「自分と他者との相違性の認識、切り分け」のこと。
            まあ決して完全に別物というわけでも無く相互に影響はあるでしょうが
            概念としては全くの別物として扱わないとおかしくなるものです。

            できれば、「自他の境界」と「パーソナルスペース」が
            別物であると考えて、もう一度最初から論理の再構築を
            されてみてはいかがでしょうか。新しい地平が見えるかもしれませんよ。

            次からは「自他の境界」ではなく「パーソナルスペース」と
            書いていただければ、私はもう突っ込みませんので。
            失礼しました。(礼)

          5. >名無しさん(空蝉)さん

            一応、パーソナルスペースという言葉は、この一連のコメントを書く前から知っていますが、別のモノなのでその言葉は使いませんでした。パーソナルスペースは物理的な距離や空間を指している場合が多いのですが、私が書いているのは物理的な話だけではありません。

            感じ方というものを伝えるのはとても難しいですね…

            長くなりすぎて経緯が見えなくなっているようですが、一連のコメントの中で、最初に「境界」という言葉を用いたのは私なんですね…それ以前のコメントは「利己なのか利他なのか」に終始しているでしょう?

            で、私は、私が思う日本人と韓国人の個人的な境界の認識について書きました。適切な言葉が見つからず上手く伝えられなかったことは私のスキルの問題です。

            頭痛の種さんと、名無しさん(空蝉)さんはその、私の境界の認識仕方について、異論を唱えられたわけです。頭痛の種さんはメモと仰っていましたので、異論ではなく、私とは逆の言葉で持論を述べられたということかな?私は頭痛の種さんが上げられた例をみて、私とは違う観点から述べられているので、逆の表現になることもあり得るなと思いました。

            他人と自分の自我が衝突や干渉を起こすようなケースにおいて(つまり精神空間の干渉が発生した場合)、日本人的な解決方法はお互いの自我の間を広めに取り、曖昧なまま許容する精神空間を作って解決する人が多いと感じますが、韓国人的の解決方法はそのような曖昧な空間は用意せず、自我を直接ぶつけ合うか、溝をつくって隔離するかと言うような解決をする場合が多い。この様子を「境界が曖昧な日本人とハッキリとしている韓国人」と表現したのです。境界の区別がないと言っているのではありません。(自分でも判りにくいと思う…w)

            Aさんの自我が「赤」で、Bさんの自我が「青」なら、AさんBさんが共に日本人なら「紫」にぼやけた空間を用意して衝突を避ける。AさんBさんが韓国人なら、どこまでが「赤」でどこまでが「青」かせめぎ合ってクッキリ塗り分けたような状態になるか、干渉しないように「無色」の空間ができる。こんなイメージです。

            逆に、名無しさん(空蝉)さんが仰っているのは、自我そのもの話ではないでしょうか?
            私は、韓国人が曖昧なのは自我そのものだと思います。私の感覚では自我は曖昧なのに境界はクッキリしていると感じるのです。そういう意味では日本人の方が自我そのものが成熟し確立されている場合が多いかもしれませんが、他人との境界は曖昧にしている感が強いと思うのです。

            で、私がこう感じて、かように表現したものを、「違う」とか「それは間違いです」とか「再構築」のすすめをされても、ピンとこないんです。

            それと、突っ込み自体は、入れて頂いてもいいです。他の方がどう考えておられるのか知るのは楽しいですしね。

            いずれにしても私の感覚的な発言です。他の方には他の方の感じ方があっていいと思います。なるべく短く書こうと思ってこの様です。
            ちゃんと読んで頂けるかは甚だ疑問ではありますが…勘違いされたままになってしまうような気がしまして…申し訳ありません。

          6. この文がどこに表示されるのかはよく分かりませんが、w;
            とりあえず返信したいので投稿させていただきます。(礼)

            >また来たよさん
            >2018年9月20日 05:12へのレス

            うーん、さっぱり分からん。。。(笑)
            いや、すみません。はっきり言って、
            これが今の私の正直な感想です。。。(汗)

            まず前置きとして書いておきますが、私はそもそも「言葉の定義」を
            それほどガチガチに固める気も無く、それぞれ各人の流儀で良いかなと
            思っているタイプです。私自身、それほど学のある人間ではないですし、
            間違って使っていたのを指摘されたりして恥ずかしい思いをしたことも
            数知れず。(笑)まあ、だから私自身も「言葉の定義」のちょっとした
            間違いやズレで誰かを云々かんぬんする気は全く無いわけです。

            その上で言わせていただきたいと思うのは、このブログの多くの
            投稿者の間では、ずいぶん以前から「自他の境界」という言葉が、
            ある程度の一定の意味で共有されていた、ということです。
            そして、おそらくこれからも共有されたまま使用されていくだろう、
            ということ。

            だとしたら、これからも、また来たよさんがこのままオリジナルの
            言葉の定義で「自他の境界」を使い続けるならば、いずれまた
            どなたかと言葉の行き違い、すれ違いが発生することになりますよ、と。

            それでも良いというのであれば、これ以上の意見をする気は全く
            ありませんので。私は他の方々と対立したり干渉する気は一切無い。
            はっきり言って、基本的に私はここで自分の書きたいことだけを
            だらだらと書いていたいだけなのです。(笑)

            ただ、今回は「自他の境界」において、日本人が曖昧で
            韓国人がハッキリ、というどう考えても一般的解釈と
            真逆のコメントを見て、つい突っ込みを入れてしまいました。
            じつは、その理由はまた来たよさんがかなりの古参であり、
            論理的思考を持っている方だと思ったからなんです。
            だから、一言二言で正しく修正できると思った。
            結果はどうも思わしくなかったようですが。。。

            まあ、そういうわけです。今後また来たよさんが
            どういう定義で「自他の境界」を使われるのかは分かりませんが、
            もし、これの正しい理解に至れば、今回私が書いた文や
            最近の韓国は頭痛の種さんが書かれた文、そして
            「「ウリ」に関する1990年の論文から」のエントリーなどが、
            どういうことを言っているのかが一本の線で繋がり、
            まるでパズルのピースが組み合わさるようにして、
            そこに一つの絵が見えるはずです。私としてはそうなることを
            心よりお祈りしつつ、今回はこれまでにしたいと思います。(礼)

    3. あーそれ思ってました!
      日本人の配慮は利己だから続けられるんですよね。
      震災の時とかの対応とか外国が驚いてましたけど、サービスの質とかも公共でのマナーとかも向こうの人間は自分達は何故出来ないのかってよく海外の反応とかであるんですよ。
      共感性能力があるかないかの差だと思うんですけど、相手が感じたものを感じ取る能力が高いと日本人みたいになる。俗に言うエンパス性質ですね。相手が傷つくと自分も痛いから未然に防いでいるという自己防衛反応。やたら謝るのもそれですね。
      慰安婦問題とかに謝罪してきたのも、根拠があって認めたからではなく、相手が傷ついてたから。自分が痛いから。てことは慰安婦は嘘だけど傷ついてるのは事実ということになる。慰安婦は多分傷ついた本当の理由を隠すためのカモフラージュな気がします。協力して隠していると言うことはお互いに不都合があるのだと思う。
      逆に共感性が低いとサイコパス。韓国人はまんまこれですね。外国人は基本これかも。サイコパスって思ってたんですけど男性的な性質を高くした人のことでもあるかなと。エンパスは逆に女性。日本が犯罪率低いのもこれ関係ありますね。

      1. あなたの事をちょっと尊敬する、わたしもこれぐらい丁寧に書ればいいのだが。それに引き換えドヤ顔で毎回マウンティングしに来るアレな連中ときたら。

        1. ドヤ顔で毎回マウンティングっすかw
          誰の事だろうねぇ?七誌さん?

  8. 韓国の「その上下」って、バカバカしいだけだと思うけど。
    (併合前の写真を見ても、小学生でもどちらが上かは分かりそうな)

    【コラム】韓国大企業は「しもべ」で北朝鮮は「あるじ」なのか
    ttp://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/09/17/2018091700853_2.html

    韓国の日本に対する「不遜な」態度・考え方は
    北朝鮮が韓国に対する態度と似ていますよね。
    同じ民族だから、当然かもしれませんが
    支援をして貰っても偉そうにふんぞり返っている。

    日本では「実るほど頭を垂れる稲穂かな」なんて言葉もありますが
    朝鮮半島の籾はスカスカなんでしょうね。

  9. 何を書いても出版するのも自由です、言論の自由です
    出版は経済行為に過ぎません
    国民の消費があればこそ作家や出版社が成り立つ訳で・・・
    作家が他の作家の本をくさしてはいけませんよ、やるべきは反論本を書く事だけ

    日本でもそう言う事が最近平然と行われているんですよ
    朝日新聞の報道姿勢の批判本を書いた作家に朝日新聞は裁判を起こしています、自社の紙面で議論しようとは思いもしない様子
    そう言う風潮だけは許せません

    1. >作家が他の作家の本をくさしてはいけませんよ

      それを言うのなら、作家が他の作家の本をくさすることだけは許されるべきでないのか。それは言論なのだから。

    2. >>朝日新聞が作家に対して裁判

      ・・・ですか。

      朝日新聞が最近起こした不祥事といえば、慰安婦報道の訂正記事(英語版)に対する検索不可能化工作(noindexタグの件)。これは、情報隠ぺい工作ですよね。こんなことをする会社に、財務省文書書き換え問題等を追及する資格はありません。

      今まで、紙面改革を粘り強く待ってきたけど、もう限界を超えました。もはや朝日新聞はフェイクニュース製造機関だとしか言えません。

      朝日新聞は日本国民の敵です。さっさと廃刊してください。

    3. >作家が他の作家の本をくさしてはいけませんよ

      これ、私は理由が解りません、何故ですか?
      同じ文化人、同業者だからですか?

  10. この程度で教授で通用するなら何とも気楽な稼業で羨ましいことで。

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